癒しの花嫁は冷徹宰相の執愛を知る

はるみさ

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1巻

1-1

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   プロローグ


「初夜だからな。仕方ない」

 目の前の彼は私に背を向けて、冷たくそう告げた。
 ガウンを脱いだその背中はとても白く骨ばっていて、いつかおぶってもらった時の柔らかで温かな背中とは似ても似つかないものだった。
 幼い頃からずっとこの人のお嫁さんになりたかった。
 物知りで、優しく笑いかけてくれる彼が大好きだった。
 子供ながらに婚約が決まったと親に聞いた時は、両手を繋いで二人で喜んだ。
 庭園の隅に隠れて、ずっと一緒にいようねって小指を絡ませ、約束を交わした。
 そして、可愛いキスをしたっけ……
 でも、彼は変わってしまったのかもしれない。
 きっと私のことなど、もうなんとも思っていないのだろう。
 宝物が詰まったようなあのキラキラした日々も彼にとっては凡庸なただの過去で。私をめとるのも妻という存在が欲しいだけで。
 それでも、私は――

「そう、ですね。せめて初夜だけは……ちゃんとしないといけませんね」

 悲しいのか腹立たしいのかわからないまま、笑顔を作った。


   ☆ ☆ ☆


 ここは漁業が盛んな海沿いに位置する小国、ルクス王国。
 地図の隅にあるような小国ではあるが、近隣諸国との関係性も良好で、大きな戦は何十年も起きていない。
 懐の深い王家と、優秀な臣下、おおらかな国民に支えられた温かい国だと思う。
 海から流れてくる潮風の香りを微かに感じながら、晴れやかな気分で深呼吸をする。
 私は、ロストルム伯爵家の長女メロディア。といっても、伯爵令嬢でいるのはあとちょっと。数日後には公爵夫人になる。いよいよ幼い頃から夢見ていた彼の妻になれる。
 喜びを隠しきれず、私は窓から夕日を見つめながら鼻歌を歌っていた。

「姉様ったら、今日もはしゃいじゃってさ……」

 少し不貞腐れたような顔で部屋に入ってきたのは、私と十歳離れた弟のフェルだ。

「ふふっ、またそんな悲しそうな顔しちゃって。姉様は幸せな結婚をするのよ? フェルにも喜んでほしいわ」

 フェルの柔らかな金髪に手を伸ばすと、フェルは甘えるようにぎゅっと抱きついてきた。
 来月には十歳になるというのに、いつまでも甘えん坊な可愛い弟。

「やだよ……姉様はずっとこの家にいたらいいんだ。どんなに身分が高くたって、あんな男に姉様はもったいない……」
「もう。いくらフェルでも私の旦那様になる方の悪口を言うのは許しませんよ?」
「だって、全部ほんとのことだもん! ……なんで姉様も文句言わないのさ。何年もほったらかしにされてるって子供の僕でもわかってるくらいなのに!」

 フェルは眉を吊り上げて、声を荒らげる。
 私は夕日に照らされた綺麗なフェルの頭を撫でた。

「そうね……。でも、アヴィス様はこの国の宰相ですもの。お忙しいのよ」

 私はそう言って笑ったが、フェルは今にも泣きそうな顔をして、下を向いた。
 私のために泣いたり、怒ったりして、優しい子なんだから……
 悲しいことにフェルの言うことは正しかった。
 私の婚約者であるアヴィス・シルヴァマーレ様は公爵であり、この国の宰相を務めてもいた。二十歳という異例の若さで宰相の座に就き、この二年間であげた功績は数知れず。
 王家からも全幅の信頼を置かれている。
 十六の時に両親を亡くし、その時に公爵位も継いだため、公爵としての仕事もある。
 そのため、常に仕事漬けでデートなんてもってのほか……
 彼が宰相になってからは、婚約者であるにもかかわらず、数えるほどしか顔を見ていない。
 しかも、その数回さえ社交パーティに監督役で参加する姿を遠くから見つめただけ。
 私はアヴィス様を見つける度にいつも心配になる。
 今にも倒れそうなほど、疲れていることは一目瞭然だから。
 顔色はいつも悪いし、綺麗な銀髪は伸び放題でその下にある新緑の瞳を隠している。仕事のしすぎで目が悪くなったのか、ここ最近は分厚い眼鏡までかけるようになった。
 その姿を見かける度になんの慰みにもならないとは知っていても、私は婚約者として、お手紙を書いたり、街で体に良いと話題のものを買ってきたり、職場に差し入れを届けに行ったりした。
 それに対しての返信や御礼は何もないから、迷惑に思われているかもしれないけど……
 婚約者として尊重されてはいないとわかっている。
 けれど、私は婚約者としてアヴィス様の忙しさを理解しているつもりだし、結婚も彼の仕事が落ち着くまで待つつもりだった。
 何より宰相として、公爵として頑張る彼の邪魔をしたくなかった。
 だって、どんなに冷たくされても、私は幼い頃からずっと、アヴィス様が大好きだから……



