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第1章2節 学園生活/慣れてきた二学期
第116話 孤児院の夜・その2
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「……美味しい……」
ビーフシチューの牛肉を口に入れ、頬を綻ばせるエリス。
「まあ、そう言っていただけて何よりですわ。今日の食事は子供達が張り切ってくれて、買い出しから調理まで準備してくれたんですよ」
「そうだったんですね……」
食堂を一通り見渡せる席から全体を見回す。
「お姉ちゃん、お勉強はどう? 大変?」
「そりゃあもう! 毎日宿題に埋もれて大変だよ~!」
「そうなの!? じゃあお姉ちゃん、すっごく頭良いんだね!」
「ま……まあね!」
「ねえねえお姉ちゃん! 学園にはナイトメア、いっぱいいるんでしょ? どんなのがいた?」
「色々いたよ! 武器とか魔物とか、皆みたいな小さい子供の姿をしているのもいたなあ!」
「ほんとう!? だったらわたしも友達になれるかなあ!?」
「なれるよきっと!」
隣の席から、正面の席から、果てには遠くの席から。各方面からリーシャは質問攻めに合い、中々手が進まない。
「……リーシャ、すごい人気ですね……」
「皆にとっては憧れですからね。この孤児院で唯一、魔法学園に行っているから」
「……」
フォークとスプーンを置き、エリスは肩を竦めながら切り出す。
「……前に学園で、いじめ? なのかなあ……貴族の子に、皆の目の前で色々言われているの、見ちゃって……確か、名前はカトリーヌだったと……」
「ああ……ディアス家のご令嬢ですね。リーシャと同じ使節生だったはずです」
「使節生?」
メアリーとエリスの会話に、エリスの正面に座っているカタリナも静かに耳を傾ける。
「イズエルトではグレイスウィルとの親交を深めるために、毎年王国の代表として生徒を魔法学園に送り出すんです。帝国時代に従属の証として身内を送り出していた名残のようなもので、権威的ではないんですけどね」
「平民の子供でも何か成果を残せば選ばれる可能性があるとは謳われていいますが、それでも選ばれるのは貴族の子供ばかり……」
コップの中の果実水が、天井から下げられた照明に照らされ揺れる。
「でも選ばれたんですよね。多分……他の子は貴族の子なのに、その中で一人だけ……」
「この制度が開始して以来初めてのことだと、氷賢者様が話しておられました」
「……あの子は曲芸体操が大好きで、ここにやってきた二年前から、毎日のように雪華楽舞団の舞台に通って……自作のノートなんか作ったりしてて、本当に夢中になっていたんです。恐らくそれが女王陛下のお目にかかれたのでしょう」
彼女の口から出てきたのは、心の底から誰かのことを思っているような溜息だった。
「初めてイズエルトに来て、それもまだまだ若い貴女達に……現実を突き付けるような話をするのは……」
「……きっと、多分、大丈夫です。だってここは孤児院ですよね。孤児ってことは……リーシャのお父さんとお母さんは……」
「……亡くなってはいないんですよ、正確には。ただ連れて行かれてしまって、安否がわからないだけで」
「連れて行かれた?」
「この石像を崇める者達にです」
メアリーの後ろでは、潺のように流れる髪を湛え、羽衣を纏って両手を広げ、そして背中から翼が生えた女神の石像が飾られている。
「イングレンス聖教会……歴史柄、この国の半分程は彼らに支配されているようなものです。奉納金と称して多額のお金を徴収し、それを払えないとなると女神への反逆罪として連行されていく……」
「二年前、リーシャの住んでいた島では大規模な飢饉があって、それにも関わらず聖教会は断罪を執行しました」
一連の暴動も引っくるめて、それが『大寒波』と呼ばれていることも教えてくれた。イズエルトの歴史を語るには欠かせない大事件とも。
この北国に住まう多くの民が、たった一度の冬で、人生の転換を余儀なくされたのだ。
