私たちが部下や同僚の「活躍」を素直に喜べない訳

部下や同僚には過度なチャレンジはしてほしくないと思ってしまう理由とは(写真:PIXTA)
今の日本にはチャレンジをする人材が必要だ。そこに異論の余地はない。しかし実際に、現場では「挑戦する人材」が歓迎されない。なぜ、理想と現実の乖離が起こるのか。この「総論賛成、各論反対」という意見にこそ、日本の組織を語るうえで重要な意味を持つと指摘するのは、同志社大学教授の組織学者である太田肇氏だ。大規模調査から見えてきた「日本人の本音」とは?(本記事は、太田肇『何もしないほうが得な日本』の一部を抜粋・編集したものです)。

人間は損得勘定で動いている

人間は「計算する動物」である。禁句ゆえ口には出さなくても、常に損か得かを計算しながら生きている。いっぽうで人間は「社会的動物」でもある。つまり計算されるのは経済的に損か得かだけでなく、人間関係や感情などの社会的報酬、心理的報酬も加えながら、損か得かを計算している。その意味で損得勘定には、「損得感情」が強く働いているといってよい。

会社のような組織のなかでは、上司・部下や同僚との人間関係が、社会的報酬として大きな比重を占めている。その社会的報酬には「正の報酬」と「負の報酬」の両方があり、それぞれが損得勘定に大きく影響する。

そして、そこへ日本社会特有の要素が深く関わる。すでに述べたように、日本企業は共同体型組織である。組織は閉鎖的で、社員の人間関係が濃密だ。そのため人間関係がもたらす「正の報酬」も「負の報酬」も大きい。

関係がよいときはすこぶる快適だが、悪くなるといたたまれない。いっぽうでは平等主義のため、欧米などの企業に比べて金銭的報酬に大きな差はつかない。だからこそ社会的報酬のウエイトがいっそう大きくなるのだ。

では、まず「正の報酬」を取りあげてみよう。

日本企業では個人の仕事の分担が明確でなく、課や係、あるいは上司と部下といった集団単位で行う仕事が多いので、日常的に他人から仕事で助けられたり、必要な情報をもらったりする。仕事以外でも一緒に食事をとったり、困ったときに相談に乗ってもらったりすることがある。ほめられる、認められる、感謝されるのはもちろん、何気ない気配りや雑談も大切な社会的報酬だ。

さらに一方的に「もらう」だけでなく、他人を助けたり、周りの人の役に立ったりすることで自分も充実感、満足感が得られる。それらが社会的欲求や承認欲求を満たしてくれるのである。

問題は仕事でチャレンジすること、がんばることが、それらの社会的報酬を獲得するうえでプラスになるとはかぎらないという事実。いや、むしろマイナスになる場合が多いことである。

正直、チャレンジされると迷惑!?

チャレンジすることが周囲との人間関係のうえでマイナスになる理由。それは、周囲の人にとって「迷惑」になるからだ。繰り返し述べているように、日本の会社は共同体型組織である。そのため1人ひとりの分担が明確になっておらず、上から下まで全体が相互依存の関係にある。それが「迷惑」をもたらすのである。

組織のトップから見ていこう。大企業の社長は大半が、いわゆるサラリーマン経営者である。任期を終えて退任するときの挨拶で、枕詞のように「大過なく」という言葉が添えられるのは、彼らがいかに無難に任期を全うしようと考えているかを物語っている。

それは日本企業の性格にも由来する。経営学では昔から「企業はだれのものか」という論争があるが、株式会社である以上、制度的には会社は出資者である株主のものということになる。少なくともアメリカなどではそれが常識だ。日本企業も近年は株主重視の経営に舵を切るところが増えてきたが、歴史的に日本企業は株主の利益よりも組織の存続や社員(従業員)の利益を重視する傾向があった。