神水戦姫の妖精譚

小峰史乃

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第七部 第二章 ファイナル・ランウェイ

第七部 無色透明(クリアカラー)の喜び 第二章 3

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          * 3 *


 ――状況がわかったのは良かったが、そろそろオレの出番はないな。
 スマートギアの話に入り、主に百合乃と平泉夫人、それから彰次の間で話されていて、近藤はすっかり手持ち無沙汰になっていた。
 克樹もちょこちょこと話に参加しているし、夏姫も彼と一緒にいるつもりだろうが、近くを見てみると灯理と猛臣もまた、近藤と同じく話に参加できなくなっていた。
「俺様はそろそろ帰るぜ。戻ったら仕事がたんまりあるし、連日の無駄な試験で疲れてるんだ。まぁ、無駄だってわかってるのはチームの中で俺様だけだから仕方ないんだが」
 そう言って猛臣は立ち上がり、大きな欠伸を漏らした。
「わかった。ありがとう、猛臣」
「気持ち悪ぃこと言うな。俺様だって関係者だ。必要がありゃ出向くし、聞きたい話がありゃ遠くても来る。そんだけだ」
「うん、そうだな」
 椅子から立って向かい合う克樹にかける猛臣の言葉が、そしてなによりいまの表情が、どことなく以前より柔らかい。
 ――槙島に何かあったんだろうか?
 エリキシルバトル終了という大きな事件があったわけだが、それにしては荒れるのではなく角が取れたような印象の彼に、近藤は首を傾げてしまっていた。
「百合乃ちゃん、か。リーリエには俺様も世話になった。いまはもう直接力を貸すことはできそうにもないが、何かあったら連絡してくれ」
「いいえ。リーリエを助けてくださって本当にありがとうございました。貴方の協力がなければ、エイナさんに匹敵するこの身体を、アリシアを完成させることはできませんでしたから」
「ん……。モルガーナの奴と戦う日時がわかったら必ず教えてくれ。もう俺様が戦うことはできないが、見届けたい」
「わかりました」
 克樹と並んで立った百合乃から差し出された手と握手する猛臣は、これまでを知ってる近藤からは気持ちが悪いくらいのことを言っていた。
「それじゃあな。――お前らはどうする? 帰るんだったら家まで車で送るぜ」
「え? あ、あぁ、頼む」
「あっ、はい。よろしくお願いします」
 声をかけられた近藤と灯理は、反射的にそう返事をして顔を見合わせる。克樹や平泉夫人に挨拶した後、小ホールを出ていく彼の後を追いかけていった。
 芳野の先導で駐車場に直接繋がった扉から外に出、猛臣の車の後部座席に灯理とともに乗り込んだ。
「少し早いが、飯でも食ってくか。無理矢理時間を空けて来たもんだから、朝からたいしたもの食ってねぇんだ」
 幹線道路に出た車には、傾き始めているもののまだ高い日差しが当たっている。
 もう十一月も半ばだから、そう遠くなく暗くなり始めるだろうが、今日の話し合いは昼過ぎに始まったこともあり、夕食にはまだ少し早い時間だった。
「済まないが、オレはそんなに持ち合わせが……」
 事件を起こした後、家賃の支払いと餓死しない程度の仕送りしか親からの援助がなくなった近藤は、退部となった部活の先輩の家がやっている道場で、鍛錬のついでに手伝いをして食事とバイト代をもらって凌いでいた。
 克樹に保証してもらってPCWで買い揃えたガーベラのパーツの支払いもあり、懐具合は常に厳しい。
 家が金持ちで高校生の身でスフィアロボティクスに勤め、高校生にしては稼いでいる克樹よりもさらに懐に余裕があるらしい猛臣の経済レベルに合わせた食事などしていられそうにはなかった。
 バックミラーに映った猛臣は、渋い顔をする近藤に苦笑いを浮かべる。
「食事するってもそこらのファミレス程度しか考えてねぇよ。この辺の店にも詳しいわけでもねぇ。それに、それくらいは奢ってやるっての」
