これは、人の幸せを犠牲にして、自分だけ幸せになっている人が相当数いるということである。具体的には、ストレスの多い仕事は部下やまわりに押しつけて、自分だけストレスから逃れている人が考えられる。その結果、部下やまわりをうつ病にして、自分だけストレスなしでいい気分かもしれない。あるいは、人を圧迫する態度により、まわりに命令や要求を通すことで本人は主観的な幸せを得ている場合も考えられる。これが行きすぎるとパワーハラスメントになる。逆に、まわりを犠牲にしないで実現した人の幸せを「よい幸せ」と呼ぶ。
「まわりの幸せを犠牲にして得た幸せ」は確かに存在することがわかった。しかし、そのような「幸せ」はわれわれが求めるべきものではないので、幸せを計測するのなら、そのような幸せはカウントに含まれないようにしなければならない。そうでなければ、「幸せの測定値」を頼りにして幸せを増やす努力をしたとき、「悪い幸せ」も同時に増えてしまう可能性がある。
従来、幸せに関する学術的な解析では、この「よい幸せ」と「悪い幸せ」の区別をしていないし、区別する方法がなかった。幸せの研究では、幸せに関する質問紙調査を個人単位で多くの人々に対して行い、そのデータを集計し、統計学を使って解析してきた。
この方法には決定的な問題がある。仮にデータから、幸せな人の特徴が見出されたとしても、それは、人の幸せを犠牲にして、自分だけ幸せになっている人の特徴かもしれないということだ。「悪い幸せ」が無造作に含まれてしまうのだ。パワハラは極端な場合であるが、そこまでいかなくとも、まわりを直接・間接に犠牲にして、自分だけ幸せになることはいくらでもありうる。個人単位でのデータ解析では、このような悪い幸せを排除できない。
本来は、「まわりの人の幸せを犠牲にした悪い幸せ」はカウントせず、まわりの人の幸せを犠牲にしない「よい幸せ」だけを定量化するのが望ましい。
この「よい幸せ」の実態を捉えるには、個人のデータに加えて、その人が関わっているまわりの人のデータも取る必要がある。その上で、個人単位と集団単位をあわせて解析する必要がある。これによって初めて「幸せの総量を増やすよい幸せの要因」と「まわりの幸せを犠牲にした悪い幸せの要因」を区別することが可能になる。
実は、この「よい幸せ」を定量化しているのが、前記の「ハピネス関係度」なのだ。
「ハピネス関係度」は、個人ごとにも算出でき、これを集団で集計する(1人あたりの値に平均する)と集団としての「ハピネス関係度」になる。そしてこの個人と集団のハピネス関係度の関係を細かく見ていくと、人どうしのやり取りが、全体の幸せの総量を左右していることがわかる。
われわれはデータによって、この無意識のよいシークエンスの身体運動がよく見られる人(すなわち個人のハピネス関係度の高い人)の周囲には、幸福度(質問紙への回答から算出したもの)の高い人が多いことを確認した。一方、この個人のハピネス関係度の低い人(よくないシークエンスが見られる人)の周囲には、幸福度(質問紙への回答から算出したもの)が低い人が多いことも確認した。
このために、「ハピネス関係度」の高い組織・集団に属している人は、個人としても幸せになりやすい。「ハピネス関係度」という特徴は、まさに「よい幸せ」のものさしである。だから、職場全体の幸せ(の総量)が、このハピネス関係度によって、9割以上決まるのだ。
これは組織や社会に大きな意味を持つ結果である。職場の幸せは、職場を構成するメンバーのそれぞれが、周囲の人たちを元気にし、幸せを生んでいるかにより決まるということだからだ。関わる人たちを元気にし、幸せを生むことで自分も幸せになる。ハピネス関係度は周囲の人たちと自身を幸せにしている度合いを表しており、これを組織全体で集計することで、組織の幸せの総量がわかるのである。これをシンプルにいうと、
☆組織の幸せは、メンバーが周囲を元気に明るくしているかで決まる
となる。人が周囲を元気に明るくするというのが、集団の幸せの最も基本的な構成要素である。「情けは人のためならず」「汝の隣人を愛せ」など、周囲を幸せにすることの大切さを説く古今東西の金言が、データにより確認されたともいえるだろう。