転生したら巨乳美人だったので、悪女になってでも好きな人を誘惑します~名ばかり婚約者の第一王子の執着溺愛は望んでませんっ!~

水野恵無

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1巻

1-1

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   プロローグ


「反応が慣れていないね。これで本当にルイスを誘惑できるのかい?」
「問題ありませんし、エリオット殿下には関係ありませんっ!」

 狭くはない馬車なのに、目の前の男性に腰に手を回されてぴたりと身体がくっつく。
 その男性――エリオット・イグノアースは、深く開いたレベッカのドレスの胸元に許可なくキスをしてきた。そして、こちらを見上げて柔らかく微笑む。
 突然の接触に、レベッカの心臓がばくばくと音を立てた。
 イグノアース王国の王位継承権第一位であるエリオット・イグノアースは、金の髪を揺らして琥珀色の瞳アンバーアイを細めた。いつも柔和な笑みを浮かべているが、今はこれまで見たことがないほど口角が上がっている。

「関係ないとはひどいな。僕たちは婚約者じゃないか」
「これまでそれらしい態度を取ったこともないではないですか。なのに、こんな、いきなり――」
「君が今すぐルイスを諦めるなら、もうやらないよ。そして、改めて一からゆっくりと関係を築いていこう。僕にとってもそれが一番良い」

 エリオットがじっとレベッカを見上げた。確かに、公爵令嬢であるレベッカと第一王子エリオットは二年前に婚約している。だが、それは形ばかりで、仲良くしたことなど一度もない。それよりも、レベッカは第二王子であるルイスに心を寄せているのだ。
 だからルイスを諦めるなんて、そんなことは――

「絶対に嫌です!」
「言ってくれるね。だったらさっきも言ったように、君の自由を見逃す代わりに、僕も好きにさせてもらう。とりあえず、君の婚約者が誰なのかをもっとはっきりさせようか」

 ちくりとした痛みと甘いうずきが胸元に走った。
 エリオットの唇が触れていたところに赤いキスマークがついている。そこを舐められると、背中にぞくりと何かが走った。こぼれた吐息は妙に熱っぽい。

「ほら、逃げないと痕が増えてしまうよ。いいのかい?」
「ダメで……す、ぅんっ」

 柔らかい唇に肌をなぞられ、また新しい場所を吸われてしまう。逃げたい気持ちはあるが、腰に回された腕の力は思ったよりも強くて動けない。
 甘さを含んだ刺激に身体と声が震えた。こんなことはやめさせなければと思うのに、エリオットに触れられているところが熱くうずいて、押し返そうとしても身体が思い通りにならない。
 自分の屋敷に着くまでどのくらい時間がかかるのか考えようとしたが、肌を舐められた感覚に思考が散らされる。

「あ……ん、だめっ」
「レベッカは肌が白いから、赤い痕がよく似合うね」

 エリオットがみずからつけた鬱血痕うっけつこんを舌でなぞる。その整った美しい顔と淫靡いんびな仕草のギャップに、レベッカはぞくりとした。
 品行方正、清廉潔白――そんな言葉の似合う、優しい顔をした次代の国王候補筆頭だ。神の恩寵を得たかのごとく見目麗みめうるわしく、温和な性格で、国民にも絶対的な支持を得ている完璧な人。
 彼の興味は政治にのみ向いていて、レベッカは婚約者ではあったものの、これまで二人の間に甘い空気などというものは一切なかった。しょせん政略結婚だったので、この状況をありがたいと思っていた。
 それなのに、なぜ突然こんなことを……

「……っ!」

 エリオットの手が背中のリボンに触れる。そのままほどかれると思い、咄嗟とっさにレベッカの腕が動いた。
 パシンという軽い音は、レベッカがエリオットの頬を叩いたのではなく、手首をつかまれた音だ。

