ヒロインは私のルートを選択したようです

深川ねず

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第一章

35 補佐のプロローグ

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「ジュノ様」

 孫の話題を楽しげに話すジュノ様に馬車の外から緊迫した声がかかった。

「……なんだい?」

 先ほど話していた時よりもトーンの落とした低い声でジュノ様が応じる。

「もうじきに村に着くあたりなのですが、該当の村人と思われる男達が予定のない伐採を行っております。止めても?」
「止めなさい。手荒にはせずにね」

 返事なく馬が遠ざかる音だけがする。
 どうやら穏やかにはいかなさそうな雰囲気に、気を引き締めた。



「今更何しに来やがった!」

 男の怒号に慌てて馬車を降りると、エルザ殿が頭一つ分も背の高い大柄な男と対峙していた。

「伺うのが遅れたことは謝罪いたします。ですが、来たからには話し合いを」
「話し合いはとっくに決裂してる! 今更城の人間が間に入ってどうなるってんだ!」

 男の周りでは同じく屈強な村人達がエルザ殿を睨んでいる。間に入ろうとする俺の腕をジュノ様が止めた。

「今は興奮しているから待ちなさい。落ち着かせる方法があるというなら別だがね」

 先ほどとはまるで別人のような声音のジュノ様に反発しそうになるのを堪える。
 しかし男たちは木を切るために大きな伐採用の斧を片手に下げているのだ。
 あんなものを振り下ろされては、いくらジャックの候補だったとはいえ大怪我は免れない。

「ダリア村の方からも話し合いに応じるとの返事をいただいております。必ず双方の納得のいく提案もさせていただきますから、どうか落ち着いて話し合いをさせてください」

 懇々と宥めるエルザ殿だが相手の男の苛立ちは治まらないようで、とうとう片手の斧を地面に放り出し、拳を握ってエルザ殿ににじり寄った。

「いいからすっこんでろ!」

 危ないと思った時には遅かった。ジュノ様の腕を振り切り駆け出したが、当然男の拳のほうが速い。鈍い音がして男が「あっ……」と気まずげな声を漏らした。

 しかし当の殴られた本人は男の拳を受けても一歩もよろめかずに、まっすぐ男を見据えていた。

「遅くなったことは如何様にも謝罪いたします。どうかお心を鎮めて、話を聞いていただけませんか」

 そう言って頭を下げたエルザ殿に男は舌打ちして、ドカッとその場に座り込んだ。

「……俺はここから一歩も動かねぇぞ」
「構いません。ご協力に感謝いたします」

 踵を返したエルザ殿がまっすぐにジュノ様の元に駆けてくる。

「お待たせいたしました。よろしくお願い致します」
「……うん」

 ちらりとエルザ殿を見ながら、ジュノ様は男達の元へと歩き出した。

「補佐様も」
「そ、それより手当を……!」

 赤くなった頬に血の気が引く。女性が殴られるところを見たのは初めてだ。

「問題ありません。このくらいよくありますから」

 いたって普通な様子のエルザ殿だが、俺が食い下がるからか、わざとらしい明るい調子で続けた。

「本当にこのくらい大したことないんですよ。ルーファスと喧嘩した時なんて全身痣だらけになったこともありますし、ゼンなんて自業自得ですって治療させてくれなくて……あっ」

 言葉の途中でエルザ殿は両手で口を塞ぎ、周りをキョロキョロと焦った様子で見回し始めた。
 訝しんでいると慌てた様子で口元に手を当てて、小声で「い、今のは内緒にしてくださいませ」と言ってきた。

「はい?」
「クイーンにね、位持ちにならないならキングとクイーンのことを名前で呼ぶのも気安く話すのも禁止するって言われて喧嘩中なんです」
「そうなんですか」
「ええ。意地の張り合いですわ」

 先ほどは焦っていたのに一転してプリプリと怒りながら言うエルザ殿が可笑しくて、吹き出してしまった。

「ああっ、笑いましたね!? ゼンは本当に手強いんですから、少しの油断も出来な……あっ」

 またしても名前を呼び捨ててしまい慌てるエルザ殿に笑いが堪えきれない。笑い続ける俺に拗ねた表情のエルザ殿がそっぽ向いてしまったが、どうにも止まらなかった。

 先ほどはどうしてこの人を冷然などと感じたのだろう。
 こちらを睨む瞳ですら、まるで春の青空を映す小川のような清らかな温かみを備えているのに。

「もう! ほら、村人達がお待ちですよ。さっさと行く!」

 背中をバシッと叩かれて痛い。痛みに唸る俺を見たエルザ殿が仕返しだとばかりに笑っていて。
 なんと可愛らしい、素敵な人だろうかと思った。
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