モテたかったが、こうじゃない 魔力ゼロになったおれは、あらゆるスパダリを魅了する愛され体質になってしまった

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1巻

1-1

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   プロローグ


 ――モテたい。


 これは男子に生まれた者ならば、必ず一度は思うことじゃないだろうか。
 一般的にモテる要素をあげるなら、容姿に身長、性格や能力、それに地位や金。
 このモテステータスほぼすべてに関わってくる数値がこの世界にはある。
 それが『魔力の量』だ。
 男は魔力が多いほど優秀で、容姿にも恵まれ、より高い地位に就くことができる。
 逆に女性は少ないほど魅力を放ち、男を引きつける。そして男から注がれた魔力の量に応じて、優秀な子どもを産む。
 これら男女が互いに惹かれ合い、自然に求め合うのは、優秀な子孫を残したいという生き物の本能に他ならない。これは奇跡や努力で覆せない絶対的な法則で、世界の真理だ。
 魔力は生命力と同義。男は多ければ多いほど、生き物として上位の存在になる。
 ゆえに、女性にモテる。
 その代表的な存在が、王族や貴族だ。
 王族や貴族というのは親が優秀な男女であることが多く、当然生まれてくる子どもも優秀なことがほとんどだ。つまり男女ともに、生まれながらにしてエリートになることが決まっている、いわば人生の勝ち組だ。
 魔力は主に五つの属性が存在し、保有している属性によって、だいたいの髪色と瞳の色が決まっている。とくに瞳は固定されていて、光はだいだい、火は赤、水は青、風は緑、土は茶色になる。
 髪色は親同士の属性が混じり合って出ることもあるけど、それでも自分の属性と大きく外れることは珍しく、あまりない。
 しかし王族は特殊で、生まれた男子は、母親がどの属性だったとしても光属性で生まれてくる。金髪にだいだい色の瞳。これは王族のみが持つ、いわば証のようなものだ。
 だが例外もある。それは双子が生まれたときにだけ起こる、何百年に一度あるかないかのレアケース。
 闇属性。この世にたった一人だけの貴重な属性。それが、現国王様と王妃様の間に生まれた双子王子の弟、第三王子だ。
 闇属性の特徴は、つややかな漆黒の髪を持ち、どこまでも深い紫色の瞳をしているという。
 保有している魔力量が化け物級に多く、容姿も人間とは思えないほど美しいらしく、目が合っただけで女性が失神する、なんて噂があるほどだ。
 そこまでいくともはや魔物の域だと思うんだけど、この第三王子、実はあまり人前に出てこない。なんでも極度の人見知りで、部屋にこもって本ばかり読んでいるそうだ。もったいない話である。
 逆に双子の兄である第二王子はとても社交的で、式典など人前に出る行事には必ず参加しているようだ。容姿は王族らしく金髪にだいだい色の瞳、父親である現国王様に生き写しと言われるほど似ていて、とてもハンサムらしい。おまけに愛想もいいらしく、笑顔が素敵と村中の女性たちが夢中になって話していた。
 第一王子の王太子殿下もすごい人気だけど、この人にはもう婚約者がいるため、今はあまり女性に騒がれることはない。でも婚約発表当時は、それはそれはすごくて、あらゆる年代の女性たちがショックで生きる屍になったほどだ。
 しかしそれも、婚約者のお披露目を機に収まることになる。
