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5章
(17)常識、非常識
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アヴァクト海峡大橋は、ドラゴンの骨と粘りのある木材を巧みに組み合わせた巨大な橋である。横幅は八車線道路と並ぶほど広く、ドラゴンが飛び乗っても全く崩れる心配がない丈夫さである。
名前に海峡とついているだけあり、橋の長さはおよそ一キロに及ぶという。見た目は大鳴門橋を一回り太くしたものに近いが、橋を支える柱はあばら骨をそのまま活用しているせいで、そこはかとなく禍々しい。しかも橋の入口には大口をあけたドラゴンの頭蓋骨が飾られているせいで、より一層不気味さに拍車をかけていた。
俺はエトロたちと共に橋を渡りながら、崖の稜線や岩礁に打ち付ける白波を眺めた。
「ミヴァリアの人はドラゴンの骨が大好きだなぁ」
「──好きなわけじゃないぞぉ! この辺りは水棲ドラゴンの縄張りだから、骨が余って仕方がないのだっ!」
と、俺たちの背後で部外者の大声が響き渡る。この半日ですっかり慣れてしまった偉そうな声に。俺はうんざりしながら振り返る。
「なんでシュリンプも一緒に来るんだよ」
「シュレイブだ! シュ・レ・イ・ブ! 君らが怖気づいて逃げないよう、カミケン様から直々に監視を言い渡されたのだ! 光栄に思いたまえよぉ!」
「いちいち声が大きいんだよ! あと顔が近い!」
のしかかってきそうな勢いで距離を詰めてくるシュレイブ。俺はその顔面を鷲掴んで押し退けた。
「へぶぅ! おのれ、なんのこれしき!」
なぜか諦めないシュレイブに徒手空拳を構えたところで、シャルが間に入りながら興味津々に問いかけてきた。
「なぁなぁ、クライヴはこないのか?」
「クライヴの奴にはさん付け!? 俺にはさん付けしないのかぁ!?」
「いちいちうるさい! 黙ってシャルの質問に答えろ!」
懲りずに至近距離で叫ぶシュレイブに怒鳴ると、アンリが俺を指差しながらヘラヘラ笑った。
「見てごらんエトロ。あれがモンペだよ」
「ブラコンには言われたくねーわ!」
くわっと目を見開きながら俺は反論する。その横では、シュレイブがしゃがんでシャルと目を合わせながらきらきらしい謎ポーズを取った。
「ふん。お嬢さんの可愛さに免じて教えてやろう! クライヴはベアルドルフ様の護衛中だ! カミケン様と一緒に灯台の上でこっちを見ているぞ! 多分!」
「そこは断言しろよ」
地震があるようでなさそうなシュレイブにツッコミを入れつつ、俺たちは橋の中腹まで移動する。五分近く歩き続けてきたが、未だにカミケンが言っていたような凶悪な上位ドラゴンの姿は現れなかった。
「本当にシンモルファがここに出て来るのか?」
俺の少し前を歩いていたエトロが問いかけると、シュレイブは困惑しながらも曖昧に頷いた。
「う、うむ。そのはずだぞ。この三日間、大橋を通った商人や狩人が何人も食い殺されているのだ! おかげでスキュリアの里と連絡が取れず、貿易もままならなくて大変なのだぞ!」
そういうミヴァリアの弱点に関わる情報をぺらぺら喋っていいのだろうか。しかもエラムラ陣営に。
俺はジト目になったものの、教える義理もないので口には出さなかった。代わりに、俺と同じ採集狩人であるエトロに情報を共有しておく。
「シンモルファは縄張り意識が強い種類だから、待ってれば勝手に出て来ると思う。だけどあいつは蜃気楼で獲物を惑わせる能力を持っているから、どこかに身を潜めて俺たちが油断するのを待っているかもしれない」
