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第5章 束の間の休息(5日目)
5ー12 平穏
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部屋を出たのは23時18分。
誰もいない薄暗い館内を急ぎ足で通り抜け、閉じ込められた最初にラケーシュとガーラヴが殺された玄関横のプレートにキーをかざす。ランプは緑色に変わり無事扉が開く。
目の前の人影にぎょっとした。
「バーラムだ。5日目脱出権を行使する」
「わたしも」
シャキーラは答えた。
玄関の外にはシュルティやサントーシュの話と同じ光景があった。
細長いテーブルの上に乳白色のプラスチックケースがあり、中のリストウォッチとイヤホンを装着するよう指示が貼ってある。
『リストウォッチとイヤホンは敷地を出る際回収箱に返却してください』
5日目脱出権を持つ人間は3人だとPCに表示された。
そのため少し待ったが半になっても誰も現れなかったためふたりで進んだ。
すぐに高い塀に行き着く。扉横にあったという貼り紙もルクミニー先生が殺されたという木の箱もなかった。バーラムがキープレートを解除し、
「おれが試す」
と扉から手を腕をと少しずつ出し、向こうへ抜け少ししてから、
「OKだ」
とシャキーラを手招きした。
車二台行き合うのにぎりぎりの幅の下り坂はすぐにカーブして建物方面からの光が届かなくなった。左右には森のように木々が広がるようだが漆黒の世界は歩くのもおぼつかない。ライトモードのリストウォッチで進む先の地面を照らし肩を寄せ合うようにシャキーラたちは土の道を下った。
道に車の跡が残る。物資搬入などに使っているのだろうか。
久しぶりに出た外界の空気は冷んやりと心地よく、何よりも新鮮だ。木々のざわめきも耳に優しい。時に鼻腔をくすぐる乾いた土の匂いも健康的だ。
(やっぱり庭園好きだな)
家族旅行で行ったイギリスの庭園は印象的だった。その後配信でハリー・ポッターを見たがその中の庭にも目に止まった。
クラスの多くの子たちは目指す進路、少なくとも学部は決めているがシャキーラはまだ迷っている。庭園には興味があるが大学で学ぶとなると環境デザイン系で下手したら土木寄りだ。シャキーラの数学や物理の成績はルクミニー先生が困り顔をするレベルで、何より好きではない。
母は昔大学で生物学、それも植物を扱った人なのでそちらを勧めるがシャキーラは木々や草々を研究したくはない。綺麗だなあと感心していたいのだ。
または、将来は商人と結婚するだろうから少しでも夫を理解し、家計を切り盛りする足しにもお金のことを学ぼうとも思うが、経済学と経営学とどちらがいいのだろうか。どちらにも数学が必要なのがまた悩ましい。
小さい頃は保育園や幼稚園の先生になりたかったが、あれは毎日子どもたちに追われ大変らしいので止めた。
大変でない仕事などないというが、シャキーラは変わらぬ日々を穏やかに暮らしたい。
『学ぶことはイスラムの女の勤めです』
母は言うがそれは自分が好きだからだろう。同じムスリムの女の義務ならシャキーラはいつ帰ってきてもくつろげる家庭を切り盛りする女主人、主婦として自分の力を尽くしたいと思う。
(今時、大学くらいは出てないとってのはそうだけどねえ)
強い興味があることもなりたい職業もないから進路に迷っている。
冒険嫌いなシャキーラが危険を承知しつつ5日目脱出権を行使したのは、毎日のようにクラスメートが惨殺されていくのが耐え難かったのも、死にたくないのもあったが、第一はナイナが話しているのを耳に入れたからだ。
『この「誘拐」で女子は結婚が不利になる』
十年生の時に誘拐されたとなれば普通人身売買を想像する。
リアル人狼ゲームで頭がおかしくなりそうな毎日だが、売春宿に売られふしだらなことを強いられるのとは違う。
なのに誤解を受け人生に傷が付くというのだ。
『こうなると学歴方向に振り切ったアディティとかの方が有利かも。ま、私は神様がいるから大丈夫だけどね』
ナイナのように可愛くてお金持ちで早くから親がいい縁談を持ってくる訳でもない。
アディティのように奨学金を受けられるほど優秀で将来資格を取って自分の腕で道を切り開ける強さもない。
縁談が来なくなったら自分は終わりだ!
