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【7】
【前】リベンジ
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テーブルに置いてあったロウソクの火はすでに消えている。窓の鎧戸は閉められているので月の白い光も届かない。
闇と静寂に包まれた部屋の中でポルトは小さく聞こえる声に気がついた。ベッドから身体を起こし、目をこすりなが視線を隣に移すと、ぼんやりと輪郭を浮かばせるカールトンが眠っている。影一つ動く様子もない。
布団をかぶり直しもう一度眠りにつこうとしたその時、彼の寝息がまるで痛みでも堪えているかのように、浅く、早く、不規則なことに気がついた。
「……っ?」
布団を跳ね飛ばした自分の足が冷たい床板を捕える。暗闇に慣れてきた目でポルトはカールトンの肩をしっかりと掴み、そして驚く。雪が降るほど冷える夜だというのに、シャツが汗で濡れているではないか。
「兄様……っ?」
ポルトが起こす振動に息を一気に吐くカールトン。悪夢に強く囚われているのか目を覚まさない。もう一度声をかけ強く揺さぶった。
「兄様……!!起きて下さい……!!兄様……っ!!」
「ッッ!!」
自分の肩を圧迫していた手に抗うように掴み返すカールトン。無意識のまま、もう片方の手を拳に変え思いきり叩き込んできた。
「ひッ!?」
思わず身をかがめ、紙一重で避けるポルト。慌てて叫んだ。
「兄様っ!私です!落ち着いてください!」
「……っ?」
次の一手を出そうとして振りかぶり気味だった右腕がピタリと止まる。カールトンの呼吸は乱れ、肩で息をしているほどだ。ポルトは静かになった頃を見計らってベッドの横からそぉっと顔を覗かせた。
「……大丈夫ですか?」
「………」
「とてもうなされていました。身体、どこかぶつけたりしていませんか?痛かったりしますか?」
気遣う声に返答はない。面倒だから…といういつもの余裕も感じられない。少し放心しているようにすら感じる。ポルトがきゅっと唇を噛んだ。
(夢見てたんだ……)
昔から予兆もなく現れ、心の中を蹂躙するように荒らしていく黒い影達の夢。自分もうなされて目を覚まし、冷や汗を流しながら痛む心臓を押さえ耐え忍んだ。
一緒に戦場に出ていた仲間もそうだ。以前見舞いに行った時に聞いた話では、殺した敵兵士や死んだ肉親が悪魔のような顔をして夢に出てきて、時に激しい口調で罵っては「地獄に落ちろ」と詰め寄るのだという。
夢だけではない。終戦後は、ただ町を歩いているだけでも人々が自分の悪口を言っているように聞こえるとも……。
酷い奴はまともに食事もできなくなって、昼間でも何かを見つめながら怯え震えていた。
戦いの後で目に映るのは胸を裂かれるような光景ばかりだった。
カールトンも同じ時代に生きていた。家もなく、軍という傘も無く、一人でどんな時間を過ごしてきたのだろう。どんなに想像しても、そこに明るい空気は微塵も浮かばなかった。
「兄様、汗拭きますね」
椅子にかけてあったタオルを持ってくると、彼の額や頬をそっと拭う。医者の心得も神の言葉も知らない自分にできることなどこれくらいだ。暗い部屋で一人きりでは心細かろうと、ただ黙って側に居た。
しばらくしてカールトンが落ち着いたのを確認すると、ポルトは部屋を灯すロウソクの火を貰いに行くことにした。
一階の明かりはすでに落とされている。店主夫妻は寝室で眠っているようだ。
火起こしが大変なので、どこの家でも暖炉やかまどの火を落とすことはしない。調理場ではパチパチと音をさせながら、オレンジの優しい火が燃え続けている。持ってきたロウソクに火を貰うと夫婦を起こさないようにその場を後にした。
火が消えないように手で覆いながら一階にある出入り口の前を通り過ぎようとした時だった。
かすかに空気に潜む違和感に足が止まる。
気のせいかと思い、近くの窓の鎧戸を開くと、夜の空や白い雪の表面を走るように吹く風に意識を集中させる。
(何か………)
虫の声ひとつない澄んだ暗闇の中に……かすかに馬の蹄の音。それも一頭では無い。よく見れば随分と低い位置に星のような小さな光も見える。随分と近くまで来ているようだが……。
(こんな時間に?)