「え? あ、あぁ……、済まないな」
「それは気にするな。いまさら敵ってわけでもないんだからな」
 やはりどことなく以前と変わったように思える猛臣に、近藤は首を捻って目を細めていた。
 それから返事もしていない灯理の方を見てみると、彼女は真っ直ぐ前に顔を向け、唇を引き結んでいた。
 ――大丈夫なのか? 中里は。
 前回集まったときには顔すら出さなかった灯理。
 目を治すことを強く願い、エリキシルバトルの強制終了に酷く落胆しただろう彼女。
 それは今日の様子からもだいたい見て取れていたし、隣の席に座っていたから気も使っていたが、近藤にはどう声をかけたり、慰めたりしたらいいのかわからなかった。
 柔らかくなった感じのある猛臣とは逆に、硬くなった感じのある灯理のことは、近藤では扱いきれなかった。
 何か話題でも振ろうかと思ったが、何も思いつかない。
 まるで石のように、ほとんど微動だにせずじっとしている灯理に、触れることはできなかった。
 猛臣もまた灯理のことを気にしているように視線を飛ばしてきてはいるが、運転中の彼が積極的に話題を振ってくることもない。
 重苦しい空気に支配された車内で、近藤が息苦しさを感じ始めた頃、ぽつりと灯理が漏らした。
「ワタシたちは……、ワタシは、何のために戦ってきたのでしょうか」
 小さな声だったが、沈黙に支配された中で漏らされたその言葉は、はっきりと近藤の耳に残った。
「いえ、何でもありません。忘れてください」
「忘れてくださいって……、中里――」
「何でもないのです。済みません」
 ちらりと近藤の方に顔を向け、スマートギア越しに何も言わせぬ鋭い視線を飛ばしてきた灯理に、近藤はそれ以上追求できなくなってしまう。
「食事は後回しだ。ちょっと寄り道する」
 しかし大きなため息を漏らした猛臣が、ハンドルを回してすぐ近くの交差点の右折車線に車を入れた。
「いや、あんまり遅くなるのは、な」
 まだ早い時間とは言え、どこに行くのかわからないし、戻ってくるのがどれくらいの時間になるかもわからない。男である自分はともかく、女の子であり、精神的に不安定になっている様子の灯理のことが心配で、近藤は反発してみせる。
「ワタシは、大丈夫です」
 近藤の心配をよそに、頷いて寄り道に同意する灯理を見ると、彼女は相変わらず真っ直ぐ正面に顔を向けている。
 医療用スマートギアの技術が克樹の役に立ちそうだとわかったときには喜んでいた様子だったが、その程度のことでは払拭できないほどの想いを、いまの彼女が抱え込んでいるのは確かだった。
「今日は家には誰もいません。多少遅くなっても問題ありません」
「ちょいと遅い時間にはなるだろうが、ちゃんと家まで送ってやるから心配するな。それとも近藤、お前は帰るか?」
「……いや、一緒に行くよ」
 猛臣が邪な欲望を灯理に抱いているとは思えないが、さすがにふたりきりにはできない。
 灯理の抱えている感情は、その一部を自分もまた持っていることを、近藤は感じていたから。
 バックミラー越しにイヤな笑みを向けてくる猛臣に、意識的に眉を顰めて見せた近藤は、諦めのため息を吐き出した。
 再び訪れた沈黙は、しかし先ほどの重苦しさは幾分か和らいでいた。
 灯理のことを気にしつつも、余裕が出てきた近藤は移り変わっていく外の様子を眺める。
 比較的郊外にある平泉夫人の屋敷から、近藤や灯理の家に向かうために都心方向に走っていた車は、いまは逆に山の方へ。市街を離れ、山間の幹線道路を一時間ほど走り、最後には鬱蒼とした林の中を、ぐねぐねした長い上り坂を進んでたどり着いた場所。
「こっちだ」
 エンジンを切って車を降りた猛臣に促され、灯理とともに降り立ったのは、山の中にある自然公園らしい場所の駐車場だった。
 傾いていた陽は山の向こうに姿を消し、暗くなりつつある駐車場を横断し振り向かずに歩いていく猛臣。どうしてこんなところまで連れてきたのかわからなくて、灯理と顔を見合わせつつも、近藤は仕方なく猛臣の後に着いていく。
