35 / 206
第一章
35 補佐のプロローグ
しおりを挟む
「ジュノ様」
孫の話題を楽しげに話すジュノ様に馬車の外から緊迫した声がかかった。
「……なんだい?」
先ほど話していた時よりもトーンの落とした低い声でジュノ様が応じる。
「もうじきに村に着くあたりなのですが、該当の村人と思われる男達が予定のない伐採を行っております。止めても?」
「止めなさい。手荒にはせずにね」
返事なく馬が遠ざかる音だけがする。
どうやら穏やかにはいかなさそうな雰囲気に、気を引き締めた。
「今更何しに来やがった!」
男の怒号に慌てて馬車を降りると、エルザ殿が頭一つ分も背の高い大柄な男と対峙していた。
「伺うのが遅れたことは謝罪いたします。ですが、来たからには話し合いを」
「話し合いはとっくに決裂してる! 今更城の人間が間に入ってどうなるってんだ!」
男の周りでは同じく屈強な村人達がエルザ殿を睨んでいる。間に入ろうとする俺の腕をジュノ様が止めた。
「今は興奮しているから待ちなさい。落ち着かせる方法があるというなら別だがね」
先ほどとはまるで別人のような声音のジュノ様に反発しそうになるのを堪える。
しかし男たちは木を切るために大きな伐採用の斧を片手に下げているのだ。
あんなものを振り下ろされては、いくらジャックの候補だったとはいえ大怪我は免れない。
「ダリア村の方からも話し合いに応じるとの返事をいただいております。必ず双方の納得のいく提案もさせていただきますから、どうか落ち着いて話し合いをさせてください」
懇々と宥めるエルザ殿だが相手の男の苛立ちは治まらないようで、とうとう片手の斧を地面に放り出し、拳を握ってエルザ殿ににじり寄った。
「いいからすっこんでろ!」
危ないと思った時には遅かった。ジュノ様の腕を振り切り駆け出したが、当然男の拳のほうが速い。鈍い音がして男が「あっ……」と気まずげな声を漏らした。
しかし当の殴られた本人は男の拳を受けても一歩もよろめかずに、まっすぐ男を見据えていた。
「遅くなったことは如何様にも謝罪いたします。どうかお心を鎮めて、話を聞いていただけませんか」
そう言って頭を下げたエルザ殿に男は舌打ちして、ドカッとその場に座り込んだ。
「……俺はここから一歩も動かねぇぞ」
「構いません。ご協力に感謝いたします」
踵を返したエルザ殿がまっすぐにジュノ様の元に駆けてくる。
「お待たせいたしました。よろしくお願い致します」
「……うん」
ちらりとエルザ殿を見ながら、ジュノ様は男達の元へと歩き出した。
「補佐様も」
「そ、それより手当を……!」
赤くなった頬に血の気が引く。女性が殴られるところを見たのは初めてだ。
「問題ありません。このくらいよくありますから」
いたって普通な様子のエルザ殿だが、俺が食い下がるからか、わざとらしい明るい調子で続けた。
「本当にこのくらい大したことないんですよ。ルーファスと喧嘩した時なんて全身痣だらけになったこともありますし、ゼンなんて自業自得ですって治療させてくれなくて……あっ」
言葉の途中でエルザ殿は両手で口を塞ぎ、周りをキョロキョロと焦った様子で見回し始めた。
訝しんでいると慌てた様子で口元に手を当てて、小声で「い、今のは内緒にしてくださいませ」と言ってきた。
「はい?」
「クイーンにね、位持ちにならないならキングとクイーンのことを名前で呼ぶのも気安く話すのも禁止するって言われて喧嘩中なんです」
「そうなんですか」
「ええ。意地の張り合いですわ」
先ほどは焦っていたのに一転してプリプリと怒りながら言うエルザ殿が可笑しくて、吹き出してしまった。
「ああっ、笑いましたね!? ゼンは本当に手強いんですから、少しの油断も出来な……あっ」
またしても名前を呼び捨ててしまい慌てるエルザ殿に笑いが堪えきれない。笑い続ける俺に拗ねた表情のエルザ殿がそっぽ向いてしまったが、どうにも止まらなかった。
先ほどはどうしてこの人を冷然などと感じたのだろう。
こちらを睨む瞳ですら、まるで春の青空を映す小川のような清らかな温かみを備えているのに。
「もう! ほら、村人達がお待ちですよ。さっさと行く!」
背中をバシッと叩かれて痛い。痛みに唸る俺を見たエルザ殿が仕返しだとばかりに笑っていて。
なんと可愛らしい、素敵な人だろうかと思った。
