断罪必至の悪役令息に転生したけど生き延びたい

中屋沙鳥

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1巻

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   プロローグ


『ついにハーレムルートクリア! 隠しルートに突入だよ~』

 妹から送られてきたメッセージを見て、思わず笑みを漏らす。
 両親が忙しくて子どもの頃から二人で留守番をする生活が長かったせいか、僕が大学生になり、妹が高校生になっても、僕と妹は仲が良い兄妹を続けていた。
 ゲームクリアの報告を、メッセージで受けるぐらいには。
 妹は、最近、BLゲームの『王立学園に花は咲き誇る ~光の花を手折るのは誰?~』に夢中だ。
 通称『ハナサキ』というそのゲームは、美麗なスチルと人気声優陣が起用されていることで人気を集めている、そうだ。
 僕も妹のせいで大体のストーリーを覚えてしまった。
 物語はこんな内容だ。
 ――主人公のルカは、平民として育てられた。
 しかし、十七歳の時にジラソーレ男爵の庶子であることがわかり、男爵家に引き取られたことで、貴族の令息令嬢が通うフィオーレ王立学園に転入することになる。
 ルカは、可愛らしい容姿と、貴族の令息令嬢にはない無邪気さと生き生きとした明るさで、高位貴族の子息たちを攻略していくことになる。
 攻略対象は、フィオーレ王国第一王子リカルド、宰相の子息アンドレア、騎士団長の子息ヴァレリオ、魔術師団長の子息ロレンツォの四名だ。それぞれに本来の婚約者がいるが、堅苦しく、定められた相手よりも、自由で明るいルカに「真実の愛」を求めていく。
 これだけだと、普通の恋愛アドベンチャーゲームだが、このゲームの特色はそのエンディングにあるイラスト……スチルの多様さにある。
 ハッピーエンドではルカはそれぞれの攻略対象と愛をはぐくみ、結婚する。これにはもちろんスチルが存在する。ちなみに各ルートでは攻略対象の婚約者たちが、攻略対象者たちへの愛をこじらせた結果、たいていの場合凶行に及ぶ。そんな彼ら、彼女らが悪役として断罪され、処刑されたり牢獄に繋がれたりするシーンにだってイラストがある。男同士だけじゃなくて、男女、女同士がそれぞれ愛し合うシーンもある。この世界では異性間でも同性間でも神殿で誓いを立て、神に伴侶として認められれば子どもができるのだ。
 妹はそういうゲーム画面もいくつか見せてくれた。
 その中でも妹が好んでいるのが、主人公のルカのバッドエンドスチルだ。
 バッドエンドでは、ルカが牢獄で輪姦された挙句処刑されたり、娼館に売られたり、戦場に送られて兵士に輪姦されたり、監禁凌辱されたりする。
 これがまたえげつない絵面だった。
 それぞれの場面がエロくていいんだというのは、妹の意見。ちなみにBLゲームだから、それを好まない人はスキップもできるらしい。
 まあ、とにもかくにも、ゲームのイベントごとにエロいスチルが用意されている……ということだ。
 僕はイベントの内容も知らず、ただそのスチルを見せられるだけなんだけれど、妹がそのイベントをクリアするのに力を注いでいることだけは知っている。
 兄としては、勉強にもその力を注いでほしいのだが。
 妹の話を聞いていて思ったことは、僕にはあのえげつない絵面のスチルを集める気持ちはわからないということだ。とはいえ、妹が頑張って、その結果を報告してくれるのはうれしい。
 スマートフォンに表示されたメッセージをスクロールしつつ、苦笑する。
 僕にはBLゲームのことはよくわからない。ただ「隠しルート」があるという情報を見てから、妹は毎日夜遅くまでゲームをプレイしていた。
 情報通り、隠しルートがあってよかったな、と微笑ましく思う。
 きっと家に帰ったら、ハーレムルートの説明と一緒に集めたスチルを見せてくれるんだろう。
 僕もうれしい気分になって、何かお土産を買って帰ろうと思い立った。幸いバイト代が入ったところで、財布に少しばかりのゆとりもある。
 メッセージ欄に文字を打ち込んだ。

