１


　その日、七つの国を有ゆうすアメニトリア大陸の中でも最大の領地を持つ、エンダーラ王国の国王謁見えっけんの間で、勇者ゆうしゃである俺――アルファートは魔王まおう討伐とうばつの報告を行っていた。

「――漆黒しっこくの魔王の討伐、しかと完遂かんすい致いたしました。これにて王国は魔王の脅威きょういから解放されたことをご報告致します」
「おお、よくぞやってくれた。さすがわしが勇者と認めた男だ。この度たびの魔王討伐、ご苦労だった。褒ほめてつかわす」

　片膝かたひざをついて礼を尽つくす俺に向かい、王座おうざで自慢じまんのあご髭ひげを撫なでながら偉えらそうに話すのは、この国の王。王権で国中にふれを出し、当時冒険者をしていた俺を探し出してこちらの意見も聞かずに強制的に儀式ぎしきを行い、勇者認定にんていをした張本人だ。

「はっ！　ありがたきお言葉にございます」

『勇者は魔王を討伐する義務がある』の一言で、俺を長きに亘わたる苦難の道のりへ向かわせた諸悪しょあくの根源である国王。その男に対して、不満を表には出さずに応じるのには理由があった。
　先ほど口にした通り、俺が魔族の長おさである魔王討伐を果はたしたことで、世界が魔王軍の脅威から解放されたのだ。報酬ほうしゅうも破格はかくのものが用意されていると考えるのは当然だろう。その報酬でこの歳――二十八にしてのんびりとした余生よせいを送れるのならば、この場だけ国王に頭を下げることなんて些細ささいなことだと考えたというわけだ。
　だが、そんな打算ださんをしながら国王の次の言葉を待っていた俺に告げられたのは、とても信じられないものだった。

「――魔王が討伐され、王国への脅威がなくなったゆえに、もう勇者は必要ないだろう。王国は魔王討伐に際し多額たがくの金を貸し付けた。それの帳消ちょうけしをもって魔王討伐の報酬とする。ああ、そうじゃ。今後はそなたが装備そうびしている勇者の剣などの武器ぶき防具ぼうぐも必要ないだろう。それらは王国が資金しきんを出して用意した物だ。この機会に回収させてもらうが、よいな？」

　国王の言葉に俺は耳を疑い、彼の隣となりに並んでいる宰相さいしょうや他の貴族・要人に目を向ける。
　しかし、権力の象徴しょうちょうである国王の言葉に反論はんろん出来る者はおらず、皆、居心地いごこちが悪そうに目を逸そらすばかりだった。
　命がけで魔王と戦ってきた功績こうせきを「褒めてつかわす」の一言で済すます国王の神経しんけいも疑うが、それ以上に活動資金と言われて渡されていた金が借金扱あつかいになっていることに、俺は憤慨ふんがいしていた。大声で批判ひはんしたい気持ちをぐっと押し殺しながら、俺は出来るだけ穏便おんびんに質問をする。

「私は国王様の勅命ちょくめいのもとに、命の危険に晒さらされながらも魔王討伐を果たしました。その見返りがこの仕打ちなのでしょうか？」

　俺の訴うったえに、国王は面倒めんどうくさいと言わんばかりの表情で告げる。

「ああ、魔王討伐に関しては感謝しておるぞ。だからその間にそなたが使った多額の資金については、王国が肩代わりしてやると言っておるのだが、それだけでは不満なのか？」

　駄目だめだ、まったく話が通じない。

「では、国王様は魔王を討伐した私に無一文むいちもんでここから出ていけと言われるのでしょうか？」
「なんじゃ？　そなたは魔王討伐の勅命を授さずかるまで全く貯蓄ちょちくをしていなかったのか？　思ったよりもだらしのない奴だったのじゃのう。仕方ない、温情おんじょうで金貨十枚ほど報酬を上乗うわのせしてやろう。それで文句もんくはなかろう？」

