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七竅
33、掃討作戦
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廉郡王が厲蠻より自力で脱出してきたことにより、帝国軍を縛るものはなくなった。
皇子に逃げられた厲蠻は、守る拠点をいくつか放棄して、ゲリラ戦に注力するようにシフトした。メイロン県を中心に、周囲のサイ県、シュル県、イーサン県、フツ県の五県の護りを強化し、断続的にゲリラ攻撃を加えて帝国軍に打撃を与える。迎え討つ恭親王たちは、神出鬼没のゲリラたちに対し、大軍の利点を生かすことができず、手を焼いた。
ゲリラ掃討戦に力を発揮したのが、廉郡王であった。
肉弾戦となると、およそ彼に勝てる者などまずいない。技量だけで言えばゾーイの方が勝るが、豊富な魔力によって筋力・体力・防護力を増した廉郡王には、おそらく敵わない。加えて一種の戦闘狂であり、闘いを恐れるということがない。千騎前後の部隊を率いて、自らを囮にしてゲリラをおびき出し、殲滅する。その悪鬼の如き強さと常識はずれの強引なやり口は、厲蠻から〈乱王〉と恐れられた。
廉郡王の行動は一見野放図に見えて、実はダヤンによって精確に計算された場所で戦闘に持ち込んでいた。ダヤンは巧みにゲリラの動きを読んで、ゲリラの動きを制限し、追い込んでいった。ゲリラは街道沿いに出没することができなくなり、個々の連携が取れず、行き当たりばったりの攻撃を仕掛けるだけ。もはや叛乱当初の勢いはなかった。叛乱軍をメイロン県周辺の地域に抑え込み、ゲリラの活動を封じ込める。あとは叛乱軍の士気が削がれたところで、一つ一つの県城を解放していけばいい。
ダヤンはサイ県の攻略を決めた。
「一発メイロン県でもいいんだけどさ。首謀者が一網打尽にならずに尻尾が残ってしまうと面倒だよね。周囲からやんわりと首を絞めて、逃げ場をなくす方がいいと思う」
叛乱勃発からもうすぐ二か月。あと数日で新年という時に、主だったものを集めた会議で、地図を見ながらダヤンが説明する。
温暖なこの地方では、年が明ければ作付けの準備が始まる。来年の収穫のことを考えれば、早くカタをつけなければならなかった。
「いずれ、全ての県を解放しなければならないから、順番はそれでいい。……問題は、叛乱討伐の落としどころなのだが……」
恭親王が他の二皇子とその配下に対して言う。
「……皇子を攫い、また魔物が憑依しているということですから、当然、その魔物は討伐しなければならないでしょう」
ゾーイが、はっきりと言う。ゾーイは、ヴィサンティと廉郡王の関係を知らない。恭親王が廉郡王を見ると、廉郡王は精悍な眉をぴくりと動かした。
陰陽の歪みそのものである魔物は、見つけ次第討伐するのが原則である。魔物と恋に落ちるなど、聞いたこともないし、いったいどうしたらいいのか、恭親王にはさっぱりわからなかった。
(――ボルゴールの〈気〉を番の気だと勘違いしなくて、本当によかった……)
彼にとってはただ、不気味で不快で、身体が腐って爛れ堕ちていくような気分しかしなかったボルゴールの〈気〉。龍と蛇が近いからといって、魔物と〈気〉を交合しようなど、狂っているとしか、恭親王は思えなかった。
ゲルが言うには、廉郡王は桁外れに〈王気〉が強いだけに、魔物の発する〈気〉を感知する能力も高く、ヴィサンティの〈気〉をも明確に嗅ぎ取ってしまったのだろうと。
(――あの時は私もいたけれど、私は何も思わなかった)
恭親王はヴィサンティの黄緑色の瞳が、蛇女に似ているなと思っただけである。
「メイロン県のチャーンバー姉妹の周囲では、蛇神の信仰が復活していると思われます。すでに蛇神の〈気〉を受けついた女たちも何人もいるとか。その信仰を根絶しなければ、再びプーランタ南岸に魔物が蔓延る事態になるかもしれません」
ゲルもまた、魔物の発生について憂慮していた。
「〈精脈を絶つ〉処置が必要でしょうな」
この中では年嵩の、廉郡王の副傅であるエルドが言う。その言葉を聞いて、恭親王が露骨に眉間に皺を寄せた。
「……つまり、厲蠻の血を汚せと……」
エルドが言う。
「もともと、魔蛇族の末裔が厲蠻でござる。いまだに魔蛇と契約を為せるというのは、魔族の血が強いということ。やはり帝国の血族の中に組み入れて、支配を確実なるものにしていかなければなりませぬ」
