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第五章 それは日々の話
139 旨い酒 半助
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「殿下、お待たせしましたー」
いつもの決められた夕食時間まで、まだ一時間もある。食堂の様子に気付いた広末さんが、大急ぎで夕食を仕上げてきたらしい。
「ん?もうそんな時間か?」
緋色殿下は、時計も見ちゃいない。
「急いで鍋にしましたよ。ほどほどで食べ物を腹に入れて終わらないと、明日も仕事ですからね」
広末さんは、気にした様子もなく笑顔でコンロをいくつか机に置いていく。コンロの上に、運んできた鍋を置いている村次くんは、言いたいことがたくさんありそうな顔をしとるけど。
「お、お祖父様まで……」
「こんな旨い酒は、そうそう飲めんからな」
ようやく発した一言は、荘重さまにあっさりと返されている。いつもより早い時間やというのに、帰宅した者や仕事を片付けた家人が食堂に集まり始めた。
ああ。酒でとろんとした臣を、とっとと部屋に連れ帰りたい。
「飲みたい者は、好きに飲んだらいいぞ。わしの秘蔵品の出番だな!」
利胤さまが酒を追加するために立ち上がると、幾つかの喜びの声が上がった。利胤さまは、もう随分飲んでいるやろうに、動きは軽い。七十を超えて尚、全身の筋肉は衰えを見せず、大きな体に似合わぬ敏捷性も持ち合わせたままだ。
「お主が目指すのは、あそこでは無かろうに」
隣に居座ったままの気配の薄い御仁に視線をすべらすと、猪口をとん、と机に置く。慌てて、近くにあった銚子を傾ければ、すんなりと猪口に手を添えて受けてくれた。
片手しかない自分は、もうあんな風に鍛えることはできないと分かっとるけど、憧れるくらいええやろう。少し不貞腐れた気分で、臣の体を掻き抱く。そうして片手を使ってしまえば、もう酒を注ぐことも飲むことも、鍋の中身を取り出すこともできない不便な体。腕を失くした時に死んでおけば良かった、とは二度と思いはしないけれど。
「半助、離して。おかず取ったげる」
気持ち良さそうにもたれ掛かっていた臣が、鍋を見て身動ぎする。
ああ。殿下や常陸丸さまのように、片手で伴侶を抱えたまま、鍋の中のおかずを取り出せたら良かったのに。
臣の動きを邪魔せんように、でも、よろけたらすぐに支えられるようにと気を張っていると、荘重さまが笑っている気配がする。俺の猪口にはまた、酒が注がれていた。
「半助。食べたいもん、どれ?」
火がついて、くつくつと煮え始めた鍋の中には、様々な具材が入っているらしい。
「取ってくれたもん、食べるよ」
世話をかけとんやから、贅沢は言わん。
「好みのもん、言うてくれた方が助かる」
「そんなん、何でも。世話かけとんやし」
「世話とか……。うちがしたくてしとるだけやし。大体半助、何でも片手でできるから、世話なんてかけたことないやん。もう少し、世話したいのに。そんで、半助の好きなもんを知りたいのに。いっつも何でもええ、て言うから好みも分からへん。好きな人の好きなもん、知りたいやん?やから教えて」
「え……?」
酒で滑らかになった臣の口が、つるつると滑る。
今、なんて?