『おめでとう。お祝いにコンビニでスイーツを買っていくよ。何がいい?』
『期間限定チョコレートパルフェ!』

 秒で返ってきたメッセージに再び笑いを漏らして、『了解』と打ち込んだ僕は、駅前のコンビニに入った。
 僕は、妹のためにチョコレートパルフェを、そして自分用にとマンゴーパルフェを手に取る。
 二つでバイト一時間分の時給とほぼ同じだったけれど、妹の喜ぶ顔を思うと気持ちが浮き立った。
 ……もしかしたら、マンゴーパルフェも妹のものになるかもしれない。
 そんなことを思いながら支払いを済ませ、ガラス張りの自動ドアの方へ向かう。
 ふと、ドアの向こうで自動車がこちらに向かってくるのが見えた。どんどんドアに近づいてくる。
 おかしいと思った時には、もう逃げることができなかった。
 身体にどんっと、大きな衝撃を受ける。
 ガラスの割れる音と、悲鳴が聞こえる。
 目の前の床にはガラス片が飛び散り、赤い液体が流れている。
 焼けるような激しい痛みとともに、僕は意識を失った。



   第一章 とにかくゲームは始まった


 寝心地の良いベッドの中で、僕は目を覚ました。マットレスには程よい弾力があり、シーツはなめらかで肌触りが良い。
 ごろりと寝返りを打つと、寝起きではっきりしない頭がだんだん覚醒してくる。

「夢か……」

 自分が死ぬ夢を見るなんて、複雑な気分だ。あの衝撃も痛みも、実感があったし。
 そんなことを考えながら手を伸ばすと、ベッドがやけに広いことに気づいた。
 再び寝返りを打って、天井を見上げると、上から天幕のように伸びた真っ白のレースが僕の四方を囲っている。
 えっと、この眺めは天蓋付きのベッドっていうやつ……? 
 いや、これは『僕』のベッドで間違いない。
 あれ? 僕は日本で……
 ガバっと身体を起こす。
 同時に頭の中に記憶が次々に湧いて出てくる。
 そこで、自分に二つの記憶があることに気が付いた。
 僕は日本に住んでいた。両親がいて、妹がいて、大学に通っていた。そして、あの日。コンビニにいる僕の前に車が突っ込んできて――恐らく死んだ。
 ああ……、僕は多分妹にチョコレートパルフェを持って帰れなかったんだな……
 そんな記憶の隣に、『僕』は、ガブリエレ・デ・ヴィオラだという記憶がある。ヴィオラ公爵の次男で、フィオーレ王国第一王子リカルド殿下の婚約者だと、様々な記憶が告げてくる。
 僕はベッドから飛び降りた。それからクロゼットを開くと、その内側についている鏡を見た。見慣れたはずの――黒髪黒目、奥二重おくぶたえの平凡としか言いようのない自分の顔を確かめるように。
 でもそこに映ったのは、どう見ても日本人ではない顔立ちだった。
 プラチナブロンドの巻き毛に虹彩の大きなすみれ色の瞳。鼻筋はすっきりと通り、薄い唇は赤い。肌は白くてつやがある。小さな顔に長い手足。
 鏡の中には、日本のゲーム画面で見た美少年がいる。

「僕って『ハナサキ』の悪役令息だったのか……」

 鏡の中で、美少年が頭を抱えていた。


「ちょっと状況を整理しよう」

 僕はベッドに戻ると、そこに腰かけて今の状況を整理することにした。
 ベッドはふかふかで座り心地が最高だと思う一方で、いや、いつものことだな、と冷静に思う『僕』がいる。これがきっとガブリエレ・デ・ヴィオラの記憶……ということだと思う。
 いわゆる異世界転生というやつだ。そんなことが本当にあるとは思わなかった。
 そして、今の僕はガブリエレ・デ・ヴィオラ。そう、『ハナサキ』では断罪必至の悪役令息だ。

「これは、とてもまずいことになっているのではなかろうか……」

 僕は、ガブリエレがどのような状況で断罪されるのかを、できるだけ思い出すことにした。
 断罪なんてされたくはないに決まっている。それに、もしも完全にゲーム内のキャラクターに成り代わってしまったということなら、前世の記憶がいつまで残るのかわからない。記憶を呼び起こせるうちにそれを記録しておいて、断罪から逃れられるようにしたいと思う。

