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4巻

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 プロローグ 賭け事はお好きですか?


「つっかれたぁー……」

 王宮からイデオン公爵邸へと戻る馬車の中。
 一人であるのをいいことに、私は窓側に身体をもたせかけて淑女らしからぬ呟きをらしていた。
 王宮に向かう時はエドヴァルドの手を借りて簡易式の〝転移扉〟を利用していたものの、戻るとなるとそうはいかない。
 宰相室と、王都にあるイデオン公爵邸との間には今、臨時の〝転移扉〟が設置されている。
 もともとは領地の税の報告と宰相としての公務を両立させるために臨時に設置されている簡易式の扉だそうだけど、その後も隣国ギーレンから王族がやってくるという大きな外交業務が続いたこともあり、〝扉〟は未だ設置されたままの状態だ。
 とはいえ、魔力ゼロの私一人ではそんな〝扉〟は利用出来ない。戻る際も送ってくれるようなことはエドヴァルドも言っていたけれど、そのためだけに問題児おうぞくたちの対応に忙殺されているエドヴァルドの手を借りるのも気が引ける。
 馬車留めまでついてきてくれた、トーカレヴァ・サタノフ――元レイフ殿下の特殊部隊所属で、今は王宮護衛騎士――は、なぜかエドヴァルドを待ってから帰った方がいいと力説していたけれど、直前まで妹と相対していたことに疲れ切っていたこともあって、さっさと馬車で王宮から下がる方を選んだ。
 さすがに王宮を出てイデオン公爵邸までは送れないとトーカレヴァに言われた結果、私はファルコとイザクという「最強の馭者ぎょしゃ」の下、馬車に揺られることになった。
 どうやってかトーカレヴァがイデオン公爵邸の護衛、兼、諜報組織である〝たか〟に連絡を入れていたのだ。
 小さな、白い鳥のような何かが上空を旋回しているのが見えていたので、きっと伝書鳩的な存在がこの世界にもいるのだろう。そのあたりは、深く追及すまいと思っていた。
 ――どのみち、ここは現代社会でも日本でもなんでもないのだから。


 異世界。それも、乙女ゲームでもあり戦略シミュレーションゲームでもある〝蘇芳戦記すおうせんき〟と酷似している世界。
 妹の舞菜まなが「聖女」として召喚されたらしいその後に、私までが妹の補佐として無理矢理び出されてしまった。
 小さい頃からわがまま放題だった妹の尻拭いを異世界に来てまでしていられないと、私はアンジェス国の宰相であるエドヴァルド・イデオンとの直談判の末、なんとか妹と離れて生活する権利を勝ち取った。
 なんなら他の国に行ってもいい、くらいには思っていたのだけれど、言葉はともかく文字が読めないのは問題だし、ゲームとの類似や相違を探る必要もあったしで、私はイデオン公爵邸での生活と学ぶための環境を受け入れた。
 王宮に対しては妹の補佐のために学んでいると装いながら、実際には独り立ちを目論もくろんでのことである。
 とはいえ、無駄飯喰らいの居候に甘んじるつもりもなかったので、宰相としての公務に追われるエドヴァルドの、イデオン公爵領の領主としての執務補佐を引き受けた。
 ゲーム〝蘇芳戦記〟では、エドヴァルドには暗殺や処刑されるバッドエンドが常につきまとっていたために、公爵邸で暮らす以上フラグ折りは必須となる。
 一宿一飯の恩を返す――そのくらいの気持ちだった。……それが。

『視察旅行に行くときには、私の手を取ってほしい』
『貴女の居場所は、私の隣だ』
『妹よりも私を選んでくれるな?』

 いつしか、冷徹キャラだったはずのエドヴァルドの口からは赤面もののセリフの数々が零れ落ちるようになってしまった。
 どうしてこうなった。

「うわぁ……」

 思わず両手で顔を覆ってしまう。
 ただ家族から、妹から離れて自由を勝ち取ることだけを目指して邁進まいしんしてきた私に、耐性なんてある訳がない。

『聖女の姉って言う立場から一歩引いてはいるけど、本当は――』

 ついでに本来であれば〝蘇芳戦記〟ギーレンルートのヒロインになるはずだったシャルリーヌの言葉も、ぐるぐると頭の中を駆け巡る。
 エドヴァルドに好意はあるだろうと。独占したいと言われても不愉快じゃないだろう――と。
 シャルリーヌ自身は、ギーレンルートのシナリオ通りであるはずの、第二王子・エドベリとのハッピーエンドを断固拒否している。
 私と同じく〝蘇芳戦記〟の知識を持っているが故に出来たことだ。アンジェスルートがギーレンルートよりも何倍も難度の高いルートだと分かっていても、ギーレンから亡命したのだから、よほど第二王子エドベリとの間に、積み重なった「何か」があるのだろう。
 ゲームのジャケットでは、妹すら目を奪われるほどの赤毛の美丈夫であるはずなのに、シャルリーヌの影響で私の中では『粘着質王子』のイメージの方が定着しそうだ。
 とはいえ、アンジェスにやってきたシャルリーヌは、少なくともエドヴァルドの攻略に関しては、早いうちから諦めていたらしい。
 彼女曰く「エドヴァルドの、その辺の石ころみたく自分を見た視線と、怜菜わたしを見た視線が違いすぎた」ということらしいけど、私にはその辺りの違いが分からない。日本一の大学に入るという目標に全振りしていたこともあってか、女子力が欠如していることは自分でも分かる。
 それに困ったことに、私はシャルリーヌの言葉を否定しきれない。しきれないけど、今頷いてしまえば、なし崩し的に妹のおもりに戻ってしまう可能性があることも分かっている。
 それくらい、宰相の地位は王にも舞菜にも近いのだ。

