上 下
184 / 236
16、まだ見ぬ地へ

謁見

しおりを挟む
 年が明けた。便宜的に太陽暦を採用しているが、祭祀や年中行事は太陰暦を重視する女王国において、太陽暦の新年はそれほどは重視されない。だが一つの区切りではあるので、新年を機に戴冠式を挙行することになった。

 戴冠式の行われる大広間から、少し離れた女王の公式な謁見の間に、アルベラは向かっていた。これまで、女王の謁見を受けたことはある。だが謁見を申し出るのは初めてのこと。改めて、立場の違いを実感させられる。

 この謁見でアルベラは継承権の放棄を申し出る。

 現状、女王家の姫はアデライードとアルベラと、二人しかいない。彼女たちの祖母ゼナイダ女王の妹王女が、子を生むことなく世を去ったのは十年以上昔のこと。滅びゆく女王家を間近に見ながら、元老院もナキアの諸侯も、何ら有効な手を打ってこなかった。

 アルベラは廊下に歩哨として居並ぶ、東の騎士たちを横目に見ながら思う。
 
 陰と陽の調和こそがこの世界の平和の源。世界の片側を担う女王家が衰退するままに放置した女王国に対し、帝国が二千年の伝統を破って、その継承に介入するのも当然だ。――陰の王家が滅びれば、陽の皇家もいずれは滅びるのだから。

 メイローズの先導によって廊下を進んでいくと、見慣れた扉の前に立つ、黒髪の偉丈夫と目があった。簡易の鎧をつけた豪奢な戎服を纏った男は、黒い瞳を少しだけやわらげて、アルベラに微かに目礼する。

「ゾーイさん……!」
「お元気そうで何よりです」

 人の目があるため、彼の言葉遣いは丁寧だ。旅の間、ずっとアルベラを気遣い守ってくれた彼が、今日も近くに控えてくれると知り、アルベラはホッとする。――自分でも気づかないうちに、ずいぶん緊張していたのだ。

 アルベラの目の前で、扉が重々しく開かれていく。寄木細工の美しい床の上に、赤い絨毯が一筋、奥へとアルベラを導くように続く。アルベラは、ゆっくりと顔を上げた。






 謁見の間の、中央の椅子にはアデライードが座り、その足元には彼女を守るように、白い子獅子が端然と座っている。背後に騎士が三人。うち二人はランパとフエルだった。アデライードの右手側の椅子には、長いまっすぐなダークブロンドの若い男。――アデライードの異母兄、レイノークス辺境伯ユリウス。

 ――〈王気〉が出現して龍種と認められたアルベラと、皇帝は対面することができない。シウリンはそれを理由に、公式な謁見を最後まで渋ったと聞いている。アルベラを警戒したのではなく、アデライードの安全を自身で守れないのが嫌なのだと、メイローズを通じて伝言を貰った。記憶を取り戻して〈狂王〉に戻ったはずだが、そういう気配りの細やかさは、かつて一緒に旅したシウリンのままだとアルベラは思う。

 左右には、元老院の諸侯と〈禁苑〉の聖職者が連なる。アデライードの母方の親戚であるヴェスタ侯爵、ユリウスの姻戚のエイロニア侯爵。反対側には病み上がりのフェルネル侯爵とラルー侯爵、そしてシルキオス伯爵。シルキオス伯爵が妙にニヤニヤしているのが不愉快だったが、アリオス家のパウロスがいなくて、アルベラは少しだけホッとする。あとはゲルギオス神官にジュルチ僧正、ルーラ認証官。それから東側の代表として、トルフィンと、四十前くらいの誠実そうな文官。