   第一章


 私の父と今は亡きアヴィス様のお父様は親友で、家同士の付き合いもあって私たちは幼い頃からよく一緒に遊んでいた。いわば幼馴染だった。
 私より二つ上のアヴィス様はなにかと鈍臭い私をいつも助けてくれた。
 私が転べば一番に駆け寄りおぶってくれたし、広い庭園で迷子になった私をすぐに見つけてくれるのは、彼だった。その上、何より彼はとても優秀で、物知りだった。
 アヴィス様はなんでも知っていて、私にいろんな話をしてくれた。
 キラキラした瞳で、いろんなことを話す彼が大好きで、ずっとそばにいたいと思った。
 そんな私たちの結婚が決まったのは私が十歳、アヴィス様が十二歳の頃だった。
 我が家に弟であるフェルが生まれ、私はアヴィス様の婚約者になることが決まった。
 私たち二人はその話を聞いて跳ねて喜んだ。
 アヴィス様は幼いながらに膝をつき、『ずっと大切にする』と言って、手の甲にキスをくれた。銀髪の隙間から私を見つめるその熱っぽい瞳は刺激が強すぎて、私は思い出す度に顔を赤くした。
 その後も仲良く絆を育んできた私たちだったが、暗雲が立ち込めたのは婚約から四年後だった。
 アヴィス様のご両親が亡くなった。不運な馬車の事故だった。
 アヴィス様は悲しむ間もなく、公爵位を継いだ。
 彼は学びながら、領主としての仕事をこなさなくてはならないため多忙になり、私はほとんど彼に会えなくなった。
 その上、十八から王宮で働き始め、二十歳になった時、その有能さから史上最年少の宰相に任命された。
 その頃からだろうか……手紙を送っても返信の手紙は届かなくなった。
 私のデビュタントの日も彼は仕事をしていた。
 アヴィス様は間違いなく、この国で一番多忙な人となった。
 寂しいのはもちろんだったが、婚約破棄を言い出されないことで、私は心の平静を保っていた。
 しかし、急展開とはあるもので……ある日あっさりと結婚が決まった。
 私たちが結婚することになったきっかけは、王太子殿下の結婚が決まったからだった。
 近い将来、王太子殿下のお子が生まれることを想定し、同世代の子供ができるようにと陛下が宰相であるアヴィス様に結婚を促したことで、ならば婚約者とすぐに結婚しますとアヴィス様が決められたらしい。
 結婚の打診が届いた時には何より驚きが勝り、しばらくその場から動くことができなかった。
 けれど、時間と共に嬉しさがふつふつとこみ上げた。
 夢にまで見た彼との結婚。婚約者という存在を忘れられているのではと思ったこともあったが、アヴィス様は幼い頃の約束を守り、私に求婚してくれた。
 届いた手紙は最低限のことしか書いていない事務的なものだったが、嬉しくて何度も何度も読み返した。