「うちは、白菜としめじが好きやからいっぱい取ろう。人参はあんまりなんよ。お肉も少しでええかなあ」
臣は人参はあんまり好きやないんか。知らんかった。白菜としめじ?しめじが好きなんて変わっとるな。
好きな人の好きなもん知りたい、という言葉が胸にすんなり落ちてきた。ほんまや。知りたいな。好きな人の好きなもん、嫌いなもんを知っていたい。
「しめじとか、きのこ類は、ちょっと苦手……。肉、多い目がいい」
やけに幼い言い方になって、顔に熱が上る。また、隣から笑う気配がした。人を肴に酒を飲まないで欲しい。恐くて言えんけど。
肉を多めに、きのこ以外の野菜を乗せた皿が目の前に置かれて、今日は酔ってもええんやないか、と思えた。
旨い酒って、こういうことか。
いつもの決められた夕食時間まで、まだ一時間もある。食堂の様子に気付いた広末さんが、大急ぎで夕食を仕上げてきたらしい。
「ん?もうそんな時間か?」
緋色殿下は、時計も見ちゃいない。
「急いで鍋にしましたよ。ほどほどで食べ物を腹に入れて終わらないと、明日も仕事ですからね」
広末さんは、気にした様子もなく笑顔でコンロをいくつか机に置いていく。コンロの上に、運んできた鍋を置いている村次くんは、言いたいことがたくさんありそうな顔をしとるけど。
「お、お祖父様まで……」
「こんな旨い酒は、そうそう飲めんからな」
ようやく発した一言は、荘重さまにあっさりと返されている。いつもより早い時間やというのに、帰宅した者や仕事を片付けた家人が食堂に集まり始めた。
ああ。酒でとろんとした臣を、とっとと部屋に連れ帰りたい。
「飲みたい者は、好きに飲んだらいいぞ。わしの秘蔵品の出番だな!」
利胤さまが酒を追加するために立ち上がると、幾つかの喜びの声が上がった。利胤さまは、もう随分飲んでいるやろうに、動きは軽い。七十を超えて尚、全身の筋肉は衰えを見せず、大きな体に似合わぬ敏捷性も持ち合わせたままだ。
「お主が目指すのは、あそこでは無かろうに」
隣に居座ったままの気配の薄い御仁に視線をすべらすと、猪口をとん、と机に置く。慌てて、近くにあった銚子を傾ければ、すんなりと猪口に手を添えて受けてくれた。
片手しかない自分は、もうあんな風に鍛えることはできないと分かっとるけど、憧れるくらいええやろう。少し不貞腐れた気分で、臣の体を掻き抱く。そうして片手を使ってしまえば、もう酒を注ぐことも飲むことも、鍋の中身を取り出すこともできない不便な体。腕を失くした時に死んでおけば良かった、とは二度と思いはしないけれど。
「半助、離して。おかず取ったげる」
気持ち良さそうにもたれ掛かっていた臣が、鍋を見て身動ぎする。
ああ。殿下や常陸丸さまのように、片手で伴侶を抱えたまま、鍋の中のおかずを取り出せたら良かったのに。
臣の動きを邪魔せんように、でも、よろけたらすぐに支えられるようにと気を張っていると、荘重さまが笑っている気配がする。俺の猪口にはまた、酒が注がれていた。
「半助。食べたいもん、どれ?」
火がついて、くつくつと煮え始めた鍋の中には、様々な具材が入っているらしい。
「取ってくれたもん、食べるよ」
世話をかけとんやから、贅沢は言わん。
「好みのもん、言うてくれた方が助かる」
「そんなん、何でも。世話かけとんやし」
「世話とか……。うちがしたくてしとるだけやし。大体半助、何でも片手でできるから、世話なんてかけたことないやん。もう少し、世話したいのに。そんで、半助の好きなもんを知りたいのに。いっつも何でもええ、て言うから好みも分からへん。好きな人の好きなもん、知りたいやん?やから教えて」
「え……?」
酒で滑らかになった臣の口が、つるつると滑る。
今、なんて?
「うちは、白菜としめじが好きやからいっぱい取ろう。人参はあんまりなんよ。お肉も少しでええかなあ」
臣は人参はあんまり好きやないんか。知らんかった。白菜としめじ?しめじが好きなんて変わっとるな。
好きな人の好きなもん知りたい、という言葉が胸にすんなり落ちてきた。ほんまや。知りたいな。好きな人の好きなもん、嫌いなもんを知っていたい。
「しめじとか、きのこ類は、ちょっと苦手……。肉、多い目がいい」
やけに幼い言い方になって、顔に熱が上る。また、隣から笑う気配がした。人を肴に酒を飲まないで欲しい。恐くて言えんけど。
肉を多めに、きのこ以外の野菜を乗せた皿が目の前に置かれて、今日は酔ってもええんやないか、と思えた。
旨い酒って、こういうことか。
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