「危ないね。何をしようとしたの?」

 余裕そうに微笑む彼に、一瞬言葉が詰まる。
 それはこちらの台詞せりふだ。馬車の外は人の行き交う街の道で、壁のすぐ向こうには御者もいる。この中は二人きりだとはいえ、こんな場所でドレスを脱がそうとするなんて。
 いや、それではまるで場所さえ異なれば構わないようではないか。そうではないと、レベッカは自分に言い聞かせる。
 人生をやり直すと決めたのだ。こんなことで邪魔をされてはかなわない。
 小さく呼吸し、レベッカは肩に流れていたみずからの黒髪をゆっくりとはらった。そして、エリオットの琥珀色の瞳アンバーアイをまっすぐ見つめて、真っ赤な唇で蠱惑的こわくてきに微笑む。

「わたくしたちは名だけの婚約者でしょう?」



   一、名前だけの婚約者


 空は抜けるように青く、風は暖かく気持ちが良い。短い冬が終わり、これからまた穏やかな季節がやって来ることを肌で感じられる日だ。王城の中庭には色とりどりの花が咲き誇っており、見る者の目を楽しませてくれる。
 時刻はお昼を過ぎ、お茶を楽しむ頃合いだ。
 周囲を腰までの高さの壁にぐるりと囲まれた、広い東屋ガゼボ。そこに備え付けられたテーブルには、心惹かれる焼き菓子とお茶が準備されていた。

「このいちごのタルトは、今王都で一番人気なんですのよ」
「そうか」
「是非ルイス殿下にも味わっていただきたくて、準備させましたの」

 白く細い指先を真っ赤なネイルが彩っている。レベッカはそっとつまんだ小さなタルトを、相手の形の良い唇へと運んだ。

「食べてみてくださる?」

 ぴたりと寄り添うように腰を下ろしているのは、イグノアース王国の第二王子であるルイスだ。今年二十歳になる彼の銀の髪は、日の光を受けて透けるほどに輝いている。はっきりとした目鼻立ちだが、ゆるやかな印象を受ける琥珀色の瞳アンバーアイが美しい。
 レベッカはまっすぐに見つめられて胸がドキリと高鳴った。細い手首をつかまれてより一層心臓が跳ねたが、どうにか顔に出さないように気を付ける。
 ルイスはほんの少しの逡巡しゅんじゅんのあと、レベッカの手首に触れたままばくりとタルトを口にした。

美味おいしいでしょう?」
「まぁ、悪くはないな」
「あら、手厳しいですわね」

 クスクスと笑って余裕そうに振る舞うが、レベッカの心臓はうるさく鳴り響いたままだ。だが、それも仕方がない――想い人であるルイスの手が触れているのだから。
 しかしすぐにするりと離されてしまい、慌ててその手を追った。

「でしたらもっと美味おいしいものもあるのですけれど、そちらもいかがでしょうか?」

 そう言ってレベッカは、ルイスの手のひらを自分の胸に導く。胸元が深く開いたドレスからこぼれんばかりの柔らかい丸みが、押し付けたルイスの手によってむにゅりと形を変えた。自分でやっておきながら、恥ずかしさのあまり思わず声が出てしまいそうになるのをどうにかこらえる。
 ルイスの目が驚いたように丸くなった。

「レベッカ――」
「王都一番のタルトよりもオススメですの」
「……エリオットはどうした?」
「あら」

 確かに、第一王子のエリオットと公爵令嬢であるレベッカは婚約している。だが、そんなことは関係ないと言うように、長いまつ毛に縁取られたレベッカの瞳が妖艶に細められた。