「幻惑か……確か、ゼンも同じ菌糸能力を持っていたな」
「ああ。それと同じだと考えていい」
バルド村三竦みの一人であるゼンは『幻惑』の使い手だ。ヤツカバネ討伐の時は頼もしい能力で、幻でデコイを作り仲間を庇ったり攻撃を誘導してくれたりと、三面六臂の活躍を見せてくれた。今度はその力が俺たちに牙を剥くわけである。
しかし今日はシンモルファにとって相手が悪い。俺の『瞋恚』とシャルの紫色の瞳があれば、幻と本物の見分けがかんたんにつけられる。現に今も俺たちは瞳を光らせながら警戒しているのだが、やはりシンモルファの姿は影も形も見当たらなかった。海面に目をやれば無数のドラゴンが魂のオーラを振りまきながら泳いでいるのが見えるが、あの中に討伐対象がいるかまでは判別できない。
俺たちはひとまずシンモルファが出てくるまで橋の上で待機してみることにした。だが待てど暮らせど、白波が岩を打ち付ける音だけが鼓膜を騒がせるだけである。
「ぜんぜん来ないぞ?」
「ふぅーむ? おかしい。おかしいぞ! 人間の気配を察知したらすぐに襲い掛かってくると言うのに!」
「まるで自分も襲われたことがあるみたいな言い分だな」
シュレイブの額に残る真新しい傷を見ながら言えば、彼は下手糞な口笛を吹きながら目を逸らした。そうか、この男はシンモルファに負けたのか。実際に見たわけではないが、この男なら正義感に駆られて独断専行でシンモルファに突撃してもおかしくない。あくまで憶測であるが。
ふと、俺たちの頭上に影が差した。見上げると、五十メートルほど上を飛行型の中位ドラゴンが群れを成して横切っていくところだった。海面が近いからか、彼らは俺たちに気づいても襲い掛かってくる様子はない。
飛行型のドラゴンにとって海面近くは魔境である。見通しの悪い海の中から、水棲ドラゴンがいつでも飛行型ドラゴンに食らい付けるよう息を潜めているからだ。
水棲ドラゴンは深い所からでも海面を見通せるほど視力が良く、海上に飛行物体があれば即座に襲い掛かってくる。巨大な尾びれにものを言わせた加速は凄まじく、十トン近くもある巨体を軽々と空高くへ押し上げてしまうほどだ。俺たちがオラガイアから脱出する時、菌糸能力で道を作って進む方法を選ばなかった理由もそこにある。
逆に言えば、海上に何かが飛んでいれば、わき目も振らずに飛び出してくるということ。
「待っているだけじゃ埒が明かないし、こっちから釣り上げよう」
俺が提案すると、アンリが担いでいた弓に指を絡ませた。
「なら、俺が先制攻撃していいかい? オラガイアじゃろくに試し打ちもできなかったし」
「おう」
橋の縁に立っていた俺はアンリと場所を入れ替えて、少し離れたところから『陣風』で矢を作り上げる後姿を見守った。すると、シュレイブがアンリの手元を見ながらぎょっとのけ反る。
「な、菌糸能力をああも細やかに具現化させているだと……」
何か常識的なことに驚いているようだが、俺は気にせずアンリに話しかけた。
「いいなぁ。俺の武器は結局オラガイアのごたごたのせいでまだ完成してないんだよな」
「仕方ないよ。工房が復旧するまではお預けだろうね。まぁ、その前にオラガイアが沈まなければいいけれど」
「シャルの武器もまだなのにー!」
俺と同じく、自分専用武器のお預けを食らっているシャルが頬をむくれさせる。
「大丈夫だシャル。いざとなったら俺がまたオラガイアを浮かせてやるから」
「あんまり甘やかすんじゃないよ?」
「はいはいお兄さんや分かってるよ」
