胡桃の中の蜃気楼

萩尾雅縁

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七章

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 いつものホテルで、アレンは、吉野とフレデリックと待ち合わせているところだった。早く到着しすぎてラウンジのソファーでぼんやりしていた彼の前に、数人の男たちが立ち並び、うやうやしくお辞儀をする。白いサウブを着たその使者は、アブド・H・アル=マルズークの名を告げて、招待を受けて欲しいと懇願する。

「悪いがこいつは俺の客なんだ」

 背後からの聞き覚えのある声に振り返る。
 使者たちはそれ以上強くでることもなく、二言、三言、慇懃な挨拶を告げると新参者にその場を譲り姿を消した。だがアレンはすぐにとげとげしい視線を声の主であるマルセッロ・ボルージャに向け、警戒感を新たにする。

 マルセッロはひょいと肩をすくめて苦笑すると、顎をしゃくって階上を示した。
「あいつを待っているんだろ? ヨシノ・トヅキを」
 答えないアレンにはマルセッロの方も慣れたもので、返事などもとより期待していないかのように喋り続ける。
「上にいるよ。マルセルの具合がよくないんだ。あいつ、今日にはここを発つんだろう? ぎりぎりまで下りてこないぞ」

 だがアレンは彼を無視して、変わらずに下を向いて黙っているだけだ。マルセッロは小さくため息をついた。

「悪かったよ。でも、もうお前に用はないから、そう警戒するなよ」
「用って――」
 自分にかまってくることに、何か意味でもあったのか? と初めてアレンは迷いながら顔をあげた。
「ヨシノはマルセルと契約したんだ。だから、お前は用なしだからな、どうでもいいってこと」

 眉を潜めたアレンに、マルセッロは面白そうに無邪気に笑いかけてきた。
「教えてやろうか? 知りたいだろ。お前の男の本性」




 彼らは今、一ヶ月以上前から予約しないと取れないはずの席に座り、アフタヌーン・ティーセットを前にしている。

 兄もラザフォード卿も、こういう権力の使い方はしない。

 そんなことを思いながら、アレンは向かいに座るマルセッロをそっと盗み見る。傍らにはフレデリックもいてくれているのだ。ボディーガードの二人も、いつものように隣のテーブルにいる。
 そうそう困った事にはならないはずだ、とそう思って、アレンはマルセッロの誘いを受けたのだった。


 予定外のお茶会は、すでにどれほどの時間が経ったか判らない。その間ほぼ聞くことに徹していたアレンを相手に、マルセッロは不平、不満をぶちまけて喋りに喋っていた。

 どうしてこう、ラテン系の人は、よく食べて、よく喋るのだろう――。

 それとも、こういう血筋なのだろうか、とルベリーニ公やフィリップを思い浮かべ、若干の疲れを感じてアレンは目を伏せる。


「納得したか?」
 やっとひと息ついたのか、高慢な顔つきで放たれたマルセッロの一言に、アレンは苦笑し頭を振った。
「そんな根も葉もない罵詈雑言を僕が信じるはずがないでしょう? 時間の無駄でした」
 微笑みすら浮かべているアレンに、マルセッロはつまらなそうにちっと舌打ちをする。
「お前、馬鹿なんじゃないのか? ちょっと経済の知識があれば判るだろうが」

 アレンは黙って、話を聴いている間は手をつけなかったサンドイッチに手を伸ばす。答えたくない質問には、口を塞いでおけば良いとばかりに。

 その冷淡な反応に、マルセッロはまた苛立たしげに舌打ちをする。

 フレデリックはそんな二人をチラチラと盗み見ながら、口を挟むことなくお茶を飲んでいる。大貴族であるルベリーニ一族においそれと口が利けるわけがない、というところだ。

「ヨシノ、遅いね」
 アレンはすっぱりとマルセッロを無視して、フレデリックに話しかけた。
 さすがのマルセッロも退屈してきたのか、「呼んできてやる」と、席を立つ。


 フレデリックは、その後ろ姿が見えなくなると、ほー、っと深くため息をついた。
「さすがにスペイン・ルベリーニだね、あの迫力は。ああ、緊張しちゃったよ。きみもすごいね。普段のきみじゃないみたいだ。やっぱり、きみって大企業の御曹司なんだね。あんな難しい話をされて動じないなんて。僕なら簡単に丸め込まれてしまうよ。ちっとも話のアラを見つけられなかったもの」
「僕もだよ」
 アレンは力尽きたふうに脱力し、背もたれにもたれかかって、覇気のない笑顔をフレデリックに向けた。
「彼の言っていた事、嘘じゃないと思う」

 身体を起こして背筋を伸ばすと、アレンは苦笑しながら首を傾げた。

「彼の言うとおり、ヨシノはお祖父様を攻撃するために原油を暴落させたのだろうし、ヨシノの命を狙ったのはお祖父様だったっていうのも、――おそらく、そうなんだろうなって思うよ」

 話しながらティーカップを持ち上げて、アレンはこくりと一口喉を湿らせた。そして、おもむろにそのカップを下ろしたあとには、哀しげな笑みが零れていた。

「フレッド、僕に、本当の意味で生きる事を教えてくれたのはヨシノだから。彼が僕という器に生きた魂を吹き込んでくれた。僕が今ここにあるのは彼のおかげだ。――だから、僕は毎日、自分にこう言い聞かせているんだよ。感謝の心を忘れてはいけない。自分の本質を忘れてはいけない。彼がこの幸福を僕にくれたのだから、彼がくれるものが、傍から見ればたとえ不幸にしか見えないないものでも、僕は喜んで受け取ろう、てね」

 唇を開き、言いかけた言葉を、フレデリックは寸前でそのまま呑み込んだ。彼はただ、その澄んだ空色の瞳に悲痛な色を浮かべて、憐れむようにアレンを見つめた。

「アレン、彼は――、ヨシノは、神じゃない」
「それでも僕は信じている。彼が何者であろうとも」

 凛として、潔く、そして艶やかに微笑んだアレンから、フレデリックは奥歯を噛み締めて視線を逸らし、遅れてゆっくりと顔を伏せたのだった。




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