 コンクリートの階段を登り、土が剥き出しの丘を歩いて見えてきた建物らしき物体は、近づいてみると展望台であることがわかった。
 昼間は家族連れなどで賑わっていた様子の公園内には、冬の厳しい寒さに曝されて、いまは人影ひとつない。
 猛臣が上がっていったのを見て近藤も展望台に上がってみると、眼下には煌めきが増してきている街が広がっていた。
 冬のこの時間に来るには寒すぎるが、暖かい時期ならば恋人同士で来るのに絶好の展望ポイントだろうと思えた。
 眼下に広がる夜景だけでなく、連なる山がそう遠くないくらいの場所にあるため、まだ夕焼けが終わっていないにも関わらず、空に散りばめられた星も近藤が住んでいる都内よりも明らかに多かった。
「……なんでこんなとこ知ってるんだ?」
 それほど仲が良いわけではないのもあるが、復活を望んでいたらしい女性以外に浮いた話も聞いたことはなく、自宅は関西であるはずなのに関東のこんな場所を知っている理由が、近藤にはわからなかった。
 半眼で猛臣の方を見てみると、彼は頬を掻きながら目を逸らしていた。
「……まぁ、俺様の趣味のひとつは、天体観測だからな。最低限の機材は車に積みっぱなしにしてて、エリキシルバトルが始まってからは星を見に行く機会もなかったが、観測ポイントはある程度押さえてあっただけだ」
「天体観測って……。言っちゃあ悪いが、似合わないな」
「うるせぇな。別にいいだろ? ――いつも、感じてたことがあるんだよ」
「何をだよ」
 空を仰いだ猛臣は、ひときわ光る星に手を伸ばす。
「どう足掻いても、俺様じゃ、人間じゃ手に入らないものがあるってことを、だよ」
「……」
 光の速さでも何十年、何百年とかかるだろう星をじっと見つめている猛臣に、近藤は何も言えなくなった。
 それがいつから抱くようになった想いなのかは、わからない。
 近藤にわかるのは、手に届かないものに触れられるようになるはずだったエリキシルバトルは終わってしまった。それだけだった。
「さて、俺様たちが戦ってた理由、だったな」
 言って猛臣は無言のまま着いてきていた灯理に目を向ける。
 何を言うのかと思っていたら近藤の方に向き、問いかけてきた。
「お前はどんな理由で、エリキシルバトルに参加した?」
「そんなの……、梨里香を生き返らせるため、だ」
 叶えたかった願いなど、いまさら口に出さなくても猛臣も知っている。
 それでも彼からの問いに、近藤ははっきりとそう答えていた。
「いまはそのことをどう思ってて、どうしてそう思うようになった?」
「いまは……」
 そんなことを問うてくる猛臣の真意はわからない。
 けれども雰囲気ならばわかる。
 暗くなってきても見える彼の真っ直ぐな瞳に、問いかけの意味が映っている。
「……オレは最初、梨里香を復活させられると聞いて、一も二もなく参加することにしたんだ」
 少し考えた後、近藤は猛臣と灯理のふたりを見ながら話し始めた。
「どれくらいの強さがあれば勝ち残れるのかも、レーダーの使い方も最初はわからなかったし、梨里香の復活に必死で、人を傷つけることだってそんなに気にしてなかった。そんなオレが変わったのは、克樹に負けてからだったな」
 灯理にはすっかり話していて、猛臣にも簡単には話してあるこれまでの顛末は、いまさら語るようなことではない。
 最初から話をしながら、今度はその当時のことを思い出して苦笑いが口元に浮かぶのを止められなかった。
「負けたこと自体も大きかったが、何て言うのかな……。オレはたぶん、克樹には絶対勝てないんだろう、って感じちまったんだ。それからは梨里香を復活させたいって強い気持ちは萎んじまって、それでもスフィアは奪われなかったから、願いが叶う希望は捨てられなかった」
 話している間に浮かんでくるのは、この一年と少しの間にあったこと、出会った人々のこと。
 エリキシルバトルをした回数は決して多くはない。それなのにこの期間は、いままでで一番濃密な時間だったように思える。
