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16、まだ見ぬ地へ
謁見
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年が明けた。便宜的に太陽暦を採用しているが、祭祀や年中行事は太陰暦を重視する女王国において、太陽暦の新年はそれほどは重視されない。だが一つの区切りではあるので、新年を機に戴冠式を挙行することになった。
戴冠式の行われる大広間から、少し離れた女王の公式な謁見の間に、アルベラは向かっていた。これまで、女王の代理として謁見を受けたことはある。だが女王に謁見を申し出るのは初めてのこと。改めて、立場の違いを実感させられる。
この謁見でアルベラは継承権の放棄を申し出る。
現状、女王家の姫はアデライードとアルベラと、二人しかいない。彼女たちの祖母ゼナイダ女王の妹王女が、子を生むことなく世を去ったのは十年以上昔のこと。滅びゆく女王家を間近に見ながら、元老院もナキアの諸侯も、何ら有効な手を打ってこなかった。
アルベラは廊下に歩哨として居並ぶ、東の騎士たちを横目に見ながら思う。
陰と陽の調和こそがこの世界の平和の源。世界の片側を担う女王家が衰退するままに放置した女王国に対し、帝国が二千年の伝統を破って、その継承に介入するのも当然だ。――陰の王家が滅びれば、陽の皇家もいずれは滅びるのだから。
メイローズの先導によって廊下を進んでいくと、見慣れた扉の前に立つ、黒髪の偉丈夫と目があった。簡易の鎧をつけた豪奢な戎服を纏った男は、黒い瞳を少しだけやわらげて、アルベラに微かに目礼する。
「ゾーイさん……!」
「お元気そうで何よりです」
人の目があるため、彼の言葉遣いは丁寧だ。旅の間、ずっとアルベラを気遣い守ってくれた彼が、今日も近くに控えてくれると知り、アルベラはホッとする。――自分でも気づかないうちに、ずいぶん緊張していたのだ。
アルベラの目の前で、扉が重々しく開かれていく。寄木細工の美しい床の上に、赤い絨毯が一筋、奥へとアルベラを導くように続く。アルベラは、ゆっくりと顔を上げた。
謁見の間の、中央の椅子にはアデライードが座り、その足元には彼女を守るように、白い子獅子が端然と座っている。背後に騎士が三人。うち二人はランパとフエルだった。アデライードの右手側の椅子には、長いまっすぐなダークブロンドの若い男。――アデライードの異母兄、レイノークス辺境伯ユリウス。
――〈王気〉が出現して龍種と認められたアルベラと、皇帝は対面することができない。シウリンはそれを理由に、公式な謁見を最後まで渋ったと聞いている。アルベラを警戒したのではなく、アデライードの安全を自身で守れないのが嫌なのだと、メイローズを通じて伝言を貰った。記憶を取り戻して〈狂王〉に戻ったはずだが、そういう気配りの細やかさは、かつて一緒に旅したシウリンのままだとアルベラは思う。
左右には、元老院の諸侯と〈禁苑〉の聖職者が連なる。アデライードの母方の親戚であるヴェスタ侯爵、ユリウスの姻戚のエイロニア侯爵。反対側には病み上がりのフェルネル侯爵とラルー侯爵、そしてシルキオス伯爵。シルキオス伯爵が妙にニヤニヤしているのが不愉快だったが、アリオス家のパウロスがいなくて、アルベラは少しだけホッとする。あとはゲルギオス神官にジュルチ僧正、ルーラ認証官。それから東側の代表として、トルフィンと、四十前くらいの誠実そうな文官。
アルベラはゆっくりと、正面を見据えて歩いていく。