勿論あんな地表に近い場所に星など無い。あれは人の手によって生み出された光…恐らく松明かそれに近い何かだろう。例えば旅のキャラバンとか。雪を避け、ゆっくり休める場所を求めて昼夜問わずの移動をしているとか?それとも急病人が出て、人のいる場所まで急いで走ってきたとか……?
(キャラバンなら良いけど、もし……)
追手の衛兵だったら……?そんな不安がよぎる。
フォルカーは目の前から失せて二度と顔を見せるなと言っていたが、その後ウルリヒ王の命令で追手が来ていたとしたら……。
嫌な予感がして急ぎ足で部屋に戻ると、カールトンはすでに着替えを済ませていた。腰にナイフと剣を帯び、薬草や非常時の携帯食が入ったポーチもベルトに通している。そこにさっきまでの虚ろな表情は無い。彼も同じことを考えていたらしい。
「追手でしょうか?」
ポルトは小さく声を殺しながら問う。
「――……。それなら良いが……」
「え?」
「さっき上から見たが松明の数が少ない。松明を切らした旅人、もしくは――……」
「……!」
消えた言葉に気が付き、表情がぎゅっと引き締まる。
松明があるということはそこには誰か人がいることを示している。その数が少ないということは、人目に触れないように移動している可能性、そして理由がある。
「この村から出るのですか?」
「ああ、面倒事はごめんだ。いくら小さな集落とは言え、自警団位はいるだろう。自分達の身は自分達で守るのは当然のことだ」
「で・でも…っ、この宿のご夫婦は…奥様はあんなに大きなお腹をしているのに……っ。何かあっても旦那様一人では……っ」
「知ったことか。何が起きても、それはそいつらの運命だ」
「!」
確かに彼の言うことは尤もだ。
場所によっては衛兵が警護に来てくれる場合もあるが、殆どの村はその土地の領主が傭兵を雇ったり、村に住んでる者達で警護をする。余所者が突然クビを突っ込んだ頃で逆に怪しがられて、面倒なことにもなりかねない。
「準備しろ」
「……はい、兄様」
心は晴れないがポルトも支度を始めた。その間、カールトンは薄く鎧戸を開き外の様子を確かめる。あの蹄の音がキャラバンのものなら夜が明けるまではここにいられる。しかしそれ以外なら…馬を走らせる方向を考えなくてはならない。
(どっちだ……?)
夜目のきくカールトンだったが、夕闇に紛れる者達の姿に判断をしかねている。しかし、答えは彼らの方から示してくれた。
「……急げ。すぐに出る」
「え?」
ポルトが不思議そうな顔をした直後、外から女性の悲鳴が聞こえた。それも一人ではない。少し間を置いて違う女性の声、そして子供の叫び声が村に響く。
ポルトが表情を凍らせる。
「……兄様?一体外で何が……?」
「連中が民家に火矢を放った。来たのは野盗のようだな」
「っ!?」
その言葉にカールトンを押しのけ窓の鎧戸を開く。そして息を呑んだ。柵の向こう側から火矢が放たれている。それは赤い雨のように次から次へと落ちては辺りに火の粉を書き散らしていた。中には運悪く藁葺の屋根に刺さってしまい、赤い火に包まれ始めている家屋も……。
村人の悲鳴に混じって大きくなってきた馬の蹄の音ははっきりと聞こえるまでになった。
「何処に家があるかわからないから…とにかく火矢を打ち込んでいるんだ……」
「恐らく馬は十頭もいない。それでもこの前の残党にしては数が多い。別の連中かもな」
そう話している間にも火は燃え広がり高く空をも焦がしていく。その光は、騒ぎを聞いて外に出てきた人々が狼狽え、懸命に火を消そうとする姿を照らし出した。ふいに村の中心から逃れるように走っている人影が路地へ入ってくる。もう一つの人影がそれを追いかけて長細い何かを振り下ろすと、布を裂くような悲鳴があがる。
……何をしているのか考えるまでもなかった。ポルトは壁に立てかけていた剣を掴むと剣帯にしっかりと固定した。
