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16、まだ見ぬ地へ

決定

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 ずいぶんと長い口づけだった。――わずかに身近に控えていたメイローズだけが、二人が〈王気〉を通じて何かをやり取りしたのだと、気づいた。アデライードは膝の上で組んだ両手をぐっと握りしめ、しばらく目を固く閉じていた。凝縮した記憶を一気に流し込み、アルベラが身体を起こすと、目の前のアデライードの瞳が、涙で潤んでいた。しばし、見つめあってから、アルベラは後ずさるように下がって、元の椅子にかける。

「……ありがとう。あなたのお気持ち、お受けいたします」

 アデライードはそう言って、それからユリウスを見た。ユリウスがアルベラをまっすぐに見る。

「我が妹は長い話をするのに慣れていないから、私が代わりに伝える。――あなたの、今後のことについてだ。あなたは銀の龍種の一人として、その血を継いでいく義務を負っている。だから、一族と運命を共にせず、女王に忠誠を尽くして欲しい。あなたは〈王気〉が現れたとはいえ、非常に微弱だ。おそらく、西の貴種の魔力では、あなたに銀の龍種を産ませられるか、はなはだ心許ない。それゆえ、あなたの結婚相手は東の貴種から選ぶ。――これは皇帝陛下並びに〈禁苑〉の決定だ」

 ユリウスの言葉に、当のアルベラからではなく、世俗派の貴族たちから反発の声が上がった。

「何だと! どういうことだ! 西の王女は〈聖婚〉以外では、西の貴種に嫁ぐことに決まっている! 二千年の伝統を破るのか!」
「我々から姫君を奪うというのか!」
「横暴だ!」

 ガヤガヤと騒ぐ西の貴族たちに、アデライードがちらりと冷ややかな視線を向ける。反発を予測していたユリウスが、ちゃらい外見にそぐわない低い声で窘める。

「静粛に!――これは帝国からの、我々西の貴種に対する、懲罰の意も込められている」

 懲罰、という言葉に諸侯たちが息を飲む。

「この三百年にわたり、イフリート家の専横を許し、女王家を衰退させるままに置いた、我らに対する罰として、アルベラ姫は帝都へとお移りいただく」
「何だと!」

 それにはアルベラも驚いて、翡翠色の瞳を見開いて、ユリウスと、それからアデライードを見た。アデライードは些か気まずそうに睫毛を伏せる。

「帝都において然るべき相手を選び、婚姻を行い、銀の龍種を産んでいただく。生まれた銀の龍種が成長した暁には、アルベラ姫もともに、再びナキアにお戻しくださるとのことだ」
「わたしが――帝都に……」

 呆然と呟くアルベラの姿に、西の貴族だけでなく、聖職者も、東の騎士たちも同情の視線を向ける。
 この場で、昨夜皇帝が密かに下した決定を知っているのは、メイローズと太傅のゲル、少傅のゾーイのみ。シウリンはアデライードにすら、賢親王の要求を伝えてはいなかった。――どのみち、アルベラは帝都に移される。その後の処遇についてまで、明らかにしても混乱を煽るだけだ。

「その……こちらにはいつか、戻ってこられるのですか?」

 ユリウスに尋ねるアルベラに、ユリウスが曖昧に頷く。

「そう、聞いています。婚姻の相手については、現在選定中だとだけ」
 
 なおも西の貴族たちは納得せず、壮年の男が立ち上がり、なんとアデライードに喰ってかかった。

「このような暴挙をお許しになるのか、女王陛下! 我が国の姫が、他国の男に汚されようとしているのですぞ! 女王家のみならず、女王国全体の恥だ!」
「そうだ! 女王陛下はこれでは皇帝の操り人形も同じだ! むしろアルベラ姫こそ――」

 その瞬間、アデライードの玉座の周囲に白い光の魔法陣が浮かび上がり、ざわめく貴族たちを一斉に吹き飛ばした。

 アルベラがはっとしてアデライードを見る。アデライードの魔法はアルベラには及ばず、ただ、西の貴族たちだけが、地面に尻や膝をついて茫然としている。魔法陣の中心で、アデライードが立ち上がり、彼らを醒めた目で見た。アデライードを庇うように、白い子獅子が西の貴族たちに威嚇して毛を逆立てている。

「――母が、ギュスターブの邸に囚われたとき、誰も母を救おうとはしてくださらなかった。ギュスターブと帝国と、何が違うというのでしょうか」
 
 シン……とその場が静まりかえる。ユリウスもまた、立ち上がり、さきほどアデライードに喰ってかかった男を見据える。

「ラルー侯爵、あの時、僕はあなたの邸まで出向いて、ユウラ様の救出に手を貸して欲しいとお願いした。それを、けんもほろろに断ったこと、僕は一生忘れませんよ。――別に、アルベラを帝国に差し出して意趣返しをしようってんじゃない。でも、散々、自分たちが女王を踏みにじってきたことを、棚に上げるのはみっともないよ」
「それは――」

 アデライードが、まっすぐにアルベラを見つめ、言った。

「帝国は、夏至の前後に起きた叛乱の背後に、イフリート公爵の息がかかっていたことを、問題にしています。叛乱の首謀者である廃太子の下で、イフリート家の魔術師が扇動していたのは確かなようで、証拠もあります」

 アルベラがはっとして、思わず俯く。その後の言葉は、ユリウスが引き継いだ。

「まず、相互不干渉が原則の二国間の信頼関係を、酷く損なうものであり、あちら側の受けた損害の補償を要求されています。具体的には、あちらの皇子が十人以上、被害に遭い、また十二貴嬪家の当主の半ば近くが命を落としています。その損害を金銭で償えば、国庫を根こそぎさらっても、支払い切れない額になる。始祖女王以来の取り決めにより、領土割譲は許されない。――アルベラ姫を人質に差し出せば、その賠償に換えてくれると言うのです。ラルー侯爵はアルベラ姫のために、家財を差し出しますか? 到底、足りないと思いますがね」

 ナキア侵攻を食い止めるために、イフリート公爵は暗部を帝国の中枢に潜り込ませ、帝都で叛乱を引き起こした。イフリート家の魔術師に唆された廃太子の乱により、皇帝・皇后が崩御し、多数の皇子が犠牲になっている。それでなくとも魔物の侵入に見舞われ、被害を受けた女王国に、それらを補償する余裕などない。それを、アルベラ一人の身柄で帳消しにしてくれるというのだから、もはや他の選択肢などないに等しい。――ラルー侯爵他の貴族たちも、沈黙した。

 ユリウスの言葉に、アルベラは迷うことなく言い切った。

「大丈夫です。わたし、行きます。わたしの身一つで国が償えるというなら、何でもないわ」
「ならば、あちらの受け入れ準備が整い次第、発っていただくことになります。皇帝陛下はあなたの要望には極力添いたいと仰せになっています」
「シリルを、連れて行っても――?」

 アルベラの言葉に、アデライードがほんのりと微笑んだ。

「確約はできませんが、わたしからもお願いしておきます」

 アデライードはすっと、醒めた視線で西の貴族たちを見回してから、ゆっくり踵を返した。
 アデライードとユリウスが退場し、その後を白い子獅子が追う。聖職者たちも戴冠式の会場に向かって移動をはじめ、西の貴族たちが、何とも言えない表情でアルベラを見て、きまり悪そうに一礼して去っていく。ランパとフエルがアルベラに近づいて頭を下げた。

「塔までの護衛を承っております」

 堅苦しいフエルの言い方に、思わずアルベラが笑った。

「ありがとう、お願いします」
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