正面に座るアデライードは、この後、続けて行われる戴冠式に備え、この前よりも豪華な盛装に身を包んでいた。装飾用の垂れ袖のついた貝紫色の長衣は、アデライードにしては珍しく、巻き付け式ではないナキア風のもの。背中側で編み上げているのか、ほっそりした身体のラインがはっきり出ていた。銀の糸で刺繍を散らし、腰には真珠を連ねた飾り帯を垂らして、足元に垂れる先端には、白金で作られた陰陽の意匠。細い肩には白貂の毛皮を裏打ちして純白のマントを羽織り、大きく開いた長衣の胸元に、真珠を連ねたマント留めが垂れる。白金色のうねった長い髪は耳の上を編み込みしに、額にはやはり真珠をあしらった繊細なヘッドドレスをつけている。頭頂付近に小さな髷が結われているのはは、ここに小さな冠を戴く予定なのだろう。陶器の人形のように滑らかな白い頬に、大きな翡翠色の瞳。女のアルベラでも息を飲んでしまう美しさだ。何より、彼女の周囲を取り巻く銀の〈王気〉の神々しさに、アルベラは圧倒される。――もうこの〈王気〉だけで、彼女以外の女王などあり得ないと思わせるほどの輝き。足元の子獅子までもが彼女の正統性を証明する、神聖な小道具のように行儀よく座っている。
アルベラは少し緊張しながらも、まっすぐに姿勢を正し、アデライードの方に進んでいく。アルベラが近づくと、座っていたレイノークス伯ユリウスが敬意を表するために立ち上がった。――一応は王女だと、認めてはくれているらしい。
アルベラは紺色の天鵞絨の長衣の裾を捌いて、アデライードの正面で腰を落とす。スカートを持ち上げるようにして、優雅に礼をすると、そのまま正面に立った。
「アライア女王の娘、アルベラです。本日は謁見をお許しいただき、ありがとうございます」
「アデライードです。これまで体調が整わず、失礼を致しました。……どうぞ、お座りになって」
ずっと女王教育を受けてきたアルベラからすると、アデライードの態度は下手に出過ぎていると思うが、修道院暮らしの長い彼女が、急に女王らしく振る舞うなんて、無理なことなのだろう。ほっそりと嫋やかで折れそうで、人に命令を下しそうな風情にも見えない。隅に控えていた小宦官が椅子を運んできて、アルベラはそれに座ることが許された。
「……あなたのご一族のこと、大変、残念に思います」
アデライードに言われ、アルベラは頭を下げる。アルベラの一族こそ、アデライードの家族に酷いことをしてきたのだが、おそらくは罪もない姉や従姉妹たちのことを言っているのだと、思うことにした。アルベラは顔をあげ、まっすぐにアデライードを見た。
「まず、本日、わたくしは女王家の者としての、継承権の放棄を宣言したいと思い、この場を設けていただきました。わたくしは陛下の即位を支持し、この長らえた命のある限り、陛下に忠誠を尽くすことを誓います」
はっきりした宣言に、世俗派らしき諸侯から溜息が漏れた。
「もし、お許しいただけますならば、陛下の足下に拝礼いたしたく存じます」
アデライードはアルベラの言葉に少しだけ目を見開き、それからちらりと兄を見た。兄のユリウスが無表情で頷くのを確認して、それからアデライードはアルベラに頷いて見せる。
――たしかに、これは頼りないわ……。
それでも、この姫でなければ女王の結界は修復できなかった。もはやこれを戴くしかないのだ。アルベラは立ち上がると、数歩、アデライードの方に歩みよる。子獅子のジブリールは、これから行われることがわかったのか、すっと立ち上がって場所を空ける。その空いた膝元にアルベラが片膝をついて座り、アデライードの顔をまっすぐに見上げた。アデライードも、アルベラをじっと見つめている。アルベラは長衣の裾から出た、金のサンダルを履いた白い足に押し戴くように触れる。ピリっと、〈王気〉がアルベラに流れ込む。
ほとんど試みたこともないけれど、これだけの魔力がある相手なら、念話も可能ではないかと、アルベラは思った。
《イフリート家の、記憶を受け継いでいるの。今、伝えても――?》
《記憶――?》
アデライードの瞳が最大限に大きくなる。
《……どうぞ、一気に送り込めますか?》