「どうして出てきた」
だからバーラムにぼそっと聞かれた時、
「自分の将来のために」
と答えた。彼はよくわかっていないようだった。
「止まれ!」
右腕を伸ばしバーラムが行く手をさえぎった。木々の葉が重なったその向こうは穴?
「見るな」
見ない方がいい。と彼は言い直した。だがその時には足を進めリストウォッチの光を下に当てていた。
穴は深く深く下まで続き、底には人影がー
シャキーラはがくっとその場に座り込んだ。バーラムが隣にしゃがみ気遣わしにこちらを見ているのにも気付かなかった。
(……ミナだ)
シャキーラは会議室で処刑後に床が開いた下を何度か覗き込んだ。ついさっきもマリアが刃の山の上に落ちたのを見たばかりだ。
(同じだ)
ミナは昆虫標本のように底に仕掛けられた刃に串刺しになり、服の至る所が血で汚れていた。
一昨日の夜、3日目脱出権で建物を出ておそらくすぐ、ミナは落ちて死んで放置されていた。
「……」
立ち上がって森の方に寄ったバーラムがコットンパンツのベルトを外し、二、三度空で振るうと戻って来た。
「い……嫌……」
後ずさるのも地面に落ちていきそうで恐い。
バーラムはミナの落ちた穴の左側にずれベルトで繰り返し土を叩いた。
「これで落とし穴がないか確認出来る。お前は適当なものはないのか?」
まだ怯えたままのシャキーラを見てバーラムは森へ取って返し三十センチほどの、それこそハリー・ポッターの魔法の杖くらいの長さの枝を手にしてシャキーラへ渡してきた。
「こんなものしかない」
枝を折れば「破壊行為」で違反を取られるかもしれないから落ちているものを拾ったと説明する。
(そういうことか)
頬を赤らめて枝をもらう。
ミナの遺骸にそれぞれ祈りを捧げた後は左右に分かれて進むことになった。
「手に体重をかけるな」
ベルトを鞭のように叩きつけながら左を行くバーラムが注意する。
立ち上がるのも恐くシャキーラは這って進みだした。枝で進行方向を何度か叩き地面が固いのを確かめて尺取り虫のように進む。その時つい両腕に力を入れて体を支えてしまうのが危険だというのだ。
立って歩くバーラムの進みは速い。時折立ち止まって待ってくれているのが小さなリストウォッチの光でわかる。
「……はあ……はぁ……」
膝が笑い足はまともに動かせない。時々内股ががたがたと震える。擦る土で手が汚れ、休んで顔を擦った拍子に目に入って今度は涙も流れ出す。枝を持つ手にも力が入らない。
わずかでも動いたならそこに奈落が広がっていて串刺しにー仰向けのミナの遺骸、頭から落ちたマリア。コマラの悲鳴。
自分がいるこの小さな大地の外は八方全て穴のような気がする。
「バーラム。ひとりで行って」
小さな灯りに彼の足がぼんやり浮かんでいる。
「わたしもう動けない」
「恐いのはわかるが進んだ方がいい」
低い声が暗闇に響く。シャキーラは首を横に振る。
「部屋を出た時アディティに言ったの。必ず助けを呼んで来るからって。バーラム、わたしは駄目だからお願い」
「おれは何も言わなかった」
風が砂粒を動かした跡に涙が落ちる。
「ひとりでも外にたどり着けば助けが呼べるから。お願い」
わたしはこのままここで震えて石になる。
「一度先に行って様子を見てくる」
土を叩く音がして小さな光は進み、やがて遠ざかって見えなくなった。
シャキーラはぺたりと尻を地つけて空を仰いだ。
暗くのしかかる木々の影の向こう、数多くはないがいくつもの星が見えた。
鼻腔をくすぐる風と土の匂い。
(マリア。あなたが言った通りだ)
世界はとても美しい。死で回りを囲われていたとしても。
背の側に振り向いて首を動かすと月が見えた。
(この時間、ここに月ならーキブラがわかる!)
