上 下
10 / 247
風のオーロラ

1 小さな刺客

しおりを挟む
 ノルドグレーン公国の首都ベステルオース、その目抜き通りとも言えるリンデスゴートンは宿や商店、出店が立ち並び、立錐りっすいの余地もないほどの人で埋め尽くされている。果物やハーブや焼けた肉の匂い、番犬や鶏の鳴き声、店先に並べた商品を喧伝する叫びや商談の声など、雑踏は生命力で横溢おういつしていた。
 人が集えばトラブルの数も増え、それに対応する治安維持隊や自警団の仕事量も増加の一途を辿たどっていた。今日もまた当たり前のように露店から支払いなしで宝飾品が消え、その消息を追ってノルドグレーン軍治安維持隊が大通りを駆け回っている。
 前日までと違う点はその人数で、たった一人の物取りに対して十五人以上の隊員が捜索に当たっていた。これは被害の大きさよりも治安維持隊の矜持きょうじに起因するもので、今日取り逃がせば切りよく十回目の捕縛失敗となるのだ。
「なんで今日に限って、見張りがこんなに多いのよ!」
 その小さな背格好の物取りは恐ろしく身が軽く、隊内一の健脚けんきゃくでさえも追いつくことができなかった。また戦いにも秀でており、目にも留まらぬ杖術じょうじゅつで屈強な男たちを叩きのめして逃げ去ったこともあったという。
 ベステルオース治安維持部隊のグリプ隊長は一計を案じ、あらかじめ大通りの要所に歩哨ほしょうや積み荷の牆壁しょうへきを配置しておくことで、物取りの逃走ルートを誘導する策を講じた。これが功を奏し、物取りは今まさに袋小路へと追い詰められつつある。
「こっちだ!」
「待て、逃げるな!」
 フード付きのストールをはためかせて逃げる物取りに兵士たちがわざとらしく叫ぶが、彼らはその先が行き止まりであることを知っている。左右にある建物は大規模な宿屋と酒場で、道の終わりではそれらを繋ぐ渡りろうの壁が立ちはだかっていた。
 進退きわまった物取りが振り返り、腰に下げた小さな鎚鉾メイスに手をかける。退路を塞ぐ五名の兵士たちは息を切らせつつ身構え、つかに手をかけたまま微動だにせずに道を阻む壁となった。
 このうち一人は、かつてこの物取りをあと一歩の所まで追い詰め、壁を蹴って飛び上がった小さな足に顔面を踏み台にされて屋根まで逃げられた、という過去を持っていた。
 またある一人は、すれ違いざま脇腹に鈍器の一撃を受けたのだが、その動きがまったく目で追えず、瞬時に眼前から消えたようだったことを鮮明に記憶している。
 かまびすしい街の喧騒を聞きながら、五対一のにらみ合いは続いている。その二つの勢力の有利な側に、さらなる協力者が現れた。
「盗人、お前に話がある」
 兵たちの背後から声をかけ、小さな物取りとの間に割って入ったのは、せぎすの中年の男だった。手の込んだ刺し縫いの上衣を着ており、兵士たちとは一線を画した地位にあることが見て取れる。
「私は内務省のフェーブロム事務官だ」
「……役人が何の用?」
「なんだ女か……まあ性別などどうでもよい。お前、仕事をする気はないか?」
 目深にかぶったフードの奥には、まだあどけない怪訝けげんな表情をした少女の顔があった。だが外見はいたいけな子供であっても、その小さな体に秘められた力で、これまで幾人もの兵士たちを屈服させてきたのだ。
「仕事って、……どういうこと」
「聞けば、そので大層な業前わざまえだそうじゃないか。その力を活かして仕事をひとつこなしたら、食うに困らんささやかな仕事と、家を用意してやろう。が住める程度の家をな」
「何でそれを知ってる?!」
 四人、と聞いた少女の形相が一変し、怒りに歯を剥いて鎚鉾を構えた。兵士たちも呼応して剣を抜くが、フェーブロム事務官が手を上げて制する。
「あまり大人を甘く見ないほうがいい。お前の住処すみかと家族など、とうにお見通しだ。とは言っても、子供らを人質に取ろうというのではないぞ」
「言ってることとやってることが逆じゃないの! あんたらはいつだって」
「そうかもな。……で、どうする? 毎日裏通りを転げ回って盗みで日銭ひぜにを稼ぐよりは、いくらかましな人生になるぞ」
「……もしも断ったら?」
「たかがコソドロでも、十回も重ねれば大した罪だ。それに子供三人の誘拐も加えれば五年や十年では済まぬだろうな。お前が捕まっている間、あるいは逃げたとしたら、あいつらはどうなる? ソレンスタム孤児院に戻るのかね?」
「卑怯者……あの子たちには手を出させない」
「こちらにもその気はない。仕事さえ引き受けてくれればな」
 少女はようやく鎚鉾を収め、兵たちもそれにならうが、不穏な空気はまだ払拭ふっしょくされていない。
「交渉とはこのように行うのだ。覚えておいて損はないぞ。それと、それほど条件の不釣り合いな提案とも思わんがな」
「余計なお世話よ、とっとと話を聞かせて」
「……そういえばまだ名を聞いていなかったな。いつまでも盗人やコソドロと呼ばれたくはあるまい?」
「アウロラ。アウロラ・シェルヴェンよ」
「ではミスフローケン・シェルヴェン、まずは我らの事務所までご同行願おう」
「……変な真似したら、あんたの重そうな頭を叩き割って軽くしてやるから」
「そう血気にはやるものではない。仔細しさいは私の上司から直接説明する」
 兵たちが左右に退しりぞき、開かれた道をフェーブロムとアウロラが進む。曲がり角には黒塗りの馬車が停まっており、伝説上の大鷲ビュシェをあしらったノルドグレーン公国の国章が車窓から下げられている。
 アウロラは馬車にまつわる嫌な記憶が蘇ったが、臆せず乗り込んだ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】【勇者】の称号が無かった美少年は王宮を追放されたのでのんびり異世界を謳歌する

