毎朝の通学や出勤時、必ず出会う人や目にするものがあるという方は多いのではないでしょうか?
私がふと思い出すのは、高校時代の電車通学です。実家が田舎だったため、電車の本数は極端に少ないうえに利用客も少なく、列車の車両数は4両。利用客のほとんどは高校へ通う学生でした。おもしろいのが、みんな異なる高校の生徒なので知り合いではないにもかかわらず、毎日決まった時間に決まった車両に乗っていると、不思議なことにその車両の中で共同体意識が生まれるということです。
それぞれの車両に乗る学生には決まった乗車位置があって、例えばある日、誰かがいないことに気が付くと、友達でもないのに心配したりします。また、急に普段見かけない学生が乗ってくると、「誰だろう」とコソコソッと噂をしたりザワついたりします。これは「田舎あるあるの」ひとつでしょう。きっとこの状況がよく分かる方も少なくないはずです。
現在の私は、東京で電車通勤をしているのですが、毎朝駅に向かう途中、必ず手をつないで歩く小学校低学年の女の子と、その子のお母さんに出会います。いつも横断歩道の信号待ちで一緒になるのですが、信号が青になると女の子は一人でお母さんに手を振ってから、小さな歩幅で横断歩道を渡りはじめます。お母さんは横断歩道を渡ることなく、女の子を見送っています。女の子は横断歩道を渡り終えると振り向いて、反対側にいるお母さんにもう一度手を振ってから小学校へ向かいます。
私が向かう駅は横断歩道を渡った先の交差点にあり、途中まで女の子の通学路と一緒なので、毎朝この光景を目にします。ですが、ある時ふと横断歩道を渡り、私の数メートル先を小走りで行く女の子の背を前にし、しばらく歩いてから後ろを振り向いてみました。すると、まだ横断歩道の向こうにはお母さんの姿が見えました。お母さんはずっと女の子の背中を見守っていたのです。そして、女の子の姿が見えなくなってから、お母さんは自分の行き先に足を向けました。
次の日も同じように振り向いてみると、そこにはお母さんの女の子を見守る姿がありました。それ以来、私は毎朝この親子の温かい姿を目にしては、優しい気持ちを頂きながら出勤しています。
私も昨年一人娘の父となり、このお母さんの気持ちが少しですが分かる気がします。親とは、子どもが気付かなくても、また例え背を向けられるようなことがあったとしても、子どもを追ってでも思い続けるものなのかもしれません。
私自身、まだ小さな娘に対して、怪我をさせないように注意を払って部屋を片付け、いつでも目と手が届く範囲で見守り、言葉の話せない娘のちょっとしたサインを見落とさないようにしながら日々の生活をしています。父になって思うことは、子どもにはとにかく元気にすくすく育って欲しいということだけです。自分のことは二の次です。自分が第一主義だった以前の考え方との変わりように、私自身が驚きいています。
しかし、さらに驚かされたのは、娘に対する私の妻の思いです。娘が要求する度に母乳を与え、栄養管理の行き届いた食事を作り、衛生面にも注意してこまめに洗い物や洗濯をしています。その結果、自由な時間や睡眠時間が大幅に削られ、もともと弱かった肌はストレスで荒れ、これまで大切にケアしていた肌は全身に及んでボロボロです。ある意味、身も心もボロボロの状態になっているのです。
しかし、それでも娘を第一に、必死に考えて子育てをしています。私とは比べものにならないくらい深い愛情だと、つくづく思い知らされます。親の子どもに対する思いというのは、本当に計り知れないものです。