 美しいエメラルドグリーンの瞳と、風属性では珍しい腰まであるピンクブラウンの髪。小さくて華奢な身体にふんわりとした緑のドレスで着飾った姿は、まさに天使そのもの。
 教会出身のお嬢様で、おれの心のアイドル、アイリーン様。
 あれだけ阿鼻叫喚だった女性たちが、アイリーン様の美貌と立ち振る舞いに圧倒され、潔く負けを認めるほどの美少女なのだ。
 婚約発表の号外に載った、お二人が並んで微笑んでいる写し絵の美しいこと。おれは見た瞬間、アイリーン様のあまりの可愛さにのけぞった。
 写し絵であの破壊力、何かの奇跡でもし目の前に現れでもしたら、きっと緊張と興奮でどっかの血管が切れてしまうかもしれない。それくらい可愛いんだ、本当に。
 そんな可愛い嫁さんを貰える王族は、間違いなく人生の勝者だろう。
 ちなみに、王宮に勤める人たちもまた、大半は貴族か魔力が多い一般市民だ。
 ――改めて言おう、この世の優劣は魔力の量で決まる。
 女性の平均魔力量は一〇〇〇、男は二〇〇〇以上が多い中、かくいうおれの数値はというと、現時点で一八六〇。つまり平均以下。死活問題である。
 ここまでの説明で察しがついていると思うけど、おれ――マシロは、負け組側の人間だ。
 ほんの少し平均値に足りてないくらいで大げさな、と思うかもしれないが、このちょっとの差が残酷なほど現実に響いてくる。
 おれの住むペペル村は、王都からかなり離れたところにある田舎いなかの村で人口も少ない。比率も年寄りや子どもが半分を占めている。逆に独身の大人はほとんどいなかった。
 大人というのは、基礎魔力が確定した者のことを指す。
 魔力は十八歳の誕生日の正午に確定し、このときの数値がその人の基礎魔力になる。
 それまではわりと不安定で、常に増えたり減ったりしているわけだけど、だからといって急激な変化があるわけじゃない。だいたいの人が、確定する前に自分の基礎魔力を予測できるくらいの変化だ。
 基礎魔力は魔法を使えば当然減るし、なんなら生きてるだけで減る。生命力と一緒だから減れば疲れるし、身体が弱って病気になることもある。まあ減った分は寝たりアイテムを使ったりすれば回復するんだけど。体内の魔力があまりに減りすぎると気絶、最悪の場合死ぬらしいから、魔力の消費量は本当に気をつけないといけない。
 だから普段魔法を使うのは基本男だけ。女性も使えなくはないけど、大抵の人は基礎魔力が少ないので使わない。とくに魔力の消費が多い魔法は命に関わるから、男が積極的に仕事をして、女性がそれをサポートするのが一般的な夫婦の在り方になっている。
 話をもとに戻そう。つまり何が言いたいかというと、村には独身の男女が少ないってこと。少ないとどうなると思う?
 そう、争奪戦だ。
 そこで重要になってくるのが『魔力の量』なわけなんだけど、もうすごいんだから。清々しいほどあからさまに女性の態度が違う。
 おれはほぼ平均値の魔力量に見合った、可もなく不可もない容姿で、世界で一番人口の多い土属性の、ごく一般的などこにでもいる村人だ。土属性にありがちな茶髪に茶目。凹凸おうとつの少ないパッとしない顔。いて特徴をあげるとしたら、若干大きい釣り目なところくらい。
 その一目で魔力も平均値なんだとわかるザ・平凡な容姿は、女性からの受けがすこぶる悪いのだ。
 身長も百六十五センチと男にしては少し小さく、やや頼りなくというか、子どもっぽく見られがちで、相手にすらされないことが多い。
 それもこれも原因は、おれの魔力量が平均より少ないからに違いなかった。
 おれだって魔力に頼らずなんとかできないかと、それなりに努力はしたさ。