雪雪ノ雪
ファンタジー
ある日、突然学校にいた人全員が【勇者】として召喚された。 その召喚に巻き込まれた少年柊茜は、1人だけ【勇者】の称号がなかった。 代わりにあったのは【ラグナロク】という【固有exスキル】。 それを見た柊茜は 「あー....このスキルのせいで【勇者】の称号がなかったのかー。まぁ、ス・ラ・イ・厶・に【勇者】って称号とか合わないからなぁ…」 【勇者】の称号が無かった柊茜は、王宮を追放されてしまう。 追放されてしまった柊茜は、特に慌てる事もなくのんびり異世界を謳歌する..........たぶん….... 主人公は男の娘です 基本主人公が自分を表す時は「私」と表現します

スキル【海】ってなんですか?

陰陽@2作品コミカライズと書籍化準備中
ファンタジー
スキル【海】ってなんですか?〜使えないユニークスキルを貰った筈が、海どころか他人のアイテムボックスにまでつながってたので、商人として成り上がるつもりが、勇者と聖女の鍵を握るスキルとして追われています〜 ※書籍化準備中。 ※情報の海が解禁してからがある意味本番です。  我が家は代々優秀な魔法使いを排出していた侯爵家。僕はそこの長男で、期待されて挑んだ鑑定。  だけど僕が貰ったスキルは、謎のユニークスキル──〈海〉だった。  期待ハズレとして、婚約も破棄され、弟が家を継ぐことになった。  家を継げる子ども以外は平民として放逐という、貴族の取り決めにより、僕は父さまの弟である、元冒険者の叔父さんの家で、平民として暮らすことになった。  ……まあ、そもそも貴族なんて向いてないと思っていたし、僕が好きだったのは、幼なじみで我が家のメイドの娘のミーニャだったから、むしろ有り難いかも。  それに〈海〉があれば、食べるのには困らないよね!僕のところは近くに海がない国だから、魚を売って暮らすのもいいな。  スキルで手に入れたものは、ちゃんと説明もしてくれるから、なんの魚だとか毒があるとか、そういうことも分かるしね!  だけどこのスキル、単純に海につながってたわけじゃなかった。  生命の海は思った通りの効果だったけど。  ──時空の海、って、なんだろう?  階段を降りると、光る扉と灰色の扉。  灰色の扉を開いたら、そこは最近亡くなったばかりの、僕のお祖父さまのアイテムボックスの中だった。  アイテムボックスは持ち主が死ぬと、中に入れたものが取り出せなくなると聞いていたけれど……。ここにつながってたなんて!?  灰色の扉はすべて死んだ人のアイテムボックスにつながっている。階段を降りれば降りるほど、大昔に死んだ人のアイテムボックスにつながる扉に通じる。  そうだ!この力を使って、僕は古物商を始めよう!だけど、えっと……、伝説の武器だとか、ドラゴンの素材って……。  おまけに精霊の宿るアイテムって……。  なんでこんなものまで入ってるの!?  失われし伝説の武器を手にした者が次世代の勇者って……。ムリムリムリ!  そっとしておこう……。  仲間と協力しながら、商人として成り上がってみせる!  そう思っていたんだけど……。  どうやら僕のスキルが、勇者と聖女が現れる鍵を握っているらしくて?  そんな時、スキルが新たに進化する。  ──情報の海って、なんなの!?  元婚約者も追いかけてきて、いったい僕、どうなっちゃうの?

勇者一行から追放された二刀流使い~仲間から捜索願いを出されるが、もう遅い!~新たな仲間と共に魔王を討伐ス

R666
ファンタジー
アマチュアニートの【二龍隆史】こと36歳のおっさんは、ある日を境に実の両親達の手によって包丁で腹部を何度も刺されて地獄のような痛みを味わい死亡。 そして彼の魂はそのまま天界へ向かう筈であったが女神を自称する危ない女に呼び止められると、ギフトと呼ばれる最強の特典を一つだけ選んで、異世界で勇者達が魔王を討伐できるように手助けをして欲しいと頼み込まれた。 最初こそ余り乗り気ではない隆史ではあったが第二の人生を始めるのも悪くないとして、ギフトを一つ選び女神に言われた通りに勇者一行の手助けをするべく異世界へと乗り込む。 そして異世界にて真面目に勇者達の手助けをしていたらチキン野郎の役立たずという烙印を押されてしまい隆史は勇者一行から追放されてしまう。 ※これは勇者一行から追放された最凶の二刀流使いの隆史が新たな仲間を自ら探して、自分達が新たな勇者一行となり魔王を討伐するまでの物語である※