「よし」

 僕は、引き出しにあるはずの新しい手帳を取り出した。
 そしてまず、記憶の中にあるゲームの設定を書き留める。
 世界観としては、大体十九世紀ぐらいのヨーロッパあたりだ。服装などは、いわゆる貴族らしいものが残っていて、ファンタジーとの美味しいところ取り……という印象だった。
 このゲームの攻略対象その一は、フィオーレ王国第一王子であるリカルド・デ・フィオーレだ。
 銀色の髪に薄い青の瞳。魔法属性は水。
 いかにも王子様といった風情だけれど、性格は俺様で落ち着きがない。
 彼が一番、僕――ガブリエレが平和な人生を送れるかどうかに関係してくる。
 なぜなら彼こそが、僕の婚約者であり、ガブリエレを断罪する相手だからだ。
 ガブリエレは大変優秀な令息ではあるが生真面目で無表情、義務的にしかリカルドに接さず、リカルドはガブリエレに親愛の情を持つどころか、むしろうとましく思っている。
 そのうえ、母親である王妃殿下からも、第一王子に相応ふさわしい振る舞いを求められて窮屈な生活を送っていた。
 そんなリカルドの前に、愛らしいルカが現れる――というのがメインストーリーだ。
 素直な感情を表しながら、物おじしないで自分に近づいてくるルカに、「あなたは自分の力で、この世で一番輝くことができるはず」と微笑まれて、リカルドは恋に落ちる。
 それで、ガブリエレが邪魔になって……とまで思い出して、嫌なスチルが脳裏によぎった。
 慌てて第二の攻略対象者に思考を移す。
 攻略対象その二は、宰相であるガロファーノ公爵のご嫡男、アンドレア・デ・ガロファーノ。
 魔法属性は風。紅い髪に緑色の瞳。
 宰相である父親に厳格に育てられた真面目で神経質な人物だ。
 切れ者の父親に対するコンプレックスが強いうえ、優秀な弟のステファノといつも比べられている。
 ルカはそんなアンドレアに、「あなたは、あなたとして生きているだけで素晴らしい」と声をかける。ルカから無垢な笑顔を向けられて、アンドレアは恋に落ちる。ちなみに婚約者はソフィア・デ・ムゲット侯爵令嬢。美しいけれど控えめな性格で、アンドレアは物足りなく思っていた――ということになっている。
 攻略対象その三は、騎士団長であるバルサミーナ伯爵のご三男ヴァレリオ・デ・バルサミーナ。
 茶色の髪にピンク色の瞳。魔法属性は火。
 子どもの頃に、乗っていた車が強盗に襲われて、自分を庇った従兄弟を亡くした。その時に受けた心の傷でヴァレリオの性格は苛烈になり、ただ強さだけを求めて剣の修行をするようになっていた。
 彼はルカから「守るものがある人は、強くなる」と聞いて、大切なものを守ることが心を強くすると気づく。そして、ルカを自分が守る対象として意識するようになっていく。婚約者は、ヴァレリオと同じ騎士科に在籍するファビオ・デ・アザレア子爵令息。戦略家のファビオをヴァレリオは小賢こざかしいと思って避けていたはずだ。
 攻略対象その四は、魔術師団長であるナルチゾ侯爵のご次男ロレンツォ・デ・ナルチゾ。
 真っ白な髪に黄水仙色の瞳。
 魔法については水・風・火・地の四つの属性を持っている。幼い頃から卓越した魔力を持ち、順調に魔術を修得してきたがために、世界の何もかもが面白くなくてむなしく毎日を生きていた。
 しかし、魔術の実践授業の時に、ルカの使う光属性の魔力の美しさに魅せられて、新しい魔術を探求する意欲が出てくる。そして、その美しい魔力を持つルカに恋心を抱くようになる。
 そこで、僕はふと手を止めた。
『僕』――ガブリエレの記憶によると、この世界のロレンツォには婚約者はいないはずだ。

「確かゲームでは、ロレンツォ様にも婚約者がいたよね。妹からの情報だから不確かだけど……」

 僕はうろ覚えの部分に疑問符をつけながら、思い出したことをどんどん記録していく。
 実際に記憶を文字に起こすことで、主人公ルカの言葉や行動の薄っぺらさに僕は嘆息してしまった。
 さらに王族や高位貴族の子息が、安い励ましで次々に落ちていくのはゲームのテンプレだ。
 だけど、現実世界の彼らを見ている立場になると、そんなにチョロくて大丈夫なのだろうかと思う。
 少なくとも、あのゲームのような行動ばかり取っていたら、貴族として政治の中枢にいるのは無理だ。
 高位貴族に相応ふさわしい振る舞いをするよう教育を受けたガブリエレとしての『僕』は、そう考える。
 高位貴族に生まれた以上、身分によって与えられる特権を行使できるのと引き換えに、市民の生活に対する責任が生じる。
 攻略対象者となっている子息たちが親に厳しく教育されるのは、当然のことなのだ。
 ガブリエレはヴィオラ公爵家の子息として、そして王族であるリカルドの婚約者として教育されてきた。その立場にある者として身につける必要があると判断される教養や優雅な立ち居振る舞い、武術や魔法を幼い頃から厳しく叩きこまれてきたのだ。
 上に立つ者としての責任や、考え方についてもしかりだ。
 国民を統治する王族の立場であるリカルドは、もっと帝王学を身につけるべきなのではなかろうか。
 なるほど、ガブリエレの視点で見れば、ルカの攻略対象たちには高位貴族としての自覚がなさすぎる。ガブリエレが彼らに対しても厳しい態度を取ってしまうというのは、理解できることだ。
 だけど……

