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~第二幕~
虚柩の霊 Chapter.4
しおりを挟む北側に配置されているのは〈王の間〉しかない。
そうともなれば、次なる探索対象は必然的にそこへと絞られる。
だからこそ、ヴァレリア一行は踏み込むに躊躇しなかった。
元々が全員〈エジプト神信仰者〉ではない。
ともすれば畏敬に義理立てる必要も無かった。
「こりゃまた豪勢な事で……さすがは〈玄室〉ってトコか」
内装のきらびやかさに軽口を叩くクリス。
これまでと変わらぬ石材建築とはいえ、所々に黄金装飾が古代の贅を自己主張していた。
「あれ?」
「何だ? クリス?」
「いや、同じ〈玄室〉とはいえ、この間の〈アンケセナーメンの王墓〉とは雲泥差じゃねえか? アッチは、もっとこう……質素というか……殺風景というか……あからさまに違う気が……」
「そこが〈王位〉との絶対的な差だよ。何だかんだ言っても〝ツタンカーメン〟は〈王〉として公式即位した。対して〝アンケセナーメン〟は、あくまでも〝后〟でしかない。母〝ネフェルティティ〟の場合は夫〝アクエンアテン〟が崩御した直後に自身を〈女王〉として政権を引き継いだが、生憎〝アンケセナーメン〟は政治には無関与だ。同じ王族とはいえ、その差はある」
「そんなモンかねぇ?」
「そんなモンだ」
時として朴訥にも映るから、ヴァレリアにしても淡い微笑に包容する事もある。
「さて、んじゃ始めるか」
一転に気持ちを引き締めた。
見据える眼前──部屋中央には石柩が鎮座する。
言うまでもなく〈ツタンカーメンの柩〉だ。
もっとも中身は、とうに運び出されているだろう。
「とりあえずコレか?」と、クリスが石柩を開けた。
入庫構造。
中には、もう一回り小型の柩が納められている。
開ける。
予想通り裳抜けの空であった。
「とりあえず目ぼしい物も無いな? きれいさっぱり持ち出されていやがる」
「だろうさ。そこには期待してねぇよ」と、ヴァレリアは無関心に辺りを物色しだした。
東側に口を開いているのは、玄室半分程度の別部屋だ。
「宝物庫……かねぇ?」
気負わずに入ると、そのままフラフラと内部探索。
とはいえ、コチラも根刮ぎ持ち出されている。何も無い。
在るのは御馴染みの無愛想を彩った石壁と、冷涼を帯びる閑寂だけだ。
「エレンの話じゃ、あの古文書は隠し部屋から発見された……って事だったな。じゃあ、此処じゃねえな。これだけ堂々と口を開いて据えている以上、どう考えても〝隠し部屋〟じゃねえし……」
入室数分で自己納得。
と、西側を探っていたイムリスが声を張った。
「ヴァレリア! こちらを!」
迅速に駆けつける。
「どうした?」
「隠し扉のようです」
「……へぇ?」
石壁の一部が引戸構造になっていた。
迷いもせずに開ければ、そこには少しばかり下段に構えた部屋が広がる。
「此処だな」
確信をすればこそ、ヴァレリアは物怖じもせずに室内へと足を踏み入れた。
そのまま臆する事も無く中央へと進み、堂々と室内を展望する。
「当然ながら室内は空……御多分に洩れず調査隊が搾取して行ったか」
所狭しと宝物が置かれていた事は想像に難くないが、それらが無ければただ薄汚れただけの石部屋に過ぎない。
「この部屋で古文書を発見したのは間違いないだろうが……」
何かおこぼれはないかと入念に探る事とした。
乾いた壁面に手を当てて歩き、触感に凹凸を捉えようとする。積もる砂埃が視認の邪魔ならば吹き払う。
そうした根気のいる作業を一時間弱も続けた辺りで、ふと何かが引っ掛かった。
角石のひとつである。
「何だ?」
違和感に呼ばれるままの注視。
特に触感が訴えたワケではないが、何かを予感する。
念入りに砂を払えば、はたして、そこには刻まれていた。
積年の風化に薄くはなっていたが、確かに碑文を刻み示していた。
しかし、この小ささでは調査隊が見落としても無理からぬ。能動的意識に探して、やっと……だ。
「……ビンゴ」
内ポケットの〈羽根〉が輝きを帯びていた事を、ヴァレリア・アルターナが知る由もない。
恰も誘導の成功を悦ぶかの如く……。
ヴァレリアによって集合を掛けられた一同は、このうら若き考古学者の解説に進展の期待を寄せるのであった。
「やはりあったぜ。おこぼれがな」
「ホントか!」
「ああ。コイツを見てみろ」と、発見した壁面を親指差しに解析を教示し始める。「此処に刻まれた碑文によると──」
「ちょっ……ちょっと待って下さい、ヴァレリア? 碑文ですって? 何処にあります?」
「……え?」奇妙な返しに面喰らう。「何処って、此処に──」
「ありませんが?」
「ハ……ハハハ……オマエでも冗談を言うんだな? イムリス?」
「いいえ、冗談ではありませんが?」
怪訝な正視に据えれば、返す瞳は嘘偽りを彩ってはいない。見れば、クリスも同様だ。
途端、ゾッとするものが背中を擦り下る。
(どういう事だ? 碑文は確かに刻まれている……なのに、アタシにしか見えない?)
