「自分と他人を比べて苦しくなる」「がんばっても報われない」……そういった悩みの原因の大半は、自分の外側ではなく、自分の内側にあります。心の中で迷子になっている本当の気持ち(=未処理の感情)が引き起こしているのです。等身大の自分を受け入れて、ラクに生きたいと思いませんか? 本連載では、アルファポリスより好評発売中の『そろそろ『わたし』でいきていく ~今日から自分を好きになるために~』(城ノ石ゆかり)から一部を抜粋し、そのヒントをお届けしていきます。
「自分のために生きればいい」とか、「やりたいことをやればいい」といわれても、戸惑うことはよくよく承知しています。
なぜなら私も、多くの時間をその戸惑いに費やしたからです。
自分を見失った大学時代、私はいつもどこか不安定で、人に後れを取らないように、しかし大きくははみ出さないように日々をやりくりしていました。本当はヒザが震えているのに、決してかかとをつけないように爪先立ちで生きていたような、そんな自分が思い出されます。
自信を持つにはきっと、私が私として確固とした感覚を得て、何か大きなことをなさなければならないと信じ込んでいました。なぜなら生き方に迷ったとき、世間では「どうなりたいか」を明確にすることが、最も大事だとされていたからです。
一方で私は「それがわかれば苦労しない」とも薄々感じていました。
いまならわかります。わからなくて当然だったのです。
「どうなりたいか」ではなく、「どう在りたいか」がまず大事でした。
私たちにもし万人共通の使命があるとすれば、「この自分で生まれてきたことを最大限に発揮すること」ではないでしょうか。それは人が自分らしく、自分なりのペースで成熟していくことだとも感じます。
人が毎日繰り返していることは「選択」と「責任を果たすこと」で、自分を最大限に発揮するにはその成熟度を高めていく必要があります。これこそが「どう在るか」を選ぶ力。「情緒的な成熟度」です。
情緒的成熟度は、年齢や経験値、スキルなどに比例しないのが特徴です。
10代の学生でも自らに「どう在りたいか」を問い、自分の選択で物事にしっかり責任を取って生きられる人はいます。
一方で年齢を重ねても借り物の基準で選択し、責任に追われるように生きる不満だらけの大人もたくさんいます。
大きな目標を成し遂げたり、たくさんのスキルを身につけたりしたとしても、「人生こんなはずではなかった」になりやすいのは後者の方です。
成功すれば人格者になれる、がんばれば認められる……といったように、目標を達成したり何かを手に入れたりすれば自己肯定感が高まり、豊かに生きられると私たちは考えがちです。
しかし情緒的な成熟度は、成功度合いや知識の量やスキルの数とも比例しません。