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2、聖地・太陰宮
〈禁苑〉の狙い
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西の女王家と東の皇帝家の、陰陽二つの皇王家は、陰と陽を体現する存在であり、特有の〈王気〉を纏っている。〈王気〉とは、彼らが太陽の龍騎士と、月の精靈ディアーヌの、それぞれ末裔である、龍種であることの証だ。〈王気〉は常人には視えないが、ごくまれにそれを視認できる者が存在する。ルーラはその特異な能力によって、太陰宮の女王認証官の職を与えられているのだ。ルーラは淡々と言う。
「〈聖婚〉とは二つの王家の陰陽の気を交合し、純化して調和することです。〈王気〉がなければ〈聖婚〉の意味がありません。ですから、〈王気〉のないアルベラ姫には〈聖婚〉の資格もなく、さらに言えば女王としての存在意義もありません。もちろん、本人の罪ではありませんが」
ユリウスはしばし、目を瞬く。この女は今、とんでもないことを言わなかったか?
「ちょっとお待ちください、ルーラ認証官。王女はアデライードとアルベラ姫の二人しかいないのですよ。アデライードが〈聖婚〉するのならば、あとはアルベラ姫しか残らないではありませんか」
ルキニウスが真っ白い眉毛に隠された瞳に、意味ありげな光を宿す。
「〈聖婚〉したからと言って、女王位の継承権を放棄する必要はない」
「しかし、〈聖婚〉の王女が女王位に即けば、東の皇子が女王の夫として執政長官に任命されることになります。元老院がそんなことを認めるわけがない!」
ここ二百年にわたって〈聖婚〉が行われていない最大の原因は、女王国の王女の減少である。王女は全て女王候補者として国内での婚姻が優先される。さらに、近年では執政長官である女王の夫の権限が強くなり、諸侯は争って王女との婚姻を求めた。〈聖婚〉によって王女の配偶者の地位を東の皇族に奪われることは、王都ナキアで政権を握りたい諸侯たちにとって歓迎できないことだ。特に世俗化した元老院以下の西の貴族たちは、〈禁苑〉および東の帝国の干渉を嫌う。東の皇子と結婚した王女の女王即位など、元老院は全力で拒否するに違いない。東の皇子が執政長官に就任なんて、侵略行為に等しい。
そこまで考えて、ユリウスは悪い予感が背筋に走る。
(侵略――? もしや……)
ユリウスはルキニウスを中心とする聖職者を眺める。
「一つお伺いしますが……その、〈聖婚〉の相手はどの皇子なのです?」
ユリウスは頭の中で、東の皇子たちに対する自身の乏しい知識を呼び戻す。〈聖婚〉の皇子は、独身の、かなり高位の皇子たちから選ばれる。今上皇帝は二十人以上の皇子に恵まれていると言うが――。
ルキニウスが太陽宮のジュルチ僧正を見る。僧正は立ち上がり、ユリウスに一礼した。
「先日の太陽宮と三公九卿の集議において、〈聖婚〉の皇子は第五親王であらせられる恭親王殿下に決定し、皇帝陛下の裁可も得ております。恭親王殿下にはソリスティア総督として着任すべく勅令が発布され、すでに帝都を発たれたとの由にございます」
その名を耳にしてユリウスの心臓が凍る。
恭親王――悪名高き「暗黒の三皇子」の一人。〈死神〉〈狂王〉〈処女殺し〉。
最愛の異母妹の夫に、よりによって〈処女殺し〉。
さらに隣のソリスティア総督に。
十万の兵を擁し、聖地の守護者として近隣で絶大な影響力を持つ、総督が、〈狂王〉。
恭親王の名を耳にして、腰から砕けそうになるのを、ユリウスは必死に堪える。
「ソリスティア総督……〈狂王〉……が?」
ソリスティアは「大陸の臍」と言われる陸上海上交通の要衝であり、大陸の南側に聳えるパンジェラス山脈に発する大河ドーレが、海に流れ込む三角州に発達した交易都市である。東の帝国の最西端として西の女王国との東西の境界を為し、かつ聖地への唯一の出入り口として聖俗の境界を司る。ここは帝国直轄地として総督の指揮のもと強大な軍隊を擁し、西の女王国に睨みを利かせ、聖地の保護者として〈禁苑〉の承認があれば即座に軍事行動を起こせる巨大権限を持つ。
だがあまりにも巨大な権限を持つため、通常その職は皇子が任じられるものの遥任であり、総督自身は遠く帝都暁京にあって赴任しない。行政権限は副総督が持ち、軍事権限は帝都の総督が持つが、ソリスティアに入るまでは発動しないため、総督が実際に軍を動かすことなどまずない。総督府の兵力は、局限的に移譲された権限を持つ指揮官の下で、聖地とソリスティア近海の海上交通の安全管理、海賊退治、ダルバンダルの大都督府と協力して、西方辺境の治安維持などに勤しむ程度だ。
しかし、その職に〈狂王〉の二つ名を持つ恭親王が着任するとなると、話は別である。
帝国の北方辺境と南方辺境で、すでに異民族討伐に輝かしい戦績を残し、用兵の天賦の才能を存分に発揮している恭親王である。ソリスティア十万の兵も確実に掌握して、一気に王都ナキアを落とすことも可能だ。さらに恭親王はアデライード王女の〈聖婚〉の夫として、王女が即位した暁には執政長官として女王国の内政の権限一切を握ることになる。
それら全てが、〈禁苑〉の主導の元で動いている。
ユリウスは愕然とする。〈禁苑〉が狙うのは、イフリート公爵を中心とし、元老院を頂点とする、女王国の政治体制そのものの解体なのだ。その後に女王国に建設されるのは、〈禁苑〉の強い指導の下、東の帝国の保護領と化した新生の女王国。異母妹アデライードはその駒にされようとしているのだ。
「〈聖婚〉とは二つの王家の陰陽の気を交合し、純化して調和することです。〈王気〉がなければ〈聖婚〉の意味がありません。ですから、〈王気〉のないアルベラ姫には〈聖婚〉の資格もなく、さらに言えば女王としての存在意義もありません。もちろん、本人の罪ではありませんが」
ユリウスはしばし、目を瞬く。この女は今、とんでもないことを言わなかったか?
