
――今はWebライターなど、文章を書いて生計を立てたい人にとって、入り口が広がっています。一方で誰でもWebライターになれる時代だからこそ、埋もれないためにはどう動けばいいでしょうか?
第1には、自分の強みをどう作っていくかです。人との差をどこで出せるのかと考えていくと、例えば早く原稿を出せる、インタビューが上手い、特定ジャンルに詳しい、外国語ができるなどいろいろありますよね。そこをきちんと磨いていかなければ、発注する人はいないわけですから。
ただし、そうした強みだけではその人でなければならない決定的な何かにはなりません。医療に詳しい人、モンゴル語を喋れる人、原稿が早い人はほかにもいるわけですから。
第2ステップとしては、他に誰もいない唯一無二のものを手に入れられるかどうかです。その人しかいないのであればそこの分野は独占できるわけですし、本の制作などの声もかかるようになります。
これはノンフィクションの分野の話になりますが、例えば、濱野ちひろさんが動物性愛者について書いた『聖なるズー』が第17回開高健ノンフィクション賞を受賞しました。また、畠山理仁さんは選挙候補者全員に取材しており、いわゆる“泡沫候補”と言われる人たちに話を聞き続けています。
他の誰もがやらない取材をしているからこそ、その人しかできない唯一無二の分野になるわけです。
――石井さんはノンフィクションを書くための講座で人に教える機会を持っていらっしゃいますが、書きたい人に向けて教えている中で気づいたことなどはありますか?
一つの視点から見るだけでは人を惹きつける文章にならないということです。
例えば料理を作ると仮定して、和食しか勉強したことがない人は純粋な和食しか作れないかもしれません。しかし中華、イタリアン、インド料理を勉強した人が和食を作るなら、和食の中にほかのどの要素を足したら面白くなるか考えられて、立体的な料理を作れるようになると思うんですね。
文章もそれと同じです。情報を伝えるだけの文章は面白く何ともないんですよ。一歩引いた目線でいろんな要素を取り込む、あるいは書き手として培ってきたものを全部盛り込んでいく意識が必要です。それには前回の記事(『コタツ記事が蔓延するwebメディアに対する苦言』)でお話ししたような幅広い読書やそこで磨いてきたアンテナ、文章表現力、観察力が重要になってくるわけです。
例えば、公園に1本の空き缶が落ちていたとします。そのまま書いただけでは事実の報告にすぎないですよね。でも、そこに明日から入院する難病の子がやってきて、その空き缶で缶蹴りをしたらどうでしょうか? ゴミにすぎなかった空き缶が思い出を生んだ遊具となり、意味の変化が生まれるのです。
ノンフィクションとして大事なのは、このようにある事象に対して著者や登場人物の体験や行動を重ねることで別の意味を見出していくことです。この「意味の変化」こそが、読者の深い感情や知的好奇心を揺さぶる強い力となるわけです。