「猛臣、お前と克樹の戦いも見たし、エイナの強さも知った。希望が完全には消えなかったけど、オレじゃ絶対に最後まで勝ち残るのなんて無理だって、わかったんだ。……そんなときに、オレは梨里香に再会したんだ」
 猛臣と灯理は、口を挟まず近藤の言葉に聞き入っている。
 穏やかな表情で笑みを浮かべている猛臣に対し、灯理は額にシワを寄せている。
 そんな彼女も、先ほどまではあった、いつの間にか消えてしまいそうな、さもなくば潰れてしまいそうな儚さは薄まり、スマートギアで見えていない目が、近藤を真剣に見つめてきているのがわかる。
「あいつに再会して、話して、変わらない気持ちを確かめられた。……でも、オレの願いじゃ梨里香を救ってやることができないこともわかった。別れの言葉を言えなかったあいつともう一度別れたあとはもう、オレの願いは消えていたんだ」
「それは本当か?」
 問われて猛臣を見えると、彼は意地悪な笑みを唇の端に浮かべていた。
「どういう、意味だ?」
「最愛の人と話して、別れを言い合えたからって、そんなことで願いが綺麗さっぱり消えちまったってのか?」
 胸の奥に、火がついたような気がした。
 猛臣に指摘された途端、心臓が強く脈打って、身体が熱くなった。
 怒りとは違う、焦りにも近い熱。
 再燃。
 胸を手で押さえて、歯を食いしばった近藤は、言葉を返そうと思うのに、できないでいた。
「まぁいい。いま重要なのはそこじゃない」
 そう言った猛臣は、蔑みではない、どこか優しさを感じる視線を近藤に投げかけてきていた。
 何が言いたいのかわからなくて、近藤はそれを問おうと胸の奥の熱が収まるのを待つが、何かを言う前に猛臣が口を開いた。
「俺様もまぁ、だいたいこいつと同じような感じだ。こいつと違って、俺様は克樹の奴には勝てると思ってるし、フォースステージのエイナとリーリエにも、もちろん克樹の妹にも負けるつもりはない。ただ、そいつらに勝つにはいますぐってわけにはいかないがな、だが俺様にはもうエリキシルバトルの参加資格がない。イシュタルもウカノミタマノカミも動かない。モルガーナの本当の目的と、イドゥンなんて女神の存在も知った。正直、いまの状況は俺様の手に余る」
 そこまで話して大きなため息を吐いた猛臣は、胸壁に背中を預けて星空を仰いだ。
「まだ誰にも言ってなかったんだがな、俺様にもあったんだよ」
「何がだ?」
「前兆現象」
「槙島さんにも?」
「本当か?」
「あぁ」
 それはつまり、猛臣が復活を願っていた女性、槙島穂波に、ひとときとは言え再会したということ。
 ――そういうことかっ。
 それを知って、近藤は思い至った。
 今日の猛臣がこれまでと違って、刺々しさが和らぎ、優しさすら感じられるようになっている理由に。
「これまで言えなかったことをあいつに直接言えて。あいつが溜め込んでたものを聞けて、やっとあいつと気持ちを通じ合わせることができた。お前と同じだよ、近藤。俺様もあれだけ強く願ってたってのに、あいつとちょっと話しただけだってのに、薄れちまった」
 空から視線を下ろしてきた猛臣は、穏やかな表情をしていた。空の星がそこに降ってきたかのように、彼の目尻には光るものが見えた。
「そっか……」
 相づちを打ちながら、近藤の胸にもこみ上げてくるものがあった。
 ヒリつくようなものではない、暖かさ。
 それでも先ほども感じた熱が残っていて、胸の奥の火傷のような痛みも完全に消えたわけではなかった。
 横に立つ灯理を見てみると、喉を鳴らして息を飲んでいた。
 けれども引き結ばれた唇の内で噛みしめられた奥歯の力が、緩められた様子はない。
「お前はどうなんだ? 中里灯理」
 猛臣の柔らかな視線を受けて、深くうつむいた灯理。
 ギシリと、音が聞こえるほどに奥歯を噛みしめる力をさらに強める。
 それから、絞り出すように言った。
「ワタシ、は――」



「ワタシ、は――」
 うつむかせていた顔を上げ、灯理は叫んだ。
「受け入れられるはずが、ありません!!」
