そうした流れに先鞭をつけたのは、青木雄二氏だ。1990年に『ナニワ金融道』で衝撃のデビューを果たしたとき、青木氏は45歳。鉄道会社職員、町役場職員、パチンコ店店員、印刷・デザイン会社経営など、さまざまな職業を経て漫画家となった。いわゆる“マチ金”を舞台に、業と欲が渦巻くコテコテの人間ドラマは、そんな雑多な社会経験あればこそ描けたものだろう。酸いも甘いも噛み分けた人間ならではの観察眼から生まれる人物描写は、ディープの一語に尽きる。
40代デビューの例としては、『カレチ』『国境のエミーリャ』などで知られる池田邦彦氏もその一人。鉄道関係のライターとして活動後、第54回ちばてつや賞一般部門で大賞を受賞し、43歳で漫画家デビューした。古びた団地に暮らす高齢者たちの哀歓を描いた『ぼっち死の館』が話題となった齋藤なずな氏は、アルバイト的な仕事を転々としたのちスポーツ新聞でイラストルポの仕事を手がけ、40歳で漫画家に。現在59歳の池田氏はもちろん、78歳の齋藤氏も現役で活躍中である。
そして、デビュー年齢で青木雄二氏を大幅に超えたのが、ハン角斉氏だ。狂気じみた殺人犯の正体に虚を突かれる短編『山で暮らす男』でヤングスペリオール新人賞「編集長金一封」受賞。当時64歳で初めて雑誌に作品が掲載された。そして2022年に初単行本『67歳の新人 ハン角斉短編集』が刊行される。
ハン角斉氏は、小学生の頃から漫画家になりたかったが挫折。整骨院を営む傍ら45歳にして再びペンを執り、投稿を繰り返すも落選続きだったという。それでも諦めず20年ほどの時を経てデビューにこぎつけたのだから、その執念には頭が下がる。
単行本にはデビュー作を含む6編を収録。モテない男のペーソス(哀愁)がしみる『親父のブルース』、余命宣告された男の思わぬ最期を描く『黒い蝶』、幼い娘を殺された母の絶望と救済の物語『案山子峠』など、いずれも妄想と現実が反転するような仕掛けをはらむ。
細密なペンタッチも印象的で、謎の収容施設からの逃走劇『眠りに就く時…』の草木や星空、『模様』の顔にアザのある少女の描写には偏執狂的なものすら感じる。画面のインパクトにおいても青木氏に優るとも劣らない。
ハン角斉氏が憧れの作家として名前を挙げる池上遼一氏は1944年生まれの80歳。現在もヒット作『トリリオンゲーム』(原作:稲垣理一郎)で健筆を振るっている。前出の弘兼氏も3年後には80歳になるが、余裕でバリバリ描いているに違いない。
弘兼氏も含む1947~1949年生まれの団塊世代には、今も現役の漫画家が大勢いる。ざっと思いつくだけでも、本宮ひろ志、かわぐちかいじ、西岸良平、尾瀬あきら、小山ゆう、さだやす圭、諸星大二郎、弓月光、大島弓子、山岸凉子、青池保子、萩尾望都など。いずれもまだまだ現役で描き続けると思われる。人生100年とも言われる超高齢社会において、これからは80代の漫画家、何なら80代の新人漫画家も珍しくなくなるのかもしれない。