 畑仕事が多い村では、男らしさが評価のプラスになる。だから身長を伸ばすために牛乳をたくさん飲んだし、肉も食べた。筋トレだって頑張った。
 しかし無情にも身長は伸びることなく止まり、筋トレもめぼしい成果を出すことができなかった。
 でもせっかく頑張ったのだからと自分を奮い立たせ、何人かの女性に手あたり次第に告白したが、こちらも惨敗。しかも友達だったら考える、とはっきり断られる始末だった。
 最後に告白したときなんて、おれを振った直後の女性が、たまたま通りかかった村一番の魔力量を持つ近所の兄ちゃんを見つけた途端、そのまま兄ちゃんを追いかけて行ってしまったぐらいだ。
 おれのことなんか眼中にないと、思い知らされた瞬間だった。
 あっという間に小さくなっていく背中を眺めながら、おれはこの世のことわりには逆らえないのだと悟り、ちょっと泣いた。
 それからすっかり腑抜けてしまったおれは、身体を鍛えることをやめ、ぼんやりと運命を受け入れる日々を過ごしていた。
 そんなある日の夜。いつものように酔っぱらって上機嫌にしている父さんが、とんでもないことを言い出したのだ。
 なんでも、父さんも昔魔力が少ないことで悩んでいて、やけくそで魔力値の確定する数分前に魔力を回復するマジックアイテム、エリクサーを飲んだらしい。するとそれにより、魔力が確定する前に増えたというのだ。
 そんなまさか、胡散臭い話ではある。でもおれに希望を持たせるには十分な情報だった。
 いつもと違って前のめりになって聞くおれの様子に、父さんはますます上機嫌になり、さらに詳しく話し続けた。
 まず飲むエリクサーはなるべく上等なものにすること。父さんは王都にある一番大きなアイテムショップで買ったらしい。
 そして、飲むのは昼の十二時になる五分前。エリクサーの効果が出るまでに少し時間がかかるからだそうだ。
 それさえ守れば、あら不思議。最大魔力値が増えますよ、とのことだった。
 ――まさに裏技だ。
 モテることを諦めていたおれにとっての救世主が、まさか家の中にいたなんて。
 母さんは子ども相手に嘘をつくなと、父さんのお酒を取り上げていたが、興奮しきったおれの耳には入らない。頭の中はもう、この裏技を試す計画でいっぱいだった。
 だって、やっぱりモテたい。
 少しでいいから女の子にチヤホヤされたい!
 どれほど効果が出るのかわからないが、とりあえず平均値の二〇〇〇は超えたい。
 平均値さえ超えれば、少なくともお友達枠からは脱出できるはず。
 待ってろよ村の女の子たち! 生まれ変わったおれに、黄色い声を上げるがいいっ!
 そんな野望を胸に、おれは一番いいエリクサーを買うため、その日からせっせとお金を貯めはじめた。
 朝から晩まで家の仕事を手伝い、仕事がない日は村の老人たちの手伝いをして小遣いを貰った。おかげで年寄りからは孫に欲しいと言われるほど人気者になってしまった。
 おれがいきなり働き者になったことで、両親は驚き理由を聞いてきたが、父さんはともかく、実の母親に『女の子にモテる裏技を試すため』とはさすがに恥ずかしくて言えず、無難に王都に遊びに行きたいからと答えた。目的地は同じだし、嘘ではない。
 すると、なぜか母さんはおおいに喜んだ。おれが一人で遠出したいと言い出したことがよほど嬉しかったらしく、成長したと褒めてくれた。動機が不純だと自覚があるから、気まずい。
 想像以上に喜ぶ母さんに耐えられず視線をそらすと、ずっと母さんの隣で黙って立っている父さんと目が合う。その瞬間、ニヤリと笑われた。たぶん父さんにはバレている。