おおよそでもメッカの方向がわかれば心強い。
シャキーラはわたわた手足を擦って向きを変え、ロングカーディガンのポケットに突っ込んだミネラルウォーターの封を切ってお清めをした。続いて巻いていたドゥパタを固い地面に敷きサンダルを脱ぐとようやく立ち上がることが出来た。
布の下の大地を素足で、風を髪と頬に感じ取る。
夜の礼拝は就寝時刻前に部屋で済ませた。これは動けなくなった自分が最後に出来る人としての証だ。
美しい世界の闇の底、シャキーラはクルアーンの詞章を唱えた。
礼拝を終えてしばらくすると下からざっ、ざっと足音が聞こえてきた。警戒に身を固くする。
「シャキーラ! いるか?」
バーラムの声だ。
「ここっ!」
声は掠れて小さくしか出なかった。
「敷地の境まで行ってきた。おれが通った後なら安全に歩ける」
よければ、と腕を伸ばす。シャキーラはバーラムのシャツの腕を掴み後ろを通って坂を下った。途中一度、道の左寄りに穴があるのを見た。バーラムがベルトで探り当てて開けたそうだ。自分をはさんでシャキーラが穴と反対側になるよう彼は誘導する。
「多分、右にもある」
ミナの死んでいた穴は道の中央、これは左寄りだからどこか右にもということだろう。
そう長く歩かず、シャキーラの首元くらいの高さの門扉と左右に続く石の塀の場所にたどり着いた。大きな二枚扉の内側に貼られた紙にバーラムはライトを当てる。
『脱出権を行使したプレイヤーへ
ここが敷地境界です。
三時前後に回収箱のある方向からトラックが来ます。
荷台をこちらに向けて停まったなら、何も言わず、この目隠しをして中に入ってください。その後こちらで誘導し荷台から降りるところまで案内します。そこが解放地点です。
最後に、繰り返しての確認です。
脱出権の切り札を行使しこの敷地を出た時点で、ゲーム参加者としての権利と義務双方を失います 』
「今はー」
「〇時四十二分」
ウォッチを時計モードに戻して時刻を確認する。
「二時間以上か」
頷く。
「仮眠を取ろう」
「大丈夫かな。寝過ごしたりしない?」
「車が来ればわかるんじゃないか」
扉に向かって右、木々の下にある机の上にある乳白色のケースに回収箱との紙が貼ってありここにリストウォッチとイヤホンを返却とも書いてある。その横に車の跡がついた通路が続いていた。
偵察すると道を進んだバーラムはまもなく戻った。すぐの所に車を通す別の門扉があるそうだ。
「おれは眠る。そっちは好きなようにしろ」
バーラムは扉を背に座り込んだ。
「ええと、変な意味じゃないんだけど、わたし寒いの。防寒が足りなかったみたい。近くで寝てもいい?」
もうセーターの時期ではないとカーディガンだけでドゥパタ以外ショールも何も羽織ってこなかった。冬の深夜、外は予想外に冷える。
「本で読んだ。登山で遭難した時は固まって暖を取るそうだ」
了承ということなのだろう。
シャキーラはバーラムのすぐ隣に腰を下ろし門扉に寄りかかった。
「よければ使え」
ミネラルウォーターなどを包んで背に結んでいたショールを開きふわりと差し出してきた。
「Thanks」
震えはおさまった。膝を抱き目を閉じながらシャキーラは平穏はどこにあるのだろうと考えつつ眠りの世界に落ちていった。
誰もいない薄暗い館内を急ぎ足で通り抜け、閉じ込められた最初にラケーシュとガーラヴが殺された玄関横のプレートにキーをかざす。ランプは緑色に変わり無事扉が開く。
目の前の人影にぎょっとした。
「バーラムだ。5日目脱出権を行使する」
「わたしも」
シャキーラは答えた。
玄関の外にはシュルティやサントーシュの話と同じ光景があった。