 思っていた以上に大きな声が出てしまったが、もう止められなかった。
 今日一日溜めていたものが――、エリキシルバトルが強制終了になってからずっと溜め込んでいたものが、一気に噴き出していた。
「近藤さんや、槙島さんは復活を願っていた人に会えて、満足できたかも知れません。でも……、でもワタシは! ワタシの願いは!!」
 お腹から声を出すように、身体の底から想いを絞り出すように身体を折り曲げる灯理に、近藤は目を見開き、猛臣は唇の端をつり上げて笑んでいる。
 三人の他に人の気配はなく、街も遠い夜の公園で、灯理の声が響き渡る。
「絵を描くことなんです!! 絵を描くために必要な目を取り戻すことなんですっ。前兆現象で一瞬見えるようになった程度で、満足なんてできるはずもありません!!」
 たくさん泣いて、泣き腫らして、諦めようと思った。
 無理だった。
 状況を聞いて、自分を納得させようとした。
 できるはずもなかった。
 エリキシルバトル強制終了の前、バトルに参加することになるよりさらに前、視覚を失ったと知ったときからずっと、ずっと溜め込んできたものが、いますべて噴き出してきているのを、灯理は感じた。
 絵は、灯理にとって魂の表現。
 出会ったもの、触れたものから感じたこと、想ったことを、魂からあふれ出すそれを表現するための、唯一の方法。
 それが灯理にとっての、絵を描くということ。
 それを断たれ、身体が弾け飛びそうなほど溜まったものが、灯理の身体に火を点け、燃え上がるほどに熱くしていた。
 晒すことなどできなかった。ぶちまけることなんてできなかった。
 作品という形で表現したものならば、多くの人に理解してもらえる。
 けれど直接魂からあふれ出すものを他の人にぶつけても、言葉でも行動でも表現しきれない、激しすぎるそれは、理解してもらうことなどできない。
 だからいままでは、誰にも見せてこなかった。克樹相手であっても、すべてをさらけ出すことなんてできなかった。
 でもいまはもう、抑えることなんてできない。
 抑える必要がなくなった。
「ワタシが何をしたって言うんですか! ワタシはただ、絵を描きたかっただけですっ。絵を描いて生きていきたかっただけです!! それだけのことしか望んでいなかったのに、事故に遭って、視覚を失って……」
 涙がにじんできているのは感じているのに、無機質なスマートギアの視界はにじむことすらない。
 感情を、魂を、全身を使って表現しても、それを汲み取ることない、汲み取ることなどあり得ないとわかっている機械にすらも、憎しみを覚える。
「克樹さんや夏姫さん、槙島さんにも、近藤さんにすらワタシが勝てないことはわかっていますっ。でも、それでもワタシは勝つしかなかった! 諦めることなんてできなかった! この目を治すために!! それなのに――」
 一気に身体から力が抜ける。
 灼熱の地獄から極寒の地獄へ。
 急速に全身が冷たくなって立っていられなくなった灯理は、胸壁に手を着いて身体を支える。
「魔女に……、女神に弄ばれていただけなんて、納得できるはずもありません!!」
 そう、灯理は星空に声を放った。
 叫んで、吐き出しても、まだ少しも晴れることのない、黒と灰色を混ぜ合わせたような鬱憤。
 想いとともにあふれ出してくる涙を零しながら、灯理は身体を震わせていた。
「だとしても、俺様たちにはモルガーナを倒す方法がない。戦う術もない。何もできることは、ない」
「それで貴方は諦めますか? 納得できるのですか?! ワタシにはできません!! ワタシから可能性を奪った魔女を、絶対に許すことなどできないから!!」
 声をかけてきた猛臣を、スマートギア越しでも突き刺すように、睨む。
「わかっています。もうワタシは戦えませんっ。克樹さんに後を託して、納得するしかありません! 納得したつもりでも、気持ちを納めたつもりでも、できるはずがないのですっ。この気持ちを消すことだけは!!」
 振り向いた灯理は、自分を見つめてくるふたりの男に問う。