　金貨十枚は、普通の仕事をしている者が一ヵ月で稼かせげる額がくとほぼ同じ。魔王討伐の報酬として納得なっとく出来る額ではない。しかし、このままこの場で話を続けてもこれ以上の譲歩じょうほは引き出せそうもない。俺はしぶしぶ形だけの感謝の言葉を告げると、謁見の間から退室たいしつしたのだった。


「これからどうすればいいんだろうか……」

　俺は王城前の広場のベンチに座り、途方とほうに暮くれていた。
　あの後、謁見時に預あずけておいた装備品をほとんど取り上げられた俺は、別室にて報酬の金貨十枚を受け取ると、すぐに城から追い出されたのだった。
　金貨十枚。贅沢ぜいたくをせずともすぐに生活費が枯渇こかつするのは分かりきっているが、これを元手もとでに商売しょうばいを始められるわけでもない。

「いっそのこと護衛ごえい依頼を受けつつ、他国を旅して回るのもアリかもな。世話になった知り合いに顔を見せにいくのもいい。それに、こうして勇者の使命はなくなったんだ、好きな酒を飲むことを咎とがめられることもないわけだ。安酒のエールだけじゃなく、各国の地酒じざけを飲み歩く旅も楽しいかもしれないな」

　ついさっき理不尽りふじんな仕打ちを受けたばかりだったが、重い使命の責せきがなくなった解放感が勝り、俺はすんなりと前向きな気持ちになっていたのだった。

「そうと決めたら資金が尽きる前に行動しなければな。まずは宿を引き払って……そうだ」

　これからの予定を整理していくうちに、俺の中で悪戯心いたずらごころがふつふつと湧わいてくる。

「やはり、きちんと魔王討伐の報酬、金貨十枚のお礼はしておかないと駄目だな。俺の心の安息あんそくのためにも……。くくくっ、今夜が楽しみだ」

　俺はそう呟つぶやいて目の前に立つ王城を見上げると、黒い笑みを浮かべながら借りている安宿やすやどへと向かった。


　――キィ。
　宿の部屋のボロ戸どを開けると、使つかい獣魔じゅうまのコトラがタタタと駆かけ寄よって出迎でむかえてくれる。

「にゃあ」

　コトラは魔王討伐の旅の途中で、魔王の魔素まそに当てられて魔物化し突然襲いかかってきた子猫こねこだった。その時は反射的に反撃はんげきしてしまったが、運よく一命を取り留めたところを当時パーティーメンバーだった聖女せいじょシューラに頼んで怪我けがを治療ちりょうしてもらい、使い獣魔契約を結んだのだ。

「――ああ。俺のことを本当に分かってくれるのはお前だけだよ」
「にゃう？」

　コトラは後ろ足で身体からだを数回掻かくと、ぴょんと俺の肩に飛び乗ってくる。

「これからまた旅に出ることになるぞ。だが、前と違って今度はのんびりと行こうな」
「にゃお」

　俺の言葉を聞いて、コトラは「ふわぁ」と大きな口を開けて欠伸あくびをする。

「少し寄り道をして町を出るからな」

　そう言ったにもかかわらず、コトラは俺の方をチラッと見てからひょいと身軽な身体を弾ませて、近くのベッドにダイビングして布団ふとんの上で丸まる。

「おいおい、寝てる場合じゃないぞ。お前も一緒に行くんだからな」

　俺はベッドの上に丸まったコトラの首根くびねっこを掴つかむと、再度自らの肩に乗せて部屋を出た。

「――急ですまないが、宿を引き払いたいんだ」

　荷物を抱えた俺は宿のカウンターで主人にそう声をかける。

「今からかい？　他所よそに行くなら明日の朝の方がいいと思うが……」
「ちょっと野暮用やぼようが出来てな。だが、急な話だし、明日の宿泊しゅくはく代金まではとっておいてくれ」
「そうか、すまないな。また王都に来たなら寄ってくれよ」
「ああ、そうさせてもらうよ」