   ☆ ☆ ☆


 今日は結婚前、最後の社交パーティ。
 次から社交パーティに参加する時は、シルヴァマーレ公爵夫人として参加するのだ。
 私は馬車の中で、今までのことを思い返していた。
 今まで誰のエスコートも受けずに、一人で入場してきたが、結婚後はアヴィス様がエスコートしてくれるかもしれないと思うと、笑みが零れる。
 でも、結婚したら主要なパーティ以外にはほとんど出なくなるかもしれない。
 私は、元々こういった場が好きではなかった。
 そんな私が社交パーティに参加する理由は一つだけ。
 普段会うことができないアヴィス様を見たい、その一心だった。
 アヴィス様は公爵としてのパーティ参加はまずないけれど、大きな催しになると監督者として参加することがある。
 私はその彼を遠くから見つめるためだけに好きでもないパーティに参加している。
 それ故にいらぬ誤解を招いているのだけれど……

「お嬢様、到着いたしました」

 御者から声がかかった。
 一つ深呼吸をして、返事をする。

「ありがとう」

 御者が開けてくれた扉から一人で馬車を降りる。
 馬車を降りると、どこから嗅ぎつけたのか知らないが、数人の令息たちが私の道を塞いだ。
 私はアヴィス様以外のエスコートなど受ける気はないのだが、一人でいる私をエスコートしたいという人たちが決まって、通せんぼしてくるのは本当に困る。

「皆様、どうなさったのですか?」

 何もわからないふりをして、首を傾げる。
 一応これでも伯爵家の令嬢だから、『邪魔だからどいてください』とは言えないところが辛い。

「今晩も宰相殿のエスコートはないのでしょう? それならば、今夜は、僕といかがでしょう」

 腹立たしいことを言ってくれる。
 この人はきっと自分の顔面に自信があるのだろう……薔薇ばらを差し出しながら、ウインクをしてきた。
 ……寒気がする。普通の令嬢なら黄色い声を上げるのかもしれないが、私にとってはアヴィス様より美しい男性などいない。

「あら、ありがとうございます。ですが、私は婚約者以外のエスコートは受けないと決めておりますの。これを言うのは一度や二度ではないと思うのですが……忘れてしまいました?」
「ですが、エスコートもなしに会場に入るのは、悪目立ちするでしょう?」
「婚約者でもない方の手を取って入場するほうが悪目立ちしますわ。あなたとは考え方が合わないようですね。失礼いたします」

 私は令息たちをその場に残し、さっさと会場に向かった。
 会場に入ると結構な数の参加者が集まっているが、アヴィス様の姿はまだなかった。

「今日はどちらで監督されているのかしら……」

 きょろきょろとあたりを見回してみるものの、その姿は見つけられない。
 逆に嫌な顔を見つけてしまった。
 あちらも私に気付いたようで、コツンコツンと煩いくらいのヒールの音を鳴らしながら近づいてきた。
 ロックオンされては仕方がない。
 私は笑顔を貼り付けて、礼をとった。

「クライ伯爵夫人、ご無沙汰しております」
「えぇ、本当ね。まだ男漁りをやめてなかったのねぇ。そうやって純真なふりをして、こんな女に騙される馬鹿な男が多くて、うんざりするわ」
「私は男性を騙したことなどございませんわ」
「嘘おっしゃい。あちこちの男性があなたにたぶらかされているじゃないのよ」
「そのように仰るのはやめてください。以前から申し上げていますが、私は婚約者以外の男性とはファーストダンスしか踊ったことがありません」

 この国のマナーでは、ファーストダンスは断れない。そのため、エスコートのいない私は申し込まれた何人かの男性から選んで踊っている。
 しかし、同じ男性と踊るとその男性に気があると思われてしまう。だから毎回違う相手を選んでいるのだが、それを何人もの男性をたぶらかしていると、クライ伯爵夫人はいつも難癖を付けてくるのだ。

「ファーストダンスを踊っただけで、あんなにも多くの令息があなたに目をギラギラさせるものかしらねぇ?」

 呆れて話にもならない。
 その時、夫人の後ろから声がかかる。

「ヨネッタ、やめるんだ」

 名前を呼ばれた夫人は焦り出し、しゅんと一回り小さくなった。

「いつも私の妻がつっかかるような真似をしているようだね。申し訳ない」

 副宰相はそう言って困ったように笑った。
 この人はクライ伯爵、そしてこの国の副宰相。
 アヴィス様の部下にあたるが、アヴィス様が宰相になるまで、この方が宰相をしていた。
 今はアヴィス様を立て、上手く役割分担をしながら二人で王家を支えている。
 笑顔を見せないアヴィス様と違い、いつも微笑みを絶やさない紳士である。
 年齢はアヴィス様より十五ほど上だっただろうか……
 私は笑顔を作り、軽く頭を下げた。