「魔女に仕込まれて、女神の思惑に踊らされたワタシたちは、じゃあ何のために戦ってきたのですか! ワタシは、誰かの物語の脇役などではありませんっ。ワタシはワタシの物語の主人公なのです!! それなのに、ワタシは何のために戦って、きたんですか……」
 ぽたぽたと、頬から零れる涙が止まらなかった。
 声が震えて、もう上手く喋ることができなかった。
 押さえ込むことなどできない気持ちを、けれどもどうすることもできず、灯理は歯を食いしばって震えてることしかできない。
「オレだって……」
 微かな風の音と、食いしばった歯の奥から漏れる灯理の嗚咽しかない展望台で、うつむいていた近藤が顔を上げた。
「オレだって納得できてるわけじゃない! 確かにオレは克樹に後を託したさっ。だけどそれは、オレじゃどうにもならなかったからだ! いまでも……、いまでも梨里香を復活させたいさっ。梨里香と一緒に生きていきたいんだ!! でも……、でも……」
 そう言ってうつむき、拳を握りしめた近藤は、星よりも光り輝く滴を零し続けている。
 それを見ている灯理もまた、あふれだし頬を伝って落ちていく想いの滴が止まらなかった。
「俺様だって同じだっ。できるならいまからでもモルガーナをぶっ飛ばして、克樹にも、リーリエにも、エイナにも百合乃にも勝って、穂波を復活させたいんだ!!」
 全身で発してるような大声で、猛臣も叫ぶ。
 それから後ろに振り返った猛臣は、天の星よりも輝きだした夜景に向かって、呪いの言葉を張り上げた。
「モルガーーーーーナァーーーーーーーーー!!」
 どんなに大きな声も、冷たい空気に消えていく。
 ここにいる三人以外には誰にも届かない、叫び。
 近藤もまた猛臣に続いた。
「梨里香ぁーーーーーーーー!! オレはお前と、一緒に生きていきたいんだーーーーーーっ!!」
 猛臣も近藤と一緒に叫んでいた。
 どこにも届かない声を、何度も何度も、張り上げる。
 ――そうか。槙島さんは、このためにここを選んだんだ……。
 やっとそれに思い至り、そして叫び続けているふたりを見て、灯理もまたくすぶっている想いを吐き出さずにはいられなくなっていた。
「あああああああああああーーーーーっ!! ああああああああぁぁぁああああーーーーー!!」
 言葉にもならない、獣の雄叫びのような声。
 形にならない想いを吐き出すために、灯理はずっとずっと、声を出し続ける。
 そのあと灯理は、近藤と猛臣とともに、声が嗄れても、叫び続けていた。


            *


「何故こんなことをしたのか、話してもらおう」
 足下を照らしている照明と、演台のスポットライトだけでは部屋の中は暗く、集まっている十数人の顔すら判別がつかない。
 スポットライトの下に立った途端にかけられた声に、モルガーナは唇の端をつり上げた。
「必要だったからよ」
「必要、だっただと?」
 どよめきが起こった。
 全員が口々にモルガーナを非難する言葉をささやき合うが、直接それを彼女にぶつけてくることはない。
 フォースステージに至らせるために世界中のスフィアに貯まったエリクサーをエイナに集め、その影響でほぼすべてのスフィアが停止してから三週間ほど。
 世の中ではスフィアの機能復活を諦める機運が大勢を占めつつあった。
 早々にスフィアドール業界の元締めであるスフィアロボティクスがスフィアを捨て、クリーブへの乗り換えを宣言したために事態は沈静化の方向に向かってはいるが、新たに生まれた問題もあり、業界としての混乱は当分収まる状況にはない。
 それは当然想定していたことで、時期が想定より早まり、クリーブというイレギュラーが発生しているが、その程度のことはここまで進んだ計画にはなんら影響がない。
「貴女は、いったい何を考えているの?!」
 しわがれた口元だけが見える女性から発せられた、ヒステリックな声。
 それにも動じることはなく、モルガーナは人々に薄い笑みを返すだけだった。
