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第四章
儀式 7
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どうしても離れづらくて何度も腰を浮かせては座り直し、ようやく「もう行くよ。少しだけ待っていて」と、コウの額にキスして立ちあがった。
今度こそ、ショーンの待つ書斎へと足早に向かった。僕たちが準備をしている間に彼は儀式のリハーサルを終え、入れ替わりで浴室を使う予定になっているのだ。だが約束の時間は過ぎてしまっている。
ところが書斎の中央でじっと佇んで僕を待っていた彼は、すでに入浴を終えて着替えも済ませていた。訝しんだ僕の視線に応えて、「泥で汚れちまった、て言ったらスミス夫人が使用人用の浴室を使わせてくれたんだ」とぎこちなく笑って言った。
僕は軽く頷いて、「調子はどう?」とゆったりと微笑みかける。ショーンは、肩をいからせて大きく息を吸いこみ、ふーと吐きだす。
「何とかいけそうだよ。きみのお陰だな。最後の手段ってヤツがあるだけで、かなり気が楽になったよ」
「それは良かった」
「でも、あくまで最後の手段だ。使わなくて済むように頑張るからさ。さぁ、最終確認といこうぜ!」
ここからは僕に、というよりも自分自身に確認するために、ショーンは説明になっているとも思えない手順や呪文を、早口で語り始める。声がやはり緊張している。けれど朝に感じたような恐れの色は、かなり減っているように見えた。心の深部に根ざした恐怖の感情をすっかり失くしてしまうことは、そう簡単ではない。けれど、何をどうしていいのかも判らないような混乱は、処理できているようだった。
ひとしきりして、「あとは陽が落ちるのを待つだけだな」と深いため息とともにショーンが呟く。
「あと1時間ってところかな。お腹、空かないかい?」
「緊張でそれどころじゃないよ」と苦笑するショーン。言われてみれば僕だってそうだ。潔斎のために食べるな、と言われるまでもなく、何も喉に通りそうもない。書斎で食べるから、と用意してもらった昼食のサンドイッチは、そのまま窓辺に置いてある。「きっとこの家なら妖精でもやって来て食べてくれるさ」などと、ショーンと二人苦笑し合って。
せかせかと落ち着きなく部屋のなかを歩き回っている彼の背中をぼんやりと見つめていると、ありがとう、という想いが心の底から湧きあがってきた。
自分でも驚くほど、心は澄み渡り落ち着き払っている。
覚悟を決めたのだな、と思う。
もう、目覚めたコウが僕を拒んだってかまわない。儀式が失敗に終わって、無様に赤毛に頭を下げることになったってかまわない。
コウの生を、コウのなかに取り戻す。それさえ叶えばいい。
できることなら、僕の手で――。
だから、これは僕の最後の我がままだ。
その我がままを叶えるために、こうして力を尽くしてくれているショーンに、心から感謝する。
後は、僕の役割を果たすだけだ。
と、そのときドアをノックする音がした。ショーンの返事にスミス夫人が顔を覗かせる。
「アルバート坊ちゃん、こちらにおいでです?」
「いるよ。何か?」
「いつもより早いんですがね、旦那様が一緒にお食事はどうですか、っておっしゃられているんですよ。お仕事も一段落されたし、お祝いもかねてって」
「お祝いって、仕事を終えた?」
首を傾げた僕に、「何、おっしゃるんですか!」と、彼女は声をたてて笑った。「坊ちゃんのお誕生日ですよ!」
朗らかで温かな夫人の声とは裏腹に、僕の背筋は緊張で強張る。
――日没にはまだ早い。
日常の行動様式には何よりも規則正しさを求める彼が、食事時間を変えるなんて――。人形制作に没頭して時間に遅れることはあっても、早めるなんて、これまでなかったことなのだ。思わずショーンに目線を送る。彼は判らないほど軽く頷く。
「ご一緒させていただくよ」
強張る頬を無理やり引きあげ、微笑して応えた。
「さぁさぁ、旦那様はもう食堂でお待ちなんですよ」
急き立てる夫人に黙って頷く。
「誕生日おめでとう! アイスバーグ氏にもよろしく伝えてくれ。ゆっくり楽しんでな」と、強く頷きかけるショーンに、僕もしっかりと頷き返した。
時間が早まったのは想定外だが、こうして彼の方から僕を呼んでくれるなら願ったりだ。僕にとっては不自然に思われることなく彼との時間を持てるかどうかの方が、ショーンの魔術師としての出来、不出来よりもよほど大きな懸念材料だったのだから。
書斎から出る際に、もう一度振り返ってこの部屋を眺めた。張り詰めた眼差しで僕を見ているショーンに微笑みかける。