「……そんな」
「彼らにとっては民の命なんて些細なものでしかなかった。そこで生きていた人々の生活を、全て否定し秩序を押し付けた……今でもその遺恨は残っています」
グレイスウィル地上階にある壮麗な大聖堂。そこを管理するバフォメットを連れた修道女レオナ。夏季休暇に出会った彼女も、また聖教会の人間である。
優然とした彼女の姿を思い浮かべ、エリスは苦しい気持ちになる。世界には様々な者がいることを、負の感情と共に実感した。
「メアリーさんも……聖教会の人、ですよね?」
「ええ。聖教会にも多数派と少数派がいて、私は少数派です。慈善活動に精を出し、献身的に尽くすことは間違っている――女神への反逆とされている。この孤児院に仕えている時点で、私の救済はないようなものです」
「それは……違うと思います」
藻掻くように言葉を綴る彼女を見て、咄嗟に出てきた言葉。
それを聞いて、メアリーは目を丸くする。
「さっき言いましたよね。ここの子供達のお母さんみたいなものだって。上手くは言えませんけど……女神様が救ってくれなくても、子供達が。リーシャが救ってくれると思います」
「……本当に、リーシャは良い友達を持ったわね。ええ、きっとそうかもしれません――」
揺らめくキャンドルの炎が、食卓を温かく照らし見守っている。共感するように、包み込むように――
夕食を終えた後、エリス達は泊まる部屋に案内された。既に入浴は温泉で済ませてあるので、後は寝間着に着替えて寝るだけである。
「でもちょっとは宿題やってこうかな……」
「あはは、せっかくの旅行なのにお勉強? まっじめ~」
「だってぇ……」
持ってきた宿題は、当然魔法学総論。当初は勉強になるからいいかなと思っていたが、行動範囲や課外活動での仕事が増えた今はだんだん重荷になりつつある。
「終わらないんです……ちょっとずつじゃないと……」
「大変だなあ……そうだ! 頑張れるようにココア入れてあげるよ!」
「え、いいんですか? 申し訳ないです」
「気にしちゃだめよ! ちょっと待っててねー!」
エリスとカタリナが泊っている部屋は子供達の居住区画の一室。元々リーシャが住んでいた部屋で、現在は彼女以外にも年上の少女が二人住んでいる。リーシャも昔の自分が慣れ親しんだ部屋ということで、ここに泊まることになった。
「ねえねえ、宿題ってどんなのやるの? 私に見せてよ」
「いいですよ。これはですね、触媒についてまとめてレポートにするんです」
「触媒……? 杖とかのことだよね? でも、レポートって?」
「えっと、物事を相手に理解してもらえるように自分の言葉でまとめるんです」
「何それ、ちょー難しそう!? やっぱり学園って大変なんだなあ……」
ダイニングテーブルを借りて宿題を進めるエリス。その隣でカタリナは、小型犬二匹とセバスンが戯れている様を見つめていた。
「どう? 可愛いっしょ、うちのナイトメア」
「……はい。人懐っこくて、ふわふわで……気持ちいいです」
「聞いた話だとナイトメアって犬や狼で発現されることが多いんだって。初代騎士王が犬を連れていたから、その影響らしいよ」
「そういえば皆の中にも犬のナイトメアいたよね」
「すっげーもふもふで只者、いや只犬じゃなかったよね」
少女がココアを持ってきて机に置くと、そのタイミングでリーシャとスノウも入ってきた。
「姉さ~ん。お風呂空いたって~」
「あーい。んじゃうちらも行ってくるか~。おいで!」
「はいはい、お風呂できれいきれいになりましょうねえ~」
二人の少女と犬二匹は部屋を出て行き、リーシャがエリスの隣に来る。
「セバスン! せっかくのきかい、なのです! スノウとあそぶのでーす!」
「ほっほっほ。ではわたくしも手加減はいたしませんぞ」
「あ、あの……お部屋が壊れない程度に、ね?」
「勿論それは承知の上」
「うん、よかった……ふふっ」
スノウが作り出した氷柱を、セバスンが切りかかって両断する。そんなナイトメア同士の戯れを、カタリナは微笑ましく見ていた。
それを後ろにリーシャとエリスは話をする。