適当な返事をすれば、アンリは苦笑するように吐息を漏らした。直後、一瞬だけ気配を研ぎ澄ませ、足元からつむじ風を巻き起こす。アンリはポニーテールを揺らしながら、海面と平行になるように『陣風』を解き放った。
ぎゅるん、と一気に針金の束を捩じり上げるような音が水平線へ遠のく。矢が通り過ぎた海面には白い亀裂が走り、軽いソニックブームを生み出していた。やがて『陣風』の矢はアンリの腕に合わせでぐるりと急旋回し、あえて速度を落としながら俺たちの元へ戻ってくる。
「おわあああああ!」
なぜかシュレイブが顎が外れそうなほど驚いているが、俺はツッコミを入れずに海面に意識を集中した。アンリの矢に反応して、複数の魂のオーラが恐ろしいスピードで追随しているのが見える。そして橋の手前では、丁度矢を待ち構えているドラゴンが大きく身を撓めていた。
「来るぞ! アンリの右手前! かなり近い!」
俺の指示に合わせてアンリが二つ目の矢をつがえる。
瞬間、魚雷が炸裂したかの如く海面がはじけ飛んだ。大量の水のベールを纏いながら、極彩色の珊瑚を冠にした巨大魚が目の前を垂直に横切っていく。
「うーん。はずれ」
アンリはにこやかに言い放つと、構えていた矢を弾いて巨大魚の腹部を撃ち抜いた。
『ギュオオオオオ!?』
巨大魚──もとい、水棲上位ドラゴンのランノーガが、青い血をまき散らしながら高々と水柱を上げて倒れ込んでいく。
ランノーガの急所は鰓の隙間から首をぐるりと囲うように生えた逆鱗だ。普段は冠の珊瑚と分厚い水膜のせいでダメージを与えられないのだが、捕食の時だけ水膜が剥がれる弱点がある。しかも風属性は水属性に有利だったため、運よく一撃で仕留めることができたのだ。
「すげーなヴァーナルさんの武器。前より威力も速度も上がってるじゃん」
「うん。前より『陣風』の操作もしやすいし、マジ最高。たった数時間で仕上げちゃうあの人は天才だよ」
と、武器性能の評論で盛り上がっていると、シュレイブが人差し指をこちらに向けながらぶるぶると震えだした。
「なん、なぁ!? これは弓の威力なのかこれがぁ!?」
「アンリも守護狩人なんだから当たり前だろ」
「俺の知ってる守護狩人とちっがああああう!」
橋を踏み鳴らしながら暴れまわるシュレイブ。その横では、絶命したランノーガを眺めるエトロとシャルがいた。
「ランノーガか。最近は海沿いの任務を受けていないから久しぶりに見たぞ」
「こいつの冠、高く売れるし! あの真っ赤な里長に売りつけてやるし!」
「解体作業は後にしよう。それよりもう一体来るぞ」
緊迫感のない会話をしている間に、沖の方で異変が起きる。水属性の下位ドラゴンであるウンパルが、トビウオのように海面を跳ねながらどんどん浜辺の方へと逃げていく。そして、アンリの矢が横切った海上部分が白く泡立ち、およそ十体前後の上位ドラゴンが空中に飛び出しながら暴れ始めたのだ。
「おい……おいおいおいおい、君たち何てことしてくれたんだ! 君たちが考えなしに海に矢を放ったから、関係ない他の上位ドラゴンたちがこっちに押し寄せてきているじゃないかああああ!」
水の竜巻や海が変色するほどの大渦、果ては天候を操って雹まで降らせる海獣大戦争を見て、シュレイブのSAN値が直葬されてしまったらしい。俺は一気に天候が悪くなった空を見上げながら、がくがくとシュレイブに胸倉を揺さぶられた。
「あーあーそんなに慌てんなってシュリンプ」
「シュレイブだ!」
