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4・垣間見

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 和紗が夕食と風呂以外には部屋に閉じこもる生活は続いていた。稔は心配しながらも、病院では問題ないと言われているという和紗の言葉を信じるしかなかった。しかし学園内でも和紗がぼんやりすることが多くなったという話を多く聞くようになっていた。

「和紗ちゃん、大丈夫なの?」
「本人は問題ないって言ってるんだけどさ……やっぱり何だか変だよな」
「うん。部活も見学が多いって馬術部の子から聞いたし」

 璃子も和紗を心配しているようだ。けれど和紗は「大丈夫」の一点張りだ。昔から和紗はそういうところがある。色々なものを自分一人で背負いこみがちなのだ。

「今日の夜にでも、しっかり和紗と話をしてみるよ」
「うん。もし稔には話しにくいようなことだったら、私に相談してくれてもいいからって言っておいて」
「わかった。いつもありがとうな、璃子」
「何言ってるの。ちっちゃい頃から一緒なんだから、和紗ちゃんだって家族みたいなものよ」

 チャイムが鳴り、璃子は自分の教室に戻っていく。稔がその背中を見送っていると、隣の席の新垣あらがき拓海たくみがニヤニヤと笑いながら稔を見ていた。

「何だよ、変な顔して」
「いつ見ても仲いいなぁって。正直羨ましいぜ」
「そうか」
「でも稔たちって幼馴染なのに、付き合い出したのは一昨年なんだよな? もう十年くらい付き合ってそうなのに」

 幼馴染として過ごしてきた時期はそれくらい長い。けれど恋人になったのは昨年のことだった。告白してきたのは璃子の方からだった。でも稔も璃子と恋人になりたいと密かに思っていたのだ。互いに相手が自分を幼馴染としか思っていないと思い込み、告白を尻込みしていただけなのだ。

「和紗がけしかけてなかったら、今でも俺たちはただの幼馴染だろうな」
「じゃあ王子様がキューピッドか」
「まあ……そうなるのかな」

 でも、恋人になって特別なことが増えたわけではない。二人だけで出かける回数が増えたくらいだ。それで十分満たされていた。璃子がいるだけで景色が鮮やかに見える。璃子のいる景色ながら、いくらだって描ける。稔はそう思っていた。

「それで昨年はラブラブな気持ちを絵筆に込めたら銀賞だもんな。うらやまけしからん」
「拓海にもそのうちいい人現れるって。そこ気にするより自分を充実させることが大事だろ?」
「先生みたいなこと言うじゃねぇか……」
「それでこの国が平和になってるんだから、それでいいんだよ」

 祖父母世代から話を聞いたり、歴史や公民の授業で習う程度だが、人類が性欲を克服するまでの世界はひどいものだったらしい。公共の場所であるはずの電車内ですら横行する性犯罪。その恐れから一人で外を出歩くような自由さえ制限された女性たち。そして何もしていないはずなのに、男だと十把一絡げにされて排除される人たち。それぞれの主張が分断を生み、わかりあえない者たちによる争いが日々繰り広げられていたという。話を聞くだけで吐き気を催すような事件も沢山起きるようになった。そしてその争いに疲れた人々は、そこに登場した人類を救う技術に飛びついたのだ。
 生殖が生身の体から切り離されることで、それにともなって発生する様々な不都合もなくなった。毎月女性たちを苦しめる月経も過去のものとなり、妊娠・出産によってキャリアが寸断されることもなくなった。何よりも生殖によって正当化されがちだったあらゆる言い訳が通用しなくなった。男が浮気するのは生物学的にそうなっているから? 今の時代、もうその本能さえ克服した。罪のない男たちは男だからとひとまとめにされることはなくなり、そもそも性欲から罪を犯す人が消えたから、誰もが安心して暮らせるようになった。
 そのかわり、恋愛とはその人自身の魅力で勝負するものになり、相手を落とすテクニックよりも自分磨きの方が主流になり始めた。そんな世界を稔たちは享受している。

「でもさぁ、最近だとそれを元に戻せみたいな勢力が出てきてるらしいぜ?」
「何だよそれ。今のままのほうが確実に良いだろ。男ってだけで女から敵扱いされる世界なんて嫌だぞ俺は」
「あくまで噂だけどな。なんでも性欲をなくすワクチンの効果を無効化する方法が見つかったとかなんとか」
「何だそれ、陰謀論か?」
「どっちかというと都市伝説だな。俺もそんなん信じちゃいないけどさ」

 この政策に反対する人もいるという話は聞く。けれどそれは老害の妄言のようなものだと稔は思っていた。今の世界の快適さを捨てて、前時代に戻るなんてあまりにも馬鹿馬鹿しいだろう。

「でもすごいんだぜ? 何でもその方法っていうのが、肌にワクチンを無効化する成分が入った模様をプリントするっていうやつなんだよ」
「あー、なんかそれ、癌治療のやつで一昨年くらいにノーベル賞とったやつにそういうの気がする」
「そうそう、それを応用したやつとかなんとか」

 応用ではなくもはや悪用だろう。そのノーベル賞を受賞した治療法もまだ一般に広まるには費用面などで障害があり、時間がかかると言われている。そんなことのために使う人がいるとは思えなかった。やはり拓海が言うように都市伝説の類なのだろう。