「いえ、伯爵が気になさることではありません」
「いやいや、メロディア嬢を傷つけたとあれば、宰相に怒られてしまう。何かお詫びをさせてくれ。そうだ、うちに招待するから、今度一緒に晩餐でも――」
「いえ、本当に大丈夫ですわ。お気遣いありがとうございます」

 副宰相は良い方だが、伯爵夫人とはそりが合わない。晩餐に招待など、もはや罰ゲームに等しい。

「そうかい? 残念だ」
「あ、あなた……? そろそろ戻ったほうがいいんじゃありませんの?」

 伯爵夫人が恐る恐るというように副宰相の顔を窺う。
 なんだか夫人がビクビクしているようだけど……夫婦関係上手くいってないのかしら?

「そうだな。おい、ヨネッタ。メロディア嬢にくれぐれも無礼な態度を取るんじゃないぞ。近々、正式に宰相の奥方になるんだからな。では、メロディア嬢、こちらで失礼いたします」

 爽やかな笑顔で副宰相が去っていき、その後ろ姿を伯爵夫人と共に見送る。
 伯爵夫人はチラと横目で私を見る。

「あなた……本当にあの陰気眼鏡と結婚するのね」
「あの、その言い方やめてくださいますか? 大体アヴィス様はお仕事が忙しい故に、姿に気を遣う余裕がなく、あのような風貌になられただけで――」
「あら、私の夫も忙しいけれど、綺麗にしていますよ?」

 確かに副宰相はダンディな紳士。黒々とした髪を隙なくまとめ、姿勢もよく、いつも小綺麗で、流行りを取り入れた小物を身につけ、洗練された風貌だけど……
 でも、元の素材は何倍もアヴィス様のほうが素晴らしいんだから。

「アヴィス様も整えれば、右に出る者などないほど美しいのですよ」
「あれが? 美しい? あははっ!」

 失礼にも夫人は馬鹿にしたように笑い出した。

「メロディア嬢? 申し訳ないけれど、あなたの婚約者はどう見ても美しくはないわよ? 髪はぼさぼさの伸びっぱなし、前髪でろくに目も見えないし。いつも顔色が悪くて、ひどい隈までできてるって噂じゃない。姿勢も悪いし、美しさのかけらもないじゃない。ま、あの婚約者じゃほかの男に逃げたくなるのも仕方ないのかしら」

 夫人は扇をパタパタと振り、去っていった。
 本当に嫌味な女性だ。夫人は伯爵がアヴィス様に宰相の座を奪われたと思っていて、いつも私につっかかってくる。

「もう……いい加減にしてよね……」

 大体、ほかの男に逃げているだなんて言いがかりをあんな大声で話すのはやめてほしい。噂に尾ひれ背びれがついて、アヴィス様へ伝わったらどうしてくれるのか。
 アヴィス様と出会った頃から、私はアヴィス様一筋だ。
 ほかの男性に目移りなど一度だってない。
 けれど……

「メロディア嬢。今夜は私にファーストダンスの栄誉を!」

 気付けば、私の前には列ができている。毎度見ている光景だが、本当にうんざりする。
 私は後ろのほうに並んでいる年若い令息の手を取った。
 前に並ぶ人たちより執着してこなさそうだし、社交界に慣れていないから、私のこともよく知らないだろう。
 令息の中には噂を鵜呑みにして、私が簡単に身体を許すと思っている人もいる。