「いいんじゃないか? お前は素直で物分かりがいいわりに、いかんせん視野が狭いからな。王都に行って少し揉まれてこい」

 こうして両親から応援されながら頑張った約半年。おれは着実に王都へ行くための準備を整えた。
 そして迎えた出発の日。十八歳の誕生日まであと二日に迫った今日、おれは村を出た。
 目的はもちろん、王都にある一番大きなアイテムショップで上等なエリクサーを買うことだ。
 王都行きの馬車は、とても乗り心地がいいとは言えないくらいボロボロ。でも一人だけの車内で、窓から流れる景色を眺めるおれの胸は、そんなこと気にならないくらい高鳴っていた。
 この半年で貯められるだけお金を貯めてきた。これだけあれば、一番いいエリクサーを買えるだろう。それなりに重くなった財布に自然と笑みがこぼれる。全財産をしまったカバンを大事に抱えなおし、おれは王都でする一世一代の大勝負に胸を躍らせた。



   第一章


 馬車に揺られること二日。
 何事もなく予定通りに王都に到着した。運賃は前金で払っていたから、そのまま馬車を降りる。
 降りてすぐ目に飛び込んできたのは、見上げるほど大きく立派な白い城門と、同じくらいの高さでひたすら遠くに続いている白い壁。終わりの見えない壁は、もしかして都市をぐるりと囲っているのだろうか。あまりの存在感に圧倒され、しばらくその場に立ち尽くす。
 ここが、王都セントルース。この国の中心にある大都市だ。
 はじめて来た王都を前に、緊張で喉が渇く。ついにここまで来た。
 今日、馬車の中で十八歳の誕生日を迎えた。基礎魔力が確定するのは今日の正午。
 それを過ぎたとき、おれの人生が決まってしまう。
 張り付いた喉を潤すように唾を飲み込み、肩から下げた全財産の入ったカバンのベルトをギュッと握りしめ、王都に入るための手続きを待つ長い行列の最後尾に並んだ。
 一歩、また一歩と列が進むにつれて、心臓の音がうるさくなっていく。
 運よく三十分ほどで順番になり、手続きを済ませて門を潜ると、今度は目の前に広がる街の賑わいに衝撃を受ける。目に入るもの、耳に入るもの、肌で感じるもの、そのどれもがはじめてで新鮮だった。
 レンガで綺麗に整備された道には、びっしりといろんなお店が並んでいる。広い中央の通りは人であふれていて、まるでお祭りでもしているようだ。
 ペペル村とは全然違う。まさに別世界。
 村には立ち寄る旅人もほとんどおらず、会うのは顔見知りばかりだから、こんなに知らない人であふれている状況に少し戸惑ってしまう。
 好奇心と不安でキョロキョロ周りを見ていると、あることに気がついた。
 歩いている人みんな、身なりがいい。大人はもちろん、小さな子どもだって清潔感のある綺麗な服を着ていて、一目でおめかししているのがわかった。
 ゆっくりと自分の服装を見下ろす。農作業用のズボンに長靴。上は一応普段着だけど、無地のシャツとカバン。土がついていないだけましだが、明らかに浮いている。
 これでも自分が持っている中で、一番オシャレな服を選んだつもりだ。村をこの格好で歩いていたら、デートかお出かけかと思われるくらいにはオシャレ……なはず。
 ダメだ、自信がなくなってきたぞ。そもそも、村基準で考えるのがダメなのか。
 一度気になってしまうと、恥ずかしくて堪らない。
 アイテムショップに行く前に服買おうかな……。ああでも、このお金はエリクサーを買うためのもの。いや、せめてズボンと靴だけでも……

「兄ちゃん大丈夫か?」
「ひゃいっ!?」
「うおっ、大声出すな! びっくりするだろ……っ」

 背後から急に話しかけられて飛び上がる。心臓が口から出るところだった……
 ドドドッと激しく跳ねる心臓を両手で押さえ、ゆっくり振り向くと、驚いた表情の若い男が立っていた。若いといっても、おれより年上で二十代半ばくらいだろうか。

「な、何か……?」

 なぜ声を掛けてきたのかわからない男に警戒する。
 男はそんなおれの様子に一瞬眉を上げたが、すぐに愛想よく笑い、城門のほうを指さして、王都の案内所に勤めていると言った。なんでも王都は人の往来が激しいから、道案内や迷子の対応をしているのだとか。そう言われれば、門で列の誘導をしていた人たちと同じ格好をしている。
 正体がわかって強張こわばっていた身体から力を抜くと、役人さんもにこりと笑った。
 見方が変わったせいか、おれと同じ土属性の特徴がある容姿にも好感が持てる。
 おれに声を掛けたのは、門のそばで田舎いなか者丸出しの若い男が、焦った表情でキョロキョロしていて、道に迷ったのだろうと思ったそうだ。
 ……田舎いなか者丸出し。その言葉にショックを受けるが、事実なので仕方がない。
 なんとも遠慮のない物言いだけど、これだけ気軽に話しかけてもらったほうが、こっちも気負わずに話せる。おれみたいにはじめて王都に来た人が多いだろうから、あえて気さくに接してくれているんだろう。そう思うとまあ、ありがたい。
 本当は服装のことで焦ってたんだけど、よくよく考えたら目的の一番大きなアイテムショップがどこにあるのか知らないことに気がついた。王都に行くことまでしか頭になかった自分の甘さに、冷や汗が出る。この人に声を掛けてもらえなかったら詰んでいたかもしれない。ここはありがたく厚意に甘えることにした。
 目的地を伝えると、なんと一緒に来てくれるという。なんて親切なんだ。
 色々と街の説明を聞きながら歩くこと十五分。役人さんが、やたら大きくて派手な建物の前で止まった。どうやら着いたらしい。