 アルベラはゆっくりと、正面を見据えて歩いていく。

 正面に座るアデライードは、この後、続けて行われる戴冠式に備え、この前よりも豪華な盛装に身を包んでいた。装飾用の垂れ袖のついた貝紫色の長衣は、アデライードにしては珍しく、巻き付け式ではないナキア風のもの。背中側で編み上げているのか、ほっそりした身体のラインがはっきり出ていた。銀の糸で刺繍を散らし、腰には真珠を連ねた飾り帯を垂らして、足元に垂れる先端には、白金で作られた陰陽の意匠。細い肩には白貂の毛皮を裏打ちして純白のマントを羽織り、大きく開いた長衣の胸元に、真珠を連ねたマント留めが垂れる。白金色のうねった長い髪は耳の上を編み込みしに、額にはやはり真珠をあしらった繊細なヘッドドレスをつけている。頭頂付近に小さな髷が結われているのはは、ここに小さな冠を戴く予定なのだろう。陶器の人形のように滑らかな白い頬に、大きな翡翠色の瞳。女のアルベラでも息を飲んでしまう美しさだ。何より、彼女の周囲を取り巻く銀の〈王気〉の神々しさに、アルベラは圧倒される。――もうこの〈王気〉だけで、彼女以外の女王などあり得ないと思わせるほどの輝き。足元の子獅子までもが彼女の正統性を証明する、神聖な小道具のように行儀よく座っている。

 アルベラは少し緊張しながらも、まっすぐに姿勢を正し、アデライードの方に進んでいく。アルベラが近づくと、座っていたレイノークス伯ユリウスが敬意を表するために立ち上がった。――一応は王女だと、認めてはくれているらしい。

 アルベラは紺色の天鵞絨の長衣の裾を捌いて、アデライードの正面で腰を落とす。スカートを持ち上げるようにして、優雅に礼をすると、そのまま正面に立った。

「アライア女王の娘、アルベラです。本日は謁見をお許しいただき、ありがとうございます」
「アデライードです。これまで体調が整わず、失礼を致しました。……どうぞ、お座りになって」

 ずっと女王教育を受けてきたアルベラからすると、アデライードの態度は下手に出過ぎていると思うが、修道院暮らしの長い彼女が、急に女王らしく振る舞うなんて、無理なことなのだろう。ほっそりと嫋やかで折れそうで、人に命令を下しそうな風情にも見えない。隅に控えていた小宦官が椅子を運んできて、アルベラはそれに座ることが許された。

「……あなたのご一族のこと、大変、残念に思います」

 アデライードに言われ、アルベラは頭を下げる。アルベラの一族こそ、アデライードの家族に酷いことをしてきたのだが、おそらくは罪もない姉や従姉妹たちのことを言っているのだと、思うことにした。アルベラは顔をあげ、まっすぐにアデライードを見た。

「まず、本日、わたくしは女王家の者としての、継承権の放棄を宣言したいと思い、この場を設けていただきました。わたくしは陛下の即位を支持し、この長らえた命のある限り、陛下に忠誠を尽くすことを誓います」

 はっきりした宣言に、世俗派らしき諸侯から溜息が漏れた。

「もし、お許しいただけますならば、陛下の足下に拝礼いたしたく存じます」

 アデライードはアルベラの言葉に少しだけ目を見開き、それからちらりと兄を見た。兄のユリウスが無表情で頷くのを確認して、それからアデライードはアルベラに頷いて見せる。
 
 ――たしかに、これは頼りないわ……。

 それでも、この姫でなければ女王の結界は修復できなかった。もはやこれを戴くしかないのだ。アルベラは立ち上がると、数歩、アデライードの方に歩みよる。子獅子のジブリールは、これから行われることがわかったのか、すっと立ち上がって場所を空ける。その空いた膝元にアルベラが片膝をついて座り、アデライードの顔をまっすぐに見上げた。アデライードも、アルベラをじっと見つめている。アルベラは長衣の裾から出た、金のサンダルを履いた白い足に押し戴くように触れる。ピリっと、〈王気〉がアルベラに流れ込む。

 ほとんど試みたこともないけれど、これだけの魔力がある相手なら、念話も可能ではないかと、アルベラは思った。

《イフリート家の、記憶を受け継いでいるの。今、伝えても――?》
《記憶――?》

 アデライードの瞳が最大限に大きくなる。

《……どうぞ、一気に送り込めますか?》

 触れた足先を通じて、アデライードの思念も流れ込んできて、アルベラはごくりと生唾を飲み込む。

《やったことはないけど、たぶん――》

 アルベラはその足の指先に口づけし、そこからイフリート家の記憶を流し込んだ。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

