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第一章 舞い降りた天使

第25話 悪役令嬢はクライスとティニーを救う

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 訪ねたクライス邸は郊外の大きなお屋敷だったけど、広い庭も外壁も手入れされていなくて、割れた窓さえそのままで、まるで、廃屋のように見えた。

「ねぇ、デゼル。クライス様ってどんな人?」
「マッドサイエンティストになる人」

 え。
 クスクス、デゼルがいたずらっぽく笑った。
 そんな表情も可愛くて、何より楽しそうでいいなと思って、デゼルがあまりしない、珍しい表情だったから見惚れてた。

 高名な研究者サイエンティストだけど、何の研究をしている人かまではデゼルも知らないんだって。
 手が届かないデゼルの代わりに、僕がクライス邸の呼び鈴を鳴らすと、きちんとした身なりの、穏やかそうな白髪のおじいさんが応対してくれた。
 だけど、この人はクライス様じゃなくて、ヒツジさんなんだって。
 僕、知らなかった。
 大きなお屋敷で働く人のこと、ヒツジさんっていうんだ。
 だから、羊みたいな真っ白な髪とひげじゃないと、雇ってもらえないんだね。
 働かせて下さいって仕事を探して回ってた頃に、ヒツジなら探してるけど、君じゃまだ無理だねって言われたんだ。
 どうして、ヒツジじゃないといけないのかな。
 アライグマとかリスとかでも可愛いと思うんだけどな。それでよかったら僕の髪色なのに。
 デゼルの闇主になれたから、もう、他で働かせてもらわなくていいんだけど。
 
 通された客間でしばらく待つと、眼鏡をかけた、気難しそうな男の人が姿を現した。
 この人がクライス様かな?
 暗い藍色の髪だから、ヒツジさんではないみたい。
 デゼルが立ち上がって礼をしたから、少し前に教えてもらった通りに、僕は黙って後ろに控えた。

「はじめまして。デゼル・リュヌ・オプスキュリテと申します。こちらは私の闇主のサイファ」
「その年で闇主、ねぇ……」

 デゼルすごい。
 足元まである闇巫女の正装、夜空の蒼のドレスの裾を持ち上げて、きちんと礼をしてるし、挨拶もなんだか立派な感じ。
 僕、声をかけたらいけない闇主でよかったかも。
 僕が挨拶したら、「こんにちは、サイファといいます」で終わり。
 はじめましてとか、言われたらわかるけど、挨拶としてスラスラとは、僕、ちょっと出てこない。

 クライス様がうさん臭そうに僕を見たら、胃がキリっと痛んだ。
 その視線と声色が、仕事になってないって僕を叱る時のおとなの人達に似てたから。
 一生懸命やっても、納得してもらえない時の――

 だけど、そのクライス様こそ頬はコケて、顔色も悪くて、憔悴した様子だった。目にはすごいクマ。
 とっても、疲れてるんじゃないのかな。

 クライス様が黒板に不思議な記号と数字を書き始めて、デゼルに解いてみろと言った。
 なんだろう、あれ。
 デゼル、わかるのかな。
 黒板に手が届かないデゼルをだっこしてあげたら、微笑んだデゼルがとっても可愛かった。すごく、幸せな気持ち。

 ……。

 えっと、何の話だっけ。
 カコ、カコって、デゼルがチョークで意味のわからない記号や数字、矢印を書いていく。

「――なるほど」

 クライス様が、ちょっと驚いた様子でうなった。
 何がなるほどなんだろう。

「クライス様、あなたが煎じた薬を飲んで、六日後にティニー様が亡くなると、闇の神からの警告がありました」

 クライス様が、すごく驚いた顔をして、ただでさえ悪かった顔色が、もっと悪くなった。
 ティニー様って誰だろう。

 ……僕、今度からは出かける前に、誰に会って、何をしに行くのか聞いておこうかな。
 デゼル、教えてくれないわけじゃないんだ。
 僕が聞かなかっただけ。

「私には、ティニー様の病を癒す力があります。クライス様がトランスサタニアン帝国の第二皇子ネプチューンを帝位に就けることに協力して下さるなら、ティニー様を今日、癒すつもりで参りました」

 ガタンと、クライス様が椅子を蹴立てた。

「なぜ、私がネプチューンに招へいされていると知っている……!? 公家も知っているのか!?」

 しょうへい?
 しょうへいって、何だろう。
 どうしよう、ちゃんと聞いてるのに、全然、わからない。
 何か聞かれたら答えられるように、話は聞いてないといけないって、デゼルに言われたんだけど。

「いいえ。すべて、闇の神からの神託です。まだ、誰にも話してはいません」
「闇巫女とやら、うさん臭いと思っていたが。なるほど、公家が囲い込むだけのことはある……か。ネプチューンから帝位を望む意向は示されていないが?」
「三年後に、示されます」
「ふむ……」

 困ったな、聞いてるけどわからなかったら、聞いてないのと同じだよね……。
 何か、わからないことを聞かれて、聞いてなかったのかって𠮟られるのが怖くて、泣きたくなってきた。
 しんたくとか、かこいこむとか、いこうとか、短い会話の中に、わからない言葉がたくさん出てくるから、もう全然、何の話をしてるのか、わからないんだ。