　宿を引き払った俺は、これからの旅に必要な物を町で買い揃そろえながら夜になるのを待った。
　ちなみに、勇者である俺が町を歩いていても声を掛けられることはない。俺が平民だからだろう、王は勇者がどんな人物なのか公おおやけにしなかったのだ。まあ、俺としても目立つのはあまり好きじゃないから、不満はないけどな。
　やがて夜になると、宿に預けていたために王家が回収を忘れた魔道具のうちの一つ――認識阻害にんしきそがいの外套がいとうを纏まとい、闇夜やみよに紛まぎれて警備けいびの手薄てうすな裏門から城へ忍しのび込む。城の警備は魔王が討伐された安堵あんどから比較的緩ゆるくなっており、忍び込んで十分ほどで目的地である国王の寝室の前まで辿たどり着いた。

「ぬるいな。俺が本物の暗殺者じゃなくてよかったな。国王を簡単に殺せてしまうぞ。まあ、あんな国王でもいきなり死んでしまえば国は混乱するだろうし、そこまでのことはしないが……せめて俺の気持ちをスッキリさせるために少しばかり恥はずかしい目に遭ってもらうとするか」

　俺はそう呟き、寝室の中の様子を窺うかがうために、肩に乗っているコトラに魔法をかける。

「――超獣可視化ビーストスコープ」

　魔法を受けたコトラは薄く光を帯おびる。

「魔力で一時的にお前の視界を俺にも見えるようにしたから、天井裏てんじょううらから様子を探さぐってくれ」

　コトラは分かったとばかりに尻尾しっぽをピンと立てて振ると、高い天井の隙間すきまへと大きくジャンプをした。使役しえきする獣魔を通じて先の景色を見られるのは、一流の獣魔道士テイマーだけ。習得条件が厳しく、俺がこの能力を得られたのは幸運と言ってよかった。

「一人で寝ていてくれれば話は簡単なんだが……」

　俺は扉の前に立ち、コトラの視界を借りて国王の姿を確認する。

「どうやら一人でぐっすりと眠っているようだな」

　俺は「ふう」と息を吐はくと、勇者パーティーの斥候せっこうのヒューマに教えてもらった開錠術かいじょうじゅつで、静かに扉とびらの鍵かぎを開ける。
　――ズズズ、と出来るだけ音を立てないよう寝室のドアを開いた俺は、忍び足で国王の眠るベッドへ近づく。そして、強力な睡眠すいみん魔法をかける。

「ふう。これで何をしようとも朝まで目が覚めることはあるまい」

　俺はニヤリと悪い笑みを浮かべながら、懐ふところからよく砥とがれた小ぶりのナイフを出す。そのまま国王の頭に添そえ、ニヤニヤしながら丁寧ていねいに髪かみの毛を剃そり上げていく。頭の毛を剃り終えた後、あごに生えている立派な髭が目に入り、ついでとばかりに髭も綺麗きれいに剃り落としてやった。

「謁見中もしきりに撫でていたし、自慢の髭だろうからなくなったら驚くだろうな」

　髪と髭を全て剃り落とした俺は、魔法の研究中に偶然ぐうぜん発見した毛根死滅もうこんしめつなるオリジナル魔法をそれぞれに念入りにかける。これで二度と毛が生えてくることはないだろう。
　それから剃り落とした毛を袋に入れた上で、俺だけが使える魔法の一つであり、物を劣化させずに無尽蔵に保存出来る異空間いくうかん収納しゅうのう魔法で回収すると、そっと部屋から出る。そして元通りに鍵をかけてからその場を離れた。

「毛根死滅――偶然見つけたくだらない魔法だったが、思わぬところで役に立ったな。今回の俺に対する仕打ちを考えると甘すぎる対応だが、今はこれで勘弁かんべんしてやるとしよう。だが当面とうめん……いや、今後は恥ずかしくて公務で顔を出せないかもしれないけどな」