「兄様、行きましょう。早くしないと被害が広がります」
「待て。どこへ行く気だ」
「あの様子では自警団があったとしても集まる前に各々のことで手一杯になるでしょう。応援は一人でも多いほうが良い」
厚い上着は動きにくいので脱いだ。動きやすくなった足にナイフ用のベルトして本数を増やす。最後に矢筒を背負う。
着々と戦いの準備を進めるポルトとは裏腹に、カールトンは乗る気ではないようだ。
「駄目だ。すぐ村を離れる。連中のことは連中に任せろ」
「いえ、私は残ります。全員は倒せなくても、皆を逃がす為の時間稼ぎ位なら出来――……ッ!?」
その言葉を言い終わる前に、突然カールトンがポルトの胸ぐらを掴み上げると、壁に向けて強く投げつけた。備え付けられていた棚に当たり、中に入っていたものが音を立てて落ちる。背を強打したポルト。背負っていた矢筒から矢が散る。鈍く広がる痛みを堪えながら、ゆっくりと顔を上げた。
「何様のつもりだ。俺に口答えは許さん」
「――……兄様、私達の剣は今まで誰かを傷つけるために使われてきました。でも…同じ力で誰かを助けることだって出来ます」
「助ける?今更善人にでもなったつもりか?野盗もこうやって生きながらえているのだろう?その連中は飢えて死ねと言うのか?野盗だろうが村人だろうが弱ければ死ぬ、これ以上の法則がどこにある」
「弱者から力づくで奪うことが正義だとでも…!?」
「正義も悪もない。それがこの世界の理だ。森の獣だってそう暮らしているだろう。……お前、あの王子の元ですっかり頭が温くなったようだな」
口の中に錆のような味が広がる。口を切ったらしい。こんなことをしている間にも被害は広がっているというのに……。ぐっと拭って兄を見る。
「動物は人間とは違います。彼からは必要な時に必要な分を喰らい、奪う。でも人間はそこにあるもの全てを奪おうとする。抱えきれなくなっても止めない……っ」
「それが何だというのだ。おかしな点など何処にもない。極当たり前に…世界中で行われていることだ。お前だって十分身に染みてわかっているはずだろう。今更、聖人ぶった所で変わるものは何もない……っ」
「わかっています!……わかってます!!」
――自分だって、いつ野盗側の立場に立ってもおかしくない。
今はただ、この村を標的にしていないだけ。法の番人たる衛兵に追われていないだけ。
カールトンの言葉には一片の嘘偽りもなく、事実は肺をきつく締め上げて呼吸を妨げる。
それでも、意を決したようにポルトは大股でカールトンに詰め寄る。
「……飢えにあがき力ずくで奪う、その達成感も、恍惚感も……。傷つけた後悔も懺悔も……。奪われた悲しみも、怒りも。無力感も…絶望感も……全部…全部知ってる…わかってます……!でもそれは私だけじゃない……!貴方も同じ経験をした……!そして深く深く傷ついた……!心も身体も、今も傷を忘れられないまま……。自分じゃどうしようもない程苦しんでいるのでしょう……!?全身汗だくになっても悪夢の呪縛を振りほどけ無いほどに……!それが貴方の『本当』ではないのですか…!?」
「――ッ?」
濃い金色の瞳が青い瞳に対峙し、芯まで捉えるように力強く見据えた。
「今その理由でこの村を見捨てたら、過去を…貴方をそんな風にした奴らを肯定することになる……!『仕方ない』なんて聞き分けの良い体を装って諦めているだけ……!昔と何も変わらない!」
「黙れッ!」
言い終わるのと激昂したカールトンの拳が眉間に入ったのはほぼ同時。
とっさに腕で顔を覆ったが、その衝撃は肉と骨を突き抜けて視界に火花を飛ばす。
一瞬脳が揺れて景色がぐらついたが、この手の痛みに慣れている身体はよろめきながらなんとか耐え、もう一度兄の前で同じ視線を向けた。