 クライス様は部屋の中を行ったり来たりしながら、随分、考えてた。

「ついて来たまえ」

 クライス様について行くと、可愛らしい、女の子の部屋に通された。
 わぁ、お姫様ベットだ。
 デゼルの寝室のより、フリルとかリボンとか、スパンコールとかがたくさん飾られて、色もピンクで可愛い。
 デゼルのお姫様ベットは白いカーテンにコバルトの布がそえてあって、可愛いというより、涼しげで綺麗な感じだからね。

 クライス様がレースのカーテンを開けて、デゼルを手招いた。
 お姫様ベットの中では、四つか五つくらいの土気色の顔をした女の子が、息も絶え絶えに、苦しそうに眠っていたんだ。

「おまえの力は『目に見えて』回復させることができるものか?」
「――おそらく」
「おそらく、か。回復したのかしないのか、わからないような気休めだった時には、先ほどの取引に応じる保証はしない」
「わかりました。――かけます」

 そっか。
 病気の女の子を癒してあげに来たみたい。
 そういうことなら、デゼルに任せるのが一番いいと思いますって、クライス様を励ましたいけど、僕から声をかけたらいけないんだよね?

生命の水ウンディーネ【Lv8】――水神の御名によりて命ずる、ティニーを癒したまえ」

 デゼルがティニーに触れた指先から幻のような水があふれて、ティニーの体をくるくると取り巻いた。
 それは、ほんの短い時間のことで、すべての流水が消えると、ティニーの呼吸が静かになったんだ。そして。
 ぱちりと目を開けたティニーが、明るい空色の瞳でクライス様を見た。

「パパ?」
「ティニー!」

 ティニーの土気色だった肌が、少女らしい輝きを取り戻して、もう、どこからどう見ても、病人には見えない。

「わぁ、きれいなおねえちゃん」

 デゼルがニッコリ笑ってみせると、ティニーはすごく喜んだ。
 ふふ、嬉しいよね。
 僕も、デゼルに笑いかけてもらえると、すごく嬉しい気持ちになるんだ。

「デゼル様だよ、ティニーの命の恩人だ。ああ、ティニー、よく元気になってくれた……!!」

 ずっと、気難しくて不愛想だったクライス様が、別人のように泣き崩れて、ティニーをぎゅっと抱き締めた。

「生命の水【Lv3】――水神の御名によりて命ずる、クライスを癒したまえ」
「おわっ!?」

 クライス様を驚かせて、デゼルがくすっと笑った。

「お疲れのようでしたので」
「……デゼル様、公子様に水神の加護が降りたと聞きましたが、貴女様でしたか」
「公子様ということに、して頂きたいのです。私の都合で」
「そうですか、貴女様のご都合であるならお安い御用。専門書へのご助力も、これまで、ありがとうございました」

 ……。
 クライス様とデゼルが話し始めたら、また、あっという間にわからなくなって、僕、なんだか頭が痛くなってきた……。
 頭って、使い過ぎると痛くなるんだ。
 クライス様とデゼルの会話は、僕の頭を使い過ぎてみても、さっぱり、わからないんだけど。
 聞いてなくちゃ駄目? 聞いてる意味、あるのかな……。

「今後、このクライスの力が必要な時にはいつでもお声がけを」
「お心遣いに感謝いたします。そして、こちらこそ。ただ、先ほど、ティニー様を癒した奥義だけは、私の生涯のうちに三度しか使えないものです。おそらく、二度とは奥義で癒すことかないませんので、ご理解下さい」

 ひとつだけ、わかったかもしれない。
 ユリシーズの火傷を癒す約束の、たった三度しか使えない奥義を、デゼルはたぶん、ティニーのために使ったんだね。
 そうだよね、酷い火傷のユリシーズも可哀相だけど、まだ小さなティニーが重い病で六日後には死んでしまう予定なら、僕がデゼルでも、ティニーを優先しないわけにはいかない。


 クライス様はデゼルにすごく感謝したみたいで、あんまり、美味しくない夕食の席に招待してくれたんだ。
 ティニーに「ぱぱぁ、これ、おいしくないよ~? でぜるさまも、きっと、おいしくないよ?」とか言われて困ってた。
 ティニーになら、僕も話しかけてもいいよね。

「だいじょうぶ、クライス様とティニー様が元気になってくれたのが嬉しいから、おいしいよ」

 僕がそう言ったら、デゼルもにっこり笑ってうなずいてくれた。
 でも、今度があったら、夕食は僕がつくってあげようかな?
 だって僕、クライス様よりは、美味しくつくれる自信があるから。


  **――*――**


 この日の僕は知らなかったんだけど、クライス様は別に貴族じゃないから、話しかけてもよかったんだって。
 僕、すごく懲りた。
 今度からは絶対、出かける前に、何をしに行くのかデゼルにきちんと聞くよ。
 お話も、先に聞いておかないと、その場で聞こうとしたって、全然わからないってわかったから。
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