「ここに置いてあるアイテムは一級品ばかりだから、きっと満足いく買い物ができるよ。また困ったことがあったら近くにいる役人に頼ってくれ。この制服が目印だから。では、よい観光を」

 軽く手をあげて、役人さんはもと来た道を戻っていった。なんかいいな、こういうの。
 仕事だとしても、知らない人に親切にしてもらえるのって心が温かくなるというか、とにかく気分がいい。魔力や見た目も大事だけど、男は優しさだって大事だよな。おれも困っている人がいたら進んで声を掛けられる男になろう。
 とはいえ、やっぱり魔力も大事。まずは目的のエリクサーを手に入れなければ。
 おれは大きく深呼吸をし、気合十分にアイテムショップに一歩踏み込んで――すぐに出た。
 そのまま邪魔にならないように道の端まで避難して、壁を向いて頭を抱える。
 ……いやだってさぁ。やたらデカい建物ってだけで入りづらいのに、店内もキラキラしてるし、出入りしてる人たちみんな金持ちそうっていうか、身分が高そうっていうか……
 とにかく、おれの場違い感が半端ない。
 さっきの役人さんのおかげで、多少気持ちに余裕が出たといっても微々たるものだ。人間そんなすぐには変わらない。おれにとってこの店はまだハードルが高すぎる。しかも一人。絶対無理だ、都会怖い。
 でも、だからといって入らないとエリクサーは買えないし……。それだとせっかくここまで来たのも無駄になる。それだけは絶対に避けないと。
 悩みに悩んで、カバンから時計を出して確認する。針は十時二十分を指していた。
 魔力値が固定される十二時までは、まだ少しだけ余裕がある。ちょっと街中をぶらつけば、この賑やかさにも慣れるだろう。そうすれば店に入る勇気くらいは持てるかもしれない。
 勢いで入って、勢いで買って、勢いで出てくればバッチリ解決。大丈夫、完璧だ。
 そう自分に言い聞かせて、アイテムショップに背を向けた。
 違うぞ、これは逃げじゃない。戦略的撤退だ。
 念のため迷子にならないように、今いる通りを道沿いに歩くことにした。
 広い道なのに、たくさんの人があふれていて歩くだけで大変だ。少し歩いただけで二回も肩がぶつかってしまい、おれは仕方なく通りを進むのを諦めて道の端に戻る。
 お店とお店の間に、ちょうどよくまれそうな隙間を見つけて避難すると、壁に背中を預けるようにもたれ掛かって立ち、行きかう人の波をげんなりと眺めた。
 なんで歩くだけなのに、こんなに難しいんだ。
 ここまで連れてきてもらったときは、人が多いなと思ってもぶつかったりしなかったのに。もしかしたら、あの役人さんがうまく誘導してくれていたのかもしれない。何それ男前すぎないか。
 もともと村とは違うとわかってはいたものの、あまりにも違うことが多くて驚くばかりだ。住めば都というけど、とてもじゃないがここで暮らせる気はしない。
 早くも村に帰りたい気持ちになっているところに、どこからか優しい甘い香りが漂ってきた。
 小麦粉と砂糖、バターの香り……これは、クッキーだ。
 知っている匂いに、萎え気味だった気持ちがふっと浮上する。
 何を隠そう、おれは甘いものが大好きだ。クッキーの匂いも、家でよく母さんが作ってくれていたからすぐにわかった。美味しそうな香りに誘われて、ふらふらと向かった先にあったのは、素朴なたたずまいの小さなお菓子屋。
 丸みのある可愛い白い扉の隙間からは、クッキー以外にも甘くて美味しそうな匂いが漏れ出ている。ショーウィンドウに見える綺麗に並べられた知らないお菓子の数々に目を奪われた。
 あの白くてふわふわしたのはなんだろう。あっちのタルトなんてあふれちゃいそうなほど苺がのってる。あっ、奥に並んでる丸いお菓子、同じ形なのに色が違う。味も全部違うのかな。
 見ているだけでよだれがあふれてきた。ああ、全部食べてみたい。
 いやでもダメだ、これを買うとエリクサーが買えなくなる。
 それにこんなにも可愛いお菓子を、男一人で食べるのはさすがに恥ずかしい。
 おれは誘惑を振り払うように、左右に頭を振った。しかし、この魅惑的な香りをなかったことにするのは、あまりにもったいない。
 そうだ、デートで来るのはどうだろう。
 魔力を増やして、モテモテになって、可愛い彼女ができた記念に二人でまたここに来る。
 奥に見えるあの丸くて白い二人掛けの小さなテーブルに向かい合わせで座って、はじめて食べる味の感想を言い合う。半分こしたり、あーんしてお互いに食べさせ合っちゃったり。
 ――いい、最高だ。絶対にしたい。
 そうと決まれば、建物ごときにビビってる場合じゃない。未来でおれとお菓子屋デートしてくれる可愛い彼女のためにも、今すぐアイテムショップに戻らなくては!
 やる気を取り戻し、鼻息も荒くもと来た道を引き返すために振り返った――そのとき、どこかで苦しそうに唸る声がかすかに聞こえた。
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 いったいどこから? 慌てて周りを見渡しても、やはり倒れてる人はどこにもいない。
 ふとお菓子屋の脇に、細い路地があるのに気がついた。もしかして、あそこからじゃないだろうか。
 あんなところで倒れていたら誰にも気づかれない。おれは急いで路地をのぞいた。
 薄暗い路地の奥のほうに、黒い布で全身をすっぽりと覆い隠し、苦しそうにうずくまっている人影が見えた。声や大きさからして、たぶん男だろう。
 見つけた瞬間にドキッと心臓が跳ねる。人がいるのは想像していたのに、いざ実際に苦しんでいる姿を目の当たりにすると、足元がすっと冷えていく感じがした。
 早く助けてあげたいのに、見慣れない光景にショックを受けているようで足がすくみ、その場に立ち尽くす。早く、早く、助けないと……
 気持ちだけは一丁前なのに、足が震えて動けないでいた。
 困っている人に進んで声を掛けられる男になるって、さっき誓ったばかりなのに。自分が情けなくて、本当に嫌になる。
 男がまた苦しそうにうめいた。
 その声にハッとし、怖気づく足を叱咤しながら、おれはどうにか男に駆け寄る。