「婚約者だなんて名前だけであること、ルイス殿下もご存じでしょう? 別にわたくしが誰と何をしようと、エリオット殿下は気にもかけませんわ」

 二人の関係が希薄なことは、名のある貴族であれば誰もが知っているだろう。それには王位継承が関わっている。
 イグノアース王国は大陸内でも屈指の大国だ。近隣の国とは表面上は良好な関係を築いているが、エリオットとルイスの父親である現国王クリフォード・イグノアースの治世となってからはキナくさい話が出ている。血によって受け継がれる絶対的な権力があるゆえに、表立って口にする者はいないが、決断力に欠ける国王の頼りなさは政治の中枢にいる者であれば感じていること。現在この国は、宰相であるレベッカの父、ウォルター公爵によって成り立っていることも。
 しかしエリオットは国王には似ず、十代の半ばから政治に関わり結果を出しているという。立太子こそしていないが、彼が王位を継げば国はこれまでになく安定し発展するだろうとの見方も強い。
 そんな背景があり、次期国王候補のエリオットと、宰相の娘であるレベッカの婚約が結ばれた。否が応でも注目される二人ではあるものの、これまでレベッカが登城したのは婚約披露パーティーの時だけだったし、エリオットが王都にあるウォルター公爵邸におもむいたこともない。
 婚約した当時、エリオットは今のルイスと同じ二十歳で、レベッカは十六歳。それから二年は経つが、顔を合わせて会話をした回数は片手で足りる。手紙のやり取りの頻度も同じようなものだ。
 貴族であれば政略結婚は当然だが、ここまで互いに歩み寄りの意思がなく、取りつくろおうという気もないのは珍しいだろう。エリオットもレベッカも互いに興味がないのは一部の者には周知の事実なのだ。
 レベッカは衣擦きぬずれの音を立て、ルイスに密着するように近寄って耳元でささやく。

「わたくしのこの身体に魅力を感じませんこと?」
「……婚約者のいる身でこんなことをするとは、婚約を破棄されても文句は言えないな」
「わたくしの心配をしてくださいますの? ルイス殿下はお優しいですわね。けれど問題ありませんわ、わたくしはこの国の宰相の娘ですのよ」

 ウォルター公の発言力は強く、王族も無視できないだけでなく、国王に直接意見を言うことのできる唯一の人間だと言ってもいい。今は亡き妻の遺した一人娘のレベッカのことを、彼はとても愛している。目に入れても痛くない娘のお願いならば、どんなわがままであっても聞いてくれるだろう。
 レベッカは自分でできる限りの色気を意識して微笑んだ。

「ですから、今ここでルイス殿下とわたくしが何をしようと、咎める者はおりませんわ」

 誘惑するように上目遣いで見上げる。このまま乗り気になってくれたら、と期待をかけて。
 すると、テーブルに肘をついたルイスが小さく息をついた。

「……レベッカ・ウォルターがまさかこんな女性だったとはな」
「悪い女はお嫌い?」

 レベッカをじっと見下ろしたあと、ルイスの唇が開いたその瞬間。

「ルイス殿下、申し訳ございません!」

 空気を壊すような声の方を見れば、ガゼボの外に兵士が立っていた。

「カンデラ王妃殿下がお呼びでございます!」
「ふーん、それは無視するわけにはいかないな」

 直立不動の兵士からの報告に、引き止める間もなくルイスが立ち上がる。レベッカを見下ろす瞳は素っ気ない。

「それじゃあな、レベッカ」
「あ……ルイス殿下っ」

 それだけ言って、ルイスはガゼボを出て行く。広い中庭に残されたのは、その背を追うように立ち上がったレベッカ一人だ。余韻も何もない立ち去り方に、自分と彼との距離感を突き付けられる。
 しかし当たり前といえば当たり前。彼にとってレベッカは、兄であるエリオットの婚約者というだけの存在なのだから。
 やはり正攻法ではなく、既成事実を作るしかないだろう。それにしても……

「焦りすぎたかな」

 はぁ、と大きなため息をつきながら、レベッカはだらりと椅子に座った。
 先ほどまでは背筋を伸ばして指先の動きにまで気を使っていたが、誰もいないとなれば話は別だ。それに、緊張の糸が切れたようで、今はそんなことをやっている気力もなかった。
 とはいえ、このまま落ち込んでいるわけにはいかない。たった一度上手くいかなかっただけではないか。

「何を焦りすぎたんだい?」

 誰もいないはずの中庭で、突然聞こえた男性の声。
 慌てて振り向いた先には、ガゼボの壁をひらりと乗り越えるエリオットがいた。

「エリオット殿下……どうしてここに?」

 今一番会いたくない人物に、思わず声が引きつる。

「いつも自分の屋敷に閉じこもっている君が、一人で王城に来た。しかも訪問する相手が父親であるウォルター公でも婚約者である僕でもなく、ルイスだ。報告が来るのは当然ではないかな」