「貴方には…まだ動く身体がある。血に熱がある。力がある。……この村に奪われる弱者は確かにいた。でも今日は彼らだけじゃない、剣を握れる私達がいる。――兄様、一緒に行きましょう。もうあそこにいた頃の私達ではないことを証明してやるんです」
「――……」
カールトンの強腕で殴れた腕はまだ痛みで痺れている。喝を入れるように拳をぎゅっと握った。
「もしそれでも無駄なことだ言うのなら…私が貴方を雇います」
「……?」
「この村に来る前に野盗の野営地で稼いだ分、あの半額は餌になった私のものです」
「そんな話は一切――…」
「私のものです!あのアジトを発見し襲撃できたのも、私という餌があってこそでしょう!だから半額は頂きます!……そこから六割を報酬として貴方にお渡しします」
「――……!」
「依頼内容はこの村の救出。無理に殺す必要はありません。生き残った野盗は、夜が開けた後、生かすか殺すか…村の皆で処分を考えればいい」
カールトンは何も言わない。こうしている間にも太陽など出ていないはずの外はどんどん明るくなっていく。
「騎士団長クラスとも言われたフォルカー王子と対等に剣を交えた貴方が、ただの野党ごときに尻尾を巻いて逃げ出すというのですか……!?」
「――……」
「兄様!!」
焦りの心がポルトの胸を締める頃、奥歯を噛んだカールトンがやっと口を開いた。
「――勝手にしろ」
「!」
「しかし俺は行かん。三十分で戻ってこい。それ以上は許さん。こちらにとってもお前は稼ぎ手だからな、無理矢理にでも出立させる」
「……はい!」
ポルトは大きく頷き、ギュッと皮手袋を着けると部屋を飛び出していった。
闇と静寂に包まれた部屋の中でポルトは小さく聞こえる声に気がついた。ベッドから身体を起こし、目をこすりなが視線を隣に移すと、ぼんやりと輪郭を浮かばせるカールトンが眠っている。影一つ動く様子もない。
布団をかぶり直しもう一度眠りにつこうとしたその時、彼の寝息がまるで痛みでも堪えているかのように、浅く、早く、不規則なことに気がついた。
「……っ?」
布団を跳ね飛ばした自分の足が冷たい床板を捕える。暗闇に慣れてきた目でポルトはカールトンの肩をしっかりと掴み、そして驚く。雪が降るほど冷える夜だというのに、シャツが汗で濡れているではないか。
「兄様……っ?」
ポルトが起こす振動に息を一気に吐くカールトン。悪夢に強く囚われているのか目を覚まさない。もう一度声をかけ強く揺さぶった。
「兄様……!!起きて下さい……!!兄様……っ!!」
「ッッ!!」
自分の肩を圧迫していた手に抗うように掴み返すカールトン。無意識のまま、もう片方の手を拳に変え思いきり叩き込んできた。
「ひッ!?」
思わず身をかがめ、紙一重で避けるポルト。慌てて叫んだ。
「兄様っ!私です!落ち着いてください!」
「……っ?」
次の一手を出そうとして振りかぶり気味だった右腕がピタリと止まる。カールトンの呼吸は乱れ、肩で息をしているほどだ。ポルトは静かになった頃を見計らってベッドの横からそぉっと顔を覗かせた。
「……大丈夫ですか?」
「………」
「とてもうなされていました。身体、どこかぶつけたりしていませんか?痛かったりしますか?」
気遣う声に返答はない。面倒だから…といういつもの余裕も感じられない。少し放心しているようにすら感じる。ポルトがきゅっと唇を噛んだ。
(夢見てたんだ……)
昔から予兆もなく現れ、心の中を蹂躙するように荒らしていく黒い影達の夢。自分もうなされて目を覚まし、冷や汗を流しながら痛む心臓を押さえ耐え忍んだ。
一緒に戦場に出ていた仲間もそうだ。以前見舞いに行った時に聞いた話では、殺した敵兵士や死んだ肉親が悪魔のような顔をして夢に出てきて、時に激しい口調で罵っては「地獄に落ちろ」と詰め寄るのだという。
夢だけではない。終戦後は、ただ町を歩いているだけでも人々が自分の悪口を言っているように聞こえるとも……。
