ビジネス書の作家には、経営コンサルタントを職業としている人も多い。私が出版社に入った頃、昭和60年前後は、発行したビジネス書の8割以上がコンサルタントによって著(あら)わされていた。昔のコンサルタントの口癖は「日本人は情報に金を払わない」だった。彼らがそう言う時、私は「アメリカには、みんなが知っていることを金をとって教えるのがコンサルタントだというジョークがある」と皮肉に答えていた。
日本人が情報に金を払わないか否かはともかく、我々出版業界の人間はさまざまな形で情報提供をしてきた。私は主に書籍でしか情報を扱ってこなかったが、90年代半ばにはインターネット、それ以前にはFAXで必要な情報を送るというサービスもあった。ビジネス情報のライブラリー、あるいはデジタル図書館という名称で、たとえばマーケティング用語の「AIDMAの法則」を知りたいというリクエストをすると、解説文がFAXされてくるというサービスだった。
サービスを受けるには、あらかじめサービスを提供する会社の会員になることが条件だったと思う。このFAXサービスはインターネットの登場とともになくなったが、情報提供サービス事業はネットを通じていまも続いている。自社のライブラリーにビジネス情報がたまったので、それをまとめて出版したいという相談を受けたこともあった。だが、ライブラリーのビジネス情報とは、元をただせば本や雑誌から抜いてきたものである。元は本だったものを、テキストデータがたまったから本にというのは、元に戻しただけなので、その時はちょっと応じかねると答えた。
会員制のビジネス情報サービスは、その後伸び悩んでいると聞く。ビジネス情報に限らず、いまは基本的な情報はググれば出てくる。しかも、会費も課金もない。会員制の情報サービスというのは、ビジネスの基本情報ではなく、非公開のディープな情報、いわゆる「儲け話」でなければ商売にはならないだろう。実は、会員制のビジネス情報サービスには少しだけ関わったことがある。あのサービスは、結局IT初歩段階の通過点であり、「ダイヤルQ2」や、携帯電話が登場する前のテレフォンカードのようなものだった。
ネットの情報と会員制の情報サービスには、有料無料の違いのほか、情報にも違いがあった。ネットの情報は浅く、薄く、短くが基本だ。一方、会員制のほうはそれなりに文字量があった。文字量が多いということは、単純には情報量が多いということになるが、文字量が多いと読むには手間も時間も要する。
ネット情報にも、本連載のように長文を連ねたものあるが、多分あまり人気はない。手軽さと利便性に優位性を持つネット情報が、手間と時間のかかることを嫌うのは当然だ。会員制の情報サービスがネットを十分に活用できなかった理由は、媒体とコンテンツの相性にも問題があったのかもしれない。ことさらに問題なのは、書籍もネットに倣(なら)って浅く、薄く、短くという方向に傾斜していることだ。浅く、薄く、短くではネットにはかなわない。
そうなると、本を読む人はますます少なくなってしまう。暗澹(あんたん)たる気分になる。ビジネス書は今後だれにも読まれなくなるのかと案じていた時に、ふと気が付いたことがある。それは、いままで千人近くの経営者に会っているが、実績を上げた一流といわれる経営者の多く(私の知る限りではほぼ全員)が、人生のある時期に集中的に時間をとって勉強しているということだ。
長い付き合いの経営者の何人かに、改めて「学校を出てからまとまった時間をとって勉強をしたことがあるか」と訊いたところ、全員があると答えた。そのうち何人かは「実はおれも勉強してたんだよ」と、当時の事情も教えてくれた。社会人になってから、改めて学校に通っていたという人も少なくない。
ある経営者は、まだ30代の頃にたまたま抜擢され、ある部門の責任者になった。周囲は自分より年上で仕事のベテランばかりである。知識と経験で劣っていることに不安を覚えた経営者は、経験は無理だが知識だけは追いつこうと一年間、夜に専門の学校へ通ったという。また、社長の死去によって突然後継者となった経営者は、やはり仕事が終わった後、2年間マネジメントスクールに通った。学校に通わなかった人は、ある時期にまとまった数の本を読んでいる。暇な時にではなく、忙しいときでも時間をつくってである。学校に通うほどではないが、本を読むというのも労力を要する。特にビジネス書や経済・経営書は、読むだけでも忍耐を必要とする。
人が酒を飲んでカラオケを歌っている時に、学校に通い、本を読み勉強するというのは、よほどの決意か、必要に迫られていなければできない。