なんの仕事をしていてどんな家に住んでいるとか、パートナーの職業や年齢とか、そういった情報に踏み込まれるのはもちろん、自分の気持ちや意見などを他人に察せられたくないと感じることはありませんか?
オープンにする必要がないから公表しないのと、見せたくないから隠すのとでは、意味がだいぶ違います。抵抗感があるということは、見せたくないという感情があるのでしょう。
特に、自分に関することで何かを突っ込んで聞かれたとき、反射的にイラッとしてしまう心の反応があるなら要注意です。
人は何かを必死に隠そうとしている人の心の動きは敏感に察するもので、その違和感は人間関係に不調和を起こすきっかけにもなり得ます。
ではそもそも、自分をオープンにしないことで得ているメリットは、一体なんなのでしょうか? そこを深掘りしてみる必要があると思います。
他者に自分のことをオープンにできないと悩む人に共通する原因は、恐れです。
自分について打ち明けたところで、相手に批判されたり共感してもらえなかったりすることをひどく恐れている可能性があるのです。
でも普通なら、共感もされないけれど批判もされないという中間の感覚があるものです。「私にはわからないけれど、そういうのもあるんだね」といった感覚です。
自分をオープンにできない人の中では、その中間の感覚が抜け落ちているかもしれません。
その人にとっての他者は、自分を「ありか、なしか」で真っ二つにジャッジする存在なのかもしれません。だから本人もまた、他者を「ありか、なしか」の二元論でジャッジしている可能性が高いです。
他者から批判されたり、恥をかいたりしなくて済むというメリットがあるから、自分をオープンにしません。なぜなら自分はダメな存在、恥ずかしい存在だという思い込みがどこかにあるからです。
大半は、幼少期に大人の何気ない言動で植え付けられた恥の思い込みが影響しています。
恥の思い込みは、大人になるほどその人を生き辛くしていきます。
学校の成績、仕事の成績、友人やパートナー、持っているお金の額や社会的地位。人の価値を表面的にはかる指標は、大人になるほど増えていくからです。
しかしこの思い込みは、たまたまこれまでの人生で採用してきたただの思考のクセであって、自分という存在の価値とはまったく別物です。
では、ここでもう一度自分に問いを投げてみましょう。
自分をオープンにしないで得てきたメリットは、実際に人生を豊かにしているでしょうか? つながりたい人とつながり、やりたいことをやるために効果的だったでしょうか?
何か孤独感のような寂しい感情で心がうずいているのなら、新たな生き方を選択することは可能だと思います。
人は容姿や能力といった表面的な情報で他者を愛するわけではありません。恥の思い込みを乗り越え、誰かを本気で愛したとき、きっとそのことが腑に落ちると思います。
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