連鎖的に〈原因〉と思わしき要素を思い浮かべた。
(……羽根!)
そうとしか考えられない!
この呪具の仕業としか!
(何だ? コイツは何なんだ! )
おぞましい忌避感が生まれる!
手放したいほどの衝動に襲われる!
そして、不可解な疑念が芽生える!
あの時、本当に見つけたのだろうか?
本当に自発的な発見だったのであろか?
もしも……もしも、見つけるように仕向けられていたとしたら?
総てが、この〈羽根〉の思惑通りだとしたら?
選ばれたのだとしたら?
何故?
何の為に?
何故、アタシだ?
粘りつくような黒い靄が、彼女の心を不確定な迷宮に捕縛していく──と、そこから救いだすかのような細い光明は、考え無しの抑揚であった。
「ま、オマエが見えるなら、それでいいだろ?」
「クリス?」
「オマエが導き、俺はついていく──いつも、そうだろ?」
「……けど」
「リーダーは、オマエだ」
「…………」
「だろ?」
楽観に見せる白い歯。
とことん無責任だ。
だけど、それが、どれほど救いになったか。
今回だけではない。
これまでも……。
「まったく……この脳筋」
零れる含羞みに温かさを噛んだ。
考えなしの馬鹿──。
救いようのない粗野粗暴──。
いつでも不意に支えてくれる相棒────。
いつしか傍らに現れ、いつしか行動を共にするようになり、そして、いつしか──いつしか────。
「で? 何が書いてあるんだ?」
「あ……ああ」気持ち一転に再開される講釈。「この碑文で少し〈呪后〉の背景が浮き彫りになった。まず真名は相変わらず不明……だが、コイツは間違いなく忌避されていた。その理由が〈呪力〉だ」
「呪力? それはつまり〈呪い〉に精通していた……という事ですか?」と、イムリス。
「ああ。それも尋常もないレベルでな。そうともなれば、エレンの件も納得に足る」
「しかし、あの〈王家の呪い〉ですら偽物でしょう?」
レトロな都市伝説を引き合いに出され、うら若き考古学者は苦笑を含んだ。
「確かに、あの有名な〈王家の呪い〉はガセだ。諸説あるが、有力なのはふたつ。ひとつは『発掘計画出資者〝カーナヴォン卿〟自身による虚言』──大衆の好奇心を誘発して注目を浴び、それによって共同スポンサーを得ようと画策した営利目的。もうひとつは『一社独占契約に対するライバル新聞社の嫌がらせ』──企業的裏事情による水面下牽制だな。どちらにせよ、それがハマッて大衆へのムーヴメントと結実した」
「でしたら……」
ヴァレリアの抑揚が一転にスゥと真剣味に引き締まる。
「だが、ガセが立証されたのは〈王家の呪い〉だ。つまり〈呪い〉そのものの実在否定にはならない」
「それは……確かに、そうですが」
「続ける。で、この〈呪后〉は恐ろしいまでの呪力を宿すが故に忌避対象とされてきたワケだが……碑文によると、一時期だけ王権を掌握していた事があったようだ。年代的にはツタンカーメン王権の直前みたいだな。しかも、極短期だ」
「という事は、アクエンアテン王権の直後に?」
「いいや。どうやら、その後……つまりネフェルティティ王権直後らしい」
「ツタンカーメン王権とネフェルティティ王権の間に……ですか。でしたら、相当に短い」
「だな。だから、歴史に埋もれる」
確信を得た満足感が微笑を浮かべた。
と、寄り道には飽きたとばかりにクリスが本題を挟む。
「それはいいとしてよぉ? 肝心の〝呪后の埋葬〟は何処なんだ?」
「……此処」
「は?」
「この〈ツタンカーメンの王墓〉だ。此処の何処かに〈呪后〉は眠る」
「どうして言える?」
「書いてある」
「碑文に?」
「ああ。どうやらネフェルティティの遺言……そして、妻であるアンケセナーメンの意向らしい」
「母親と愛妻の? 何で?」
「さぁ? そこまでは刻まれていない。少なくとも世代を越えた二大王妃──それも強き縁者──の意向から、ツタンカーメンも呑むしかなかったようだな。ついでに言えば、周囲は反対意見に染まっていた──エジプト史上最大の忌避対象なんだから当然だが。それを押し切る形で内密に葬られたらしい。つまりは〝密葬〟だ」
流れを聞いていたイムリスは「ふむ?」と一考して可能性を口にした。
「ヴァレリア? もしかして、それが〈隠し部屋〉に刻まれていたというのは……」
「……かもな。もしかしたら〝呪后の密葬〟を隠し通すためかもしれない」
しかし、そうだとしても腑に落ちない要素がある。
だから、今度はヴァレリアが「ふむ?」と黙考を刻んだ。
悪癖の思索が巡る。
そして、結論が弾き出された。
「……まだ在るな」
「何がです?」
「この王墓の何処かに隠し部屋、或いは隠し通路がある。その先が〈呪后の埋葬部屋〉へと繋がっているはずだ」
「はぁ? また隠し部屋ってか? 」
「普通は思わない。これまで複数の隠し部屋を見つけただけで達成感に満たされるからな……これ以上には関心も向かないさ。だが、アタシ等の目的は、あくまでも〈呪后〉だ。だから先を求める。考察を重ねる。そうでもなきゃ、アタシ等だって此処で満足に足りて引き上げていただろうさ」
「部屋の数自体がカモフラージュってか?」
「ああ」
「しかし、ヴァレリア? 根拠は?」
「肝心の柩が何処にも無い」
「何らかの事情で〈ミイラ〉として保存できなかったのでは? 遺体の損傷過多や損失など……そうした遺体無き埋葬も見つかっています」
「確かに在るには在る。それに、さっきも言ったが……そもそも〝再生を望まれぬ忌避対象〟だ。肉体が朽ちれば万々歳だろうよ」
「でしたら……」
「けれど、それなら何故〝密葬の真実〟が碑文に刻まれている? 要の〈肉体〉が保存されないなら、わざわざ祭儀的に埋葬する意味なんざ無ぇはずだ。少なくとも祭儀立案者のネフェルティティとアンケセナーメンは〈呪后〉に対して温情を抱いている。だからこその密葬だ。だとすりゃあ肉体も保管しているはずなのさ」
「成程」
「ともかく壁を中心として、もっと念入りに──」
今後の指針を指揮していたヴァレリアであったが、咄嗟に引き締まる警戒に言葉を中断した!
気配だ!
気配を感じた!
鈍重な気配を!
そして、それには覚えがある!
「……ォォォオオ!」
耳障りな呪詛!
重く軋む警告の声!
哀願にも呪詛にも聞こえる苦悶!
近い!
声音の鮮明さが物語る!
即座に臨戦体勢に身構えるヴァレリア達!
「まさか?」
嫌な予感と共に、声の出所へと駆け戻った!
玄室だ!
〈王の間〉だ!
索敵を要する事も無かった!
居たのだ!
すぐそこに!
「冗談じゃねえぞ」
その正体を見極めるなり、クリスが皆の心境を代弁した!
ミイラ男である!
いつの間にやら玄室に出現していたのだ!
北側の石壁を背に!
「コイツ何処から? 神出鬼没が特性の一端とはいえ、唐突過ぎる!」
予期せぬ遭遇に戦慄を咬むヴァレリア!
(異常過ぎる! この王墓へ潜入してから二度目だぞ! 有り得ない!)
さすがのヴァレリアも、こんな事象は初めてであった!
(やっぱり呼んでいるのか? コイツが!)
密かに疎むは懐中の〈呪具〉。
「クリス! 酒を!」
「分かってる!」
抗戦の作戦指示を受け、南側の入口に置いてあったリュックサックへと駆け出すクリス!
