巷では相も変わらず企業の労働環境に関するニュースが絶えませんが、歴史を紐解いてみれば、ブラックな職業は大昔から存在していました。そこで本連載では、古代・中世ヨーロッパや日本の江戸時代にまで遡り、洋の東西を問わず実在した超ブラックな驚くべき職業の数々を紹介していきます。あなた達は、本当のブラック職業を知らない……
麦茶といえば夏の飲み物の定番だが、それは江戸時代でも同様であった。当時は麦湯(むぎゆ)と呼ばれており、夏の夜には数多くの麦湯の屋台が出店し、庶民に一服の涼味を供していた。行灯に“むぎゆ”の文字、屋台の脇にはくつろげるベンチを設置するのが基本スタイルであった。そして、その売り子こそが『麦湯女』である。なぜに女かというと、そのほうがお客さんが集まるから、という至極単純な理由にほかならない。こうした事情からか、麦湯女には美しい女性が多かった。浴衣姿でお客に麦湯を渡す姿は人々の目を引いたし、愛想のいい接客も大いに評判を呼んだ。
しかし“夏の夜に美女”となると、けしからんことを考える輩が出てくるもので。麦湯女に性的なアレを求めるようになってきたのである。もちろん、大半の麦湯屋台は健全なサービスを提供する優良店であったが、金もうけ主義の麦湯女はそうした誘いに応じるようになった。
ならば、エロス野郎どもはどうやって“本番アリ”の店を見分けていたのであろうか。大半の屋台は、大通りなど交通量が多いところに出店する。しかし、エロ麦湯はちょっと外れた場所、例えば河岸あたりを選んだようである。それに加え、女はおしろいを塗ったいかにもな風情であるから、大体区別がついたようなのだ。さすれば、麦湯を飲んでいる間になんとなくコトが始まるわけだ。チョイとしたハプニングバー形式である。このような悪習は明治になっても続き、新聞で取り沙汰されるほどのありさまだった。いちいち麦湯のワンクッション挟んでないでさっさと遊郭行けよ、と言いたいところであるが、「このシチュエーションが燃えるんだ」と反論されるのがオチであろう。
(illustration:斉藤剛史)