　俺はそう呟きながら走って王城から脱出だっしゅつした。

「明日の朝になればおそらく城内は大騒おおさわぎになるだろう。もしかしたら犯人探しで王都を出るのが難しくなる可能性もあるから、夜のうちに王都から出るぞ」

　俺は肩に乗ってきたコトラにそう語りかけると一番近い門へ向けて歩き出したが、ここで一つ面倒なことを思い出す。夜間に危険な町の外へ出る者はほぼいない。一人で出るなどもっての他だ。そんな中で門兵もんぺいのチェックを受けるなど、覚おぼえておいてくださいと言わんばかりのリスク行動だ。
　仕方ない、ここも外套を使って通り抜けるとするか。だが、念には念を入れておこう。

「コトラ、すまないがあの門兵の気を引いてくれ」
「にゃう」

　コトラはそう鳴いて暗闇の中へ走り去ったかと思うと、門兵の頭上あたりから鳴き声を発する。

「なんだ、野良猫のらねこが発情はつじょうでもしてるのか？」

　門兵が声の方へ視線を向けた隙に、外套を纏った俺は静かに門を通り抜けた。脱出成功だ。

「ぷっ、くくくくっ」

　夜の街道かいどうをゆっくりと歩く俺の肩に、コトラがタタタと走り寄ってぴょんと飛び乗ってきた。自慢げな顔で、褒めろとばかりに尻尾でペシペシと俺の頭を叩いてくる。

「ああ、よくやった。優秀ゆうしゅうな相棒あいぼうを持った俺は幸せだよ」

　コトラの頭を撫でてやりながら、剃り上げてやった国王の頭を思い出す。目を覚ましてから絶望の表情をするのを想像するだけで顔のニヤニヤが止まらない俺だった。慌てる姿が直じかに見られないのは残念ざんねんだが、人の口には戸は立てられないと言う。そのうち噂うわさを聞くことになるだろう。
　その後、俺は王都からある程度離れた場所で野営やえいし、一夜を明かしたのだった。


　◆◆◆


　翌朝、目を覚ました国王は頭とあごに違和感いわかんを覚え、自慢の髭を触ろうとあごに手を添えた。ところが昨日まであった髭はなく、慌てて悲鳴ひめいに近い声で侍女じじょを呼ぶ。

「国王様、どうされました？」

　侍女が部屋に入ると、つるつる頭の国王が鏡かがみを持ってくるようにと叫さけぶ姿が目に入った。侍女はその滑稽こっけいさを笑うわけにもいかず、必死に我慢をしながら鏡を差し出す。すると、それを奪うばい取るように手にした国王は、自らの顔を見てその惨状さんじょうに驚愕きょうがくし、今度こそ悲鳴を上げた。

「な、な、ない！　自慢の髭もふさふさの髪もないだと！？」

　寝ている間に抜け落ちたにしてはベッドには髪も髭も落ちてはおらず、まるで毛だけがどこか別の世界にでも行ってしまったかのようだった。

「国王様。これはいったいどうしたことですかな？」

　国王の叫び声を聞きつけ、慌てて部屋に現れた宰相さいしょうも驚きのあまりそう言うしかない。何かの毒か呪のろいの類たぐいではないかと、大至急だいしきゅう、薬師くすしと解呪士かいじゅしの手配てはいをした。しかしどちらも「毒でも呪いでもありません。ただ剃られているだけですね」と恐縮きょうしゅくしながら説明をするだけ。

「いったい、いつの間に？」

　頭に初級回復魔法ヒールをかけてもらいながら、国王はぶつぶつと愚痴ぐちをこぼす。

「今日のところはここまでにしましょう。これは怪我ではありませんので、初級回復魔法ヒールではあまり効果こうかはないかと思われます。自然に生えてくるのを待つ他ないかと。毎日かければ多少は改善かいぜんするかもしれませんが……」