 エリオットが首を傾けると、午後の日差しを柔らかく受けて金の髪がキラキラと輝く。ルイスと同じ琥珀色の瞳アンバーアイもだ。彼は弟よりも頭一つ分は高い身長と長い足でテーブルまで寄ってくると、レベッカの隣に座った。
 親しみやすくてゆるい雰囲気のルイスとは対照的に、エリオットは彫刻じみた美しさで非の打ち所のないように見える。
 社交界では年頃の令嬢の熱い視線を集め、婚約が公表された時には悲しみの悲鳴が王都に響き渡ったらしいと、メイドが噂しているのを聞いたことがある。
 人目を引く男性であることは分かるが、隙がなさすぎて近寄りがたいと思うのはレベッカだけだろうか。

「それで、何を焦りすぎたのかな?」

 まっすぐに問われて言葉に詰まった。
 婚約者のいる身でありながらルイスを好きになり、誘惑して既成事実を作ろうとした。そしてそれを理由にエリオットとの婚約を破棄し、ルイスと婚約し直そうとたくらんでいる――など正直に伝えられるはずがない。
 何も言えないレベッカの顔をじっと見ていたエリオットだったが、ふいにクスクスと笑いだす。

「……あの、エリオット殿下?」

 小さく肩を震わせるエリオットを、レベッカはただぽかんと眺めた。
 数回しか会ったことのない相手だが、エリオットは優しく微笑んでいても、まとう空気がどこか張り詰めている。
 ルイスよりも透き通った琥珀色の瞳アンバーアイが、レベッカのそれと絡む。笑うとこんなにも柔らかい空気になるのだと初めて知った。

「ごめんね、レベッカ嬢がこんなにも可愛い女性だなんて知らなかったから」
「か……可愛い?」

 思ってもみなかった言葉に、思わず素で反応してしまう。
 レベッカは目尻が吊り上がっており、ぱっと見キツい印象に見える顔立ちだ。美人だと言ってくれる人は多いだろうが、「可愛い」などと誰かに言われる日が来るとは思わなかった。

「可愛いよ、とても可愛い。それに興味が湧いたな」
「興味、ですの?」

 不意にエリオットに手を取られる。どうしたのかと見つめていると、手の甲に形の良い唇が触れて、ちゅっと音を立てた。

「少なくとも突然の変化が気になるくらいには、レベッカ嬢のことを知りたいと思ったよ」

 そんなものは求めていないのだが……じわりとレベッカの背中に変な汗が浮かんだものの、もちろん口には出せなかった。


     ◇ ◇ ◇


 起きたくない。もうこのままひたすらじっとしていながら、世の中が自分の思う通りになればいいのに。そんなことが実際にあるはずなどないが、レベッカは自室のベッドで枕を抱えて悶々もんもんとしていた。
 天蓋てんがい付きのベッドのしゃとカーテンを開けて、お付きの侍女が朝の光を部屋に取り入れる。

「アンナ、まぶしい」
「もう朝ですよ、レベッカ様。きちんと起きてくださいませ」
「分かっているけれど……」

 レベッカはうだうだと未練がましく枕を抱えてベッドの上で転がり、アンナに背を向ける。
 今年十八歳になったレベッカと一歳しか変わらないアンナは、テキパキとすべての窓のカーテンを開け放つと、腰に手を当ててベッドサイドに仁王立ちした。

「うじうじと悩むくらいなら、『悪女になる!』なんてことはおやめください」

 母を早くに亡くしたレベッカにとって、乳母だったアンナの母が母親代わりだった。アンナもレベッカを妹のように可愛がってくれて、いつも一緒に遊んでいた。誰よりも長く近くにいたアンナは、今はレベッカ付きの侍女をしている。
 アンナの言葉に、レベッカは勢いよく振り向いた。

「そんなわけにはいかないでしょっ」
「でしたら、しゃんと背筋を伸ばしてください。枕を抱えて転がっている悪女なんて見たことありませんよ」
「うう」

 しぶしぶと身体を起こして、形の変わってしまった枕を撫でて整えベッドに置く。
 そして、ため息を呑み込み、気を取り直してアンナに向かって微笑んだ。

「今日も悪女らしく頑張ろう」

 うながされるままに身支度を整えると、レベッカは鏡台の前に腰を下ろす。

「どうにかエリオット殿下にバレずに、ルイス殿下に会う方法はないかしら?」
「難しいのではないでしょうか。公爵令嬢のレベッカ様が王宮へ顔を出せば、婚約者であるエリオット殿下に連絡が行ってしまうでしょうし」