「ここは陸地に近いから、浅瀬に上る途中で他の水棲ドラゴン同士が鉢合わせて殺し合ってるだけだよ。あそこで戦ってる上位ドラゴンはしばらくこっちに来ない。あと、ドラゴンって大抵は戦闘狂だから、散々殺し合って満足したら、なんで戦ってたかもすっぱり忘れる。つまり奴らは一生俺たちのところに来ない」
「そ、そうなのか!? いやしかし、もしも勝ち残ったドラゴンが俺たちの存在を忘れていなかったら!?」
「そんなもん、満身創痍になったそいつをぶち殺せばいいだけだろ?」
「脳筋か!?」
俺は胸倉をつかむシュレイブの腕をぺしぺし叩きながら、紫色の瞳で付近の海面を見渡した。
「ともかく、俺たちが警戒すべきは、最初から浅瀬にいる上位ドラゴンだけだ。まぁ、この辺りはシンモルファが縄張りにしているみたいだから、上位ドラゴンの数もそこまで多くない」
「馬鹿な、上位ドラゴン二体と相手取るだけでもかなり危険なのだぞぉ! たったの六人で何体もの上位ドラゴンに囲まれたらどうなるか、ド田舎狩人の君たちでも想像がつくだろうぉお!?」
さっきよりも大きめに頭を揺さぶられて少し目が回ってきた。
丁度その時、シャルがセスタスを構えながら大きく足を広げる。
「来たぞ、リョーホ!」
橋の縁に立っていたアンリとエトロが、広々とした橋の中央まで大きく飛び退く。遅れて、間欠泉を思わせる大量の水が盛り上がり、その内部から豪風が四方八方へと広がった。横殴りの雨のように飛び散る水に目を細めながら、俺は水の中に隠れていたドラゴンを睨みつける。
五月雨に濡れるアジサイのような鮮やかな青が網膜に写る。モルフォ蝶を思わせる巨大な襟巻の中心には、蕾のような四つの顎をすぼめる爬虫類の顔があった。襟巻の下には水色と黒のシマウマ模様の胴体があり、四本の長い後ろ足が座禅を組んで空中に浮かび上がっていた。
「大当たりだな」
菩薩の真似事をする巨大なエリマキトカゲが、俺の言葉に呼応して四つの顎を広げて笑う。
『ケェーケケケケケッ!』
真っ青な口内をひけらかしながら、シンモルファは毒々しい蜃気楼を辺りにまき散らした。
名前に海峡とついているだけあり、橋の長さはおよそ一キロに及ぶという。見た目は大鳴門橋を一回り太くしたものに近いが、橋を支える柱はあばら骨をそのまま活用しているせいで、そこはかとなく禍々しい。しかも橋の入口には大口をあけたドラゴンの頭蓋骨が飾られているせいで、より一層不気味さに拍車をかけていた。
俺はエトロたちと共に橋を渡りながら、崖の稜線や岩礁に打ち付ける白波を眺めた。
「ミヴァリアの人はドラゴンの骨が大好きだなぁ」
「──好きなわけじゃないぞぉ! この辺りは水棲ドラゴンの縄張りだから、骨が余って仕方がないのだっ!」
と、俺たちの背後で部外者の大声が響き渡る。この半日ですっかり慣れてしまった偉そうな声に。俺はうんざりしながら振り返る。
「なんでシュリンプも一緒に来るんだよ」
「シュレイブだ! シュ・レ・イ・ブ! 君らが怖気づいて逃げないよう、カミケン様から直々に監視を言い渡されたのだ! 光栄に思いたまえよぉ!」
「いちいち声が大きいんだよ! あと顔が近い!」
のしかかってきそうな勢いで距離を詰めてくるシュレイブ。俺はその顔面を鷲掴んで押し退けた。
「へぶぅ! おのれ、なんのこれしき!」
なぜか諦めないシュレイブに徒手空拳を構えたところで、シャルが間に入りながら興味津々に問いかけてきた。
「なぁなぁ、クライヴはこないのか?」
「クライヴの奴にはさん付け!? 俺にはさん付けしないのかぁ!?」
「いちいちうるさい! 黙ってシャルの質問に答えろ!」
懲りずに至近距離で叫ぶシュレイブに怒鳴ると、アンリが俺を指差しながらヘラヘラ笑った。