細長いテーブルの上に乳白色のプラスチックケースがあり、中のリストウォッチとイヤホンを装着するよう指示が貼ってある。
『リストウォッチとイヤホンは敷地を出る際回収箱に返却してください』
5日目脱出権を持つ人間は3人だとPCに表示された。
そのため少し待ったが半になっても誰も現れなかったためふたりで進んだ。
すぐに高い塀に行き着く。扉横にあったという貼り紙もルクミニー先生が殺されたという木の箱もなかった。バーラムがキープレートを解除し、
「おれが試す」
と扉から手を腕をと少しずつ出し、向こうへ抜け少ししてから、
「OKだ」
とシャキーラを手招きした。
車二台行き合うのにぎりぎりの幅の下り坂はすぐにカーブして建物方面からの光が届かなくなった。左右には森のように木々が広がるようだが漆黒の世界は歩くのもおぼつかない。ライトモードのリストウォッチで進む先の地面を照らし肩を寄せ合うようにシャキーラたちは土の道を下った。
道に車の跡が残る。物資搬入などに使っているのだろうか。
久しぶりに出た外界の空気は冷んやりと心地よく、何よりも新鮮だ。木々のざわめきも耳に優しい。時に鼻腔をくすぐる乾いた土の匂いも健康的だ。
(やっぱり庭園好きだな)
家族旅行で行ったイギリスの庭園は印象的だった。その後配信でハリー・ポッターを見たがその中の庭にも目に止まった。
クラスの多くの子たちは目指す進路、少なくとも学部は決めているがシャキーラはまだ迷っている。庭園には興味があるが大学で学ぶとなると環境デザイン系で下手したら土木寄りだ。シャキーラの数学や物理の成績はルクミニー先生が困り顔をするレベルで、何より好きではない。
母は昔大学で生物学、それも植物を扱った人なのでそちらを勧めるがシャキーラは木々や草々を研究したくはない。綺麗だなあと感心していたいのだ。
または、将来は商人と結婚するだろうから少しでも夫を理解し、家計を切り盛りする足しにもお金のことを学ぼうとも思うが、経済学と経営学とどちらがいいのだろうか。どちらにも数学が必要なのがまた悩ましい。
小さい頃は保育園や幼稚園の先生になりたかったが、あれは毎日子どもたちに追われ大変らしいので止めた。
大変でない仕事などないというが、シャキーラは変わらぬ日々を穏やかに暮らしたい。
『学ぶことはイスラムの女の勤めです』
母は言うがそれは自分が好きだからだろう。同じムスリムの女の義務ならシャキーラはいつ帰ってきてもくつろげる家庭を切り盛りする女主人、主婦として自分の力を尽くしたいと思う。
(今時、大学くらいは出てないとってのはそうだけどねえ)
強い興味があることもなりたい職業もないから進路に迷っている。
冒険嫌いなシャキーラが危険を承知しつつ5日目脱出権を行使したのは、毎日のようにクラスメートが惨殺されていくのが耐え難かったのも、死にたくないのもあったが、第一はナイナが話しているのを耳に入れたからだ。
『この「誘拐」で女子は結婚が不利になる』
十年生の時に誘拐されたとなれば普通人身売買を想像する。
リアル人狼ゲームで頭がおかしくなりそうな毎日だが、売春宿に売られふしだらなことを強いられるのとは違う。
なのに誤解を受け人生に傷が付くというのだ。
『こうなると学歴方向に振り切ったアディティとかの方が有利かも。ま、私は神様がいるから大丈夫だけどね』
ナイナのように可愛くてお金持ちで早くから親がいい縁談を持ってくる訳でもない。
アディティのように奨学金を受けられるほど優秀で将来資格を取って自分の腕で道を切り開ける強さもない。
縁談が来なくなったら自分は終わりだ!