孫の話題を楽しげに話すジュノ様に馬車の外から緊迫した声がかかった。
「……なんだい?」
先ほど話していた時よりもトーンの落とした低い声でジュノ様が応じる。
「もうじきに村に着くあたりなのですが、該当の村人と思われる男達が予定のない伐採を行っております。止めても?」
「止めなさい。手荒にはせずにね」
返事なく馬が遠ざかる音だけがする。
どうやら穏やかにはいかなさそうな雰囲気に、気を引き締めた。
「今更何しに来やがった!」
男の怒号に慌てて馬車を降りると、エルザ殿が頭一つ分も背の高い大柄な男と対峙していた。
「伺うのが遅れたことは謝罪いたします。ですが、来たからには話し合いを」
「話し合いはとっくに決裂してる! 今更城の人間が間に入ってどうなるってんだ!」
男の周りでは同じく屈強な村人達がエルザ殿を睨んでいる。間に入ろうとする俺の腕をジュノ様が止めた。
「今は興奮しているから待ちなさい。落ち着かせる方法があるというなら別だがね」
先ほどとはまるで別人のような声音のジュノ様に反発しそうになるのを堪える。
しかし男たちは木を切るために大きな伐採用の斧を片手に下げているのだ。
あんなものを振り下ろされては、いくらジャックの候補だったとはいえ大怪我は免れない。
「ダリア村の方からも話し合いに応じるとの返事をいただいております。必ず双方の納得のいく提案もさせていただきますから、どうか落ち着いて話し合いをさせてください」
懇々と宥めるエルザ殿だが相手の男の苛立ちは治まらないようで、とうとう片手の斧を地面に放り出し、拳を握ってエルザ殿ににじり寄った。
「いいからすっこんでろ!」
危ないと思った時には遅かった。ジュノ様の腕を振り切り駆け出したが、当然男の拳のほうが速い。鈍い音がして男が「あっ……」と気まずげな声を漏らした。
しかし当の殴られた本人は男の拳を受けても一歩もよろめかずに、まっすぐ男を見据えていた。
「遅くなったことは如何様にも謝罪いたします。どうかお心を鎮めて、話を聞いていただけませんか」
そう言って頭を下げたエルザ殿に男は舌打ちして、ドカッとその場に座り込んだ。
「……俺はここから一歩も動かねぇぞ」
「構いません。ご協力に感謝いたします」
踵を返したエルザ殿がまっすぐにジュノ様の元に駆けてくる。
「お待たせいたしました。よろしくお願い致します」
「……うん」
ちらりとエルザ殿を見ながら、ジュノ様は男達の元へと歩き出した。
「補佐様も」
「そ、それより手当を……!」
赤くなった頬に血の気が引く。女性が殴られるところを見たのは初めてだ。
「問題ありません。このくらいよくありますから」
いたって普通な様子のエルザ殿だが、俺が食い下がるからか、わざとらしい明るい調子で続けた。
「本当にこのくらい大したことないんですよ。ルーファスと喧嘩した時なんて全身痣だらけになったこともありますし、ゼンなんて自業自得ですって治療させてくれなくて……あっ」
言葉の途中でエルザ殿は両手で口を塞ぎ、周りをキョロキョロと焦った様子で見回し始めた。
訝しんでいると慌てた様子で口元に手を当てて、小声で「い、今のは内緒にしてくださいませ」と言ってきた。
「はい?」
「クイーンにね、位持ちにならないならキングとクイーンのことを名前で呼ぶのも気安く話すのも禁止するって言われて喧嘩中なんです」
「そうなんですか」
「ええ。意地の張り合いですわ」
先ほどは焦っていたのに一転してプリプリと怒りながら言うエルザ殿が可笑しくて、吹き出してしまった。
「ああっ、笑いましたね!? ゼンは本当に手強いんですから、少しの油断も出来な……あっ」
またしても名前を呼び捨ててしまい慌てるエルザ殿に笑いが堪えきれない。笑い続ける俺に拗ねた表情のエルザ殿がそっぽ向いてしまったが、どうにも止まらなかった。
先ほどはどうしてこの人を冷然などと感じたのだろう。
こちらを睨む瞳ですら、まるで春の青空を映す小川のような清らかな温かみを備えているのに。
「もう! ほら、村人達がお待ちですよ。さっさと行く!」
背中をバシッと叩かれて痛い。痛みに唸る俺を見たエルザ殿が仕返しだとばかりに笑っていて。
なんと可愛らしい、素敵な人だろうかと思った。
0
お気に入りに追加
1,161
あなたにおすすめの小説