「だから、ゲーム通りになっていくのかもしれないのか」

 妹から聞いたガブリエレの行く末を、できる限り思い出す。
 ガブリエレは、ルカがどのルートを通ってもリカルド殿下から婚約破棄される。
 そして、断罪されて処刑されるのだ。罪は、ルカをいじめたことによる。
 ただしゲーム内においてもガブリエレ自身がいじめを行う描写はない。
 ガブリエレは、ただひたすらルカに貴族としての振る舞いを身につけるようにと注意をし続けた。多くの男性と関係を持つような不品行にも、耐えられなかったのだろう。そうは言っても、あくまで、口頭で静かにさとしただけだ。
 しかしそれを見たガブリエレの取り巻きたちが、ルカは嫌がらせをされるに相応ふさわしいと勘違いしてしまうのだ。結果として、ガブリエレは、取り巻きがした嫌がらせの責任を取らされる。
 そこまでメモを書いて、また脳内の記憶と齟齬が出た。

「……『僕』に取り巻きっていないような気がするんだけど」

 まあいずれにしてもガブリエレに転生した今となっては、それすらもまったく納得できる断罪理由ではないのだが。
 金属の軸の万年筆をくるりと手の中で回す。こういう動作は前世と同様にできるようだ。
 ふと妹の声が蘇ってきた。

『ガブリエレの断罪は可哀想だったわ。彼自身は悪いことはしてないの。厳しいだけでさ。でも、高潔な公爵令息じゃなきゃいけないという気持ちが強すぎて、自分で責任を取っちゃうんだよね』

 妹はガブリエレの処刑について、そんなふうに言っていた。
 少し涙ぐみながら可哀想だと言っていたにもかかわらず、ガブリエレが酷い目に遭っているエロいスチルは、熱心に集めていた。
 ……あの気持ちは本当にわからなかったな、とちょっと遠い目になる。
 とりあえず、だ。
 そこまでをまとめて僕はゆっくり息を吐き出した。
 このゲームにはどうやらいわゆる個人を攻略するルート以外に、ハーレムルートがあるらしい。そして僕はその結果を聞く前に死んだようだから、その場合にガブリエレがどんなふうに断罪されるのかはわからない。
 他のルートでは、地下牢に閉じ込められて、ガブリエレが落ちぶれたことを喜ぶ下種げすな貴族たちに輪姦された後、処刑される。しかし、ハーレムルートではどうなんだろう。
 ……もっと酷い目に遭ってから処刑されるという可能性もあるのではなかろうか。
 自分自身が断罪されて、あんな状況になる可能性があるのか……? 
 そう考えてから、僕は身体をふるりと震わせた。

「あれ? そういえば隠しルートって……」

 隠しルートが開くと、ゲームがチュートリアルからもう一度始まるというネット情報があると妹が言っていたような気がする。

『隠しルートだと、これまでと微妙に登場人物の設定が違うんだって。あと悪役令息の従者が攻略できるって噂もあるの! あ、ねえねえ、悪役令息や悪役令嬢のハッピーエンドもあるって噂は本当だと思う?』

 あの時は、そんなことは知らないと答えたと思う。妹は冷たいと言ってふくれていたが。
 それはともかく、悪役令息や悪役令嬢のハッピーエンドもあるという噂。
 もしこの世界が隠しルートのゲーム世界だったら、ガブリエレが断罪されない未来もあるのかもしれない。
 それだけが今の頼りだ。
 主人公、ルカ・デ・ジラソーレは、フィオーレ王立学園に転入してきたところだ。
『僕』が気を失う直前に見た光景は、学園の玄関から入ってくる向日葵ひまわりのような金色の髪と空色の瞳を持った少年が、リカルドにぶつかる姿だ。
 あれは、ゲームに出てきたルカ・デ・ジラソーレだった。
 恐らく、ガブリエレはあれがきっかけで、前世のこと――僕の記憶を得たのだろう。
 そこでハッとした。
 学園で気を失った僕は、家に運ばれたと推測される。部屋の窓から射し込んでくる光は、眩しいほどで、恐らくは昼過ぎだろう。どれぐらい気を失っていたのかはわからないけれど、目覚めたからには何らかの行動をする必要もあるのではないか。
 とにかく、ゲームは始まった。
 そう考えて行動すべきだ。