「今時、そんなことが必要なのか?」
恭親王がいかにも不愉快そうに尋ねる。
かつて、世界に蔓延る魔物たちを討伐していた太陽の龍騎士のその眷属たちは、魔族の力を削ぐために、女たちを犯して魔族の血の純潔性を失わせたと言われている。帝国の草創期には、異民族に対して行われてきたことだが、帝国の版図が固まったここ数百年は、そのような野蛮な行いは必要がなかった。
厲蠻はこれまで、独自の文化を守りながら帝国の支配を受け入れてきた。税の収奪は過酷ではあるが、温暖な気候と豊かな実りに守られて、彼らの生活は悪くはなかったはずだ。――悪逆の刺史さえいなければ。
だが、その苛政に耐えかねて叛乱を起こし、皇子の討伐を受けることになった。ここであまりにも残虐な扱いをすれば、厲蠻の恨みが深く残ることになろう。
「苛政は虎よりも猛し――か」
恭親王がポツリと呟く。
一人の強欲な刺史が欲望を暴走させたために、多くの命が失われ、厲蠻はさらに過酷な運命に翻弄されることになる。
「……厲蠻の叛乱については、あの豚刺史の行いが引き金になっていることもあるのだ。悪政が引き起こした災害により、人心が乱れて陰陽の調和が崩れた。魔物の発生はその結果だ。――あまり、過酷なことはしたくない」
恭親王の発言に、ゲルフィンが反論する。
「辺境は常に魔物の脅威と背中合わせなのです。ここで甘い対応を取って魔物を狩り残せば、この南岸の民自身が危害に遭います。一見、人に見えますが、中身は魔物です。魔物の討伐は、龍種と貴種に課せられた責務です。我々が有する様々な特権は、この責務を果たす引き換えとして与えられているものです。けして、疎かにはできません」
「だがその苦しみは厲蠻の民に向かうのだ」
「それは致し方のないことです」
恭親王は無言で、ちらりと廉郡王を見た。
廉郡王は無言で唇を噛み締め、何かに耐えるように座っていた。
「……わかった。まずは叛乱の終結を目指し、大規模な攻撃を開始することにしよう」
大まかな方針が決定され、討伐軍は南方の砦で年を越した。
正月、征南大将軍は騎兵一万騎の出撃命令を発し、三皇子自ら陣頭に立って、最初の目標であるサイ県の厲蠻討伐へと向かった。
皇子に逃げられた厲蠻は、守る拠点をいくつか放棄して、ゲリラ戦に注力するようにシフトした。メイロン県を中心に、周囲のサイ県、シュル県、イーサン県、フツ県の五県の護りを強化し、断続的にゲリラ攻撃を加えて帝国軍に打撃を与える。迎え討つ恭親王たちは、神出鬼没のゲリラたちに対し、大軍の利点を生かすことができず、手を焼いた。
ゲリラ掃討戦に力を発揮したのが、廉郡王であった。
肉弾戦となると、およそ彼に勝てる者などまずいない。技量だけで言えばゾーイの方が勝るが、豊富な魔力によって筋力・体力・防護力を増した廉郡王には、おそらく敵わない。加えて一種の戦闘狂であり、闘いを恐れるということがない。千騎前後の部隊を率いて、自らを囮にしてゲリラをおびき出し、殲滅する。その悪鬼の如き強さと常識はずれの強引なやり口は、厲蠻から〈乱王〉と恐れられた。
廉郡王の行動は一見野放図に見えて、実はダヤンによって精確に計算された場所で戦闘に持ち込んでいた。ダヤンは巧みにゲリラの動きを読んで、ゲリラの動きを制限し、追い込んでいった。ゲリラは街道沿いに出没することができなくなり、個々の連携が取れず、行き当たりばったりの攻撃を仕掛けるだけ。もはや叛乱当初の勢いはなかった。叛乱軍をメイロン県周辺の地域に抑え込み、ゲリラの活動を封じ込める。あとは叛乱軍の士気が削がれたところで、一つ一つの県城を解放していけばいい。
ダヤンはサイ県の攻略を決めた。
「一発メイロン県でもいいんだけどさ。首謀者が一網打尽にならずに尻尾が残ってしまうと面倒だよね。周囲からやんわりと首を絞めて、逃げ場をなくす方がいいと思う」
叛乱勃発からもうすぐ二か月。あと数日で新年という時に、主だったものを集めた会議で、地図を見ながらダヤンが説明する。
温暖なこの地方では、年が明ければ作付けの準備が始まる。来年の収穫のことを考えれば、早くカタをつけなければならなかった。
「いずれ、全ての県を解放しなければならないから、順番はそれでいい。……問題は、叛乱討伐の落としどころなのだが……」