「リーシャって、ここでは毎日三人で暮らしていたの?」
「そうだよ。机の取り合いとかいびきがうるさいとかで喧嘩になったこともあったけど、何だかんだでここから移動したことはないかなー」
「……大変じゃない? いつも一人になれないって」
「そう言われればそうかなー。でもここにいる皆、境遇が同じだから結局何とか落ち着くんだよね」
何事もなく出てきた境遇という単語が、鋭い刃物となってエリスの心臓を刺す。
「……自分の人生、恨んだりとか……しなかった?」
「え? いやあ、それはまあ……」
リーシャは頬を指で掻く。気にしていないことのアピールだ。
「……何でこんなことになったんだろうとか、思うことはあったけどさ。でもそれは終わったこと! 後ろを見ても仕方ないから!」
「……」
「私は一生懸命に生きていくことにしているの。この孤児院にやってきた時から、ずっとね。恨んでいる余裕なんてないない!」
「……強いんだね」
「いやーそんなことないよ!? 寝る時枕を濡らしすぎて、何回枕カバー取り替えたか覚えてないから!」
手を振りながら見せるその笑顔も、今では少し逞しく思えてくる。
「ていうかそういうこと訊いちゃうってことは、あれなの? エリスは自分の人生恨んじゃうようなことでもあったの?」
「え? 別にそんなことは……あーうーん、一歩間違えればリーシャみたいに孤児院だったかもって、そう思ったかも」
「へ? エリスの親って……」
「いるけど血は繋がっていないんだよね」
すらすらと動かすペンにも似た口調でエリスは言う。カタリナも興味を持って首を伸ばしてきていた。
「……逆にショックじゃない? エリスが知ってるってことは直接伝えられたってことでしょ?」
「一緒に愛しているってことも伝えられたよ。わたしもそれでいいって納得したし。血は繋がってなくても、もちろん繋がっていても。大切なお父さんとお母さんだよ」
「……そっか。そうだね」
リーシャはぱらぱらと本を捲りながら、ココアを飲んでゆっくりしている。
「リーシャ、今何の本読んでるの?」
「これ? これはねえ、イズエルトに伝わる噂とか伝説を纏めた説話集」
「小話がいーっぱいってことかあ」
休憩がてらエリスは顔を覗かせる。開いていたページには雪と氷を内包するガラスの筒が描かれていた。
「これ、雪灰灯? 何か噂があるの?」
「うん。曲芸体操やってると必ず耳に入るレベルの知名度だよ。何かねー、人を選ぶ雪灰灯ってのがあるらしいよ」
「人を選ぶ……そんなものが」
カタリナも移動してきて頁を覗き込む。
「何だか騎士王伝説にもそういう話があったような。『ユーサー・ペンドラゴンの旅路』だったかもしれないけど」
「無機質が意志を持って使い手を選ぶ、なんてのは鉄板の題材だねー。そういうのって基本武器だけど、雪灰灯でもそういうのがあるっぽいよ」
「目撃者とかは……いないから噂になってんだよね」
「まだそれに適う演者が現れていないとも言うね。だから自分こそがそれになるんだと、意気込んで頑張りましょーで大抵締め括られる」
「ふーん……」
よく見ると本はたったの一ページだけで、それに関する記述をやめてしまっている。
「これ見るに、出所とかは不明だけどこんな噂があるよーって紹介だけしてる感じだね」
「そうそう、どこから出回ったのかもいつから出回ったのかも不明。にも関わらずある程度の知名度はあるんだから、曲芸体操って世界はやっぱ広いよねー」
「わたしが思っている以上に広いってことがわかったよ……今日一日だけでもね」
ペンを走らせているのはそのままだが、エリスの心境はあることに向けられていた。
(集団で共同生活……みんなでご飯、あったかい大浴場。気軽に話せる同じ部屋の友達……)
(学生寮に入ると毎日こんな生活かぁ……)
(……体験しちゃうとやっぱり羨ましくなっちゃうな。帰ったらハインリヒ先生に相談してみようかな……)
「どうしたのエリス? 手が止まってるよ?」
「……考え事してた。やっぱりお湯に浸かれるっていいなあって」
「何それ」