「見てごらんエトロ。あれがモンペだよ」
「ブラコンには言われたくねーわ!」
くわっと目を見開きながら俺は反論する。その横では、シュレイブがしゃがんでシャルと目を合わせながらきらきらしい謎ポーズを取った。
「ふん。お嬢さんの可愛さに免じて教えてやろう! クライヴはベアルドルフ様の護衛中だ! カミケン様と一緒に灯台の上でこっちを見ているぞ! 多分!」
「そこは断言しろよ」
地震があるようでなさそうなシュレイブにツッコミを入れつつ、俺たちは橋の中腹まで移動する。五分近く歩き続けてきたが、未だにカミケンが言っていたような凶悪な上位ドラゴンの姿は現れなかった。
「本当にシンモルファがここに出て来るのか?」
俺の少し前を歩いていたエトロが問いかけると、シュレイブは困惑しながらも曖昧に頷いた。
「う、うむ。そのはずだぞ。この三日間、大橋を通った商人や狩人が何人も食い殺されているのだ! おかげでスキュリアの里と連絡が取れず、貿易もままならなくて大変なのだぞ!」
そういうミヴァリアの弱点に関わる情報をぺらぺら喋っていいのだろうか。しかもエラムラ陣営に。
俺はジト目になったものの、教える義理もないので口には出さなかった。代わりに、俺と同じ採集狩人であるエトロに情報を共有しておく。
「シンモルファは縄張り意識が強い種類だから、待ってれば勝手に出て来ると思う。だけどあいつは蜃気楼で獲物を惑わせる能力を持っているから、どこかに身を潜めて俺たちが油断するのを待っているかもしれない」
「幻惑か……確か、ゼンも同じ菌糸能力を持っていたな」
「ああ。それと同じだと考えていい」
バルド村三竦みの一人であるゼンは『幻惑』の使い手だ。ヤツカバネ討伐の時は頼もしい能力で、幻でデコイを作り仲間を庇ったり攻撃を誘導してくれたりと、三面六臂の活躍を見せてくれた。今度はその力が俺たちに牙を剥くわけである。
しかし今日はシンモルファにとって相手が悪い。俺の『瞋恚』とシャルの紫色の瞳があれば、幻と本物の見分けがかんたんにつけられる。現に今も俺たちは瞳を光らせながら警戒しているのだが、やはりシンモルファの姿は影も形も見当たらなかった。海面に目をやれば無数のドラゴンが魂のオーラを振りまきながら泳いでいるのが見えるが、あの中に討伐対象がいるかまでは判別できない。
俺たちはひとまずシンモルファが出てくるまで橋の上で待機してみることにした。だが待てど暮らせど、白波が岩を打ち付ける音だけが鼓膜を騒がせるだけである。
「ぜんぜん来ないぞ?」
「ふぅーむ? おかしい。おかしいぞ! 人間の気配を察知したらすぐに襲い掛かってくると言うのに!」
「まるで自分も襲われたことがあるみたいな言い分だな」
シュレイブの額に残る真新しい傷を見ながら言えば、彼は下手糞な口笛を吹きながら目を逸らした。そうか、この男はシンモルファに負けたのか。実際に見たわけではないが、この男なら正義感に駆られて独断専行でシンモルファに突撃してもおかしくない。あくまで憶測であるが。
ふと、俺たちの頭上に影が差した。見上げると、五十メートルほど上を飛行型の中位ドラゴンが群れを成して横切っていくところだった。海面が近いからか、彼らは俺たちに気づいても襲い掛かってくる様子はない。
飛行型のドラゴンにとって海面近くは魔境である。見通しの悪い海の中から、水棲ドラゴンがいつでも飛行型ドラゴンに食らい付けるよう息を潜めているからだ。