 スフィア停止直後から、幾度となく開催のアプローチがあった会合。三週間経ってやっと開催したこの会合に集まっているのは、小康状態を保ちつつも意識の戻らない天堂翔機を除く、いつものメンバー。
 彼らは世界を動かすほどの権力や財力、人脈を持ち、ここの集まっていることが世間に知られるだけで大事になりかねないほどの、世界中の重鎮たち。
 多くの野望と、そして何よりエリクサーの奇跡による不老不死に釣られて集まっている彼らは、いまでこそ世界を動かすほどの力を持つ者であるが、その潜在能力を見出し、翔機ほどの手厚さではないが、目をかけ時間をかけて能力を伸ばしてきた者たちだった。
 彼らがいまの地位に就けているのは、モルガーナがそれだけのことをしてきたから。
 そんな彼らだからこそ、所属する国家や企業の表向きでは敵対するような人物たちでもこの場に集い、モルガーナに協力をしてきた。
 しかしいまは、彼らから険悪な視線がモルガーナに向けられている。
「すぐにスフィアの機能を元に戻せ」
 そう言ってきたのは、モルガーナに一番近いところに立っている男性。
 この会合の中でも主導的な立場にあり、同時にメンバーの中でも最も世界に対する影響力が大きく、その力も相応に高い人物。
 年齢の割にガッシリとした身体を上等なグレーのスーツに包む彼は、顔こそ暗がりで見えていないが、刺すような視線を向けてきていた。
「クリーブなどに主導権を取られてしまっては、これまでの我々の計画が台無しだ! 機能を戻すことができないというのならば、いますぐ正常に機能するスフィアを全世界に配布しろ! それをするためならば、我々は協力を惜しまないっ」
 おそらく会合の開催前にメンバー同士で意思確認をしていただろう提案。
 けれどモルガーナは、紅く塗った唇の端をつり上げるだけだった。
「そんなことをするつもりはないわ。する必要が、ないのよ」
 演台の上から、モルガーナは男を見下ろす。
 男はしばしの間、撤回の言葉を期待するかのように沈黙していた。
 しかしそれ以上何も言わないモルガーナに、奥歯を噛みしめた。
「状況を元に戻す気は、ないのだな?」
「えぇ。言った通りよ」
「わかった!」
 大きな声で言い、ひとつ足を踏み鳴らす男。
 その瞬間、モルガーナの正面、奥手の出入り口から強い光が差し込んできた。
 目が開けていられないほどの光とともに、幾人かの重い足音と、集まった人々が動くことによる椅子の音がした。
 それに続いたのは、銃声。
 強い光の中に花のように火花が咲き、演台に立つモルガーナを銃弾が貫く。
 紅い花。
 黒いスーツの十数カ所に紅い花のように血をにじませ、防ぐこともなく銃弾をその身に受けたモルガーナは、目を見開いたままくずおれるように倒れた。
「これから先は、お前の計画は我々が引き継ぐ」
 誰もが机の下に伏せていた中、いち早く立ち上がった主導役の男は、自らの身体から流れ出た血溜まりに倒れ伏すモルガーナを見下ろしながら、そう宣言した。
 照明が点けられ、薄暗かった部屋が明るくなる。
 入り口近くの白い壁に沿って立っているのは、ヘルメットを被り、手にした小銃の弾倉を交換している四人の兵士。
 伏していたメンバーもゆっくりと立ち上がり、その場から演台に近づくことなく、モルガーナを見下ろしていた。
「連れて行け」
「待ちなさい!」
 兵士に顎でしゃくって指示した男を止めたのは、老齢の域に達している女性。
「兵士をこの場に引き入れる手引きをしたのは私でしょう。そうでなくてはこの襲撃は成功しなかったわ! 魔女の身柄は私がもらうわっ」
「いいや、この場から一番近い医療設備は、我が国の領土内だ。彼女は我が国が引き受ける!」
「医療技術ならばこちらが上だ! 病院もここからもそう遠くはない。情報を引き出すならば最高で、最善の設備がある。こちらに引き渡してもらおう!」
「何を言っている! この襲撃で手を汚したのは私ではないかっ。私に一番の権利があるのは明白だろう!!」
 言い争いを始めた世界の重鎮たちに、兵士は困惑の表情を浮かべ、顔を見合わせる。
