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2、聖地・太陰宮

太陰宮にて

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 聖地の南側、太陰宮における最高権威は月神殿である。太陰宮の大小の十二神殿の頂点に立ち、月神殿の大神官長は太陰宮の長として、他の〈禁苑三宮〉の長と同等の権限を持つ。その月神殿の格式ある広い貴賓室の北側の窓からは、夏でも雪を頂く霊峰プルミンテルンの気高い姿が眺められる。今日は太陰宮にとって一年で最大の祭礼である夏至大祭の日であり、この場所に〈禁苑三宮〉の代表者が集っている。

 この会合のホストである月神殿の大神官であるルキニウスは、西の女王国の有力貴族の出身で、太陰宮の権威を守ることが陰陽調和に繋がると信じ、信仰と王家への尊崇に生きる老神官である。白く伸びた髭、目を隠すほどに長い真っ白な眉毛、威厳のある鷲鼻を持ち、神官特有の襟飾りのある白い貫頭衣に金の帯を締め、神官長の印である紫色の肩衣を纏っている。大きな肘掛椅子にどっしりと腰を下ろし、老いた背筋をピンと伸ばして座っていた。

 その隣には月神殿の附属修道院である〈光の花〉修道院の院長エラ。かつては女神官であったが、祭祀は引退して今は若い聖職者と貴族の子女の教育に情熱を燃やす、厳格さと慈愛とを具現化したような老女である。神官長の左隣の背もたれのない椅子には、四十がらみの痩せた、意志の強そうな女神官が一人。ルーラは女王位の継承を太陰宮として認証する女王認証官の資格を持ち、常人には視えない王家の者だけが持つ〈王気〉を視てその強弱・清濁を判別し、女王としての力量を測る能力がある。もとはと言えばここ一年の女王の空位は、彼女の仕事に対する責任感、そして頑固さが引き起こしたとも言える。

 彼ら太陰宮の聖職者は貴賓室の最奥に並んで座り、その向かって右側のどっしりした肘掛椅子には三十代後半と見られる僧侶が腰かけている。剃り上げて光を反射する頭部に、梔子色の袈裟を巻き付け、彼が太陽宮の高位聖職者であることを示している。ジュルチ僧正は太陰宮の十二僧正の中では最年少であり、〈阿闍梨〉の称号も持つ強力な術者であり、僧兵五百人を統率する武芸者でもある。そしてジュルチ僧正の対面には、二十代中ごろの、輝く金髪を背後に長く垂らした若い男が座る。白い長衣に赤い帯を巻き、胸には陰陽交合を意味する意匠の大きなペンダントが光る。彼は陰陽宮の十二枢機卿の一人、メイローズであり、当然のことながら、宦官である。

 〈禁苑三宮〉の代表者と相対するのは、一人の貴族的な顔立ちの青年である。二十代前半で背がすらりと高く、まっすぐなダークブロンドの髪は背中に届くほど、そのままさらさらと伸ばしている。非常に整った端正な顔立ちに、薄い青灰色の瞳。西方の貴族青年が好んで着用する、胸元を革紐で編みあげるゆったりした形の白いシャツの上に、濃い緑色の天鵞絨のベスト、黒いぴったりした脚衣という出で立ち、夏に向かうやや蒸し暑い日とて、羽織ってきた黒天鵞絨のマントは脱いで椅子の背にかけてある。彼は穏やかだがやや詰問するような口調で、相対する聖職者たちに尋ねた。

 「では、〈禁苑〉としては、わが異母妹、アデライードに二百年ぶりの〈聖婚〉をさせる、ということなのですね」

 彼は聖地の海を挟んで南側、女王国の東北国境地帯に広大な領地を有するレイノークス辺境伯ユリウスであり、一年前に死去した前女王ユウラの一人娘、アデライード姫の異母兄にあたる。女王ユウラの夫君であった先代のレイノークス辺境伯ユーシスが早世し、母親をも失った王女アデライードの後見人を務める。

 〈禁苑三宮〉の長がアデライード姫の婚姻について、まずアデライード姫本人ではなく兄ユリウスに伝えるのは、貴族の結婚が本人の意思に依らず、父親や兄ら家族の決定を優先するからだ。