【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。
五月ふう
恋愛
リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。
「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」
今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。
「そう……。」
マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。
明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。
リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。
「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」
ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。
「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」
「ちっ……」
ポールは顔をしかめて舌打ちをした。
「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」
ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。
だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。
二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。
「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」

誰からも愛されない悪役令嬢に転生したので、自由気ままに生きていきたいと思います。
木山楽斗
恋愛
乙女ゲームの悪役令嬢であるエルファリナに転生した私は、彼女のその境遇に対して深い悲しみを覚えていた。
彼女は、家族からも婚約者からも愛されていない。それどころか、その存在を疎まれているのだ。
こんな環境なら歪んでも仕方ない。そう思う程に、彼女の境遇は悲惨だったのである。
だが、彼女のように歪んでしまえば、ゲームと同じように罪を暴かれて牢屋に行くだけだ。
そのため、私は心を強く持つしかなかった。悲惨な結末を迎えないためにも、どんなに不当な扱いをされても、耐え抜くしかなかったのである。
そんな私に、解放される日がやって来た。
それは、ゲームの始まりである魔法学園入学の日だ。
全寮制の学園には、歪な家族は存在しない。
私は、自由を得たのである。
その自由を謳歌しながら、私は思っていた。
悲惨な境遇から必ず抜け出し、自由気ままに生きるのだと。

雪解けの白い結婚 〜触れることもないし触れないでほしい……からの純愛!?〜
川奈あさ
恋愛
セレンは前世で夫と友人から酷い裏切りを受けたレスられ・不倫サレ妻だった。
前世の深い傷は、転生先の心にも残ったまま。
恋人も友人も一人もいないけれど、大好きな魔法具の開発をしながらそれなりに楽しい仕事人生を送っていたセレンは、祖父のために結婚相手を探すことになる。
だけど凍り付いた表情は、舞踏会で恐れられるだけで……。
そんな時に出会った壁の花仲間かつ高嶺の花でもあるレインに契約結婚を持ちかけられる。
「私は貴女に触れることもないし、私にも触れないでほしい」
レインの条件はひとつ、触らないこと、触ることを求めないこと。
実はレインは女性に触れられると、身体にひどいアレルギー症状が出てしまうのだった。
女性アレルギーのスノープリンス侯爵 × 誰かを愛することが怖いブリザード令嬢。
過去に深い傷を抱えて、人を愛することが怖い。
二人がゆっくり夫婦になっていくお話です。

ある辺境伯の後悔
だましだまし
恋愛
妻セディナを愛する辺境伯ルブラン・レイナーラ。
父親似だが目元が妻によく似た長女と
目元は自分譲りだが母親似の長男。
愛する妻と妻の容姿を受け継いだ可愛い子供たちに囲まれ彼は誰よりも幸せだと思っていた。
愛しい妻が次女を産んで亡くなるまでは…。

【完結】断罪された悪役令嬢は、全てを捨てる事にした
miniko
恋愛
悪役令嬢に生まれ変わったのだと気付いた時、私は既に王太子の婚約者になった後だった。
婚約回避は手遅れだったが、思いの外、彼と円満な関係を築く。
(ゲーム通りになるとは限らないのかも)
・・・とか思ってたら、学園入学後に状況は激変。
周囲に疎まれる様になり、まんまと卒業パーティーで断罪&婚約破棄のテンプレ展開。
馬鹿馬鹿しい。こんな国、こっちから捨ててやろう。
冤罪を晴らして、意気揚々と単身で出国しようとするのだが、ある人物に捕まって・・・。
強制力と言う名の運命に翻弄される私は、幸せになれるのか!?
※感想欄はネタバレあり/なし の振り分けをしていません。本編より先にお読みになる場合はご注意ください。

婚約破棄をいたしましょう。
見丘ユタ
恋愛
悪役令嬢である侯爵令嬢、コーデリアに転生したと気づいた主人公は、卒業パーティーの婚約破棄を回避するために奔走する。
しかし無慈悲にも卒業パーティーの最中、婚約者の王太子、テリーに呼び出されてしまうのだった。

公爵令嬢は、どう考えても悪役の器じゃないようです。
三歩ミチ
恋愛
*本編は完結しました*
公爵令嬢のキャサリンは、婚約者であるベイル王子から、婚約破棄を言い渡された。その瞬間、「この世界はゲームだ」という認識が流れ込んでくる。そして私は「悪役」らしい。ところがどう考えても悪役らしいことはしていないし、そんなことができる器じゃない。
どうやら破滅は回避したし、ゲームのストーリーも終わっちゃったようだから、あとはまわりのみんなを幸せにしたい!……そこへ攻略対象達や、不遇なヒロインも絡んでくる始末。博愛主義の「悪役令嬢」が奮闘します。
※小説家になろう様で連載しています。バックアップを兼ねて、こちらでも投稿しています。
※以前打ち切ったものを、初めから改稿し、完結させました。73以降、展開が大きく変わっています。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる