その際、パソ活氏は、グーグル検索がおかしいのではなく、検索結果に対して「まとも」なことが書いてあるサイトが少ないということや、それを知った上でTwitterを使って情報検索するケースもある、と話をされていた。
「Twitterで情報検索」にはとても同意した。「マス的な知名度はないけれど、発言を信頼、信用している人」をフォローしている人は多いと思うし、私にもそういう人は何人もいる。時事問題などで、あの人はどう思うんだろう? と思ったときに見てみたりもするし、そういうときにTwitterはグーグルよりもずっとノイズがなく使いやすい。そして、今回の取材を通じ、そういった役割をYouTubeやTikTokなどの「動画」が担っている側面もあることがわかった。
動画よりニュースサイトのような文字媒体の方がすぐに探せて楽だと私は思うが、思えば、これも私自身が2000年すぎの「テキストサイト全盛期(ブログ文化よりも前)」に20代の青年期を過ごしたことが大きいように思う。今、若者がYouTuberやTikTokのイケてる配信者に憧れるように、若い私はイケてるテキストサイトの管理人に憧れていた。
青春期にどんなサービスに触れたかで、その人にとっての「使いやすい、なじみの、プライマリーな、『とりあえず』で選ぶサービス」は決まっていくように思う。「高齢者はテレビばかり見ている」というのはネガティブな文脈で使われがちだが、思えば、今の高齢層はテレビが文化に与える影響が今よりもはるかに強かった時期に青春期を過ごした人たちでもある。
となると、「テレビへの憧れ、信頼」が下の年代より強いともいえ、そう考えると「テレビばかり見ている」も、下の世代が抱く印象ほどネガティブなものでもないのかもしれない。あと50年したら、今は世に出ていない新しいサービスを使う若年層が「年寄りはYouTubeとTikTokばかり見ている」と笑う未来になるだろう。その頃までに、それらのサービスがあればの話だが。
かつてのテレビのように、今の社会を変えていく起爆剤の一つがスマートフォンやアプリであるのは間違いないし、それを牽引するのが若年層のエネルギーであることも間違いない。どうしても自分の青春とともにあったサービスが一番おもしろくてセンスがあって輝いていたと思ってしまいがちなため、中高年層ほど今の若年層が夢中なものに対し「あんなもの」という偏見が強くなりがちだが、そこは老害しぐさを出さず、「へえー」という姿勢は忘れずにいたい。
(構成=石徹白未亜/ライター)