出版界には、タイトルの達人と称される人が大勢いる。単行本のタイトルだけではなく、週刊誌の見出しもまたタイトルである。週刊誌の見出しは編集長の腕のみせどころだが、見出しで販売部数が大きく違ってくるといわれる。同じことを言うのでも、言葉の選び方で印象はずいぶん異なる。タイトルの達人とは、言葉選びの達人である。
私自身は、自分がタイトルの達人とは思っていない。ただ周辺には何人かのタイトルの達人がいたので、その人たちのことを思い起こしてみれば、タイトルの達人の裾くらいはつかめるかもしれないと思って筆を進めることにする。
まず私がなぜタイトルに自信がないか。そこにタイトルの実相がある。私は、このブログの文章を読んでもらえばわかるように、割合、順序立てて話を進める傾向がある。簡単に言うと理屈っぽいのだ。したがって、タイトルも理屈に合うかどうかでつい考えてしまう。さすがに長いことこの世界にいるので、普通の人よりは飛躍したフレーズを思いつくこともできるが、根本は理屈に合わないことには抵抗がある。しかし、理屈にこだわっている限り、よいタイトルはつけられない。
あるタイトルの名人は「タイトルで大事なのは何をイメージできるかだ」と言っていた。そう、タイトルは理屈上では変でも、イメージがつくれればそれでよいのだ。先日、とある住宅街を歩いていたら「イングリッシュハウス」という看板が目に入った。そこが英語教室であることは、看板のデザインや入り口の雰囲気から明らかである。「ああ、英語の家か」と思った。しかし、ちょっと違和感も覚える。これが「ジャパニーズハウス」だったら、誰も「日本語の家」とは思わないだろう。恐らくほとんどの人は「日本的な家」、「ちょっと狭い家」、または日本建築とイメージするのではないか。
イングリッシュハウスも“English House”だったら、英国風の家をイメージするのではなかろうか。実際、「イングリッシュガーデン」といえば英国風の(ガーデニングを施された)庭だ。だが、タイトルとしては「イングリッシュハウス」でよいのだ。なぜならイングリッシュハウスで十分「英語教室」をイメージができるからだ。たぶん家の中では英語だけで話すのだろう、体験的な英語学習ができるのだろうと、私でもイメージできるからだ。つまり、極端に言えば本のタイトルに正確性は要らないのである。それは、取りも直さず企画段階の仮タイトルでも同じことだ。
つまり、タイトルの達人たちは、ほぼ例外なく論理的な人ではなかったということである。みんなイメージ優先、理屈は後回しのタイプであった。ときに日本語としても整合性を欠くこともあった。それでもイメージはしっかり伝わったのだから、それでよいのである。それが私の知る、タイトルの達人たちだ。
イメージというのは、その人の立場、経験によって異なる。したがってイメージを共有させるには、まず相手を特定しなければならない。新刊本であれば読者対象を絞ったうえで、相手に最も強いイメージを抱かせる言葉を探すのだが、ここで述べようとしているのは編集者に食いつかせるための仮タイトルである。編集者を振り向かせる仮タイトルを考えるうえで、大事な要素が「時代性」である。
過去のベストセラーのタイトルの中には、『夢をかなえるゾウ』(水野敬也著 飛鳥新社)とか『社長のベンツはなぜ4ドアなのか』(小堺桂悦郎著 フォレスト出版)など、具体的なイメージを抱きにくいものがある。それでも両者には「夢」と「会計」という、その時代にひときわ関心が高かったキーワードがついている。ベストセラーのディフェンディング・チャンピオン『窓際のとっとちゃん』(黒柳徹子著 講談社)にも、あまり本の内容とは関係ないが「窓際」という時代のキーワードはあった。時代によっては「会話」「話し方」「そうじ」「かたづけ」というキーワードだけで、読者も編集者も十分イメージを持つことができた。
戦前を代表する実用書作家・下中弥三郎が書いた『や、此(これ)は便利だ』(通称「や便」)という本がある。下中弥三郎は平凡社の創業者だ。下中の「や便」は、いわば事典である。「や便」は大ヒットしたが、いま「や、此は便利だ」をタイトルにしようと考える編集者はいない。
当時の人には響いた言葉でも、時代が変わるとまったく効果がなくなることはよくある。つまり時代に合ったタイトルとは、常に旬でなければならない。旬というのは流行である。編集者は概して流行に弱い(敏感だ)。流行のテーマ、流行のキーワードで攻められると、どうしても無視できなくなる。そこが攻略ポイントと言えよう。だが、同じキーワードでも立場によって解釈が異なる場合がある。
いま流行の「働き方」はよいキーワードだ。しかし、経営者にとって「従業員の働き方」は経営上の問題だが、一般社員にとっての「働き方」はライフプランやワークライフ・バランスの問題である。ここの視点を定めておかないと、せっかくの時代のキーワードも効果が薄くなってしまう。そしてキーワードは、ひとつのタイトルに二つも三つも入れてはいけない。これもタイトルの約束ごとである。
次回に続く