触れた足先を通じて、アデライードの思念も流れ込んできて、アルベラはごくりと生唾を飲み込む。
《やったことはないけど、たぶん――》
アルベラはその足の指先に口づけし、そこからイフリート家の記憶を流し込んだ。
戴冠式の行われる大広間から、少し離れた女王の公式な謁見の間に、アルベラは向かっていた。これまで、女王の代理として謁見を受けたことはある。だが女王に謁見を申し出るのは初めてのこと。改めて、立場の違いを実感させられる。
この謁見でアルベラは継承権の放棄を申し出る。
現状、女王家の姫はアデライードとアルベラと、二人しかいない。彼女たちの祖母ゼナイダ女王の妹王女が、子を生むことなく世を去ったのは十年以上昔のこと。滅びゆく女王家を間近に見ながら、元老院もナキアの諸侯も、何ら有効な手を打ってこなかった。
アルベラは廊下に歩哨として居並ぶ、東の騎士たちを横目に見ながら思う。
陰と陽の調和こそがこの世界の平和の源。世界の片側を担う女王家が衰退するままに放置した女王国に対し、帝国が二千年の伝統を破って、その継承に介入するのも当然だ。――陰の王家が滅びれば、陽の皇家もいずれは滅びるのだから。
メイローズの先導によって廊下を進んでいくと、見慣れた扉の前に立つ、黒髪の偉丈夫と目があった。簡易の鎧をつけた豪奢な戎服を纏った男は、黒い瞳を少しだけやわらげて、アルベラに微かに目礼する。
「ゾーイさん……!」
「お元気そうで何よりです」
人の目があるため、彼の言葉遣いは丁寧だ。旅の間、ずっとアルベラを気遣い守ってくれた彼が、今日も近くに控えてくれると知り、アルベラはホッとする。――自分でも気づかないうちに、ずいぶん緊張していたのだ。
アルベラの目の前で、扉が重々しく開かれていく。寄木細工の美しい床の上に、赤い絨毯が一筋、奥へとアルベラを導くように続く。アルベラは、ゆっくりと顔を上げた。
謁見の間の、中央の椅子にはアデライードが座り、その足元には彼女を守るように、白い子獅子が端然と座っている。背後に騎士が三人。うち二人はランパとフエルだった。アデライードの右手側の椅子には、長いまっすぐなダークブロンドの若い男。――アデライードの異母兄、レイノークス辺境伯ユリウス。
――〈王気〉が出現して龍種と認められたアルベラと、皇帝は対面することができない。シウリンはそれを理由に、公式な謁見を最後まで渋ったと聞いている。アルベラを警戒したのではなく、アデライードの安全を自身で守れないのが嫌なのだと、メイローズを通じて伝言を貰った。記憶を取り戻して〈狂王〉に戻ったはずだが、そういう気配りの細やかさは、かつて一緒に旅したシウリンのままだとアルベラは思う。
左右には、元老院の諸侯と〈禁苑〉の聖職者が連なる。アデライードの母方の親戚であるヴェスタ侯爵、ユリウスの姻戚のエイロニア侯爵。反対側には病み上がりのフェルネル侯爵とラルー侯爵、そしてシルキオス伯爵。シルキオス伯爵が妙にニヤニヤしているのが不愉快だったが、アリオス家のパウロスがいなくて、アルベラは少しだけホッとする。あとはゲルギオス神官にジュルチ僧正、ルーラ認証官。それから東側の代表として、トルフィンと、四十前くらいの誠実そうな文官。
アルベラはゆっくりと、正面を見据えて歩いていく。
正面に座るアデライードは、この後、続けて行われる戴冠式に備え、この前よりも豪華な盛装に身を包んでいた。装飾用の垂れ袖のついた貝紫色の長衣は、アデライードにしては珍しく、巻き付け式ではないナキア風のもの。背中側で編み上げているのか、ほっそりした身体のラインがはっきり出ていた。銀の糸で刺繍を散らし、腰には真珠を連ねた飾り帯を垂らして、足元に垂れる先端には、白金で作られた陰陽の意匠。細い肩には白貂の毛皮を裏打ちして純白のマントを羽織り、大きく開いた長衣の胸元に、真珠を連ねたマント留めが垂れる。