「リーシャ、あたしココアのお代わり貰いたいんだけど……」
「そこにある湯沸かし使っていいよー」
「ありがとう」
ビーフシチューの牛肉を口に入れ、頬を綻ばせるエリス。
「まあ、そう言っていただけて何よりですわ。今日の食事は子供達が張り切ってくれて、買い出しから調理まで準備してくれたんですよ」
「そうだったんですね……」
食堂を一通り見渡せる席から全体を見回す。
「お姉ちゃん、お勉強はどう? 大変?」
「そりゃあもう! 毎日宿題に埋もれて大変だよ~!」
「そうなの!? じゃあお姉ちゃん、すっごく頭良いんだね!」
「ま……まあね!」
「ねえねえお姉ちゃん! 学園にはナイトメア、いっぱいいるんでしょ? どんなのがいた?」
「色々いたよ! 武器とか魔物とか、皆みたいな小さい子供の姿をしているのもいたなあ!」
「ほんとう!? だったらわたしも友達になれるかなあ!?」
「なれるよきっと!」
隣の席から、正面の席から、果てには遠くの席から。各方面からリーシャは質問攻めに合い、中々手が進まない。
「……リーシャ、すごい人気ですね……」
「皆にとっては憧れですからね。この孤児院で唯一、魔法学園に行っているから」
「……」
フォークとスプーンを置き、エリスは肩を竦めながら切り出す。
「……前に学園で、いじめ? なのかなあ……貴族の子に、皆の目の前で色々言われているの、見ちゃって……確か、名前はカトリーヌだったと……」
「ああ……ディアス家のご令嬢ですね。リーシャと同じ使節生だったはずです」
「使節生?」
メアリーとエリスの会話に、エリスの正面に座っているカタリナも静かに耳を傾ける。
「イズエルトではグレイスウィルとの親交を深めるために、毎年王国の代表として生徒を魔法学園に送り出すんです。帝国時代に従属の証として身内を送り出していた名残のようなもので、権威的ではないんですけどね」
「平民の子供でも何か成果を残せば選ばれる可能性があるとは謳われていいますが、それでも選ばれるのは貴族の子供ばかり……」
コップの中の果実水が、天井から下げられた照明に照らされ揺れる。
「でも選ばれたんですよね。多分……他の子は貴族の子なのに、その中で一人だけ……」
「この制度が開始して以来初めてのことだと、氷賢者様が話しておられました」
「……あの子は曲芸体操が大好きで、ここにやってきた二年前から、毎日のように雪華楽舞団の舞台に通って……自作のノートなんか作ったりしてて、本当に夢中になっていたんです。恐らくそれが女王陛下のお目にかかれたのでしょう」
彼女の口から出てきたのは、心の底から誰かのことを思っているような溜息だった。
「初めてイズエルトに来て、それもまだまだ若い貴女達に……現実を突き付けるような話をするのは……」
「……きっと、多分、大丈夫です。だってここは孤児院ですよね。孤児ってことは……リーシャのお父さんとお母さんは……」
「……亡くなってはいないんですよ、正確には。ただ連れて行かれてしまって、安否がわからないだけで」
「連れて行かれた?」
「この石像を崇める者達にです」
メアリーの後ろでは、潺のように流れる髪を湛え、羽衣を纏って両手を広げ、そして背中から翼が生えた女神の石像が飾られている。
「イングレンス聖教会……歴史柄、この国の半分程は彼らに支配されているようなものです。奉納金と称して多額のお金を徴収し、それを払えないとなると女神への反逆罪として連行されていく……」
「二年前、リーシャの住んでいた島では大規模な飢饉があって、それにも関わらず聖教会は断罪を執行しました」
一連の暴動も引っくるめて、それが『大寒波』と呼ばれていることも教えてくれた。イズエルトの歴史を語るには欠かせない大事件とも。
この北国に住まう多くの民が、たった一度の冬で、人生の転換を余儀なくされたのだ。
「……そんな」
「彼らにとっては民の命なんて些細なものでしかなかった。そこで生きていた人々の生活を、全て否定し秩序を押し付けた……今でもその遺恨は残っています」
