今の時代、誰もが不安を感じているが、多くの人にとっては漠然とした不安なのではないか。
ときどき表面化するけれど、普段は奥底に置いておけるもので、距離を取ったり、忘れたりしてやりすごすことができるレベルにある。でも、その不安がものすごくクリアで鮮明な形になって、人生に立ち現れてくるときがある。
不安になることを「不安に襲われる」「不安に駆られる」という言い方をするが、これらは皆、動詞の未然形に「れる」という受け身の助動詞がついた表現である。
不安というものが元来コントロールできないもので、私たちが起こすのではなく、不安のほうから私たちのところへやって来ることをよく表している。
この不安の正体について考える前に、まずユング心理学がどんなものなのか、簡単にふれておこう。
スイスの精神科医であったカール・グスタフ・ユング(Carl Gustav Jung)が創始したユング心理学は、西欧で発展した心理学の一系譜で、日本は非西欧諸国の中でユング心理学の普及が最も成功した国の1つに数えられている。
故・河合隼雄先生を通じて知った方も多いかもしれないが、河合先生は、ユング派分析家の資格を日本人で最初に取得され、以降、平易でありながら深みのある言葉でユング心理学を日本に広めることに尽力された。
詳しい説明はここでは省くが、このユング心理学の魅力であり特徴は「個性」を重視することにある。
心理療法ひとつとっても、固定的なやり方はなく、治すために積極的に働きかけたりもしない。セラピスト(治療者)とクライエント(被治療者)双方の個性を大切にしながら、1人ひとりに合った形で展開していくことを大切にしている。
言うなれば、1人ひとりに寄り添う「やわらかい心理学」であり、自分とは何者なのか、自分の個性について理解を深め、自分らしく生きる方向へ導いてくれる心理学なのである。
さて、このユング心理学の観点からいうと、多くの人にとって不安が顕在化してくるのは中年期ではないかと思われる。ユングは、中年期は36歳ごろから始まるのではないかと考え、この時期を「人生の正午」とも呼んだ。
人の一生を1日に換算すると、中年期というのはちょうど1日の真ん中あたりになるためである。
「正午」は「午前」でも「午後」でもなく、これまで過ごしてきた「午前」とこれから始まる「午後」がある、中間的な時間。人生においても、これまですごしてきた人生の前半の時期を経て、人生の後半にさしかかろうという時期が「中年期」である。
この時期にさしかかると、体力が落ちて身体が不調をきたすなど、若さが失われていくのを実感し、老いや死が現実的なものとして射程に入ってくる。また、仕事やプライベートでの転機を経験して、これまでなんとなくみんなと横一線の競争だったものが、だんだんと個人戦の様相を呈してもくる。
簡単にいうなら、人生の前半の時期は、学校や会社といった社会集団にいかに適応し、自分を位置づけていくかという「集団の時期」、後半は、仕事や家庭も一段落し、個人としてどう生きるかがよりフォーカスされる「個人の時期」と表せるかもしれない。