　王室専属おうしつせんぞくの治癒魔法士ちゆまほうしからそう告げられた国王は「どのくらいで元に戻る？」と確認したが「なんとも言えませんが、おそらく一ヵ月ほどかと」と返され「ぐむむ……。仕方ない、暫しばらくは公の場に出る式典しきてんなどは行わないことにする」とつるつるの頭をさすりながら苦渋くじゅうの表情をして宰相に告げたのだった。しかし、国王たちは知らなかった。毛根死滅の魔法の効果こうかによって、国王の頭とあごにはもう二度と毛が生えてはこないということを。



　　２


　翌朝、仮眠かみんから目を覚ました俺は、明るい空を見てそろそろ騒ぎが起こっている時間かと思い、頭の中でその場面を想像した。

「今頃、国王はつるつるの頭とあごに青ざめている頃だろう。本当ならばこの目で直接見て笑ってやりたいところだが、リスクが高すぎるからな」

　俺は魔法鞄まほうかばん――王家が回収し忘れたアイテムの一つ――から取り出したパンと干し肉をかじると、コトラにも分けた。
　魔法鞄とは空間魔法がかけられた魔道具で、中に入れた物を魔法で作られた特殊な空間で保管ほかんすることが出来る優れ物。見た目からは信じられないほど多くの物を入れることが出来るため、超高級な魔道具として知られている。
　とはいえ俺からすれば性能は微妙だと言わざるを得ない。数日分の食料を保管しておける程度の物だ。ただ、俺の持つ異空間収納魔法の存在を誤魔化すため、都合のよいアイテムではあった。
　俺とコトラは腹ごしらえをしながら、共に隣町であるキロトンへ向かって歩く。

「隣町とは言っても歩いて行くには少しばかり遠いんだよな」

　俺とコトラがキロトンまで約半分の距離にある水場みずばで休んでいると、そう遠くないところで怒号どごうと悲鳴が上がるのが聞こえた。

「そっちに行ったぞ！」
「慌てるな！　複数であたれ！」

　静かな森の街道にそんな叫び声が響くのを聞いた俺は、厄介やっかいごとになるのを承知で首を突っ込むことに決め、声のする方角へ走り出す。もう勇者は引退したので無償むしょうで助ける道理どうりはないが……。

「聞いてしまったものを放っておくのは気分が悪いからな」

　俺はそう呟くと、身体強化しんたいきょうかの魔法を自身にかけて、戦いの音が鳴り響く方へ急いだ。


　走り出して数分もしないうちに街道の大きく開けた場所に出ると、大きな黒い狼おおかみに襲おそわれ立ち往生おうじょうしている馬車が目に飛び込んでくる。

「そっちに行ったぞ！　絶対ぜったいに馬車に近づけるな！」

　護衛の一人がそう叫んで必死に剣を振るう。

「あれは……珍めずらしいな、魔物化した狼じゃないか。魔王を倒してから魔物化した獣は激減げきげんしたとギルドで聞いていたが、こんな場所で出くわすとは……」

　魔物とは、魔王の力の象徴である魔素を必要以上に体内に取り込んで狂暴化きょうぼうかしてしまった獣のことだ。魔物化した獣には総じて共通したある特徴が表れる。元の毛色が何色であっても黒く変色し、その目が深紅しんくに染そまるのだ。そして、魔物はＣランク程度の護衛では討伐は厳しく、連携れんけいが上手くいかなければ全滅ぜんめつする危険性もある。
　今、戦っているパーティーに早急さっきゅうな助力が必要であることは明白だった。

「援護する！」

　突然響いた俺の声に護衛たちは一瞬だけ戸惑とまどうが、俺の姿を見つけると「すまない！」と声を返してきた。それを聞いた俺は懐からナイフを一本取り出し、付与ふよ魔法を唱える。