グレイスウィル地上階にある壮麗な大聖堂。そこを管理するバフォメットを連れた修道女レオナ。夏季休暇に出会った彼女も、また聖教会の人間である。
優然とした彼女の姿を思い浮かべ、エリスは苦しい気持ちになる。世界には様々な者がいることを、負の感情と共に実感した。
「メアリーさんも……聖教会の人、ですよね?」
「ええ。聖教会にも多数派と少数派がいて、私は少数派です。慈善活動に精を出し、献身的に尽くすことは間違っている――女神への反逆とされている。この孤児院に仕えている時点で、私の救済はないようなものです」
「それは……違うと思います」
藻掻くように言葉を綴る彼女を見て、咄嗟に出てきた言葉。
それを聞いて、メアリーは目を丸くする。
「さっき言いましたよね。ここの子供達のお母さんみたいなものだって。上手くは言えませんけど……女神様が救ってくれなくても、子供達が。リーシャが救ってくれると思います」
「……本当に、リーシャは良い友達を持ったわね。ええ、きっとそうかもしれません――」
揺らめくキャンドルの炎が、食卓を温かく照らし見守っている。共感するように、包み込むように――
夕食を終えた後、エリス達は泊まる部屋に案内された。既に入浴は温泉で済ませてあるので、後は寝間着に着替えて寝るだけである。
「でもちょっとは宿題やってこうかな……」
「あはは、せっかくの旅行なのにお勉強? まっじめ~」
「だってぇ……」
持ってきた宿題は、当然魔法学総論。当初は勉強になるからいいかなと思っていたが、行動範囲や課外活動での仕事が増えた今はだんだん重荷になりつつある。
「終わらないんです……ちょっとずつじゃないと……」
「大変だなあ……そうだ! 頑張れるようにココア入れてあげるよ!」
「え、いいんですか? 申し訳ないです」
「気にしちゃだめよ! ちょっと待っててねー!」
エリスとカタリナが泊っている部屋は子供達の居住区画の一室。元々リーシャが住んでいた部屋で、現在は彼女以外にも年上の少女が二人住んでいる。リーシャも昔の自分が慣れ親しんだ部屋ということで、ここに泊まることになった。
「ねえねえ、宿題ってどんなのやるの? 私に見せてよ」
「いいですよ。これはですね、触媒についてまとめてレポートにするんです」
「触媒……? 杖とかのことだよね? でも、レポートって?」
「えっと、物事を相手に理解してもらえるように自分の言葉でまとめるんです」
「何それ、ちょー難しそう!? やっぱり学園って大変なんだなあ……」
ダイニングテーブルを借りて宿題を進めるエリス。その隣でカタリナは、小型犬二匹とセバスンが戯れている様を見つめていた。
「どう? 可愛いっしょ、うちのナイトメア」
「……はい。人懐っこくて、ふわふわで……気持ちいいです」
「聞いた話だとナイトメアって犬や狼で発現されることが多いんだって。初代騎士王が犬を連れていたから、その影響らしいよ」
「そういえば皆の中にも犬のナイトメアいたよね」
「すっげーもふもふで只者、いや只犬じゃなかったよね」
少女がココアを持ってきて机に置くと、そのタイミングでリーシャとスノウも入ってきた。
「姉さ~ん。お風呂空いたって~」
「あーい。んじゃうちらも行ってくるか~。おいで!」
「はいはい、お風呂できれいきれいになりましょうねえ~」
二人の少女と犬二匹は部屋を出て行き、リーシャがエリスの隣に来る。
「セバスン! せっかくのきかい、なのです! スノウとあそぶのでーす!」
「ほっほっほ。ではわたくしも手加減はいたしませんぞ」
「あ、あの……お部屋が壊れない程度に、ね?」
「勿論それは承知の上」
「うん、よかった……ふふっ」
スノウが作り出した氷柱を、セバスンが切りかかって両断する。そんなナイトメア同士の戯れを、カタリナは微笑ましく見ていた。
それを後ろにリーシャとエリスは話をする。
「リーシャって、ここでは毎日三人で暮らしていたの?」
「そうだよ。机の取り合いとかいびきがうるさいとかで喧嘩になったこともあったけど、何だかんだでここから移動したことはないかなー」
