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第一章

36 補佐のプロローグ

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 問題の概要はこうだ。

 先ほど木を無断で伐採していたアセビ村に常駐していた老齢の医者がひと月前に亡くなった。
 村には高齢のものはもちろんだが、病気を患う幼い子供がいて、早急に医者の手配をお願いしたい旨の嘆願書が城に届いた。

 しかし村に常駐してもいいという医師がなかなか見つからず、その間村人達は川を渡った先にある町の医者に子供をみせなければならなかった。
 川を渡るにはかなり迂回せねばならず、医者が見つからないならせめて橋を架けてほしいと城へ再度嘆願したが、これに反発したのが川の近くに住むダリア村だ。

 川で漁を行うダリア村は、この時期に取れる魚がいるため、工事をされては困ると言ってきた。
 そうしてアセビ村とダリア村で争い、城から仲介の使者を向かわせると連絡したものの、もはや我慢の限界だったらしいアセビ村は自分達で橋を造ろうとしていたらしい。



 エルザ殿の部下に連れられやってきたダリア村の村人達は、勝手に橋を造ろうとし、おまけに突然呼び出すアセビ村の横暴に怒り心頭だった。今にも怒鳴り合いが始まるというところで負けじと声を張る。

「双方とも落ち着いてください! 問題は橋を架けることではなく、医師が不足していることにあります!」

 護衛の兵隊達に抑えられつつ俺の言葉を聞いた村人達は、唸りながらも落ち着いて話を聞く態勢を取ってくれた。
 安堵してアセビ村の村人達に向き合う。

「まずは医師の派遣が遅れていること、お詫び申し上げます。ただ今、こちらに来てもいいと言ってくださっている医師が一名おられるのですが、その方も今は離れられない患者がいらっしゃるとのことで、こちらに来られるまでに三か月ほど時間をいただきたいと仰られています。城側はこれを了承しました」
「今からまだ三か月も町まで通えってのか? 小さいガキが何時間も馬車に揺られて移動すんのは体がもたねぇぞ!」

 先ほどエルザ殿を殴った男が大声を張り上げる。
 問題はそこだ。でもそれは。

「それは橋を架けたところで大した時間の短縮にはなりません」

 アセビ村の村人が言葉に詰まるのに力を得て、ダリア村に向き合う。

「ですから、橋は架けません」

 安堵の息を吐くダリア村の村人達に対し、興奮し立ち上がろうとするアセビ村の村人達を手を振って抑えた。双方とも納得のいく結論になるかは、ここからが勝負だ。

「ですので、城側から提案させていただきたい。どうか、ダリア村の方にお願いします。町までの船を出して差し上げていただけないでしょうか」

 これが俺が提出した報告書に追記した内容だ。
 馬車なら揺れて子供の体力を奪うだろうが、幅が広いだけの穏やかな川をゆったり進む船なら。川の形状から見ても町までの時間の短縮にもなるし、現にダリア村には医者はおらず、必要な時に船を使って町に出ていることは自分の目で確かめてある。

「アセビ村からここまで馬車で来て船に乗り、下流には乗合馬車の待機所があります。それを利用していただければ……」
「お使者のにいさん」

 言葉の途中でかかったのは俺を呼ぶ声だ。振り向けばダリア村の村人達が苦虫を噛み潰したような顔でこちらを睨んでいる。心臓が激しく脈打つのを悟られないよう、必死に抑えた。所詮俺の考えなど机上の空論でしかなかったということか。人の心という最も重要視すべきことを放り出していた。

「その話は俺達にはなんの得もねぇな」

 この言葉は俺が一番恐れていたものだ。
 俺の提案は、ダリア村の善意を頼りにしたものだが、村同士で助け合い生活している例もあって楽観的に考えていた。
 しかしこの問題の報告書に、他ならぬ俺が書いた一文がある。

 橋を造ることに反対するダリア村に対し、アセビ村の者はこう言い放った。

「お前らの都合なんぞ知るか」と。



 ダリア村の言い分にエルザ殿を殴った男が拳を握って立ち上がる。それを制し、男に対峙したのはまたしてもエルザ殿だった。

「短慮はお控えください」
「どきやがれ」
「……子供を守りたいお気持ちは十分承知していますが」

 静かに宥めるエルザ殿の声音が変わった。

「あなたはやり方を間違えているわ」

 こちらからはエルザ殿の表情は見えない。
 しかし男が言葉につまり、体を引いたのがわかった。
 それまで静かに構えていたジュノ様が「少し休憩にするかねぇ」と、のんびり言った。



 火の魔法で沸かされたお茶を飲みながら頭を抱えてしまう。

 アセビ村の言い分はわかる。子供が辛そうにしているから、どうにかしてやりたのだ。
 しかしダリア村の言い分もわかる。自分のところの収入や生活に関わることを「知るか」と言い捨てられたのだ。今でも病院に通えているならいいじゃないかと切り捨てられても仕方ない部分もある。

 どうしても子供を守りたいなら、まずはアセビ村に謝罪させ、そしてダリア村が謝罪を受け入れれば船を出してもらえる。これしか方法がない。
 あの様子で受け入れてくれるだろうかとため息がこぼれた。

「補佐様、お茶のおかわりはいかがですか?」

 優しい響きの声がかかる。顔を上げれば空色の瞳に気遣う色を乗せたエルザ殿が茶器を片手に立っていた。

「いえ、結構です……」

 まだ手元もカップにはなみなみとお茶が残っている。

「そうですか。申し訳ございません。話しかける口実にいたしました」

 柔らかく微笑んで、エルザ殿が隣に座った。
 しばらく言葉もなく、お互いにお茶をすする音だけがする。
 沈黙を終わらせたのはエルザ殿だ。

「……アセビ村に謝罪させるおつもりですか」
「それしか方法がありません。医師の手配は最短で三か月ですから……」
「謝罪とは言わせるものではありません。自然と出るものです」

 再び顔を上げれば真っ直ぐにこちらを見つめるエルザ殿と目が合った。

「今の彼らに謝罪させたところで、きっとダリア村は受け入れないでしょうね」
「それでは、どうしようも……」
「ですが、きっとダリア村も子供を見殺しにしようとは思っていませんわ。激しく言い争った手前意地を張っておりますが、きっかけを待っているのだと思います」

 エルザ殿の言葉にはっと息を呑んだ。

「頷いてもいいと思わせる、いい理由を作って差し上げてください」

 優しく微笑んで、エルザ殿は立ち去って行った。

 まるで霧が晴れたように淀んだ気持ちが消えていく。
 きっかけ。言われてみればそうだ。俺はまたしても人の心を置き去りにして考えていたらしい。静かに反省し、頭を働かせて一つの案を思いついた。
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