「ちょっとお待ちください、ルーラ認証官。王女はアデライードとアルベラ姫の二人しかいないのですよ。アデライードが〈聖婚〉するのならば、あとはアルベラ姫しか残らないではありませんか」
ルキニウスが真っ白い眉毛に隠された瞳に、意味ありげな光を宿す。
「〈聖婚〉したからと言って、女王位の継承権を放棄する必要はない」
「しかし、〈聖婚〉の王女が女王位に即けば、東の皇子が女王の夫として執政長官に任命されることになります。元老院がそんなことを認めるわけがない!」
ここ二百年にわたって〈聖婚〉が行われていない最大の原因は、女王国の王女の減少である。王女は全て女王候補者として国内での婚姻が優先される。さらに、近年では執政長官である女王の夫の権限が強くなり、諸侯は争って王女との婚姻を求めた。〈聖婚〉によって王女の配偶者の地位を東の皇族に奪われることは、王都ナキアで政権を握りたい諸侯たちにとって歓迎できないことだ。特に世俗化した元老院以下の西の貴族たちは、〈禁苑〉および東の帝国の干渉を嫌う。東の皇子と結婚した王女の女王即位など、元老院は全力で拒否するに違いない。東の皇子が執政長官に就任なんて、侵略行為に等しい。
そこまで考えて、ユリウスは悪い予感が背筋に走る。
(侵略――? もしや……)
ユリウスはルキニウスを中心とする聖職者を眺める。
「一つお伺いしますが……その、〈聖婚〉の相手はどの皇子なのです?」
ユリウスは頭の中で、東の皇子たちに対する自身の乏しい知識を呼び戻す。〈聖婚〉の皇子は、独身の、かなり高位の皇子たちから選ばれる。今上皇帝は二十人以上の皇子に恵まれていると言うが――。
ルキニウスが太陽宮のジュルチ僧正を見る。僧正は立ち上がり、ユリウスに一礼した。
「先日の太陽宮と三公九卿の集議において、〈聖婚〉の皇子は第五親王であらせられる恭親王殿下に決定し、皇帝陛下の裁可も得ております。恭親王殿下にはソリスティア総督として着任すべく勅令が発布され、すでに帝都を発たれたとの由にございます」
その名を耳にしてユリウスの心臓が凍る。
恭親王――悪名高き「暗黒の三皇子」の一人。〈死神〉〈狂王〉〈処女殺し〉。
最愛の異母妹の夫に、よりによって〈処女殺し〉。
さらに隣のソリスティア総督に。
十万の兵を擁し、聖地の守護者として近隣で絶大な影響力を持つ、総督が、〈狂王〉。
恭親王の名を耳にして、腰から砕けそうになるのを、ユリウスは必死に堪える。
「ソリスティア総督……〈狂王〉……が?」
ソリスティアは「大陸の臍」と言われる陸上海上交通の要衝であり、大陸の南側に聳えるパンジェラス山脈に発する大河ドーレが、海に流れ込む三角州に発達した交易都市である。東の帝国の最西端として西の女王国との東西の境界を為し、かつ聖地への唯一の出入り口として聖俗の境界を司る。ここは帝国直轄地として総督の指揮のもと強大な軍隊を擁し、西の女王国に睨みを利かせ、聖地の保護者として〈禁苑〉の承認があれば即座に軍事行動を起こせる巨大権限を持つ。
だがあまりにも巨大な権限を持つため、通常その職は皇子が任じられるものの遥任であり、総督自身は遠く帝都暁京にあって赴任しない。行政権限は副総督が持ち、軍事権限は帝都の総督が持つが、ソリスティアに入るまでは発動しないため、総督が実際に軍を動かすことなどまずない。総督府の兵力は、局限的に移譲された権限を持つ指揮官の下で、聖地とソリスティア近海の海上交通の安全管理、海賊退治、ダルバンダルの大都督府と協力して、西方辺境の治安維持などに勤しむ程度だ。
しかし、その職に〈狂王〉の二つ名を持つ恭親王が着任するとなると、話は別である。
帝国の北方辺境と南方辺境で、すでに異民族討伐に輝かしい戦績を残し、用兵の天賦の才能を存分に発揮している恭親王である。ソリスティア十万の兵も確実に掌握して、一気に王都ナキアを落とすことも可能だ。さらに恭親王はアデライード王女の〈聖婚〉の夫として、王女が即位した暁には執政長官として女王国の内政の権限一切を握ることになる。
それら全てが、〈禁苑〉の主導の元で動いている。
ユリウスは愕然とする。〈禁苑〉が狙うのは、イフリート公爵を中心とし、元老院を頂点とする、女王国の政治体制そのものの解体なのだ。その後に女王国に建設されるのは、〈禁苑〉の強い指導の下、東の帝国の保護領と化した新生の女王国。異母妹アデライードはその駒にされようとしているのだ。
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