   第二章 悪役令息は生き延びたい


 昨日までの僕は、ヴィオラ公爵令息に相応ふさわしい行動をすることを第一としていた。
 王立学園にいる者が、貴族としての振る舞いができていなければ注意するだろうし、不品行であれば厳しく対処しようとしただろう。
 僕にはガブリエレ・デ・ヴィオラとして生きてきた記憶もあるし、人格もある。だけど、日本で生きていた頃の記憶が戻った今は、ゲームの中のガブリエレのような行動をしようとは思わないし、できる気もしない。
 正直言って、あんなに高潔かつ厳格に行動するのは無理だ。

「ここが隠しルートの世界だったとしても、どうやって断罪を回避するのか、考えなければならないよね」

 自分に言い聞かせるようにそう呟く。
 もともとリカルドとは政略結婚だ。愛なんてものはないので、婚約は破棄してくれてかまわない。だけどガブリエレとしては、ヴィオラ公爵家に不利益がないように立ち回らなければならないだろう。
 何より、公爵家の子息として当然のことを言っただけで、輪姦されて、処刑されてはたまらない。
 妹から聞いただけのゲーム情報で断罪から逃れなければならないのである。
 僕にとっては、これこそが無理ゲーなんじゃないのか? 
 手帳に書かれた少ない情報を見て、僕はため息を吐いた。
 ベッドに腰を掛けてとりとめなく考えを巡らせていると、ドアを叩く音が聞こえた。

「失礼いたします。ガブリエレ様、お目覚めになりましたか」

 ドアの向こうから聞こえた柔らかい声は、僕の従者、ベルの声だ。
 僕を家まで運んだのもおそらくベルだろう。
 ……正直、今誰かと話すとぼろが出そうだけど……
 ガブリエレとして生きなくてはならないうえで、忠実な従者であるベルを避けて暮らすことはできない。というか、『ハナサキ』の世界では、ベルは、最後に『僕』を裏切る相手なのだ。
 信頼していたベルに裏切られたことで、ガブリエレは最終的には完全に心を壊してしまう。
 つまり、生き延びるためには、ベルの好感度を上げることは必須ということだ。
 呼吸を整えてから部屋に入る許可を出すと、優雅な動作でベルが部屋に入ってきた。
 黒髪に瑠璃色の瞳。切れ長の目に通った鼻筋。上唇が薄く、下唇が厚い口元。シャープな頬のラインが美しい整った顔。痩せて見えるが筋肉はしっかりついている、背の高い美青年だ。

「わ……」

 彼についてはゲーム内のグラフィックをちらっと見ただけだ。
 初めて目にする作り物めいた美貌に、僕は絶句するしかなかった。
 ベルは、『ハナサキ』の中でも群を抜いて美形なうえ、人気声優が声を担当している、というのが記憶の中にある。
 それなのにガブリエレの従者というモブで、攻略対象ではない。妹は、彼が隠しキャラではないかと疑っていたし、ネット情報ではそうらしいと噂が流れていたと言っていた。
 残念ながら、僕自身はゲームをしていないし、実際に隠しキャラであったかどうかも知らない。
 だけど、ベルが隠しキャラである可能性も視野に入れておくべきだろう。

「……ガブリエレ様? まだ意識がはっきりされませんか?」

 訝しげにベルが僕に訊く。慌てて首を横に振る。
 部屋に入ってきたベルは、ベッドのわきにひざまずき、僕の手を取った。その手つきに、ひえっとする。
 これがBLゲームか……それとも、貴族令息というのはこんなに従者と距離が近いのか?

