【イラン崩壊を真剣に狙うイスラエル】苦境のイランに勘違いのイスラエル、米国が招いた悲劇

2024.10.31 Wedge ONLINE

 Foreign Policy 誌(電子版)に10月9日付で掲載された、ランド研究所のコーヘンの論説‘Iran’s Terrible, Horrible, Very Bad Year’が、「イランはイスラエルの挑発に対してミサイルで反撃しているが効果を上げていないばかりか、イスラエル側はより真剣にイランの体制の崩壊を考えている。しかし、イランは退くことはなく、イランの直面する状況はますます悪化するだろう」と指摘している。要旨は次の通り。

(Achisatha Khamsuwan/brunorbs/gettyimages)

 イランにとり今年は最悪の年となっている。しかし、それはイランが自ら招いたものだ。

 恐らく、事態をより悪化させたくないというのがイラン側の望みであろう。4月と10月のイランのミサイル攻撃は、イスラエルに人的、物的損害を与えることに失敗した。もし、そうなっていたらイスラエルの報復はより深刻なものとなったであろう。

 イラン側は、よりリスクを取ろうとしているが、超大国米国が後ろ盾にいて軍事的に優位にあり、核武装している極右政権のイスラエルに何百発ものミサイルを発射するのは危険なゲームに他ならない。

 イランとしては、ミサイル攻撃は、イスラエルと米国がイランの面子を何回も潰したことに対する抑止力を回復させるために、戦略的に必要な行動と考えたのだろう。しかし、このようなイランの行動が抑止力を回復させたという証拠はない。それどころか、イスラエルのリーダー達は、より大っぴらにイランの体制変更と、より断固としてイランの核開発を破壊すると語るようになっている。

 イランにとり最も賢明な戦略は、闇に隠れ、代理勢力の再構築に励み、いつの日か再び戦うことだ。また、イランがここで一歩引けば、中期的にイランの西側との関係改善の可能性が生じるだろうが、そのようなことをイランは望んでいないようだ。むしろ、イラン側は、賭け金を増やそうとしているように見える。

 イランが一歩も引かないという姿勢は、米国と西側諸国の対イラン政策に重要な影響を与えている。もし、イランに罰を与えることによりイランを抑止できないのならば、米国と西側諸国は、イランがイスラエルを攻撃し、代理勢力を支援する能力を破壊せざるを得なくなる。

 そのためにはイランの軍事能力の大部分を破壊する必要があるので大きな困難が伴う。しかし、もし、イランのイスラム革命体制が、事態をエスカレートさせようとするならば、米国とその同盟国に他の選択肢は無いであろう。かかる事態はイランにとっても恐ろしいことで、来年は、イランにとり事態は一層悪化するだろう。

*   *   *

イランのイスラエル攻撃の本当の意図

 この論考は、イランが置かれている苦境を正確に指摘しており、今回の中東の混乱が米国発という点に触れていないということを除いて大変良い分析だ。つまり、今回の中東情勢の流動化は、バイデン大統領がレガシー作りのために昨年夏以降、強引にイスラエルとサウジアラビアの関係正常化を進め、その結果、パレスチナ問題が一層マージナライズされることをハマスが恐れ、これ以上イスラエルの影響がペルシャ湾地域に及ぶことをイランが恐れたという事情があった訳で、今回の混乱は米国発だという点だ。

 論説も指摘する通り、イランがミサイル攻撃でイスラエルに対して抑止力を回復させる程のダメージを与えていないのは間違いない。しかし、それはイランの無能さが理由ではなく、意図的に抑制してきたのだろう。

 イランのイスラム革命体制の目標は、革命体制の護持と域内の覇権国家となることであり、イスラエルと戦うというのはアラブの支持を得たり、域内に代理勢力を展開したりして、イランの域内の影響力を高めることが目的だ。つまり、イスラエルとの対峙はそのためのプロパガンダであり、手段に過ぎず、イランが本気でイスラエルの滅亡を意図していたとは思えない。

 従って、今回、イスラエルが本気でイランを挑発して来たことは、イランにとり迷惑以外に他ならず、イラン側は、全面衝突に至らぬようミサイル攻撃は市街地を意図的に避けていると見るべきだ。

イスラエルの勘違い

 しかし、どうもイランのプロパガンダを本気にしたイスラエルは本気でイランの革命体制の崩壊を狙っているようである。イランもこれまでのような抑制的な対応では済まなくなりつつある。

 今後、イスラエルが具体的にどのようにしてイランの革命体制を崩壊させようとしているのか、そして、ヒズボラが弱体化し、ミサイル攻撃も限界があるなか、体制の崩壊の危機を感じたイラン側がどのようにして抑止力の回復をしようとするのか要注目である。仮にイスラエルが勝利しても犠牲の大きすぎる勝利となろう。