仕事や人間関係で「引きずらない」ための“思考法”

プライド
「妙なプライド」は無用の長物でしかありません(写真:mits/PIXTA)
怒り、焦り、嫉妬、不安、後悔……マイナス感情というのは、自然と湧いてくるものであり、それを止めることはできない。けれどもその感情をいつまでも「引きずる」のはよくない――。
 
新著『仕事も人間関係もうまくいく引きずらない力』では、禅僧であり、世界的な庭園デザイナーであり、ベストセラー作家でもある枡野俊明さんが、禅には「引きずらない力」を磨き、日々を明るく、たくましく生きるためのヒントがたくさんある、と説きます。
 
本稿では、同書から一部を抜粋してお届けします。
 

「妙なプライド」は無用の長物

妙なプライドは捨てる――その成功は「過去」のもの
 

自分自身や自分の行為・仕事にプライドを持つことは、非常に大事です。プライドがあればこそ、自分に恥じない生き方ができます。世のため人のために誠心誠意、仕事に取り組むこともできます。

しかし「妙なプライド」は無用の長物でしかありません。

たとえば家柄を笠に着て「庶民とはつき合えないよ」といわんばかりに偉そうにふるまう。実力もないのに学歴をひけらかして「それは自分のやる仕事じゃないね」などとうそぶく。

あるいは高齢者だと、リタイアしたあとも若い世代に「私はこのやり方ですごい数字を上げてきたんだ。一大プロジェクトをモノにしたんだ」などと過去のやり方を押しつける。

そういったプライドは誇りではなく、傲り(おごり)でしかないのです。

その辺をごっちゃにしないよう、妙なプライドが顔を出しそうになったら、こう自分に問いかけてみてください。

「いまのその気持ち、プライドですか? いま誇ろうとしているその成功、過去のものではありませんか?」と。

「正論を吐く」人は嫌われる

自分の「正義」に溺れない?――「正しいこと」を言うときほど慎重に
 

誰もが「道理にかなっている」と思える、いわゆる「正論」でさえ、ときに受け入れられないことがあります。

「君のいっていることは正論だ。ただ少し現実離れしてるね」というふうに。実際問題、「正論を吐く」人は嫌われることがけっこうあるのです。

ましてや自分が個人的に「正しい、これこそが正義だ」と思っている考えや意見など、周囲がどう判断するかはまったくわかりません。正義の解釈は人の数だけあるといっても過言ではないでしょう。

それなのに自分の「正義」を一方的に声高に主張すれば、方々から反感を買うこと必至。争いの火種を投げ込むようなものです。そんな事態を招かないためには、自分にとっての「正義」を疑ってかかることが重要です。

まずは「自分はこう考える」「こんないいアイデアを思いついた」と簡単に説明し、「みんなはどう思う?」と意見を求めるのです。

そのほうが素直に聞いてもらえるし、ほかの考え方やアイデアも出やすくなるでしょう。何事も多彩な視点から活発に意見交換をするほうが、結果的にいいものが仕上がるのではないでしょうか。

もっと「やさしい目」を持つ――「和顔施」に努めよう
 

自分の短所や弱点を指摘されるのは、あまり気持ちのいいものではありません。とくにそこに悪意がひそんでいると、いわれたほうはひどく落ち込みます。

相手の身になれば、いかに好感を持てない相手であっても、いちいち目くじらを立てるのは控えるべき。もっとやさしい目で長所を見つけてあげるのがいいかと思います。

とはいえ、指摘してあげたほうが親切な場合もあります。

自分の弱みに気づくことが、後々の成長に結びつくかもしれませんから。見出しの「やさしい目を持つ」とは、相手を正当に評価することでもあるのです。

問題は「言い方」でしょう。同じ言葉を投げかけるにしても、笑顔で語りかけるのか、苦虫をかみつぶしたような顔をしていうのかで、受ける印象はまったく違ってきます。