頼んだよ、コウを――。
彼は僕の声が聴こえているかのように、脇に下ろしていた拳をぐっと握り固めていた。
今度こそ、ショーンの待つ書斎へと足早に向かった。僕たちが準備をしている間に彼は儀式のリハーサルを終え、入れ替わりで浴室を使う予定になっているのだ。だが約束の時間は過ぎてしまっている。
ところが書斎の中央でじっと佇んで僕を待っていた彼は、すでに入浴を終えて着替えも済ませていた。訝しんだ僕の視線に応えて、「泥で汚れちまった、て言ったらスミス夫人が使用人用の浴室を使わせてくれたんだ」とぎこちなく笑って言った。
僕は軽く頷いて、「調子はどう?」とゆったりと微笑みかける。ショーンは、肩をいからせて大きく息を吸いこみ、ふーと吐きだす。
「何とかいけそうだよ。きみのお陰だな。最後の手段ってヤツがあるだけで、かなり気が楽になったよ」
「それは良かった」
「でも、あくまで最後の手段だ。使わなくて済むように頑張るからさ。さぁ、最終確認といこうぜ!」
ここからは僕に、というよりも自分自身に確認するために、ショーンは説明になっているとも思えない手順や呪文を、早口で語り始める。声がやはり緊張している。けれど朝に感じたような恐れの色は、かなり減っているように見えた。心の深部に根ざした恐怖の感情をすっかり失くしてしまうことは、そう簡単ではない。けれど、何をどうしていいのかも判らないような混乱は、処理できているようだった。
ひとしきりして、「あとは陽が落ちるのを待つだけだな」と深いため息とともにショーンが呟く。
「あと1時間ってところかな。お腹、空かないかい?」
「緊張でそれどころじゃないよ」と苦笑するショーン。言われてみれば僕だってそうだ。潔斎のために食べるな、と言われるまでもなく、何も喉に通りそうもない。書斎で食べるから、と用意してもらった昼食のサンドイッチは、そのまま窓辺に置いてある。「きっとこの家なら妖精でもやって来て食べてくれるさ」などと、ショーンと二人苦笑し合って。
せかせかと落ち着きなく部屋のなかを歩き回っている彼の背中をぼんやりと見つめていると、ありがとう、という想いが心の底から湧きあがってきた。
自分でも驚くほど、心は澄み渡り落ち着き払っている。
覚悟を決めたのだな、と思う。
もう、目覚めたコウが僕を拒んだってかまわない。儀式が失敗に終わって、無様に赤毛に頭を下げることになったってかまわない。
コウの生を、コウのなかに取り戻す。それさえ叶えばいい。
できることなら、僕の手で――。
だから、これは僕の最後の我がままだ。
その我がままを叶えるために、こうして力を尽くしてくれているショーンに、心から感謝する。
後は、僕の役割を果たすだけだ。
と、そのときドアをノックする音がした。ショーンの返事にスミス夫人が顔を覗かせる。
「アルバート坊ちゃん、こちらにおいでです?」
「いるよ。何か?」
「いつもより早いんですがね、旦那様が一緒にお食事はどうですか、っておっしゃられているんですよ。お仕事も一段落されたし、お祝いもかねてって」
「お祝いって、仕事を終えた?」
首を傾げた僕に、「何、おっしゃるんですか!」と、彼女は声をたてて笑った。「坊ちゃんのお誕生日ですよ!」
朗らかで温かな夫人の声とは裏腹に、僕の背筋は緊張で強張る。
――日没にはまだ早い。
日常の行動様式には何よりも規則正しさを求める彼が、食事時間を変えるなんて――。人形制作に没頭して時間に遅れることはあっても、早めるなんて、これまでなかったことなのだ。思わずショーンに目線を送る。彼は判らないほど軽く頷く。
「ご一緒させていただくよ」
強張る頬を無理やり引きあげ、微笑して応えた。
「さぁさぁ、旦那様はもう食堂でお待ちなんですよ」
急き立てる夫人に黙って頷く。
「誕生日おめでとう! アイスバーグ氏にもよろしく伝えてくれ。ゆっくり楽しんでな」と、強く頷きかけるショーンに、僕もしっかりと頷き返した。
時間が早まったのは想定外だが、こうして彼の方から僕を呼んでくれるなら願ったりだ。僕にとっては不自然に思われることなく彼との時間を持てるかどうかの方が、ショーンの魔術師としての出来、不出来よりもよほど大きな懸念材料だったのだから。
書斎から出る際に、もう一度振り返ってこの部屋を眺めた。張り詰めた眼差しで僕を見ているショーンに微笑みかける。
頼んだよ、コウを――。
彼は僕の声が聴こえているかのように、脇に下ろしていた拳をぐっと握り固めていた。
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