「ご気分はいかがですか? 起き上がっていて大丈夫ですか?」
「……ああ、大丈夫だ。僕はどれぐらい気を失っていたのだろうか」
「数時間ほどです。まだ、夕刻にはなっておりません。お目覚めになったことを、マニョリア医師に伝えてお呼びします」

 倒れたのが登校時間だとすると、今は大体午後三時ぐらいだろうか。
 そんなことを考えながら話していると、ベルは、侍女を呼んでいくつかの指示を出し、再び僕の前にひざまずいた。

「お側を離れてしまって、申し訳ありません。ガブリエレ様が倒れた状況を、旦那様に報告しておりましたものですから」
「え? お父様はもうお帰りなの? 随分お早いようだけれど」

 するりとそんな言葉が口をいた。
 僕の父、ダニエレ・デ・ヴィオラ公爵は外務大臣だ。日の出ているうちに帰ってくるのは珍しいことである。心配してくれるのはうれしいことだけど。
 僕の驚いた声に、ベルがふわりと頬を緩める。

「はい、ガブリエレ様が倒れたと聞いて、急ぎお帰りになりました」
「そう、お父様にも心配をかけてしまったようだね……」

 僕は、忙しい父に心配をかけたことについて、申し訳ない気持ちでいっぱいになっている。
 いや、良い父親だな。
 しばらく会話をすると、ベルは頭を下げて部屋を出て行った。それから部屋にやってきたマニョリア医師の診察では、とくに悪いところもないので今晩だけ安静にするようにという指示が出た。
 マニョリア医師の診察には、父も同席してあれこれと質問をしていたけれど、原因はわからないに違いない。
 本当のところは前世の記憶が脳に一気に押し寄せて、意識のスイッチが切れてしまったんだろうなと、僕は自己判断しながら二人の会話を見守った。

「――日頃の疲れが出たのだろう。ゆっくり休養するように」

 僕と同じ色の髪と瞳を持った美中年の父は、そう言って僕の頭を撫で、部屋を出て行った。再び王城へ仕事を片付けに行くようだ。
 その後ろ姿を見て、ぼんやりと瞬きをする。
 父にとって、僕がリカルドと婚約したことは不本意なことだったのだ、とガブリエレの記憶が教えてくれる。そして僕に対しては罪悪感があるようだ。
 この国には王妃の子である第一王子のリカルド殿下を推す派閥と、側妃の子である第二王子のアレッサンドロ殿下を推す派閥、そして、父を始めとした中立の派閥がある。
 本来中立派であったヴィオラ公爵家に王妃がごり押しし、その勢いに負けた国王の命令によって、僕を第一王子のリカルドの婚約者として差し出す羽目になった――ということらしい。
 それは、僕が希少な光属性の魔力の持ち主だからだ。
 僕にとってもリカルドにとっても望ましいことではないのに。
 ん? 僕が光属性の魔力の持ち主だというのは、『ハナサキ』の設定にはなかったはずだ。妹情報だから正確性には欠けるけど。
 あれ……? また情報が食い違っている。
 例えば、『ハナサキ』にはルカが珍しい光属性だったからこそ、ロレンツォが興味を持つというエピソードがある。
 だけど、ロレンツォは既に僕の光魔法を目にしたことがあるはずだ。
 彼にとって、光魔法は珍しいものではないだろう。
 ガブリエレの魔法属性の設定が公式にはなかっただけかもしれないけど、もしかしたら今のガブリエレの光属性は、隠しルートの微妙に登場人物の設定が違うっていうのに当てはまるのかも。
 今僕が生きている世界が何ルートかはわからない。けれど、後で手帳に書いておこう。生き延びることができる可能性があるなら、その設定を生かさない手はないし。
 ベッドの枕元に置かれた水差しからコップに水を注ぎ、喉を潤す。


 ――さあ、では、明日から僕はどう行動しようか? まずは、学校でどう振舞うべきだろうか。


 そこまで考えて、とりあえず一つ決めたことがある。
 当面僕は、ゲームのように厳しい態度でルカに注意をするということをしないでおく。もっとも、今の僕にはガブリエレのように自分にも人にも厳しくできる気はしないのだが。
 そして、ルカと関わらないことだ。接触がなければ、断罪する材料はなくなるはず。
 父はガブリエレのことを大切だと思っているようだから、たとえ冤罪をかけられて断罪されそうになったとしても、ヴィオラ公爵家の権力で助けてもらえるのではなかろうか。
 僕の知っている『ハナサキ』のルカのハッピーエンドでは、ヴィオラ公爵家は外交上の不正を行っていたことがわかって取り潰され、父と兄は他国へ亡命する。ガブリエレは処刑されているので、それには関係ない話だけど公爵家が外交で不正を行っているかについても調べておく必要があるかな……

「――ガブリエレ様……やはりまだご気分がお悪いのですか?」

 考えにふけっていた僕は、ベルの声で現実に引き戻された。


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