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第四章 本当の親子

136 フェリックスとウォーレス

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(まさか……こうも早く潮時がやってくるとはな)

 カンテラの光だけの薄明るい部屋に、フェリックスは立っていた。
 ズボンのポケットから、小さなペンダントを取り出す。亡き父親の形見であり、心の支えでもあった。
 ペンダントに仕込まれた写真を開いて見つめ、彼はわずかに表情を歪める。

(でも、僕は絶対に諦めないよ……仇は取るからね、父さん)

 フェリックスの父親は、彼が小さい頃に亡くなっている。
 殺されたといっても差し支えない。少なくとも彼は、そう思い続けてきた。そしてそれは今でも変わらないし、変えるつもりもないと断言するほどだ。
 そうでもしなければ生きていけなかった、とも言えるだろう。
 彼も、そして彼の父親も、ディアドリーにとって、否――この家にとっては、単なる都合の良い『駒』でしかなかったのだから。
 もっとも、それ自体は別に、彼も珍しいことだとは思っていない。
 貴族やそれに準ずる名家ともなれば、結婚や子供が家を保つための手段や道具でしかないことが基本。そこに愛があるほうが珍しいほうだと、彼もよく分かっているつもりではいた。
 しかしそれでもやはり、父親に対する気持ちに嘘は付けない。
 彼にとって、父親はそれだけ大きな存在だったのだ。

(自分の人生を投げ捨ててでも、父さんは僕のことを考えてくれていた)

 彼の父親はヴァルフェミオンの優等生だった。しかし戦う魔導師としては二流止まりでしかなかった。魔法教育者として、面倒見のいい先生として慕われても、所詮は裏方としか見なされず、名前が表に出ることもなかった。
 そんな父親を、彼の実母は手酷く見放した。
 学生時代からの幼なじみであり、そのよしみで結婚し、子供を授かった。しかし彼の母親は、それだけで満足することは全くできなかったらしい。
 とある王宮に勤める先輩魔導師と不倫し、手紙一つ残して姿を消した。その時の父親の憔悴しきった表情は、今でもよく覚えている。
 忘れそうになったら必死で思い出す――そう胸に誓っているほどであった。
 息子の自分が苦しまなければ、神様から天罰が下されると、心の底からそう思っていたのだった。
 そしてその後、父親は今の母親であるディアドリーと出会ってしまう。
 なんとも言えない女運の悪さに、彼は思わず苦笑してしまった。しかしそれに易々とついていった自分もまた、同罪だと思っていた。
 いくら子供とはいえ、何も知らなさ過ぎるにも程があったと彼は思っている。
 そして、そこから逃げ出す勇気すらない弱虫であることもまた、彼は自覚しているつもりであった。

(なんだかんだで僕も、父さんの息子ということだろう。堕ちるところまで堕ちてしまった。もう引き返すことはできない)

 もう少し上手いやり方があったのかもしれない。闇に染まらずに済む方法は、いくらでもあったのかもしれない。
 けど所詮は『もしも』のことでしかない。
 現実はどこまでも闇に染まっている――それは間違いないと、彼はちゃんと認識していた。
 ディアドリーの思惑など、フェリックスは何年も前から気づいていた。
 彼女からすれば、自分も父親も都合のいい駒でしかなく、使うだけ使ってポイ捨てするつもりであることぐらいは、軽く予想していた。
 しかし彼は、ただそれに対して大人しく従う選択肢を選んでしまっていた。
 父親がディアドリーを愛し、そして信じ続けていたからだ。

(結局、父さんは最後の最後まで独りよがりな愛を貫き通して、あの女に使い潰されて死んでしまった……哀れ過ぎて涙も出ないな)

 妻であるディアドリーを信じ続けた。そうすればいつか、本当の愛を築き上げられるはずだと、心の底から願っていたのだ。
 それは夫としての愛情とは違う。もう二度と捨てられたくないという恐怖から来るものでしかないことは、フェリックスも気づいていた。
 その上で彼は何も言わなかった。
 父親を追い詰めるような真似をしたくなかった――今となってはそれも、単なる逃げ口上でしかない。
 本当は彼も怖かったのだ。父親から見放されることが。
 下手なことを言って見向きもされなくなり、一人ぼっちになることを恐れた。実に哀れで弱い子供だと、彼は後々になって自覚する。
 確かにずっと演技をしてきた。
 ディアドリーを出し抜く一瞬の隙をつくべく、徹底的に落ちこぼれのフェリックスを貫き通していた。
 しかし心のどこかで思ってもいた。これも一種の自分であると。
 あり得たかもしれない自分を、第三者視点で見ている――何故か彼は、そう思えてならなかった。