水棲ドラゴンは深い所からでも海面を見通せるほど視力が良く、海上に飛行物体があれば即座に襲い掛かってくる。巨大な尾びれにものを言わせた加速は凄まじく、十トン近くもある巨体を軽々と空高くへ押し上げてしまうほどだ。俺たちがオラガイアから脱出する時、菌糸能力で道を作って進む方法を選ばなかった理由もそこにある。
逆に言えば、海上に何かが飛んでいれば、わき目も振らずに飛び出してくるということ。
「待っているだけじゃ埒が明かないし、こっちから釣り上げよう」
俺が提案すると、アンリが担いでいた弓に指を絡ませた。
「なら、俺が先制攻撃していいかい? オラガイアじゃろくに試し打ちもできなかったし」
「おう」
橋の縁に立っていた俺はアンリと場所を入れ替えて、少し離れたところから『陣風』で矢を作り上げる後姿を見守った。すると、シュレイブがアンリの手元を見ながらぎょっとのけ反る。
「な、菌糸能力をああも細やかに具現化させているだと……」
何か常識的なことに驚いているようだが、俺は気にせずアンリに話しかけた。
「いいなぁ。俺の武器は結局オラガイアのごたごたのせいでまだ完成してないんだよな」
「仕方ないよ。工房が復旧するまではお預けだろうね。まぁ、その前にオラガイアが沈まなければいいけれど」
「シャルの武器もまだなのにー!」
俺と同じく、自分専用武器のお預けを食らっているシャルが頬をむくれさせる。
「大丈夫だシャル。いざとなったら俺がまたオラガイアを浮かせてやるから」
「あんまり甘やかすんじゃないよ?」
「はいはいお兄さんや分かってるよ」
適当な返事をすれば、アンリは苦笑するように吐息を漏らした。直後、一瞬だけ気配を研ぎ澄ませ、足元からつむじ風を巻き起こす。アンリはポニーテールを揺らしながら、海面と平行になるように『陣風』を解き放った。
ぎゅるん、と一気に針金の束を捩じり上げるような音が水平線へ遠のく。矢が通り過ぎた海面には白い亀裂が走り、軽いソニックブームを生み出していた。やがて『陣風』の矢はアンリの腕に合わせでぐるりと急旋回し、あえて速度を落としながら俺たちの元へ戻ってくる。
「おわあああああ!」
なぜかシュレイブが顎が外れそうなほど驚いているが、俺はツッコミを入れずに海面に意識を集中した。アンリの矢に反応して、複数の魂のオーラが恐ろしいスピードで追随しているのが見える。そして橋の手前では、丁度矢を待ち構えているドラゴンが大きく身を撓めていた。
「来るぞ! アンリの右手前! かなり近い!」
俺の指示に合わせてアンリが二つ目の矢をつがえる。
瞬間、魚雷が炸裂したかの如く海面がはじけ飛んだ。大量の水のベールを纏いながら、極彩色の珊瑚を冠にした巨大魚が目の前を垂直に横切っていく。
「うーん。はずれ」
アンリはにこやかに言い放つと、構えていた矢を弾いて巨大魚の腹部を撃ち抜いた。
『ギュオオオオオ!?』
巨大魚──もとい、水棲上位ドラゴンのランノーガが、青い血をまき散らしながら高々と水柱を上げて倒れ込んでいく。
ランノーガの急所は鰓の隙間から首をぐるりと囲うように生えた逆鱗だ。普段は冠の珊瑚と分厚い水膜のせいでダメージを与えられないのだが、捕食の時だけ水膜が剥がれる弱点がある。しかも風属性は水属性に有利だったため、運よく一撃で仕留めることができたのだ。
「すげーなヴァーナルさんの武器。前より威力も速度も上がってるじゃん」
「うん。前より『陣風』の操作もしやすいし、マジ最高。たった数時間で仕上げちゃうあの人は天才だよ」
と、武器性能の評論で盛り上がっていると、シュレイブが人差し指をこちらに向けながらぶるぶると震えだした。
「なん、なぁ!? これは弓の威力なのかこれがぁ!?」
