「『生成AIで日本の未来を切り拓く』というイメージのイラストがほしいです」
2023年7月のある日、突然電話がかかってきました。
東京大学にて、内閣総理大臣をはじめとする政府高官、財界の大物、東京大学総長などの学界関係者が出席する生成AIに関するシンポジウムの開催が予定されていました。そのシンポジウムに関する特設サイトを作成するうえで、サイトを飾るイラストがほしいという話です。
普通であれば、どう考えても私ではなくプロのイラストレーターに頼むべき仕事に思われますが、生成AIというテーマに絡めて、生成AIを用いたイラストがほしいということでした。
私は研究上の目的と個人的な趣味から、日常的に生成AIツールを使って画像を生成しています。結果的に、私は翌日の夜までに生成AIを使ってイラストの候補をいくつか作成し、無事納品することができました。
このエピソードは生成AI登場以降の文化芸術や創作活動について、特筆すべき要素をいくつか含んでいます。
①特別な創作能力がない人間にも、質の高いコンテンツを生み出せるようになった
②「AIによって作成されている」ことが意味を持つ、あるいはAIによって初めて成立する文化コンテンツが生まれる
ところで、先ほどのエピソードにはちょっとした続きがあります。シンポジウムのための画像生成でアレコレ試したこともあり、自信がついて調子に乗った私は、生成イラストを公開したらどうなるか気になり、Twitter(現Ⅹ)にいろいろと投稿してみました。
その結果はさっぱりで、閲覧数はまったく伸びず、「いいね」もつかない。そもそも生成AIを用いて、自分の意図に沿った内容かつ公開に堪えうる質のイラストをつくるのは意外と難しく、投稿の頻度も思ったほど上がりません。
生成AIの登場後は、誰でも一定以上のクオリティの作品を生成・投稿できるようになっている状況もあり、埋もれてしまって見向きもされませんでした。
一方で、猛烈な勢いでAI生成イラストを公開し、多くの評価をもらっている人がいます。Twitterのフォロワー数ではそこまで差がなさそうなのに、何が違うのかをよく調べると、そうした方はもともと手描きのイラストレーターのようでした。
AI生成イラストと言っても、AIを利用した部分は一部で、他の部分はご自身の手で加筆して描いていたようです。私が投稿するAI生成イラストと比較すると、クオリティも投稿頻度も差は明らかで、勝負にならないレベルでした。
ただ、実は私の投稿のなかで1つだけ閲覧数が伸びて評価された作品がありました。Twitterで生成AIイラストを公開する際に、通常は「#AIart」や「#AIイラスト」などのタグを付ける習慣(というよりは暗黙のルール)があり、私も普段はこれを欠かさず付けていました。
ところが、1度このタグを付け忘れて投稿してしまったことがあり、それこそが評価された作品でした。この作品のクオリティ自体は他の評価されなかった作品と大差ありません。つまり、タグ付けしてAI生成のイラストだと伝えた時点で、評価されにくくなっていたのだと推測されます。