スキルガチャで異世界を冒険しよう

つちねこ
ファンタジー
異世界に召喚されて手に入れたスキルは「ガチャ」だった。 それはガチャガチャを回すことで様々な魔道具やスキルが入手できる優れものスキル。 しかしながら、お城で披露した際にただのポーション精製スキルと勘違いされてしまう。 お偉いさん方による検討の結果、監視の目はつくもののあっさりと追放されてしまう事態に……。 そんな世知辛い異世界でのスタートからもめげることなく頑張る主人公ニール(銭形にぎる)。 少しずつ信頼できる仲間や知り合いが増え、何とか生活の基盤を作れるようになっていく。そんなニールにスキル「ガチャ」は少しづつ奇跡を起こしはじめる。

ぐ~たら第三王子、牧場でスローライフ始めるってよ

雑木林
ファンタジー
 現代日本で草臥れたサラリーマンをやっていた俺は、過労死した後に何の脈絡もなく異世界転生を果たした。  第二の人生で新たに得た俺の身分は、とある王国の第三王子だ。  この世界では神様が人々に天職を授けると言われており、俺の父親である国王は【軍神】で、長男の第一王子が【剣聖】、それから次男の第二王子が【賢者】という天職を授かっている。  そんなエリートな王族の末席に加わった俺は、当然のように周囲から期待されていたが……しかし、俺が授かった天職は、なんと【牧場主】だった。  畜産業は人類の食文化を支える素晴らしいものだが、王族が従事する仕事としては相応しくない。  斯くして、父親に失望された俺は王城から追放され、辺境の片隅でひっそりとスローライフを始めることになる。

パーティを追い出されましたがむしろ好都合です!

八神 凪
ファンタジー
勇者パーティに属するルーナ(17)は悩んでいた。 補助魔法が使える前衛としてスカウトされたものの、勇者はドスケベ、取り巻く女の子達は勇者大好きという辟易するパーティだった。 しかも勇者はルーナにモーションをかけるため、パーティ内の女の子からは嫉妬の雨・・・。 そんな中「貴女は役に立たないから出て行け」と一方的に女の子達から追放を言い渡されたルーナはいい笑顔で答えるのだった。 「ホントに!? 今までお世話しました! それじゃあ!」  ルーナの旅は始まったばかり!  第11回ファンタジー大賞エントリーしてました!

家族に辺境追放された貴族少年、実は天職が《チート魔道具師》で内政無双をしていたら、有能な家臣領民が続々と移住してきて本家を超える国力に急成長

ハーーナ殿下
ファンタジー
 貴族五男ライルは魔道具作りが好きな少年だったが、無理解な義理の家族に「攻撃魔法もろくに使えない無能者め!」と辺境に追放されてしまう。ライルは自分の力不足を嘆きつつ、魔物だらけの辺境の開拓に一人で着手する。  しかし家族の誰も知らなかった。実はライルが世界で一人だけの《チート魔道具師》の才能を持ち、規格外な魔道具で今まで領地を密かに繁栄させていたことを。彼の有能さを知る家臣領民は、ライルの領地に移住開始。人の良いライルは「やれやれ、仕方がないですね」と言いながらも内政無双で受け入れ、口コミで領民はどんどん増えて栄えていく。  これは魔道具作りが好きな少年が、亡国の王女やエルフ族長の娘、親を失った子どもたち、多くの困っている人を受け入れ助け、規格外の魔道具で大活躍。一方で追放した無能な本家は衰退していく物語である。

錬金術師カレンはもう妥協しません

山梨ネコ
ファンタジー
「おまえとの婚約は破棄させてもらう」 前は病弱だったものの今は現在エリート街道を驀進中の婚約者に捨てられた、Fランク錬金術師のカレン。 病弱な頃、支えてあげたのは誰だと思っているのか。 自棄酒に溺れたカレンは、弾みでとんでもない条件を付けてとある依頼を受けてしまう。 それは『血筋の祝福』という、受け継いだ膨大な魔力によって苦しむ呪いにかかった甥っ子を救ってほしいという貴族からの依頼だった。 依頼内容はともかくとして問題は、報酬は思いのままというその依頼に、達成報酬としてカレンが依頼人との結婚を望んでしまったことだった。 王都で今一番結婚したい男、ユリウス・エーレルト。 前世も今世も妥協して付き合ったはずの男に振られたカレンは、もう妥協はするまいと、美しく強く家柄がいいという、三国一の男を所望してしまったのだった。 ともかくは依頼達成のため、錬金術師としてカレンはポーションを作り出す。 仕事を通じて様々な人々と関わりながら、カレンの心境に変化が訪れていく。 錬金術師カレンの新しい人生が幕を開ける。 ※小説家になろうにも投稿中。

処理中です...