本編に入る前に、お断りしておくことがいくつかある。
プロフィールにある通り、私は出版人としては古いほうだが、ビジネス書、実用書、一般書というジャンルだけで長年やってきた。したがって文芸書などに関しては門外漢である。出版業界では、いわば傍流を歩いてきた。
そういう経歴であるため、ここで述べることもビジネス書、実用書の話が中心となる。それでも、少しは読者諸氏のお役に立つのならばと思い、このビジネス連載をお引き受けすることにした。
本ビジネス連載は私が過去に経験したことをベースに、これからビジネス書作家を目指す人に有益と思われる情報を、出版業界人以外の人にもわかりやすいように少しデフォルメして書いている。
実名で出せるものは、できるだけそうしたいと考えている。そのほうが話はわかりやすいからだ。しかし、それではいろいろと差し障りもあるため、一部仮名とすることをお許しいただきたい。
さて、今回のテーマは「なぜあの人は次から次へと本が出るのか」だが、ビジネス書作家の世界でも売れっ子というのはいる。大昔は長谷川慶太郎氏や堺屋太一氏などがいた。大前研一氏もそうだろう。4~5年前であれば、勝間和代氏がそうであった。また、株式会社武蔵野の小山昇社長は、いまでも売れっ子といえるだろう。
では、次から次へと本が出るような売れっ子作家になるにはどうすればよいのだろうか。
「走る前には歩けなければいけない」という。
次から次へと本を出すには、まず第1作を出すことが必要となる。売れっ子になる前に、まずはデビューすることが大事なのだ。
編集者は作家を探すときは既刊本から探すことが多い。
デビューすれば他社の編集者の目にとまる機会も増える。デビュー作がヒットすれば、当然、他社の編集者からもしっかり注目されることになるが、ヒットしなくともデビュー作があることで第2、第3作へのステップとなるのだ。
では、作家デビューという幸運はどうすればつかめるのか。
私が過去に見てきた例では、デビューに至るまでには2つのタイプがある。
いとも簡単にとんとん拍子でデビューが決まる人と、実力はあるのになかなかデビューできない人の2つである。編集者との初対面の席でデビューが決まった人もいれば、知り合ってから10年経ってからデビューという、第1作までの道のりが遠かった人もいた。
その差は実力ではなく、時代との相性である。
デビューしやすいテーマというのはその時代ごとにある。
1970年代末から80年代前半のビジネス書では、QC活動(品質管理手法の1つ)が全盛で、いずれかの企業でQC活動を担当していた人は、作家として引く手あまただった。
80年代、マクドナルドの管理手法は日本中のお手本だった。本のタイトルにマクドナルドとつけるだけで、当時は本が売れた。
対して今は、スタバと付けると本が売れるが、同様のことは80年代ではマックだったのである。マクドナルドにいた人は、当時それだけでビジネス書作家のアドバンテージがあった。
80年代のソニーもいまのグーグルなみだった。
しかし時代は変わる。
今はトヨタとつけば本が売れるが、80年代はホンダとつけたほうが本は売れたのだ。
流行のテーマが得意分野と一致する人はラッキーである。
しかし、不幸にして自身のストロング・ポイントが流行のテーマと異なる人の場合は、今も昔もデビューには根気と努力と時間がいる。
そこで一気にデビューしようと、自費出版に踏み切る人も出てくる。
実は自費出版でデビューして、そのままベストセラー作家になった人も少なくない。ネットにも出ているので実名を出すが、ベストセラー『さおだけ屋はなぜ潰れないのか』の山田真哉氏のデビュー作『女子大生会計士の事件簿』は自費出版だった。
『女子大生・・・・』もベストセラーだが、自費出版がヒットしたというより、自費出版で市場(この連載で市場という場合は書店店頭のことを指す)に出た本作を当時の角川書店が見つけ、ライトノベルっぽい文庫にして一気に火がついたと聞く。
また、公表されていないので詳しくは書けないが、ときどきメディアにも出ていた某外国人評論家も自費出版からスタートしているし、いろいろテーマを変えて本を出しているあのK氏もそうだったといわれている。
上記の人々は自費出版から第2作、第3作へと進み、作家としてステップアップした。
自費出版も作家デビューへの1つの選択肢なのである。古くは宮沢賢治氏も自費出版でのデビューだったのだ。
だが、一方で自費出版は死亡率が高いのも事実であろう。
デビュー作から第2作、第3作へとつながる作家は、通常の出版の場合、数十人に一人だが、自費出版の場合は数百人に一人ぐらいではないかと思う。
自費出版からスタートして本を次から次へと出す売れっ子になるためには、通常の出版でデビューした作家以上に実力と運が必要なのである。
次回に続く