 鏡の中で、アンナはレベッカの髪をブラシで丁寧にかしながら言う。
 ほんのりと香油を揉みこまれた黒髪は艶々つやつやと輝いており、腰まで届くほどに長いものの枝毛は一本もない。寝起きの顔も、見ている間にアンナの手により完璧に化粧がほどこされた。光を弾く肌に薔薇ばら色の唇、アイラインの引かれた目尻はきりっとしており、口元にはなまめかしいほくろが一つ。
 黙っていれば十八歳とは思えないほどの色気と妙な迫力があるが、今は残念にもへにゃりと眉が下がっていて締まりのない顔をしている。

「それはそうかもしれないけれど、そこをどうにか」
「それこそレベッカ様の『前世の記憶』とやらで、どうにかならないのですか?」
「そんなに都合のいいものではないの」

 レベッカは困ったように嘆いた。
 レベッカ・ウォルターが『前世』と言われるものを思い出したのは、わずか一か月前のことだ。
 それはエリオットの弟である、第二王子ルイス・イグノアースの婚約者候補が決まったという話を父から聞いた瞬間だった。ショックを受けたレベッカの頭の中にある声が響いたのだ。

『あたしね、彼と結婚することになったの』

 少し高くて甘えたような響き。小さくて可愛く、男なら誰でも守ってあげたくなってしまうようなその女性は、レベッカの前世での友達だった。
 地味な自分とは高校の同級生という共通点しかなく、なぜ仲良くしてくれるのだろうとずっと疑問に思っていた。その謎が解けたのは社会人になってからだ。喫茶店に呼び出され、前触れもなく結婚報告を聞かされた。
『彼』というのは自分の幼馴染おさななじみ
 格好よくて優しく、ずっと一緒にいてくれた人だった。彼のことを好きになるのは当たり前の流れだっただろう。大人しくて地味な自分を何かと気にかけ、いつも近くにいてくれて、好きにならない方が難しい。
 頭を押さえたいのをどうにか我慢し、コーヒーを一口すする。

『付き合うとかじゃなくて、いきなり結婚なの?』
『だってね、すぐにお腹が大きくなっちゃうから』
『……え?』
『彼の子供がお腹にいるんだ』

 彼女がこちらを見て、一瞬だったが間違いなく勝ち誇った笑みを浮かべる。すぐにまた何事もなかったように幸せそうにお腹を撫でるその姿に、頭が真っ白になった。
 目の前のこの子は自分ではなく、近くにいた彼が目当てだったのか。そして彼も結局は可愛い子が好きだった――
 明るいカフェにいるはずが、目に映る景色が徐々に色を失くす。耳に入ってくる周囲の雑談がガンガンと脳内に響く。
 二人がいつの間にかそんな関係になっていたなんて気が付かなかった。幼い頃から共に育ち社会人になっても頻繁に会っていた彼が、自分の知っている子を特別に想うようになり、子供ができるほどに仲を深めていた。今まで想像すらしたことのなかった現実を突き付けられる。
 それからのことはよく覚えていない。こんな思いをするのなら、せめて自分の気持ちだけでも伝えておけば、もしかしたら何かが変わっていたのかもしれない。ふらふらと歩きながら涙を流し、強く思った。
 脳裏に強烈に焼き付いているのはその時の後悔と、トラックのクラクションとブレーキ音。そしてまぶしすぎるヘッドライト。
 前世でのレベッカの人生は惨めにも、好きな人に思いを告げることもできずに終わったのだ。