「――追尾剣ホーミングソード」

　次の瞬間、ポッとナイフに光が灯ともり、刃の部分に紋章もんしょうが浮かび上がる。

「行け！」

　俺は追尾ついびの魔法をかけたナイフを空に向かって放り投げる。

「いったいどこへ向かって投げているんだ！？」

　俺がナイフを投げる瞬間を見ていた護衛の一人がそう叫ぶが、ナイフは上空で一旦停止し、クルリと刃の先を狼に向けて急加速した。

「ギャウ！」

　加速したナイフは、方向転換ほうこうてんかんしようと動きを止めた狼の眉間みけんに深々と突き刺さり、狼は何が起きたかも分からぬまま絶命ぜつめいしたのだった。
　襲ってきた獣は一匹だけだったようで、仲間の気配は感じられなかった。

「よう。大丈夫だったか？」

　俺が護衛たちのもとへ歩み寄ると、護衛のリーダーらしき青年が一歩前に出て礼を言う。

「協力、感謝する。魔物化しているとはいえ、しょせんは狼と侮あなどってしまい無様ぶざまな姿を晒してしまったようだ。ああ、俺はこの馬車の護衛隊長をしているグラムだ。しかし、魔物化した狼がこんなに手強てごわい存在だとは思わなかった。本当に助かったよ」

　グラムは体についた泥どろを払いながら苦笑いをする。

「魔物化した獣は総じて攻撃力が大幅に増加するから気をつけないとな。まあ、俺も街道にこんな奴が出てくるとは思わなかったが」

　俺は狼の死体からナイフを回収しながらそう言って先を進もうとしたが、停めてあった馬車から呼び止める声がかかる。

「お待ちください」

　声の方に目をやると、馬車から若い女性が降りてくるのが見えた。

「この度は危ないところを助けて頂いただき、本当にありがとうございました。私はキロトンでお店を経営しているミリバル商会しょうかいの娘でエルザと申します」

　いかにもお嬢様じょうさま然ぜんとした雰囲気ふんいきを持つ、背中まである淡あわいブロンドのロングストレートの髪が印象的いんしょうてきな女性である。

「俺は冒険者のアルフ。今は気ままな旅をしている途中だ」

　相手に自己紹介をされてはこちらも返事をしないわけにもいかなかったが、本名を名乗ると後々面倒に巻き込まれかねない気がしたので、愛称あいしょうのアルフと口にした形だ。

「アルフ様ですね。もし、この先の予定がお決まりでなければ私どもの馬車に同行して頂けませんか？　キロトンにてこの度のお礼をさせて頂けないでしょうか？」

　エルザはそう言って俺に頭を下げる。

「俺もキロトンへ向かう途中だから、迷惑めいわくでなければ同行するのは構わないが……」

　俺はそう言ってグラムたちの方を見る。

「依頼主である彼女がそう言うのならば俺たちに異論いろんはない。それに今回の件で助けられたのは俺たちだから、キロトンに着いたら俺からも礼をさせて欲しい」

　グラムがそう答えると周りにいた他の護衛たちも一斉いっせいに頷うなずいたので、「分かった。そういうことなら同行させてもらうよ」と言って馬車に乗せてもらうことになった。

「最近は獣の出現率が下がっていると王都で聞いていたが、今回は運が悪かったな」

　御者台ぎょしゃだいに乗せてもらった俺は馬車に揺られつつ、護衛として馬車の隣を歩くグラムに話しかける。

「まったくだ。今日は王都の学院がくいんに通われているエルザお嬢様が、長期の休暇きゅうかに入られたのでご実家へ帰省きせいする途中だったんだが、まさか魔物に遭遇そうぐうするとは思わなかったよ」
「そうだな。しかし、王都の学院といえばパスカウル学院か……彼女、優秀なんだな」

　ふと王都の学院について思い出した俺はそう呟いたが、どうやらグラムには聞こえていたようで自慢げに話しだした。

「エルザお嬢様は魔法の勉強をされるために学院に通っているんだ。将来は立派な魔道士となられるだろう」
「なるほど、魔法の勉強中だったのか。まだ実践じっせんレベルではないようだが、あの学院に通えるというだけでかなり素質そしつがあるのだろう。いい魔道士になれるといいな」

　ふと、グラムの腕に新しい大きな傷があるのに気づく。