酷い奴はまともに食事もできなくなって、昼間でも何かを見つめながら怯え震えていた。
戦いの後で目に映るのは胸を裂かれるような光景ばかりだった。
カールトンも同じ時代に生きていた。家もなく、軍という傘も無く、一人でどんな時間を過ごしてきたのだろう。どんなに想像しても、そこに明るい空気は微塵も浮かばなかった。
「兄様、汗拭きますね」
椅子にかけてあったタオルを持ってくると、彼の額や頬をそっと拭う。医者の心得も神の言葉も知らない自分にできることなどこれくらいだ。暗い部屋で一人きりでは心細かろうと、ただ黙って側に居た。
しばらくしてカールトンが落ち着いたのを確認すると、ポルトは部屋を灯すロウソクの火を貰いに行くことにした。
一階の明かりはすでに落とされている。店主夫妻は寝室で眠っているようだ。
火起こしが大変なので、どこの家でも暖炉やかまどの火を落とすことはしない。調理場ではパチパチと音をさせながら、オレンジの優しい火が燃え続けている。持ってきたロウソクに火を貰うと夫婦を起こさないようにその場を後にした。
火が消えないように手で覆いながら一階にある出入り口の前を通り過ぎようとした時だった。
かすかに空気に潜む違和感に足が止まる。
気のせいかと思い、近くの窓の鎧戸を開くと、夜の空や白い雪の表面を走るように吹く風に意識を集中させる。
(何か………)
虫の声ひとつない澄んだ暗闇の中に……かすかに馬の蹄の音。それも一頭では無い。よく見れば随分と低い位置に星のような小さな光も見える。随分と近くまで来ているようだが……。
(こんな時間に?)
勿論あんな地表に近い場所に星など無い。あれは人の手によって生み出された光…恐らく松明かそれに近い何かだろう。例えば旅のキャラバンとか。雪を避け、ゆっくり休める場所を求めて昼夜問わずの移動をしているとか?それとも急病人が出て、人のいる場所まで急いで走ってきたとか……?
(キャラバンなら良いけど、もし……)
追手の衛兵だったら……?そんな不安がよぎる。
フォルカーは目の前から失せて二度と顔を見せるなと言っていたが、その後ウルリヒ王の命令で追手が来ていたとしたら……。
嫌な予感がして急ぎ足で部屋に戻ると、カールトンはすでに着替えを済ませていた。腰にナイフと剣を帯び、薬草や非常時の携帯食が入ったポーチもベルトに通している。そこにさっきまでの虚ろな表情は無い。彼も同じことを考えていたらしい。
「追手でしょうか?」
ポルトは小さく声を殺しながら問う。
「――……。それなら良いが……」
「え?」
「さっき上から見たが松明の数が少ない。松明を切らした旅人、もしくは――……」
「……!」
消えた言葉に気が付き、表情がぎゅっと引き締まる。
松明があるということはそこには誰か人がいることを示している。その数が少ないということは、人目に触れないように移動している可能性、そして理由がある。
「この村から出るのですか?」
「ああ、面倒事はごめんだ。いくら小さな集落とは言え、自警団位はいるだろう。自分達の身は自分達で守るのは当然のことだ」
「で・でも…っ、この宿のご夫婦は…奥様はあんなに大きなお腹をしているのに……っ。何かあっても旦那様一人では……っ」
「知ったことか。何が起きても、それはそいつらの運命だ」
「!」
確かに彼の言うことは尤もだ。
場所によっては衛兵が警護に来てくれる場合もあるが、殆どの村はその土地の領主が傭兵を雇ったり、村に住んでる者達で警護をする。余所者が突然クビを突っ込んだ頃で逆に怪しがられて、面倒なことにもなりかねない。
「準備しろ」
「……はい、兄様」
心は晴れないがポルトも支度を始めた。その間、カールトンは薄く鎧戸を開き外の様子を確かめる。あの蹄の音がキャラバンのものなら夜が明けるまではここにいられる。しかしそれ以外なら…馬を走らせる方向を考えなくてはならない。
(どっちだ……?)