「だ、大丈夫ですか!」

 男のそばにしゃがみ、とりあえず声を掛けるが返事はない。意識が朦朧もうろうとしているのかも。思っていたよりも深刻そうな状況に血の気が引く。とにかく状態を確認するために、男を覆う黒いマントをめくった。
 マントの下から現れたのは、見たことのない黒い髪。まるでカラスの羽のようなつややかで綺麗なその色に、状況も忘れて目を奪われる。
 うつむいていた男の頭がわずかに上がり、目が合った。
 吸い込まれそうなほど深みのある澄んだ紫色の瞳に、間抜けな表情のおれが映っていた。あまりに神秘的な光景に時が止まった気さえする。
 惚けて固まったおれと違って、男は驚きと焦りの表情を浮かべ、カッと目を見開いた。

「逃げろっ!!」

 そして、おれを突き飛ばすように手を伸ばす。
 ――その瞬間。

「うぐぅ……っ!!」

 大きなかたまりが腹にぶつかった。いや、正確にはかたまりのようなもの、だ。
 おれは衝撃のまま後ろへ吹っ飛び、地面に叩きつけられて仰向けに倒れる。背中を強く打ち付けたせいか起き上がることができない。それどころか指一本動かなかった。
 身体が痛い、でもそれ以上に全身が鉛のように重かった。それに、なんだか寒い。
 かひゅ……かひゅ……と口からか細い音が漏れ、これが自分から出ている音なのかと認識すると、さらに不安が増した。え、ヤバくないかこれ。おれ死ぬの?
 何が起きたのかわからない。だんだん呼吸をするのも難しくなってきて、視界がかすむ。耳鳴りも酷い。
 うっすら見える狭い空に割り込んできたのは、焦った様子の綺麗な顔。さっきまで倒れていた男だ。
 男が必死に何か言っているようだけど、耳鳴りが大きくて聞き取れない。それでも、おれを心配してくれているのは雰囲気でわかった。
 さっきとはまるで正反対の状況だ。男の様子からしても、おれの状態はよくないんだろう。
 上からのぞき込みながら、おれの頬を何度も叩く男をただ見つめる。ぼやける思考で、男が元気になったみたいで「よかった」と安堵した。もしかしたら声に出ていたかもしれないが、耳鳴りのせいで音になったかまではわからなかった。
 すると、かすむ視界でもハッキリ見える紫の目が大きく丸くなる。
 綺麗だな……。こんな至近距離で見つめ合ってたら、うっかり恋がはじまってしまいそうだ。それほど神秘的な色だった。もしおれが女の子だったらの話だけど。