 〈聖婚〉――陰と陽の二皇王家が二千年の長きにわたって歴史を紡いできたこの世界では、世界の陰陽の調和を守るために、二つの皇王家は定期的に婚姻を結び、龍種の者だけが持つ強い陰陽の気を交合させねばならぬとされる。かつては途切れることなく〈聖婚〉を行い、〈聖婚〉の皇子王女は聖なる夫婦として尊崇を集めたが、五百年前の東の帝国の内乱で帝国の皇族が激減し、定期的に〈聖婚〉を行うことが困難になった。五百年前からは五十年に一度を目安に、陰陽宮の求めに応じて婚姻を結ぶ形に変更された。その後、今度は西の女王国の王族が減少したこともあり、ここ二百年、〈聖婚〉は行われていない。これはしかし、陰陽の調和と交合を教義とするこの世界の信仰上、由々しき事態であり、〈禁苑三宮〉を中心に早急なる〈聖婚〉の実現が宿願となっていた。

 だが、〈聖婚〉への宗教界の希求とは相反して、特に西の女王国の政治体制は、〈聖婚〉の実現を困難にした。
 西は女王制の国である。この王家は代々女子しか生まず――女王の持つ龍種の特性が、男児の健康な生育を妨げるからだ――王都の有力貴族か地方の諸侯を夫に迎えるのが通例だ。女王の夫君は執政長官(インペラトール)として元老院議長を兼任し、国政の実権を握る。それ故に女王はいつしか諸侯が政権を握るための、そして次代の女王を誕生せしめるための道具になり下がり、権力も権威も今や風前の灯火であった。

 アデライードの母であるユウラ女王は、次女であったために女王位を嗣ぐ予定はなく、女王国と東の帝国との国境近くに広大な領地を持つレイノークス辺境伯のもとに嫁いだ。ところが、姉である女王アライアの死後、アライアの娘アルベラの即位を太陰宮が認証しなかったため、急遽王位を嗣ぐことになった。この時アルベラ姫の即位を拒否したのが、この場にいる女王認証官ルーラであった。

 ユウラ女王の即位直後、その夫でありアデライードの父であるレイノークス辺境伯ユーシスは、キノコの食中毒で死亡した。ユウラ女王は故意の暗殺を疑い、せめて娘の安全を守るためにアデライードを太陰宮の修道院に入れたのである。

 そのユウラ女王も昨年崩御し、アライア女王の夫で元の執政長官であるイフリート公爵は、元老院を抱き込んだうえで、自身の娘アルベラの女王即位を太陰宮に要求したが、再度、女王認証官ルーラによって拒まれた。現在、太陰宮と王都ナキアのイフリート公爵及び元老院は完全な対立状態にある。

 ユリウスは理知的な青灰色の瞳で面前に並ぶ聖職者連を見据え、確かめるように尋ねる。

 「女王が空位の今、アデライードを〈聖婚〉の王女に卜定するということは、王都のアルベラ姫の女王位を認証する、ということですか?」

 現在、西の女王家にはアルベラとアデライードの二人の王女しか存在しない。太陰宮はアルベラの女王即位を認証せず、アデライードを太陰宮の修道院で保護している。太陰宮が押す女王候補者はアデライードであると、ユリウスは考えていた。

 しかし現実には、王都ナキアで元老院の支持を受けるアルベラ姫はすでに実質的には女王位にあると同じで、それを覆してアデライードが即位するのは、ほぼ不可能である。ユリウスとしても、異母妹は可愛いが、無理に王都やイフリート公爵と事を構えてまでアデライードを即位させたいという野心はない。

 十四歳で父のユーシスを失い、見様見真似で領地経営に邁進してきたユリウスにとって、何より領地と異母妹を守ることが先決だ。太陰宮がアデライードの女王即位を諦めてくれたのならば、それはそれでめでたいことだと思う。

 しかし、ルキニウスの発言は、ユリウスの予想を覆した。

 「ユリウス卿。此度の〈聖婚〉と女王位は関係がない」
 「どういう意味です?」

 痩せぎすの女王認証官ルーラが、全く表情を変えぬまま、意志の強そうなハシバミ色の瞳でユリウスを見て言った。

 「アルベラ王女には〈王気〉がありません。〈王気〉がなければ〈聖婚〉の資格も、女王としての資格もないのです」
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