「っと……つい余計なことを考えてしまったな」

 自虐的な笑みを浮かべつつ、フェリックスは呟いた。

(本来はアリシアを攫ってくる予定が、まさかあの魔物使いのガキを連れてくるとは思わなかった……まぁ、計画の遂行には使えるだろうし、別にいいか)

 珍しい妖精も一緒にくっ付いてきたことは、既に彼も把握している。それに対して興味深いと思わなくもないが、今回においては妖精をどうこうするつもりは、今のところ一切なかった。
 何故なら計画上、明らかにどうでもいい存在だからである。
 こんな状況でなければ、少年を人質に妖精を捕らえて、色々と調べたのに――やはり少し残念に思ってしまったことも確かだ。
 しかし優先度は大事だと、フェリックスは気を引き締め直していた。
 なにより余計なことをして計画に支障をきたそうものなら、それこそ本末転倒もいいところである。
 だから今回は放っておくに限ると、そう思うのだった。

「さて、そろそろ連絡が――来たみたいだな」

 テーブルに設置してある魔力装置から音が鳴り響く。フェリックスがその装置を作動させた瞬間、壁に四角く淡い光が灯り、そこに一人の老人が映し出された。

『久しいな、フェリックスよ』
「ご無沙汰しております、ウォーレス様」

 跪きながら挨拶をするフェリックスに、ウォーレスは苦笑する。

『そう堅苦しくせんでもいいぞ? 義理とはいえワシはお前の祖父。そう呼んでくれても構わんというに』
「いえ。これは僕のケジメでもありますから」
『……まぁ、別に構わんがな。そんなことよりも、本題に入らせてもらおう』

 ウォーレスはコホンと咳ばらいをしつつ、表情を引き締める。

『お前のレポートを読ませてもらった。やはりセアラに後を継がせたのは、失敗だったと判断せざるを得んな』
「えぇ。そう思っていただけて、なによりでございますよ」

 フェリックスはニヤリと笑った。

「僕が度々申し上げていた意見は、間違っていなかった……そう判断しても?」
『うむ。セアラは確かに魔導師としては優秀――だが当主としては、力量不足だったということか』

 頬杖をつきながら、ウォーレスは深いため息をつく。

『まさにディアドリーとは正反対だな。姉妹を足して二で割れば、本当にちょうどいい人材となるのだが……まぁ、今更言っても仕方あるまい』

 名家の当主として野心を持ってほしかった。しかしセアラにそれがない。加えて今の彼女は、十六年前に手放した赤子のことに首ったけ状態――もはや威厳すらないと言わざるを得ないとすら、ウォーレスは思っていた。

『魔導師としての実力に加えて野心もある者こそが、我が家の当主に相応しい。ワシが言えるのはそれだけだ』
「えぇ。そのお言葉が聞けただけで、僕としても十分にございます」
『ならば動いてみろ。そして成果を叩き出してみせよ』
「お任せを!」

 フェリックスが返事をするなり、ウォーレスの姿が消えた。元の薄明るい部屋に戻って数秒が経過すると、クスクスという小さな笑い声が響き渡る。

「恐らくあの人は、僕の狙いに気づいてるんだろうなぁ……それを知った上で僕を利用しようとしているってことか。これは面白い♪」

 そしてゆっくりと立ち上がり、部屋のカーテンを開けようとした瞬間――

「フェリックス様あぁーっ! 大変でございますうぅーっ!!」

 見張りの兵士らしき叫び声が聞こえてきた。どうにも情けなく聞こえたそれに、折角の気分が台無しにされたフェリックスは顔をしかめる。
 やがてノックもせずに、一人の兵士が部屋に飛び込んできたのだった。

「どうしたんだ? 騒々しいぞ」
「も、申し訳ございません。あぁいえ、それどころではないんですってば!」

 謝罪もそこそこに、兵士が事態を報告する。

「例の捕らえた少年が、地下牢から脱走しました! 見張り役として派遣した狼の魔物たちが、何故かこぞって反逆し、大暴れしている状態です!」
「なんだと!?」

 フェリックスは目を見開く。少し目を離した隙に何が起こったのか、いくら考えても理解することは、全くできなかった。

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