 くだらない話をしていると、教室のドアが開いて先生が入ってきた。日直が号令をかけたところで、稔たちの会話は終わり、その後再開されることもなかった。

***

 今日も和紗は夕飯を食べるなり部屋にこもってしまった。部屋にこもって一体何をしているのだろう。妹のプライベートに干渉するつもりはないが、ここ最近の様子を見ていると流石に不安になる。
 稔は意を決して、和紗ときちんと話をしようと思っていた。和紗が何か事情を抱えているのは確実だからだ。けれどいざ向き合おうと思うと稔の方が緊張してしまう。稔は深呼吸をしてから和紗の部屋のドアをノックした。返事はない。
 寝てしまっているのだろうか。悪いと思いながらも中の様子を知るためにドアに耳をつける。お世辞にも厚いとは言えない扉なので、起きているなら何らかの音がすると思ったのだ。しかしそれらしき音は聞こえてこない。寝てしまっているのなら、話はあとにしよう。そう思って稔が離れようとしたその時、中からかすかに呻き声のようなものが聞こえてきた。

「和紗?」

 まさかまた具合が悪いのだろうか。入院前もギリギリまで我慢していた妹のことだ。今度もそうかもしれない。稔はそっとドアを開けた。

 しかし稔の目に飛び込んできたのは、稔が想像もしていなかった光景だった。和紗は頭の上まで布団をかぶっている。けれど眠っているわけではない。その布団は何やらもぞもぞと動いていた。そしてくぐもった声がその中から聞こえてくる。
 稔がもう一度声をかけようとすると、和紗を覆っていた布団の一部がめくれた。和紗が足を動かした拍子にそれを蹴ってしまったらしい。そして顕になった和紗の姿に、稔は息を呑んだ。

 寝間着の前ははだけられ、ブラジャーは最初から身につけていないようだった。ズボンとショーツは左足首に引っかかっているだけだ。そして和紗の指は触れてはいけないはずの性器に深く挿入され、音を立てながらその中を掻き回していた。逆の手はもどかしげに胸とその先の飾りをいじっている。知識はある。これは前時代の人間が湧き上がる性欲を自分一人で解消するためにやる行為だ。
 でも、人類が性欲を捨てたこの時代にはありえない行為。
 その上、和紗の腹部にはハートを模したような禍々しい模様が浮かび上がり、それがピンク色に発光していた。明らかに異常な事態なのに、和紗は自分を慰めるのに夢中になっているようだった。
 止めなければならないと思ったのに、稔はその場から一歩も動けなくなっていた。自分以外の人間の裸を意識して見たことがこれまでなかった。真剣に見ていたのは絵を描くために見ていた石膏像くらいのものだった。初めて見た妹の裸は、完璧だと言えるほどに美しかった。黄金比でも使っているのだろうか。程よく引き締まっているのに、胸は大きく柔らかそうで、何よりも快楽に悶えるその様子が綺麗だった。

「っ、だめ……ん、んっ……ああ……っ!」

 和紗が声を上げる。稔はその場に棒立ちになってその様子を見ることしかできなかった。指の動きは激しくなり、和紗自身を追い詰めていく。力が入った脚は筋肉質で、身じろぎの度にその筋肉が動く様子がよくわかる。
 腹部の模様の光は更に強くなり、それに伴って和紗の行為も激しさを増して行った。中指と人差し指を挿入して膣内を掻き回しながら、親指で陰核に触れる。それは禁じられた悍しい行為のはずだった。それなのに稔は目を奪われていた。この瞬間を絵にしたいと思ってしまうほどに美しい。どくん、どくん、と心臓が強く脈打っていた。

「はぅ、んん、ぁ、ああ……っ!」

 和紗が体を大きく反らせる。その体は一瞬硬直してから力が抜けてベッドに落ちていく。スプリングに体を受け止められながら、和紗はその性器から指を抜いた。和紗は荒い呼吸を整えながら、濡れた手を太腿で拭っている。

「どうして……? 全然、足りない……」

 和紗は虚ろな声でそうつぶやき、幽鬼のように体を起こした。隠れなければ見ていたことに気づかれてしまう。稔はそう思ったが、もう遅かった。ドアの隙間から部屋を覗いていた稔の姿に気付いた和紗の目が大きく見開かれる。

「ち……」

 最初に声が出たのは稔だった。和紗は見られていたことを知って愕然としているようだった。これが和紗が隠していることだったとしたら、見るべきではなかった。けれど体が動かなくなってしまったのだ。

「違うんだ、和紗! 今日も夕飯残してから、もしかしてまた具合悪いんじゃないかと思って! だから……ごめん!」
「見てたの?」
「あ、あの……中から苦しそうな声が聞こえて、大丈夫かなって……」
「見てたってのは事実でしょ?」

 和紗が先程まで自分の中を掻き回していた手で、稔の手首を掴む。和紗から発せられる甘い匂いに稔は頭が眩みそうになった。和紗は強引に稔の手を引き、部屋の中に稔を入れると同時にドアを締める。

「ねえ、お兄。お兄は私を助けてくれるよね?」

 甘く、切実な声とともに、稔の唇は和紗のそれに奪われていた。
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