魔術師セナリアンの憂いごと

野村にれ
ファンタジー
エメラルダ王国。優秀な魔術師が多く、大陸から少し離れた場所にある島国である。 偉大なる魔術師であったシャーロット・マクレガーが災い、争いを防ぎ、魔力による弊害を律し、国の礎を作ったとされている。 シャーロットは王家に忠誠を、王家はシャーロットに忠誠を誓い、この国は栄えていった。 現在は魔力が無い者でも、生活や移動するのに便利な魔道具もあり、移住したい国でも挙げられるほどになった。 ルージエ侯爵家の次女・セナリアンは恵まれた人生だと多くの人は言うだろう。 公爵家に嫁ぎ、あまり表舞台に出る質では無かったが、経営や商品開発にも尽力した。 魔術師としても優秀であったようだが、それはただの一端でしかなかったことは、没後に判明することになる。 厄介ごとに溜息を付き、憂鬱だと文句を言いながら、日々生きていたことをほとんど知ることのないままである。

短編まとめ

あるのーる
BL
大体10000字前後で完結する話のまとめです。こちらは比較的明るめな話をまとめています。 基本的には1タイトル(題名付き傾向~(完)の付いた話まで)で区切られていますが、同じ系統で別の話があったり続きがあったりもします。その為更新順と並び順が違う場合やあまりに話数が増えたら別作品にまとめなおす可能性があります。よろしくお願いします。

皆さん、覚悟してくださいね?

柚木ゆず
恋愛
 わたしをイジメて、泣く姿を愉しんでいた皆さんへ。  さきほど偶然前世の記憶が蘇り、何もできずに怯えているわたしは居なくなったんですよ。  ……覚悟してね? これから『あたし』がたっぷり、お礼をさせてもらうから。  ※体調不良の影響でお返事ができないため、日曜日ごろ(24日ごろ)まで感想欄を閉じております。

BL r-18 短編つめ 無理矢理・バッドエンド多め

白川いより
BL
無理矢理、かわいそう系多いです(´・ω・)

ヒーローは洗脳されました

桜羽根ねね
BL
悪の組織ブレイウォーシュと戦う、ヒーロー戦隊インクリネイト。 殺生を好まないヒーローは、これまで数々のヴィランを撃退してきた。だが、とある戦いの中でヒーロー全員が連れ去られてしまう。果たして彼等の行く末は──。 洗脳という名前を借りた、らぶざまエロコメです♡悲壮感ゼロ、モブレゼロなハッピーストーリー。 何でも美味しく食べる方向けです!

初めてなのに中イキの仕方を教え込まれる話

Laxia
BL
恋人との初めてのセックスで、媚薬を使われて中イキを教え混まれる話です。らぶらぶです。今回は1話完結ではなく、何話か連載します! R-18の長編BLも書いてますので、そちらも見て頂けるとめちゃくちゃ嬉しいですしやる気が増し増しになります!!

旦那様と楽しい子作り♡

山海 光
BL
人と妖が共に暮らす世界。 主人公、嫋(たお)は生贄のような形で妖と結婚することになった。 相手は妖たちを纏める立場であり、子を産むことが望まれる。 しかし嫋は男であり、子を産むことなどできない。 妖と親しくなる中でそれを明かしたところ、「一時的に女になる仙薬がある」と言われ、流れるままに彼との子供を作ってしまう。 (長編として投稿することにしました!「大鷲婚姻譚」とかそれっぽいタイトルで投稿します) ─── やおい!(やまなし、おちなし、いみなし) 注意⚠️ ♡喘ぎ、濁点喘ぎ 受け(男)がTSした体(女体)で行うセックス 孕ませ 軽度の淫語 子宮姦 塗れ場9.8割 試験的にpixiv、ムーンライトノベルズにも掲載してます。

悪役の俺だけど性的な目で見られています…(震)

彩ノ華
BL
悪役に転生した主人公が周りから性的な(エロい)目で見られる話 *ゆるゆる更新 *素人作品 *頭空っぽにして楽しんでください ⚠︎︎エロにもちょいエロでも→*をつけます!

処理中です...