が──「嘘……だろ?」──クリスとヴァレリアは、改めて見据えた敵の姿に戦慄を抱かずにはいられなかった。
この間、僅か数秒の隙だ。
僅か数秒、視線を外していただけである。
増えていた!
ミイラ男が!
増えていたのである!
二体に!
不埒な墓荒しを睨み据えて、並び立っている!
「冗談じゃねぇぞ! 一体なら、まだ何とか立ち回れるが……二体だと?」
忌々しく歯噛みするヴァレリア!
確かに〝燃やす〟という有効策は得たものの、それだけで排斥できるほど楽な相手ではない!
「酒なら有るぞ! 二体程度なら何とか──」
クリスが一縷の希望を吠えた途端、それを掻き消すかのようなイムリスの叫び!
「ヴァレリア! アレを!」
警鐘に注視を戻す!
三体だ!
ほんの一瞬、クリスへと反応した隙を突く形で墓守は三体と化していた!
「コ……コイツ等? 何処から!」
焦燥を咬むヴァレリア!
「……ォォォオオ」「……ゥァァアア」「……フォゴォォオオ」
呪怪は唸りに語らない。
重い体幹をふらつかせるだけ……。
一触即発の牽制が睨み会う!
頬を汗が伝い、渇きを生唾が潤す。
下手な一挙手一投足が戦況に急変をもたらすと察すればこそ、迂闊なリアクションを自粛に拘束した……指一本に至るまで。
有効策を探して目を滑らせる。
「コッチだ!」
確信の無い直感が安全策を掴んだ!
王の石棺!
それを境界線とすべくヴァレリア達は陣取った!
はたして、それは正解であった!
「……ゥァァアア」
障害物越しに威嚇を唸るも、呪怪達は襲撃行動を起こさない。
いや、起こせない──ヴァレリアの観察眼は、そう分析した。
(コイツ等の鈍重さからして石棺は乗り越えて来ねぇ……いや、と言うよりは、死して尚〈王〉への崇敬が根差しているのか?)
「……ォォォオオ」
(なまじい知性が有るのが仇となったな。これが〈デッド〉なら躊躇無く襲って来る。安全地帯なんざ無かっただろうよ)
王の石棺を境界線とし、牽制が睨み会う!
怪物共の視線は矢面のヴァレリアへと注がれていた。
チームリーダーと認識したか。
或いは〈羽根〉が惹き付けるのか。
古の呪怨から標的と集中されるのは圧迫的であった。
(どちらにせよ乗り越えられないとなれば当然回り込みだ。厄介なのは単体じゃなく複数って点。仮に回り込んで応戦するにしても、左右に分かれられては挟み撃ちの図式になっちまう。相手は〈怪物〉……人間一人で応戦できるほどアマい相手じゃねぇ。戦闘未経験者のイムリスには期待しないとして、アタシとクリス……これまでは単体に対して二人の連携だからこそ相手取れたが、分散すりゃコッチが圧倒的に不利だ)
相棒すらも越える巨躯は、横並びに壁と化している。
(まるで強固なバリケードだな……背後の壁すら覗けやしない)
と、己の揶揄で、はたと気が付いた。
(……バリケード? まさか!)
それならば説明が着く!
何故、予兆も無く増殖したのか!
何故、出現位置が限定されているのか!
可能性が見えた!
「背後だ! コイツら、背後の壁から出現している!」
「背後? じゃあ、立体映像みたいに〝壁の向こう側〟が在るってか?」
「ああ、おそらく!」
「ですが、ヴァレリア! コレを、どうするのです!」
「クッ!」
現実的な難関を前に癪を噛む。
(確かに……例の『酒浴びせ』にしても、はたして劣勢必至の乱戦状況がさせてくれるかどうか)
黙考を巡らせる中、共に睨み据えるクリスが訊い掛けてきた。
「おい、ヴァレリア……確かに在るんだな? あの壁の向こう側が?」
「……ああ、ソイツは間違いないはずだ」
「だったら話は早い!」
独り算盤を弾いたクリスは、石柩を踏切に呪怪の群へと跳び込んだ!
「オラァ!」
慣性を加味したソバット!
一体を蹴り倒す!
着地の間も刻まずに、背後の一体を殴り崩す渾身の裏拳!
