巷では相も変わらず企業の労働環境に関するニュースが絶えませんが、歴史を紐解いてみれば、ブラックな職業は大昔から存在していました。そこで本連載では、古代・中世ヨーロッパや日本の江戸時代にまで遡り、洋の東西を問わず実在した超ブラックな驚くべき職業の数々を紹介していきます。あなた達は、本当のブラック職業を知らない……
戦国の世では生き延びるための手段であった居合術であるが、天下泰平の世、とりわけ元禄・宝永(1688~1711年)の頃になるとかなり趣が変わってきていた。見世物として人気を集めるようになっていたのだ。
『居合い抜き』を生業(なりわい)とする人々は、自身の身の丈ほどはあろうかという長刀(ちょうとう)がトレードマークであった。往来の客たちに向かって鞘(さや)に納めた刀を仰々しく見せ、これから居合い抜きが始まるぞ、と口上を打つわけである。居合い抜きは瞬間のパフォーマンスであるから、じらして期待感を煽るわけだ。高下駄を履いたり、3段に積み重ねた踏み台の上に乗ったりしてわざと足場を悪くした上で、さっと長刀を抜いて見せる。するとギャラリーからは拍手喝采が飛ぶという寸法だ。
さて、ここからがある意味本番である。居合い抜き自体は集客のためのパフォーマンスに過ぎず、ここから集めた人を前にした路上販売が始まるのだ。気になる商品は腹痛などに効く丸薬、反魂丹(はんごんたん)や歯磨き粉。まったく居合いに関係ねぇわけである。健康サプリメントのテレビCMよろしく「集中して居合い抜きをやるには、毎日3度の歯磨きが欠かせません。僕が使っているのはこれ。もう、手放せませんね(愛用者の感想です)」的なミニコントをやっていたのだろうか。まあ実際のところは、居合いの見事さに感心して「よし買った!」という流れになったと考えるのが妥当であろう。
どうせ売るのなら“居合いのときに集中力を高める薬”とかだったらパフォーマンスとの整合性も取れそうだが、それは覚醒剤なので売ってはいけないのです。ダメ、ゼッタイ。
(illustration:斉藤剛史)