この講義のテーマは、「次世代の君たちはどう生きるか」ということで、僕が思っていることをどんどん言っていきます。
はい、つぎです。
みなさん、『アメリカン・マインドの終焉』という本、ご存じですか? この場には10代と20代しかいないので、知ってるはずがないんですよ。知ってるとしたら、その人はかなり変わった人だと思うんですね。
なぜかというとその本は、みなさんがまだ生まれてないか幼児だった1990年頃に流行った本だからです。
イェール大学とかシカゴ大学で哲学を研究していたアラン・ブルームという哲学者が書いてるんですが、どんな本かというと「最近のアメリカの大学は腐ってる! けしからん!」ということが、450ページにわたって、延々とと書いてある本です(笑)。
文学とか哲学、芸術といった昔からの伝統ある学問を隅に追いやって、世の中に迎合して新しい分野の学部ばかり設置して、あげくの果てにわけのわからない「ダンス学部」とかまでつくったりして、大学がレジャーランドみたいになってる……みたいな感じで、むずかしいプラトンの考えとかルソーの教育思想をひきながら、ひたすら批判してるんですね。
なんでこんな、分厚くて、堅くて、難解な本がアメリカでは大ベストセラーになるんだ、アメリカってやっぱりいい国なんだなと、当時思った記憶があります。
で、その本の最初のほうに「教養はなんのために必要か」ということが書いてあるんですね。
ブルームによれば、「教養の役割とは、他の見方・考え方があり得ることを示すことである」と。
これは、けっこう超重要な定義でして、僕も同意見です。
たとえば歴史学とか美学、文学って、みなさんも大学1年の一般教養とかで学びましたよね? なんで早く専攻に進めないのか、不思議に思ったりしませんでしたか。
オレは経済学部なのに文学なんて学んで、いったいなんの役に立つんだろうって。
でも、一見いますぐ役に立ちそうにないこと、目の前のテーマとは無関係に見えることが、じつは物事を考えるときの「参照の枠組み」として、非常に重要なんですよ。
経済学しか学ばない人、学べないような人は、実際あまり役に立たないんです。見方が一方的だったり狭すぎて、学問の新しい理論やジャンルを開拓していくことなんて、できないんですよ。これは仕事でもおんなじです。
学問や学びというのは、答えを知ることではけっしてなくて、先人たちの思考や研究を通して、「新しい視点」を手に入れることです。
だから僕は、何かの「正解」を教えることはあんまりいいことじゃないとずっと思っていて、批判し続けています。
たとえばビジネス書の著者で、本で名前を売ったあとにセミナー始めて、セルフブランディング講座とか、なんとか塾とか開催してる人って、大勢いるじゃないですか。「これをやればあなたの仕事がうまくいきます!」とか、そういうの大っ嫌いなんですよ。
「わかりやすい答え」を求める人向けにインスタントな教えとかノウハウを提供するのって、簡単だけど意味ないんですね。
でも多くの人は「わかりやすい答え」を求めてしまいます。