これから5回(10トピックス)は、各項目の最後に皆さんに質問を投げかけますので、答えをぜひ考えみてください。
「ノブレス・オブリージュ」という言葉を聞いたことはありますか?
最近では、ラグビー日本代表の五郎丸選手躍進の陰には、この言葉があったといいます。
「ノブレス・オブリージュ」は、「位高ければ徳高きを要す」、あるいは「地位の高い人の義務」と訳されます。地位の高い人は、それに相応しい徳の高さや自己犠牲の精神を持たなければいけないということです。
私は、やはり徳の高い人がトップに立ち、そのうえで頭の切れる参謀が傍で支えるというスタイルが理想と考えています。かつての日本の優秀な組織は、まさに優秀なリーダーの下に、優秀な参謀がいるという形が多かったと思います。
私は高校生の時に、公立の進学校に通っていました。「勉強ができる人が偉い」という感覚が浸透し、勉強の成績さえよければ、何でも許されるような雰囲気でした。
一部ではありますが、教師の中には修学旅行や文化祭などの学校行事を中止して、勉強しろと主張してきた人もいました。当時野球ばかりやっていて成績が悪かった私を、バカにするような友達も多くいました。
そういった教育が、「数字さえ上げればいい」、「税金は自分の出世のためにある」と考える人たちを育ててしまっている一因なのではないかと憂慮しています。
もちろん、成績や頭がよいということは、本当に素晴らしいことです。しかしそれは、人間の能力の中の、ある一部にしかすぎません。それがすべてだという評価・仕組みが、小ずるい官僚やエリートを作ってしまったのではないかと思います。
西郷隆盛は、「功があった人には、禄を与えよ。徳があった人には、地位を与えよ」と言っています。数字の功績をあげた人には、もちろん金銭的に報いてあげるべきです。
しかし、その人に地位を与えるかは切り離して考えなければいけないのです。
私は日本の教育にも、もっと「修身」や「道徳」を強化するカリキュラムを増やすべきだと思います。何よりも、それを教える先生の評価もきちんとしなければなりません。
「人事」がすべてなのです。
ここで皆さんへの最初の質問です。
第1回の課題は
「あなたはこれまでノブレス・オブリージュを感じた瞬間はありましたか? それはどんな瞬間でしたか?」です。
イギリスの経済学者・ケインズが残した言葉に、
“It is much more important how to be good rather than how to do good.”
というものがあります。
「いかに善をなすか(to do good)」というよりも、「いかに善であるか(to be good)」ということのほうが大切である、という意味です。
初めてこの言葉に出会って何年も経っていましたが、私はこの言葉の意味がずっと腑に落ちませんでした。
しかし『論語』の中にあった一節を読んで、こういうことなのかと考えるようになりました。
孔子が自分の人生を振り返った『論語』「為政篇」の有名な文章の最後に、
「七十にして心の欲するところに従いて矩(のり)を踰(こ)えず」
という一説があります。
孔子が七十にして初めて到達した「自分の心の思うままに行動しても、人の道から外れない」という境地。 まさに人間の究極的な理想の姿です。
この一節を思い出し、これこそケインズのいう「to be good」だと思いました。
リーダーとなるべき人が目指すべき境地だと思います。
これは非常に深い言葉であり、私自身頭で理解しても、まったくそのレベルには至っていません。
最初は「to do good」からでもスタートし、徐々に自分を修めて「to be good」を目指すべく自分を成長させていくことです。
人の上に立つ人間ほど、人徳者でなければいけません。
イギリスのケインズが言っている“人としてのあるべき姿”について、 中国の古典である『論語』でも書かれているというのは非常に面白いことです。
そして東西を問わず、人間の目指すべき本質的なものは同じであると改めて実感します。
リーダーとして、ぜひ、どのように人を修めるようかと考える前に、自分が「to be good」になっているか、振り返ってみてください。
ここで皆さんへの2つ目の質問です。
第2回の課題は
「“to be good”であるために、あなたが意識できることは何ですか?」です。
(次回に続く)