「行きましょう」

 私の顔を赤い顔で見つめている令息にそう話しかけた。
 だって、私が手を取った瞬間から動かないんだもの。

「は、はひっ‼」

 ……手を取る相手、間違ったかしら?
 やけに強く握られた手に不安を抱えながらも、私はダンスホールに歩いていった。


 私はその令息の荒い鼻息を頬に感じながら、特に楽しくもないダンスを踊る。

「ダンス……お、お上手なんですね」
「ありがとうございます」

 そう返答しながらも、今日のダンスパートナー選びは失敗だったわ……と内心溜息を吐く。
 やたらと身体を密着させたがるし、手の握り方も強い。
 ダンス自体は上手いほうだと思うが、技術に溺れ、パートナーについてあまり考えていない踊り方だった。
 過去の経験上、こういうタイプは面倒な人が多い。
 でも今はそんなことより……
 私は気を取り直して、いつも通り踊りながらも会場に視線を配り、アヴィス様の姿を探していた。
 いたっ! 給仕係に何かを確認しているみたい……あ。
 次の瞬間、顔を上げたアヴィス様と目が合った。
 心臓がドクンと跳ねて、時間が止まる。
 銀髪から覗く新緑の瞳は相変わらず綺麗で、一瞬見惚れてしまった。
 けれど――

「あっ!」

 私が少し足を止めてしまったせいで、一緒にダンスをしていた令息がバランスを崩し、こちらに倒れてくる。
 危ないと思った私は、彼に身体を預けるように押し付けて、なんとか転倒を免れた。
 周囲にバレないよう、すぐに軌道修正を行う。
 独りよがりなダンスを踊るこの令息はどうかと思うが、今のは足を止めた私も悪いと思い、謝る。

「止まってしまってすみません……」

 すると、彼は上ずった声で答えた。

「い、いいですよ! その、わかってますから……」

 わかっているって……私が婚約者であるアヴィス様を探していると気付いていたの? 
 だとしたら、もう少し距離に節度を持ってほしかったけれど……
 でも、そんな願望も虚しく、心なしか彼が腰をより強く抱き寄せた気がした。
 無事にファーストダンスを切り上げ、私は壁の華と……なりたかったのだが、なぜか一緒に踊った令息がずっと隣にぴったりくっついている。
 暗に離れてほしい旨を伝えても、じっとりした微笑みを浮かべるだけで去ろうとしない。
 もう! 忙しそうに動き回るアヴィス様を見つめて、一人遠くから応援していたいのに!
 アヴィス様はもう私のことなど気付かなかったように、目が合うことはなかったけれど……

「その……メロディア嬢、舞台はお好きですか? よかったら今度――」
「はぁ……」

 私は先ほどからほぼ返事していないのに、ずっと話しかけてくる。
 私は仕方なくその令息に身体を向けた。

「喉が渇きましたね」
「よっ、喜んで!」

 彼は鼻息荒くズンズンと人をかき分けていく。
 周りが迷惑しているのがわからないのだろうか。視野の狭い男は嫌い。
 アヴィス様をよくよく見習ってほしい。

「今日は帰るしかないわね」

 あの令息はどうも危険な匂いがする。無理やり休憩所に連れ込まれでもしたら大変だもの。
 それに騒ぎを起こして、アヴィス様を困らせたくない。
 私はそっと会場を出た。御者はいつものところで待たせている。
 庭園を抜けて、近道しよう。暗い道も多いが、一度庭に入れば見つけにくくなる。
 庭園の入口をくぐり、姿勢を低くしてドレスを持ち上げる。
 秘密の逢瀬デートを楽しむ恋人たちが近くにいるかもしれない。
 できるだけ静かに、かつ早く移動しなきゃ。
 しかし、令息は思ったよりも戻ってくるのが早かった。

「痛いっ……!」

 数歩進んだところで、後ろから強く腕を掴まれてしまう。

「どちらに行かれるんですか? この後は、僕と休憩室で休む約束でしょう?」

 そう言った口角は上がっているのに、目が血走っている。
 だからと言って、怯むわけにはいかない。

「そんな約束していません。離してください」
「照れなくてもいいんです。ダンスの時、僕にその豊満な胸を押し付けてきたじゃありませんか」

 あれはあなたがこちらに倒れてきたから……!
 でも、もう何を話しても、聞く耳を持たなそうだった。

「勘違いです。とにかく手を……うっ!」

 彼は手に力を込めて、私の手首をよりぎゅうっと締めた。

「ほら、行きましょう? 今更逃げたりなどしませんよね?」


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