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鎌倉武士考
鎌倉武士考 鎌倉期の海外事情1
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平安末期に源為朝が、相国平清盛と将軍源頼朝の双方から、「外ツ国勝手次第」を受けて、大きく海外へと勢力を伸ばした。北太平洋を領域とする八幡衆は、ミヅチに乗っての戦闘能力と、ミヅチ曳の大船による航行は、八幡衆に制海権を齎していた。
ミヅチは、島嶼地域で細々と棲家としていたが、為朝が率いる八幡衆が、ミヅチを嫁として迎えて、騎乗することで、下田沖の戦に勝利した。ミヅチに乗って漁を行い、戦に出るミヅチが増えたのは、下田沖の戦からである。さらに塩飽で、竹を編んだ籠船に白漆喰で固めることで、竹筋白漆喰の船が造られ、ミヅチに曳かせることで帆無航行が可能となった。
鎌倉期には、帆無八丈と呼ばれる、竹筋白漆喰の大船が、塩飽や鎌倉で建造され、ミヅチ衆が曳航する廻船が、沿岸航路で用いられるようになった。八丈と言われたいるが、実際に使用された船には、十丈以上ある大船も数多く造られていて、竹筋白漆喰船の総称として「帆無八丈」が用いられたと言ってよい。帆無八丈は、帆が無いと書かれているが、実際には、短い帆柱が縦帆で二本ないし一本あり、船舵の役目を担っていた。
日ノ本でのミヅチ曳の大船は、平安末期に為朝によって始まりを迎え、12世紀末には、太平洋全域に八幡衆が広がっていった。宋国が金に敗れ、皇帝が連れ去られる事件が起き、北宋が滅び、長江に移った南宋が北方から押される中、金によって連れ去られた皇族が、扈三娘の兄扈成の依頼を受けて、水滸の李俊等と岳飛の娘岳安娘を中心として救出作戦が遂行され、日ノ本に亡命する事件が起きた。
嵯峨院に寄進された、嵯峨諸島(史実:小笠原諸島)のひとつに宋ヶ島と名付け、祖霊の霊廟と宋江岳飛の霊廟が建てられ祀られた。これは、南宋の許可なく、為朝が「勝手次第」として動いた結果であり、鎌倉幕府も知らされていなかった。
蒙古との戦争が始まる中、鎌倉幕府は国防が優先されて、宋国を援護するような余裕は無く、宋国の滅亡を傍観したが、宋国からの亡命者は積極的に受け入れをおこなった。日ノ本が亡命者を受け入れる中で、南方の島嶼に宋ヶ島の霊廟が今も守られている。
水滸伝の英傑李俊は、ダバオを中心に島嶼を抑えて、同じく南宋から亡命してきた、花逢春や呼延鈺が加わって、海洋国家滸国を建国した。滸国もまた、宋国との交易から亡命者の受け入れをおこなっていたことで、元に敵対する勢力となり、大陸沿岸に対する襲撃を含めて、元軍との抗争を行っていた。琉球八幡衆や松浦党と同じように、元側からは倭寇と呼ばれて、「南蛮を根拠地とす」と記述されている。
元帝国は、海上戦闘で鎌倉水軍に後れを取り、陸上戦闘では集団戦法に慣れた、鎌倉武士団に大損害を出した結果、撤退を余儀なくされた。鎌倉幕府の直轄港としては、彦島、和賀江、十三湊があり、源氏水軍の拠点であった。蒙古が襲来した、日元戦争では、対馬やでの虐殺を含めて、大きく被害を出したものの、御家人衆が陸上で元・高麗連合軍を撃退し、海上でも撃退することに成功した。元寇以降、鎌倉幕府は御家人衆に対して「外ツ国勝手次第」を発して、九州や瀬戸内から倭寇が発して、沿岸部を暴れまわることとなる。
ミヅチは、島嶼地域で細々と棲家としていたが、為朝が率いる八幡衆が、ミヅチを嫁として迎えて、騎乗することで、下田沖の戦に勝利した。ミヅチに乗って漁を行い、戦に出るミヅチが増えたのは、下田沖の戦からである。さらに塩飽で、竹を編んだ籠船に白漆喰で固めることで、竹筋白漆喰の船が造られ、ミヅチに曳かせることで帆無航行が可能となった。
鎌倉期には、帆無八丈と呼ばれる、竹筋白漆喰の大船が、塩飽や鎌倉で建造され、ミヅチ衆が曳航する廻船が、沿岸航路で用いられるようになった。八丈と言われたいるが、実際に使用された船には、十丈以上ある大船も数多く造られていて、竹筋白漆喰船の総称として「帆無八丈」が用いられたと言ってよい。帆無八丈は、帆が無いと書かれているが、実際には、短い帆柱が縦帆で二本ないし一本あり、船舵の役目を担っていた。
日ノ本でのミヅチ曳の大船は、平安末期に為朝によって始まりを迎え、12世紀末には、太平洋全域に八幡衆が広がっていった。宋国が金に敗れ、皇帝が連れ去られる事件が起き、北宋が滅び、長江に移った南宋が北方から押される中、金によって連れ去られた皇族が、扈三娘の兄扈成の依頼を受けて、水滸の李俊等と岳飛の娘岳安娘を中心として救出作戦が遂行され、日ノ本に亡命する事件が起きた。
嵯峨院に寄進された、嵯峨諸島(史実:小笠原諸島)のひとつに宋ヶ島と名付け、祖霊の霊廟と宋江岳飛の霊廟が建てられ祀られた。これは、南宋の許可なく、為朝が「勝手次第」として動いた結果であり、鎌倉幕府も知らされていなかった。
蒙古との戦争が始まる中、鎌倉幕府は国防が優先されて、宋国を援護するような余裕は無く、宋国の滅亡を傍観したが、宋国からの亡命者は積極的に受け入れをおこなった。日ノ本が亡命者を受け入れる中で、南方の島嶼に宋ヶ島の霊廟が今も守られている。
水滸伝の英傑李俊は、ダバオを中心に島嶼を抑えて、同じく南宋から亡命してきた、花逢春や呼延鈺が加わって、海洋国家滸国を建国した。滸国もまた、宋国との交易から亡命者の受け入れをおこなっていたことで、元に敵対する勢力となり、大陸沿岸に対する襲撃を含めて、元軍との抗争を行っていた。琉球八幡衆や松浦党と同じように、元側からは倭寇と呼ばれて、「南蛮を根拠地とす」と記述されている。
元帝国は、海上戦闘で鎌倉水軍に後れを取り、陸上戦闘では集団戦法に慣れた、鎌倉武士団に大損害を出した結果、撤退を余儀なくされた。鎌倉幕府の直轄港としては、彦島、和賀江、十三湊があり、源氏水軍の拠点であった。蒙古が襲来した、日元戦争では、対馬やでの虐殺を含めて、大きく被害を出したものの、御家人衆が陸上で元・高麗連合軍を撃退し、海上でも撃退することに成功した。元寇以降、鎌倉幕府は御家人衆に対して「外ツ国勝手次第」を発して、九州や瀬戸内から倭寇が発して、沿岸部を暴れまわることとなる。
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