夜目のきくカールトンだったが、夕闇に紛れる者達の姿に判断をしかねている。しかし、答えは彼らの方から示してくれた。
「……急げ。すぐに出る」
「え?」
ポルトが不思議そうな顔をした直後、外から女性の悲鳴が聞こえた。それも一人ではない。少し間を置いて違う女性の声、そして子供の叫び声が村に響く。
ポルトが表情を凍らせる。
「……兄様?一体外で何が……?」
「連中が民家に火矢を放った。来たのは野盗のようだな」
「っ!?」
その言葉にカールトンを押しのけ窓の鎧戸を開く。そして息を呑んだ。柵の向こう側から火矢が放たれている。それは赤い雨のように次から次へと落ちては辺りに火の粉を書き散らしていた。中には運悪く藁葺の屋根に刺さってしまい、赤い火に包まれ始めている家屋も……。
村人の悲鳴に混じって大きくなってきた馬の蹄の音ははっきりと聞こえるまでになった。
「何処に家があるかわからないから…とにかく火矢を打ち込んでいるんだ……」
「恐らく馬は十頭もいない。それでもこの前の残党にしては数が多い。別の連中かもな」
そう話している間にも火は燃え広がり高く空をも焦がしていく。その光は、騒ぎを聞いて外に出てきた人々が狼狽え、懸命に火を消そうとする姿を照らし出した。ふいに村の中心から逃れるように走っている人影が路地へ入ってくる。もう一つの人影がそれを追いかけて長細い何かを振り下ろすと、布を裂くような悲鳴があがる。
……何をしているのか考えるまでもなかった。ポルトは壁に立てかけていた剣を掴むと剣帯にしっかりと固定した。
「兄様、行きましょう。早くしないと被害が広がります」
「待て。どこへ行く気だ」
「あの様子では自警団があったとしても集まる前に各々のことで手一杯になるでしょう。応援は一人でも多いほうが良い」
厚い上着は動きにくいので脱いだ。動きやすくなった足にナイフ用のベルトして本数を増やす。最後に矢筒を背負う。
着々と戦いの準備を進めるポルトとは裏腹に、カールトンは乗る気ではないようだ。
「駄目だ。すぐ村を離れる。連中のことは連中に任せろ」
「いえ、私は残ります。全員は倒せなくても、皆を逃がす為の時間稼ぎ位なら出来――……ッ!?」
その言葉を言い終わる前に、突然カールトンがポルトの胸ぐらを掴み上げると、壁に向けて強く投げつけた。備え付けられていた棚に当たり、中に入っていたものが音を立てて落ちる。背を強打したポルト。背負っていた矢筒から矢が散る。鈍く広がる痛みを堪えながら、ゆっくりと顔を上げた。
「何様のつもりだ。俺に口答えは許さん」
「――……兄様、私達の剣は今まで誰かを傷つけるために使われてきました。でも…同じ力で誰かを助けることだって出来ます」
「助ける?今更善人にでもなったつもりか?野盗もこうやって生きながらえているのだろう?その連中は飢えて死ねと言うのか?野盗だろうが村人だろうが弱ければ死ぬ、これ以上の法則がどこにある」
「弱者から力づくで奪うことが正義だとでも…!?」
「正義も悪もない。それがこの世界の理だ。森の獣だってそう暮らしているだろう。……お前、あの王子の元ですっかり頭が温くなったようだな」
口の中に錆のような味が広がる。口を切ったらしい。こんなことをしている間にも被害は広がっているというのに……。ぐっと拭って兄を見る。
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「それが何だというのだ。おかしな点など何処にもない。極当たり前に…世界中で行われていることだ。お前だって十分身に染みてわかっているはずだろう。今更、聖人ぶった所で変わるものは何もない……っ」
「わかっています!……わかってます!!」
――自分だって、いつ野盗側の立場に立ってもおかしくない。