白金色のうねった長い髪は耳の上を編み込みしに、額にはやはり真珠をあしらった繊細なヘッドドレスをつけている。頭頂付近に小さな髷が結われているのはは、ここに小さな冠を戴く予定なのだろう。陶器の人形のように滑らかな白い頬に、大きな翡翠色の瞳。女のアルベラでも息を飲んでしまう美しさだ。何より、彼女の周囲を取り巻く銀の〈王気〉の神々しさに、アルベラは圧倒される。――もうこの〈王気〉だけで、彼女以外の女王などあり得ないと思わせるほどの輝き。足元の子獅子までもが彼女の正統性を証明する、神聖な小道具のように行儀よく座っている。
アルベラは少し緊張しながらも、まっすぐに姿勢を正し、アデライードの方に進んでいく。アルベラが近づくと、座っていたレイノークス伯ユリウスが敬意を表するために立ち上がった。――一応は王女だと、認めてはくれているらしい。
アルベラは紺色の天鵞絨の長衣の裾を捌いて、アデライードの正面で腰を落とす。スカートを持ち上げるようにして、優雅に礼をすると、そのまま正面に立った。
「アライア女王の娘、アルベラです。本日は謁見をお許しいただき、ありがとうございます」
「アデライードです。これまで体調が整わず、失礼を致しました。……どうぞ、お座りになって」
ずっと女王教育を受けてきたアルベラからすると、アデライードの態度は下手に出過ぎていると思うが、修道院暮らしの長い彼女が、急に女王らしく振る舞うなんて、無理なことなのだろう。ほっそりと嫋やかで折れそうで、人に命令を下しそうな風情にも見えない。隅に控えていた小宦官が椅子を運んできて、アルベラはそれに座ることが許された。
「……あなたのご一族のこと、大変、残念に思います」
アデライードに言われ、アルベラは頭を下げる。アルベラの一族こそ、アデライードの家族に酷いことをしてきたのだが、おそらくは罪もない姉や従姉妹たちのことを言っているのだと、思うことにした。アルベラは顔をあげ、まっすぐにアデライードを見た。
「まず、本日、わたくしは女王家の者としての、継承権の放棄を宣言したいと思い、この場を設けていただきました。わたくしは陛下の即位を支持し、この長らえた命のある限り、陛下に忠誠を尽くすことを誓います」
はっきりした宣言に、世俗派らしき諸侯から溜息が漏れた。
「もし、お許しいただけますならば、陛下の足下に拝礼いたしたく存じます」
アデライードはアルベラの言葉に少しだけ目を見開き、それからちらりと兄を見た。兄のユリウスが無表情で頷くのを確認して、それからアデライードはアルベラに頷いて見せる。
――たしかに、これは頼りないわ……。
それでも、この姫でなければ女王の結界は修復できなかった。もはやこれを戴くしかないのだ。アルベラは立ち上がると、数歩、アデライードの方に歩みよる。子獅子のジブリールは、これから行われることがわかったのか、すっと立ち上がって場所を空ける。その空いた膝元にアルベラが片膝をついて座り、アデライードの顔をまっすぐに見上げた。アデライードも、アルベラをじっと見つめている。アルベラは長衣の裾から出た、金のサンダルを履いた白い足に押し戴くように触れる。ピリっと、〈王気〉がアルベラに流れ込む。
ほとんど試みたこともないけれど、これだけの魔力がある相手なら、念話も可能ではないかと、アルベラは思った。
《イフリート家の、記憶を受け継いでいるの。今、伝えても――?》
《記憶――?》
アデライードの瞳が最大限に大きくなる。
《……どうぞ、一気に送り込めますか?》
触れた足先を通じて、アデライードの思念も流れ込んできて、アルベラはごくりと生唾を飲み込む。
《やったことはないけど、たぶん――》
アルベラはその足の指先に口づけし、そこからイフリート家の記憶を流し込んだ。
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