 テーブルを挟んでヒートアップし留まるところを知らない口喧嘩は、突然に終わりを告げた。
「言い争いは、完全に、この場を制圧してからに、するべきだったわね」
 途切れ途切れながらも、はっきりと聞こえてきたその言葉に、全員が演台に注目した。
 そこには、ほぼ全身から血を流しながらも、よろよろと立ち上がるモルガーナの姿があった。
「これだけの傷を負うのは、二〇〇年ぶりくらいかしら、ね。痛みは人間と変わりがないから、さすがに少しキツいわね」
 そう言いながら、モルガーナは顔にかかった血を拭い、唇の端をつり上げて笑った。
「な、なぜ……」
「不滅でも、不死でもないけれど、この程度でどうにかなる身体ではないのよ。本気で私の後を継ぐつもりだったのであれば、ためらわず頭か心臓を破壊するべきだったわね」
 ぽたぽたと血を垂らすモルガーナは、しっかりと立ち、腕を組んで笑む。
「う、撃――」
「エイナ」
 主導役の男がもう一度射撃を命じ終わる前に、モルガーナの静かな声が響いた。
 銃声は、しなかった。
 身体を投げ出すように再び床に伏せた人々が振り返ると、四人の兵士は銃を構えたまま、ただ立っている。
 けれど次の瞬間、ヘルメットが転がり落ちた。
 頭ごと。
 血を噴き出しながら倒れていった四人の兵士の前に現れていた、人影。
 照明を受けて煌めく剣を振り抜いた格好で右手に持ち、テーブルの上に姿勢を低くし片手を着いているのは、ピンク色の髪と装飾の多い衣装を纏った小柄な人物。
 エリキシルドール、エイナ。
 一二〇センチの、子供程度しかない体格のエイナは、血糊を剣を振って払い、テーブルの上に立ち上がった。
 感情の映らないその瞳が、恐怖に染まった目を向けてくる重鎮たちをぐるりと見回していく。
「ちっ!」
 舌打ちとともに主導役は懐に手を入れ、素早く抜き出してモルガーナへと突きつける。
「――が、あああぁぁぁ!!」
 彼が取り出された拳銃は、銃弾を放つことなくテーブルに落下した。
 主導役の右手ごと。
 閃きすら目に映らない速度の剣戟で右手首を切り落とされた主導役は、左手で右腕を強くつかんで悲鳴をかみ殺しつつ血を止めようとする。
「貴方たちは私の役に立ってくれたわ。とても便利だったのよ? 本当に。――けれど、ここまでね」
 そんなモルガーナの言葉に応じてテーブルに剣を突き立てたエイナは、無表情にまま腕を広げて両手を振った。
「な、なんなの? これはっ」
「うぅ、うううぅぅぅっ」
 エイナの指の間から放たれ、重鎮たちの額に打ち込まれたのは、指先のほどのサイズの、透明な球体。
 スフィアコア。
「何を、する、つもりだ!」
 苦悶の表情を浮かべ血を止めようと手首を強くつかみながらも、主導役はモルガーナのことを睨みつける。
「もう少しばかり貴方たちに役に立ってもらうことにするわ。貴方たちのたいしたことのない人生でも、多少は足しになるでしょう」
「ま、待て!!」
「――アライズ」
 モルガーナが唱えたのと同時に、身体の力を失いバタバタと重鎮たちが床に倒れた。
 もう身体から血が流れ出していないモルガーナは、主導役に歩み寄る。
 仰向けにひっくり返された彼は、微かな息こそあるが、大きく目を見開き驚愕の表情を浮かべ、身動きひとつしない。
「本当に最後までたいして役には立たなかったわね」
 紅く塗った爪先でスフィアコアをつまみ取ったモルガーナは、微かに灰色に染まったそれを目に近づけて眺め、吐き出すように言った。
「やはり、まだ足りないわ。こんなものでは、ぜんぜん。もっと、もっと集めなくては……」
 スフィアコアを握りしめながらも、モルガーナは奥歯を噛みしめ、顔を歪ませた。


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GAME CHANGER 日本帝国1945からの逆襲

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