「アンリも守護狩人なんだから当たり前だろ」
「俺の知ってる守護狩人とちっがああああう!」
橋を踏み鳴らしながら暴れまわるシュレイブ。その横では、絶命したランノーガを眺めるエトロとシャルがいた。
「ランノーガか。最近は海沿いの任務を受けていないから久しぶりに見たぞ」
「こいつの冠、高く売れるし! あの真っ赤な里長に売りつけてやるし!」
「解体作業は後にしよう。それよりもう一体来るぞ」
緊迫感のない会話をしている間に、沖の方で異変が起きる。水属性の下位ドラゴンであるウンパルが、トビウオのように海面を跳ねながらどんどん浜辺の方へと逃げていく。そして、アンリの矢が横切った海上部分が白く泡立ち、およそ十体前後の上位ドラゴンが空中に飛び出しながら暴れ始めたのだ。
「おい……おいおいおいおい、君たち何てことしてくれたんだ! 君たちが考えなしに海に矢を放ったから、関係ない他の上位ドラゴンたちがこっちに押し寄せてきているじゃないかああああ!」
水の竜巻や海が変色するほどの大渦、果ては天候を操って雹まで降らせる海獣大戦争を見て、シュレイブのSAN値が直葬されてしまったらしい。俺は一気に天候が悪くなった空を見上げながら、がくがくとシュレイブに胸倉を揺さぶられた。
「あーあーそんなに慌てんなってシュリンプ」
「シュレイブだ!」
「ここは陸地に近いから、浅瀬に上る途中で他の水棲ドラゴン同士が鉢合わせて殺し合ってるだけだよ。あそこで戦ってる上位ドラゴンはしばらくこっちに来ない。あと、ドラゴンって大抵は戦闘狂だから、散々殺し合って満足したら、なんで戦ってたかもすっぱり忘れる。つまり奴らは一生俺たちのところに来ない」
「そ、そうなのか!? いやしかし、もしも勝ち残ったドラゴンが俺たちの存在を忘れていなかったら!?」
「そんなもん、満身創痍になったそいつをぶち殺せばいいだけだろ?」
「脳筋か!?」
俺は胸倉をつかむシュレイブの腕をぺしぺし叩きながら、紫色の瞳で付近の海面を見渡した。
「ともかく、俺たちが警戒すべきは、最初から浅瀬にいる上位ドラゴンだけだ。まぁ、この辺りはシンモルファが縄張りにしているみたいだから、上位ドラゴンの数もそこまで多くない」
「馬鹿な、上位ドラゴン二体と相手取るだけでもかなり危険なのだぞぉ! たったの六人で何体もの上位ドラゴンに囲まれたらどうなるか、ド田舎狩人の君たちでも想像がつくだろうぉお!?」
さっきよりも大きめに頭を揺さぶられて少し目が回ってきた。
丁度その時、シャルがセスタスを構えながら大きく足を広げる。
「来たぞ、リョーホ!」
橋の縁に立っていたアンリとエトロが、広々とした橋の中央まで大きく飛び退く。遅れて、間欠泉を思わせる大量の水が盛り上がり、その内部から豪風が四方八方へと広がった。横殴りの雨のように飛び散る水に目を細めながら、俺は水の中に隠れていたドラゴンを睨みつける。
五月雨に濡れるアジサイのような鮮やかな青が網膜に写る。モルフォ蝶を思わせる巨大な襟巻の中心には、蕾のような四つの顎をすぼめる爬虫類の顔があった。襟巻の下には水色と黒のシマウマ模様の胴体があり、四本の長い後ろ足が座禅を組んで空中に浮かび上がっていた。
「大当たりだな」
菩薩の真似事をする巨大なエリマキトカゲが、俺の言葉に呼応して四つの顎を広げて笑う。
『ケェーケケケケケッ!』
真っ青な口内をひけらかしながら、シンモルファは毒々しい蜃気楼を辺りにまき散らした。
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