「かはッ」

 ドクンッ、と心臓がひときわ大きく跳ねた瞬間、急激に体温が下がっていくのがわかった。身体がガタガタと震え、視界もまたたくまに白くなり、意識もどんどん遠のいていく。
 死ぬ。そう確信したとき、恐怖が腹の底から湧き立った。
 今までの思い出が次々と浮かんでくる。これが走馬灯、ってやつだろうか。冗談じゃない。おれはただ、モテたかっただけなのに、なんでこんなところで死ぬんだよ。
 まだ女の子と手も繋いだことないし、デートもしたことない。キスだってまだだ。
 心残りが多すぎる。ちょっといい人になってみたかっただけなのに、慣れないことはするもんじゃないと、身をもって知った気分だ。
 すでに冷たくなっているおれの手を男が握る。大きな手は、火傷しそうに熱かった。
 でも最期に、平凡だったおれの命が、一人の名も知らぬイケメンを救ったことで大勢の女性を幸せにしたと思えば、まあ、多少の意味はあったかもしれない……
 なんて。はは、あーーくそ……

「……死にたく……な、い……なぁ」

 朦朧もうろうとする意識の中で、ほとんど力の入らない口からポツリと出たのは、心の底からの言葉だった。
 すぐ近くで息を呑む気配がした。おれはゆっくりとまぶたを下ろす。もう限界だった。
 ――せめてキスだけでもしてみたかったな。
 そう思ったと同時に上半身が抱き起こされ、柔らかいものがおれの唇に触れた。
 それはじんわりと温かく湿っていて、すぐにおれの口を塞いでしまう。
 わずかに開いた唇の隙間から、息と一緒に温かいものが口の中に入ってくるのを感じた。それは蜜のように甘くて、飲み込むと身体中へ染みていく。最後の晩餐だろうか。なんにしても、こんなに美味しいものは今まで食べたことがない。
 もっと欲しくてゆっくり口を開く。舌先で催促すると、一瞬温もりが離れたが、またすぐに戻ってきて、今度は口の中に肉厚でぬるっとしたものを入れられた。
 それがおれの舌と絡まると、甘さがさらに濃くなって美味しい。
 ざらざらした表面で舌を擦られてから奥まで突っ込まれる。口は隙間なく塞がれ、余計に息が苦しかったが、そんなこと気にならないくらい行為に夢中になっていた。
 時折、喉に直接ドロッとしたものを流し込まれたが、それがまたすごく気持ちがよくて、喜んですべて飲み干す。
 どれくらいの間そうしていたのだろう。なんだか少しだけ、身体が温まってきた気がした。
 すると次第に意識がふわふわとかすんできて、今度はものすごい睡魔に襲われる。
 身体の力が抜けて、口を開けておくことが億劫になってきたとき、中に入っていたものが抜かれてしまった。それがどうしても嫌で、無意識に出ていった温もりを追いかけて舌先を出す。顔のすぐ近くで笑う気配がし、突き出した舌先が軽く吸われ、今度こそ離れていった。
 おれの全身をくるむように布が巻かれ、そのまま身体を抱き上げられる。
 背中と膝裏をしっかりとした腕で支えられて、抱えられた身体をギュッと男に引き寄せられる。

「……死なせない」

 男の言葉を最後に、おれの意識は深く沈んでいった。


    ◇◆◇◆◇◆◇◆


 誰かの話し声が聞こえる。おかしいな、おれ死んだはずなのに。
 だんだん意識がはっきりしてくると、背中に柔らかい感触がするのに気がついた。
 これは、布? シーツ? ベッドにでも寝かされているんだろうか。
 サラサラして肌触りが抜群にいい。寝心地が最高だ。さすが天国のベッド。
 それにしても身体が重いし頭も痛い。死んでいるんだったら感覚があること自体おかしいのでは。ということはもしかして、おれ死んでない?


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