「どうして出てきた」
だからバーラムにぼそっと聞かれた時、
「自分の将来のために」
と答えた。彼はよくわかっていないようだった。
「止まれ!」
右腕を伸ばしバーラムが行く手をさえぎった。木々の葉が重なったその向こうは穴?
「見るな」
見ない方がいい。と彼は言い直した。だがその時には足を進めリストウォッチの光を下に当てていた。
穴は深く深く下まで続き、底には人影がー
シャキーラはがくっとその場に座り込んだ。バーラムが隣にしゃがみ気遣わしにこちらを見ているのにも気付かなかった。
(……ミナだ)
シャキーラは会議室で処刑後に床が開いた下を何度か覗き込んだ。ついさっきもマリアが刃の山の上に落ちたのを見たばかりだ。
(同じだ)
ミナは昆虫標本のように底に仕掛けられた刃に串刺しになり、服の至る所が血で汚れていた。
一昨日の夜、3日目脱出権で建物を出ておそらくすぐ、ミナは落ちて死んで放置されていた。
「……」
立ち上がって森の方に寄ったバーラムがコットンパンツのベルトを外し、二、三度空で振るうと戻って来た。
「い……嫌……」
後ずさるのも地面に落ちていきそうで恐い。
バーラムはミナの落ちた穴の左側にずれベルトで繰り返し土を叩いた。
「これで落とし穴がないか確認出来る。お前は適当なものはないのか?」
まだ怯えたままのシャキーラを見てバーラムは森へ取って返し三十センチほどの、それこそハリー・ポッターの魔法の杖くらいの長さの枝を手にしてシャキーラへ渡してきた。
「こんなものしかない」
枝を折れば「破壊行為」で違反を取られるかもしれないから落ちているものを拾ったと説明する。
(そういうことか)
頬を赤らめて枝をもらう。
ミナの遺骸にそれぞれ祈りを捧げた後は左右に分かれて進むことになった。
「手に体重をかけるな」
ベルトを鞭のように叩きつけながら左を行くバーラムが注意する。
立ち上がるのも恐くシャキーラは這って進みだした。枝で進行方向を何度か叩き地面が固いのを確かめて尺取り虫のように進む。その時つい両腕に力を入れて体を支えてしまうのが危険だというのだ。
立って歩くバーラムの進みは速い。時折立ち止まって待ってくれているのが小さなリストウォッチの光でわかる。
「……はあ……はぁ……」
膝が笑い足はまともに動かせない。時々内股ががたがたと震える。擦る土で手が汚れ、休んで顔を擦った拍子に目に入って今度は涙も流れ出す。枝を持つ手にも力が入らない。
わずかでも動いたならそこに奈落が広がっていて串刺しにー仰向けのミナの遺骸、頭から落ちたマリア。コマラの悲鳴。
自分がいるこの小さな大地の外は八方全て穴のような気がする。
「バーラム。ひとりで行って」
小さな灯りに彼の足がぼんやり浮かんでいる。
「わたしもう動けない」
「恐いのはわかるが進んだ方がいい」
低い声が暗闇に響く。シャキーラは首を横に振る。
「部屋を出た時アディティに言ったの。必ず助けを呼んで来るからって。バーラム、わたしは駄目だからお願い」
「おれは何も言わなかった」
風が砂粒を動かした跡に涙が落ちる。
「ひとりでも外にたどり着けば助けが呼べるから。お願い」
わたしはこのままここで震えて石になる。
「一度先に行って様子を見てくる」
土を叩く音がして小さな光は進み、やがて遠ざかって見えなくなった。
シャキーラはぺたりと尻を地つけて空を仰いだ。
暗くのしかかる木々の影の向こう、数多くはないがいくつもの星が見えた。
鼻腔をくすぐる風と土の匂い。
(マリア。あなたが言った通りだ)
世界はとても美しい。死で回りを囲われていたとしても。
背の側に振り向いて首を動かすと月が見えた。
(この時間、ここに月ならーキブラがわかる!)