「……ォォォオオ」「……ゥァァアア」
醜怪が向きを変える!
標的をクリスへと推移した!
「クリス! いま援護する!」
「構うな! 先に行け!」
戸惑う相棒に檄を飛ばしながらも、攻撃の手は休めない!
鈍重な緩慢さを隙と拾って、格闘家宛らの電光石火を叩き込んだ!
獅子奮迅というべきか。
或いは捨て鉢と呼ぶべきか。
それは無謀であり勇気でもあった。
「まごまごすんな! さっさと行け!」
「馬鹿野郎! 死ぬ気か!」
「死なねぇ! 俺を誰だと思ってる!」
「無茶過ぎる!」
「妹を救いてぇんだろ!」
止まる思考!
突きつけられる選択肢は、ヴァレリアに酷な決断を強いた。
こうしている間にも妹が怯え泣きじゃくっていると思えば……居たたまれない。
「だけど、アタシは……アタシは……」
脳裏から離れない──「おねえたん」「おねえたん」と付きまとう無垢が──泣き虫が──離れなかった。
「アタシは……」
残酷な天秤である。
宛ら〈アヌビス神の天秤〉の如く……。
だから、豪快な明るさが歯を見せる。
彼女の動揺を見透かしたかのように……。
「心配なんざ百年早ぇよ……俺を誰だと思ってる?」
「……何でだよ」
「ああ?」
応じる間にも一体を殴り倒す!
「何でだよ! 何でアタシなんかに、そこまでする! まだ命を賭けるほどの仲じゃねぇだろ!」
「そんなの決まってンだろ」
ラリアートで転倒させた!
「一目惚れだ」
向けられる真顔には毒気も茶化しも含まれていない。
正視の眼差しが生む数秒の数分、早鐘の紅潮を押し隠すも──「プッ」──思わず吹いていた。
柄ではない。共に。
「また後で会おうぜ……じゃじゃ馬」
覚悟が口角を上げる。
「ああ、そうだな……またな」
覚悟が微笑み返す。
そして、ヴァレリアは駆け出した!
氷殻に綴じ込めた想いを呑み込み!
もう後戻りは出来ない!
もはや、そんな域ではない!
決断したからには!
「イムリス! 続け!」
「え? あ、は……はい!」
動揺を染めるイムリスを意気に先導し、ヴァレリアは〈ツタンカーメンの棺〉へと飛び乗った!
陽動を覚った巨躯が排斥に踵を返す!
「……ォォォオオ」
だが、そこまでだ!
眼前にいる獲物に対して手を出そうとするも、特定の範囲には指一本として踏み込めずに足掻いていた。
即ち、王柩の設置位置だ!
(やっぱりな! エジプト神の支配下に在る〈ミイラ男〉は王に不敬を働けない! それはつまり、おいそれとは手出しできない不可侵領域という事! 刹那的とはいえ〝安全地帯〟ってワケだ!)
「……ォォォオオオオオ!」
忌々しそうに悶える呪怨!
「余所見してんじゃねえ!」
後頭部を派手にハンマーアームがブン殴った!
信頼に任せたまま構わず次の手筈を実行するヴァレリア!
「跳べ! イムリス!」
「跳ぶ?」
そして、乱闘でガラ空きとなった背後を跳んだ!
神聖なる〈王〉の石棺を踏切台として!
「テアアァァァーーーーッ!」
困惑のままに続くイムリス!
そして、二人は消えた!
重厚な石壁を擦り抜けた!
目的を突破したのである!
やはり石壁は無かった。
どうやら立体映像のように幻像幕を貼っていただけである。
そこに在ったのは、先の〈王の間〉と同等ぐらいはある隠し部屋……それだけだ。
直後、外界の喧騒は静寂に掻き消される。
重々しい振動を帯びて……。
それが何を意味するのか──ヴァレリアは瞬時に覚った。
「ヴァレリア! クリスは?」
「……」
「ヴァレリア?」
「悪い……いまは見んな」
伏せた美貌が絞り出す。
長髪は背に震えていた。
おそらく壁の向こうは遮断されたに違いない。
現物が閉ざしたに違いない。
一切の喧騒が重い静寂に呑まれた現状こそが物語っている。
仕掛結界の類だ。
生憎、やれる事は無い。
先へと進むしか……。
鮮やかに描かれた壁画は黙して語らない。
歴史のヴェールが紐解かれるのを待っていた。
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