「レベッカお嬢様?」
「ああ……ごめんね、アンナ。前世のことを考えてぼんやりしていたの」
「申し訳ありません。嫌なことを思い出させてしまって」

 謝罪するアンナに対して、気にしないで、と首を横に振る。

「もちろん楽しい記憶ではないけれど、その経験があるから今度は絶対に後悔したくないと思えるの」

 イグノアース王国の公爵令嬢として生きてきたレベッカは、前世と同じような性格だった。母が小さい頃に亡くなり、話せる相手は父を除けば数人だけ。内向的で自己主張が苦手で、人付き合いも下手だった。
 そのためエリオットと婚約したあとにルイスのことを好きになった時も、何も言えなかった。
 けれど前世を思い出し、レベッカは決意したのだ。
 同じ後悔は絶対にしない。『告白すればよかった』なんて思いながら泣いたりしない。
 何をしてでも、たとえ他人を蹴落としたり卑怯で汚い手段を使ってでも、自分の思いをつらぬく。悪女になっても、今度こそ好きな人と――ルイスと結婚するのだ。
 鏡の中のレベッカが赤い唇の端を上げてにこりと微笑む。先ほどまでの情けなさを消し去り、色香と自信をまとわせて。

「レベッカお嬢様はそういう表情をしていた方が、見ていて気持ちいいですね」
「ありがとう。せっかくこんな美人になれたんだもの、きちんと有効活用しなくちゃ」

 公爵令嬢として生まれて育てられたが、記憶が戻る前のレベッカはこの顔が嫌いだった。目つきの悪さでいつも不機嫌なのだと誤解され、可愛げがないと陰で言われてきたから。
 しかし前世の自分を思えば、今の吊り上がった目元は意志の強そうな印象を受けるだけ。逆におどおどしているのはもったいなく思える。何よりも、すべてのパーツの形もバランスも完璧で、誰しもが目を引かれるような美人なのだ。背中を丸めて隠れるように生きていく理由はどこにもない。
 今度こそ自分のしたいようにやるのだと、改めて決意する。
 とはいえ……

「まさかエリオット殿下に目を付けられるなんて」

 レベッカはがくりと肩を落とした。アンナに髪を結ってもらっていなければそのまま頭を抱えていただろう。
 ルイスに会いに王宮に行ってからの二日間、ずっとそのことが気にかかって仕方がなかった。未だに手の甲には、あの時に触れられた唇の柔らかさが残っている。

「エリオット殿下は、私がどこで何をしていても気にしないと思っていたのに」

 この二年間ずっとそうだったというのに、なぜこんなことになってしまったのか。興味を持ってもらえるのなら、エリオットではなくルイスがよかったと考えるのは失礼だろうが、紛れもない本音だ。
 エリオットの真意が分からない。今まで散々放置していたにもかかわらず、突然自分に興味が湧いたと言っていたのは何だったのだろう。考えても答えが見つかるわけではないと分かっていても、頭の中でぐるぐると回ってしまう。

「でも悪女になると決めたからには、たとえ婚約者の前でだろうと気にせずアプローチするくらいでないと駄目よね?」
「そうですね。むしろ見せつけるくらいはしてもいいかもしれません」
「そ、そうよね」

 アンナの返事に、レベッカはごくりと唾を呑み込む。男性経験などまるでないためハードルが高いが、ジャンプをしなくては前には進めない。
 ふと、エリオットとの婚約披露パーティーの日を思い出す。
 レベッカの意思など関係なく決められた婚約。もちろん貴族の家に生まれたからには、個人の気持ちより政略が優先されるのは当然のことだ。それは小さな頃から覚悟していた。
 パーティーの当日は、絶え間なく挨拶あいさつに来るたくさんの人に目眩めまいがした。
 次期国王と言われるエリオットと婚約すれば、レベッカは王妃となる可能性が高いが、内気な自分がそんな重責に耐えられる気がしない。こんなにも素晴らしい人物の横に並ぶ女性として不釣り合いだと、言葉を交わす皆がレベッカを値踏みしているに違いない。
 レベッカはウォルター公爵家の一人娘だ。いつか家を継いでくれるような婿を取るものだと思っていた。パーティーには出るだけでいいからと父に頼まれていたが、思いもよらない展開に精神が限界を迎え、挨拶あいさつが途切れた瞬間、レベッカはその場から逃げ出してしまった。
 きらびやかで賑やかなホールとは正反対に、足を踏み入れた中庭はしんと静まり返っている。

『今日の主役が何をやってるんだ?』
『……ひっ』

 月明かりも届かないガゼボのベンチにだらりと寝そべっていたのは、ルイスだった。暗かったのですぐに気付けなかったけれど、目を凝らすと銀の髪が見える。


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