今はただ、この村を標的にしていないだけ。法の番人たる衛兵に追われていないだけ。
カールトンの言葉には一片の嘘偽りもなく、事実は肺をきつく締め上げて呼吸を妨げる。
それでも、意を決したようにポルトは大股でカールトンに詰め寄る。
「……飢えにあがき力ずくで奪う、その達成感も、恍惚感も……。傷つけた後悔も懺悔も……。奪われた悲しみも、怒りも。無力感も…絶望感も……全部…全部知ってる…わかってます……!でもそれは私だけじゃない……!貴方も同じ経験をした……!そして深く深く傷ついた……!心も身体も、今も傷を忘れられないまま……。自分じゃどうしようもない程苦しんでいるのでしょう……!?全身汗だくになっても悪夢の呪縛を振りほどけ無いほどに……!それが貴方の『本当』ではないのですか…!?」
「――ッ?」
濃い金色の瞳が青い瞳に対峙し、芯まで捉えるように力強く見据えた。
「今その理由でこの村を見捨てたら、過去を…貴方をそんな風にした奴らを肯定することになる……!『仕方ない』なんて聞き分けの良い体を装って諦めているだけ……!昔と何も変わらない!」
「黙れッ!」
言い終わるのと激昂したカールトンの拳が眉間に入ったのはほぼ同時。
とっさに腕で顔を覆ったが、その衝撃は肉と骨を突き抜けて視界に火花を飛ばす。
一瞬脳が揺れて景色がぐらついたが、この手の痛みに慣れている身体はよろめきながらなんとか耐え、もう一度兄の前で同じ視線を向けた。
「貴方には…まだ動く身体がある。血に熱がある。力がある。……この村に奪われる弱者は確かにいた。でも今日は彼らだけじゃない、剣を握れる私達がいる。――兄様、一緒に行きましょう。もうあそこにいた頃の私達ではないことを証明してやるんです」
「――……」
カールトンの強腕で殴れた腕はまだ痛みで痺れている。喝を入れるように拳をぎゅっと握った。
「もしそれでも無駄なことだ言うのなら…私が貴方を雇います」
「……?」
「この村に来る前に野盗の野営地で稼いだ分、あの半額は餌になった私のものです」
「そんな話は一切――…」
「私のものです!あのアジトを発見し襲撃できたのも、私という餌があってこそでしょう!だから半額は頂きます!……そこから六割を報酬として貴方にお渡しします」
「――……!」
「依頼内容はこの村の救出。無理に殺す必要はありません。生き残った野盗は、夜が開けた後、生かすか殺すか…村の皆で処分を考えればいい」
カールトンは何も言わない。こうしている間にも太陽など出ていないはずの外はどんどん明るくなっていく。
「騎士団長クラスとも言われたフォルカー王子と対等に剣を交えた貴方が、ただの野党ごときに尻尾を巻いて逃げ出すというのですか……!?」
「――……」
「兄様!!」
焦りの心がポルトの胸を締める頃、奥歯を噛んだカールトンがやっと口を開いた。
「――勝手にしろ」
「!」
「しかし俺は行かん。三十分で戻ってこい。それ以上は許さん。こちらにとってもお前は稼ぎ手だからな、無理矢理にでも出立させる」
「……はい!」
ポルトは大きく頷き、ギュッと皮手袋を着けると部屋を飛び出していった。
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普段から城の別棟に軟禁状態のエリザベートは、時折城を抜け出して幼馴染であり乳兄妹のワルターが座長を務める旅芸人の一座で歌を歌い、銀髪の歌姫として人気を博していた。
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意地悪な継母王妃にその娘王女達も大概意地悪ですが、何故かエリザベートに悪意を持つ悪役令嬢軍人(?)のレネ様にも注目です。
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