「……大変じゃない? いつも一人になれないって」
「そう言われればそうかなー。でもここにいる皆、境遇が同じだから結局何とか落ち着くんだよね」
何事もなく出てきた境遇という単語が、鋭い刃物となってエリスの心臓を刺す。
「……自分の人生、恨んだりとか……しなかった?」
「え? いやあ、それはまあ……」
リーシャは頬を指で掻く。気にしていないことのアピールだ。
「……何でこんなことになったんだろうとか、思うことはあったけどさ。でもそれは終わったこと! 後ろを見ても仕方ないから!」
「……」
「私は一生懸命に生きていくことにしているの。この孤児院にやってきた時から、ずっとね。恨んでいる余裕なんてないない!」
「……強いんだね」
「いやーそんなことないよ!? 寝る時枕を濡らしすぎて、何回枕カバー取り替えたか覚えてないから!」
手を振りながら見せるその笑顔も、今では少し逞しく思えてくる。
「ていうかそういうこと訊いちゃうってことは、あれなの? エリスは自分の人生恨んじゃうようなことでもあったの?」
「え? 別にそんなことは……あーうーん、一歩間違えればリーシャみたいに孤児院だったかもって、そう思ったかも」
「へ? エリスの親って……」
「いるけど血は繋がっていないんだよね」
すらすらと動かすペンにも似た口調でエリスは言う。カタリナも興味を持って首を伸ばしてきていた。
「……逆にショックじゃない? エリスが知ってるってことは直接伝えられたってことでしょ?」
「一緒に愛しているってことも伝えられたよ。わたしもそれでいいって納得したし。血は繋がってなくても、もちろん繋がっていても。大切なお父さんとお母さんだよ」
「……そっか。そうだね」
リーシャはぱらぱらと本を捲りながら、ココアを飲んでゆっくりしている。
「リーシャ、今何の本読んでるの?」
「これ? これはねえ、イズエルトに伝わる噂とか伝説を纏めた説話集」
「小話がいーっぱいってことかあ」
休憩がてらエリスは顔を覗かせる。開いていたページには雪と氷を内包するガラスの筒が描かれていた。
「これ、雪灰灯? 何か噂があるの?」
「うん。曲芸体操やってると必ず耳に入るレベルの知名度だよ。何かねー、人を選ぶ雪灰灯ってのがあるらしいよ」
「人を選ぶ……そんなものが」
カタリナも移動してきて頁を覗き込む。
「何だか騎士王伝説にもそういう話があったような。『ユーサー・ペンドラゴンの旅路』だったかもしれないけど」
「無機質が意志を持って使い手を選ぶ、なんてのは鉄板の題材だねー。そういうのって基本武器だけど、雪灰灯でもそういうのがあるっぽいよ」
「目撃者とかは……いないから噂になってんだよね」
「まだそれに適う演者が現れていないとも言うね。だから自分こそがそれになるんだと、意気込んで頑張りましょーで大抵締め括られる」
「ふーん……」
よく見ると本はたったの一ページだけで、それに関する記述をやめてしまっている。
「これ見るに、出所とかは不明だけどこんな噂があるよーって紹介だけしてる感じだね」
「そうそう、どこから出回ったのかもいつから出回ったのかも不明。にも関わらずある程度の知名度はあるんだから、曲芸体操って世界はやっぱ広いよねー」
「わたしが思っている以上に広いってことがわかったよ……今日一日だけでもね」
ペンを走らせているのはそのままだが、エリスの心境はあることに向けられていた。
(集団で共同生活……みんなでご飯、あったかい大浴場。気軽に話せる同じ部屋の友達……)
(学生寮に入ると毎日こんな生活かぁ……)
(……体験しちゃうとやっぱり羨ましくなっちゃうな。帰ったらハインリヒ先生に相談してみようかな……)
「どうしたのエリス? 手が止まってるよ?」
「……考え事してた。やっぱりお湯に浸かれるっていいなあって」
「何それ」
「リーシャ、あたしココアのお代わり貰いたいんだけど……」
「そこにある湯沸かし使っていいよー」
「ありがとう」
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