おおよそでもメッカの方向がわかれば心強い。
シャキーラはわたわた手足を擦って向きを変え、ロングカーディガンのポケットに突っ込んだミネラルウォーターの封を切ってお清めをした。続いて巻いていたドゥパタを固い地面に敷きサンダルを脱ぐとようやく立ち上がることが出来た。
布の下の大地を素足で、風を髪と頬に感じ取る。
夜の礼拝は就寝時刻前に部屋で済ませた。これは動けなくなった自分が最後に出来る人としての証だ。
美しい世界の闇の底、シャキーラはクルアーンの詞章を唱えた。
礼拝を終えてしばらくすると下からざっ、ざっと足音が聞こえてきた。警戒に身を固くする。
「シャキーラ! いるか?」
バーラムの声だ。
「ここっ!」
声は掠れて小さくしか出なかった。
「敷地の境まで行ってきた。おれが通った後なら安全に歩ける」
よければ、と腕を伸ばす。シャキーラはバーラムのシャツの腕を掴み後ろを通って坂を下った。途中一度、道の左寄りに穴があるのを見た。バーラムがベルトで探り当てて開けたそうだ。自分をはさんでシャキーラが穴と反対側になるよう彼は誘導する。
「多分、右にもある」
ミナの死んでいた穴は道の中央、これは左寄りだからどこか右にもということだろう。
そう長く歩かず、シャキーラの首元くらいの高さの門扉と左右に続く石の塀の場所にたどり着いた。大きな二枚扉の内側に貼られた紙にバーラムはライトを当てる。
『脱出権を行使したプレイヤーへ
ここが敷地境界です。
三時前後に回収箱のある方向からトラックが来ます。
荷台をこちらに向けて停まったなら、何も言わず、この目隠しをして中に入ってください。その後こちらで誘導し荷台から降りるところまで案内します。そこが解放地点です。
最後に、繰り返しての確認です。
脱出権の切り札を行使しこの敷地を出た時点で、ゲーム参加者としての権利と義務双方を失います 』
「今はー」
「〇時四十二分」
ウォッチを時計モードに戻して時刻を確認する。
「二時間以上か」
頷く。
「仮眠を取ろう」
「大丈夫かな。寝過ごしたりしない?」
「車が来ればわかるんじゃないか」
扉に向かって右、木々の下にある机の上にある乳白色のケースに回収箱との紙が貼ってありここにリストウォッチとイヤホンを返却とも書いてある。その横に車の跡がついた通路が続いていた。
偵察すると道を進んだバーラムはまもなく戻った。すぐの所に車を通す別の門扉があるそうだ。
「おれは眠る。そっちは好きなようにしろ」
バーラムは扉を背に座り込んだ。
「ええと、変な意味じゃないんだけど、わたし寒いの。防寒が足りなかったみたい。近くで寝てもいい?」
もうセーターの時期ではないとカーディガンだけでドゥパタ以外ショールも何も羽織ってこなかった。冬の深夜、外は予想外に冷える。
「本で読んだ。登山で遭難した時は固まって暖を取るそうだ」
了承ということなのだろう。
シャキーラはバーラムのすぐ隣に腰を下ろし門扉に寄りかかった。
「よければ使え」
ミネラルウォーターなどを包んで背に結んでいたショールを開きふわりと差し出してきた。
「Thanks」
震えはおさまった。膝を抱き目を閉じながらシャキーラは平穏はどこにあるのだろうと考えつつ眠りの世界に落ちていった。
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