恭親王が他の二皇子とその配下に対して言う。
「……皇子を攫い、また魔物が憑依しているということですから、当然、その魔物は討伐しなければならないでしょう」
ゾーイが、はっきりと言う。ゾーイは、ヴィサンティと廉郡王の関係を知らない。恭親王が廉郡王を見ると、廉郡王は精悍な眉をぴくりと動かした。
陰陽の歪みそのものである魔物は、見つけ次第討伐するのが原則である。魔物と恋に落ちるなど、聞いたこともないし、いったいどうしたらいいのか、恭親王にはさっぱりわからなかった。
(――ボルゴールの〈気〉を番の気だと勘違いしなくて、本当によかった……)
彼にとってはただ、不気味で不快で、身体が腐って爛れ堕ちていくような気分しかしなかったボルゴールの〈気〉。龍と蛇が近いからといって、魔物と〈気〉を交合しようなど、狂っているとしか、恭親王は思えなかった。
ゲルが言うには、廉郡王は桁外れに〈王気〉が強いだけに、魔物の発する〈気〉を感知する能力も高く、ヴィサンティの〈気〉をも明確に嗅ぎ取ってしまったのだろうと。
(――あの時は私もいたけれど、私は何も思わなかった)
恭親王はヴィサンティの黄緑色の瞳が、蛇女に似ているなと思っただけである。
「メイロン県のチャーンバー姉妹の周囲では、蛇神の信仰が復活していると思われます。すでに蛇神の〈気〉を受けついた女たちも何人もいるとか。その信仰を根絶しなければ、再びプーランタ南岸に魔物が蔓延る事態になるかもしれません」
ゲルもまた、魔物の発生について憂慮していた。
「〈精脈を絶つ〉処置が必要でしょうな」
この中では年嵩の、廉郡王の副傅であるエルドが言う。その言葉を聞いて、恭親王が露骨に眉間に皺を寄せた。
「……つまり、厲蠻の血を汚せと……」
エルドが言う。
「もともと、魔蛇族の末裔が厲蠻でござる。いまだに魔蛇と契約を為せるというのは、魔族の血が強いということ。やはり帝国の血族の中に組み入れて、支配を確実なるものにしていかなければなりませぬ」
「今時、そんなことが必要なのか?」
恭親王がいかにも不愉快そうに尋ねる。
かつて、世界に蔓延る魔物たちを討伐していた太陽の龍騎士のその眷属たちは、魔族の力を削ぐために、女たちを犯して魔族の血の純潔性を失わせたと言われている。帝国の草創期には、異民族に対して行われてきたことだが、帝国の版図が固まったここ数百年は、そのような野蛮な行いは必要がなかった。
厲蠻はこれまで、独自の文化を守りながら帝国の支配を受け入れてきた。税の収奪は過酷ではあるが、温暖な気候と豊かな実りに守られて、彼らの生活は悪くはなかったはずだ。――悪逆の刺史さえいなければ。
だが、その苛政に耐えかねて叛乱を起こし、皇子の討伐を受けることになった。ここであまりにも残虐な扱いをすれば、厲蠻の恨みが深く残ることになろう。
「苛政は虎よりも猛し――か」
恭親王がポツリと呟く。
一人の強欲な刺史が欲望を暴走させたために、多くの命が失われ、厲蠻はさらに過酷な運命に翻弄されることになる。
「……厲蠻の叛乱については、あの豚刺史の行いが引き金になっていることもあるのだ。悪政が引き起こした災害により、人心が乱れて陰陽の調和が崩れた。魔物の発生はその結果だ。――あまり、過酷なことはしたくない」
恭親王の発言に、ゲルフィンが反論する。
「辺境は常に魔物の脅威と背中合わせなのです。ここで甘い対応を取って魔物を狩り残せば、この南岸の民自身が危害に遭います。一見、人に見えますが、中身は魔物です。魔物の討伐は、龍種と貴種に課せられた責務です。我々が有する様々な特権は、この責務を果たす引き換えとして与えられているものです。けして、疎かにはできません」
「だがその苦しみは厲蠻の民に向かうのだ」
「それは致し方のないことです」
恭親王は無言で、ちらりと廉郡王を見た。
廉郡王は無言で唇を噛み締め、何かに耐えるように座っていた。
「……わかった。まずは叛乱の終結を目指し、大規模な攻撃を開始することにしよう」
大まかな方針が決定され、討伐軍は南方の砦で年を越した。
正月、征南大将軍は騎兵一万騎の出撃命令を発し、三皇子自ら陣頭に立って、最初の目標であるサイ県の厲蠻討伐へと向かった。
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