胡桃の中の蜃気楼

萩尾雅縁

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六章

距離

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 ふくれっ面をしたままパソコン画面を睨みつけ、恐ろしい速さでキーボードを叩いているサラを、飛鳥は心配そうにそっと横目で盗み見ていた。

 怒っている。すごく、怒っている――。

 小さくため息を漏らし、飛鳥はどうすればサラの気持ちが切り替わるのか必死に思考を巡らせる。

 ニースでのド・パルデュ家のパーティーに出席したヘンリーは、翌日には帰ってくる予定だったのだ。ところが急遽予定を変更し、見本市当日までホテルの会議室を借り切って、TSと人口知能を組み合わせたヘンリーの質疑応答3D映像を作ると言いだした。ロンドンのコズモス本社からプログラマーを出張させ、組んだプログラムにサラが修正を入れて欲しいと要望が入った。
 そこまでが昨夜の話。お昼にはアレンも同行させるとメールが届き、夜には、コズモススタッフだけでは無理だからまずはサラに雛型を――、と二転三転するヘンリーの依頼に、サラは必死の形相で応えているのだ。

「アスカ、」
 唐突に声をかけられ、飛鳥はびくりとサラを見る。
「3D映像を作って欲しいの」
「3Dは……」
「映像酔いがでるようなタイプじゃないから。私、人工知能の方をやるから、お願い」
 飛鳥は切羽詰まった表情のサラに目を瞠り、頷く。こんな彼女に向かってノーなんて言えるはずがない。
「僕は何をすればいいのかな?」
 サラは、頭上モニターの一つを指で示した。そこに映しだされるヘンリーのメッセージと添付された映像に飛鳥は思わず息を呑み、自分の椅子から立ちあがって食い入るように画面を凝視する。

「これ?」
 信じられない面持ちでサラを振り返る。
「この3D映像を作れって?」
 サラは真剣な瞳で頷く。
「僕は、嫌だ」
 眉を潜め、飛鳥はゆっくりと首を横に振る。
「それならヨシノに頼む」
「ヘンリーがそう言ったの?」
 サラは静かに頷いた。その顔はもうパソコン画面に向かい作業を再開している。

「時間がないの」
「吉野にやらせるくらいなら、僕がする」

 やっと聞き取れるほどの小声で飛鳥は呟き、サラと並んで座る横長のパソコンデスクに肘をついて両手を組み合わせた。うち沈むその顔を隠すように、組んだ手に額を当てる。それは同時に、長い、長い祈りを捧げるようでもあった。

 カチャカチャと、サラがキーボードを叩く音だけが聞こえる。

 かなりの時間が経ってから、ようやく飛鳥は顔をあげ、じっと真っ黒な画面を見つめたまま呟やくように訊いた。

「TSガラス何枚使える?」
「何枚必要?」
「ステージだけなら最大倍率で十枚。でも、最大限の効果を狙うならもっと。ヘンリーに訊いて。どれだけ使ってもいいのか。ロンドンとスイスの在庫、確認して。全部送ってもらって、全部、パリに!」





 パリ市内、アーネストは某ホテル内の会議室のドアを小さくノックしていた。できるだけ音をたてないように静かに開けたドアを後ろ手に閉め、ぐるりと室内を見渡す。
 落ち着いたグレーのカーペットにオフホワイトの壁。窓には同色のカーテンがかかっている特徴のない箱のような部屋だ。その中央に会議用長机が二列並べられ、もう真夜中近いというのに、パソコンを前にした五人のプログラマーが必死の形相で画面と闘っていた。壁の前にはコズモス社の大型機材と、試作用のTSパネルが数台置かれている。

 そんな彼らから距離を開けて置かれたソファーセットにいるヘンリーは、じっと見つめていた眼前のTS画面からやっと目を離して片手をあげ、アーネストを呼んだ。

「アーニー、アスカからメールがきている。見るかい?」
 くたびれきった、だが緊張した面持ちで歩み寄ったアーネストに、ヘンリーはくるりと画面を向けてみせる。
「見えない。第三者設定に切り替わっていないよ」
「ああ、失礼」
 ふわりと笑うアーネストをチラと見て、ヘンリーは小さく暗証コードを呟いた。
 瞳孔認証で持主を特定するTSネクスト画面を他人と共有するには、設定を切り替えなければならない。些細な手間だが、それを忘れてしまうことは稀だった。

 初日からなにを緊張しているんだ、僕は!

 ヘンリーは自分を叱咤するように、大きく息を吸い込んだ。

「OK」
 アーネストはネクタイを緩め、上着をばさりと脱いで背もたれにかけ、思いだしたようにポケットから眼鏡を取りだしてかけた。


「お見事――。さすがアスカだね。完璧な企画書だ」
 つい先ほどまでの疲れ切っている自分を忘れてしまったかのように、アーネストは頬を紅潮させて振りむく。
「それで、デイヴは?」
「明日の昼には。今、あいつは新ポスターの色味を手直ししているんだ。看板用の大型版はどうしても画質が落ちるからね」
「看板用? そっちまで切り替えるのかい? 僕は会場ブースのみのつもりだった。印刷が間に合わないだろうに」
「間に合わせるのさ」

 アーネストはついっと頭をあげ、自慢気に微笑んでいる。ヘンリーも目を細めてクスッと笑った。
 あのデヴィッドが汗まみれになって印刷所に籠って働いているなんて、このふたりの父、ラザフォード侯爵が知ったら卒倒してしまうかもしれないな――。と、その事実が無性に可笑しかったのだ。


「でも、もしも無駄骨ならうちの損失はどれくらいになるんだい?」
 アーネストが厳しい視線をヘンリーに向けた。
「ヨシノが立てた損失試算を見るかい? プランAからプランEまである」
 ヘンリーはしなやかに画面を切り替えた。

「僕がサラに送ったのは、プランA。アスカからもらった企画書は、」
「プランEとほぼ同じ内容だな。損失最大の五百万ポンド!」
「あの二人、どうしようもなく兄弟だね」
 クスクスと楽しそうに笑うヘンリーに、アーネストも苦笑して頷くしかない。

「アスカの企画書通りに?」
「するよ。もうチューリッヒにもロンドンにも発注した」
「そう。それならこちらも最大限に手を尽くさないとね。」
 ヘンリーのすっきりとした顔を見つめ、アーネストは深く、長く、溜息をつく。
「そう言えば、アレンは?」
「先に休ませたよ。明日からは、キリキリ働いてもらうからね」
 アーネストが怪訝そうに顔を傾げる。
「デイヴと二人でプレス対応にまわす。今の僕はそこまで暇じゃないもの」
「確かに」


「ボス! 試作プランA届きました。初号試写お願いします!」

 緊張して立ちあがったプログラマーの一人に、ヘンリーはおもむろに頷いた。
「OK。流して」

 別の一人が立ちあがり天井の電気を消した。薄暗い室内にパソコンの青白く輝く液晶画面が光る中、皆、食い入るようにオフホワイトの壁を見つめた。






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