「そうよ、だから今は、陛下との賭けをどうにかする方が先なのよ」

 エドヴァルドだって、領地下の子爵が王都で起こした襲撃事件のせいで謹慎しなくてはならないはずが、ギーレンの王族との外交業務が終わるまではと、謹慎自体が宙に浮いている。
 ましてその間に、イデオン公爵領に属する領地の「視察旅行」に行こうなどという話は、下手をすれば立ち消えになりかねない状況だ。
 逃避? いやいやいや、ちょっとの間横に置いておくだけです。ええ、ちょっと。
 当面は、陛下と――もとい、陛下が私とエドベリ王子をまじえて、私の知らないところで成立させていた「賭け」の方を、どうすべきか考えた方がいいのだから。
 隣国ギーレンの〝転移扉〟の見学に行く、アンジェス国の当代聖女・舞菜。
 その付き添いとして、同じくギーレンに向かうエドヴァルド。
 聖女はもちろんのこと、エドベリ王子は自らの側近として、ギーレン王族の血を持つエドヴァルドの取り込みも目論もくろんでいるようだ。さらには、亡命されても諦めきれないらしいシャルリーヌをも取り戻すという一挙両得ならぬ三得すら狙っているらしい。
 アンジェスの国王であるフィルバートが「埒外らちがいな要求を吹っ掛けられた」と、そう言っていたくらいなのだから、荒唐無稽な話とは言い切れない。
 問題は、それを阻止するために「賭け」を持ちかけたフィルバートの神経の方だと思いつつ――それはそれで「フィルバートだから」と言われてしまえば、反論に困る。
 結局、サイコパスな王のてのひらで踊ることを許容せざるを得なかったのだ。
 ギーレンでエドヴァルドと舞菜に引き抜きがかかった場合の対応、などとそんなものを賭けのネタにされてしまったのだから。
 少なくとも、実父を憎むエドヴァルドが首を縦に振ることはない。そうと分かっていてエドベリ王子を煽って「賭け」を持ち掛けているのだから、ずいぶんと阿漕あこぎなやり口だ。
 いや、そもそもの要求が有り得ないのだから、フィルバートなりの意趣返しだと解釈するしかなかった。
 レイフ殿下というオモチャで遊べなかった代わりの娯楽だ――なんて笑っていたことは、記憶の沼の底に沈めておこうと思う。
 それが一番平和だ。主に私の心の中が。


「――ねえ、ファルコ、イザク」

 さて、ギーレンに向かうエドヴァルドを、どうしたら護ることが出来るのか。
 もちろん、王宮派遣の護衛やギーレン側からも護衛は付けられるだろうけど、おかしなものが盛られない保証はない。そこは、護衛の腕がどうという話じゃない。
 そこでふと、相談するにはちょうどいい二人が馭者ぎょしゃをしていることを思い出した。
 私は馭者ぎょしゃの姿が見える小窓越しに、前を向いて馬の手綱を握るイザクと、周囲に警戒の目を向けているファルコへと声をかける。

「どうした、どこか寄り道か?」

 手綱を握っているイザクはこちらを向いて話すという訳にもいかないのだろう。
 隣のファルコがそう言って小窓の方を振り返ってくれた。

「ううん、ちょっと聞きたいことがあって」

 護衛だ、諜報だと荒事メインに動く彼らの方が、より現実的なアドバイスをくれそうな気がした。
 何せここは異世界。現代日本の基準で物事を考えてはいけない。

「前にファルコ、野営の経験があるって言ってたよね?」

 確かポトフもどきな野菜スープを作っていた時に、そんな話をしていたような……
 ファルコは、意外そうに目を見開いてから小さく頷いた。

「まあ、俺だけじゃなく〝鷹の眼〟の皆、一度や二度はやってるけどな」

 言葉は発しないものの、イザクも首を縦に振っている。

「そっか。じゃあそういう時ってさ、事前の食料準備とかはどうしてるの? 具体的にどんなものを持っていくの?」
「あ?」

 何言ってんだ、と言いたげなファルコの声が聞こえてくる。

「野営の予定でもあるのか? そもそも、お館様の許可が下りるとも思えねぇが」
「や、私がやるって話じゃないのよ。知りたかったのは、日持ちする食料の種類。どんなものを持っていってるのかなぁ……って」
「日持ち?」

 質問の意図が読めず、思い切り眉根を寄せてはいるものの、答えないという選択肢はファルコの中にもなかったようだ。空を見上げて、少し考える仕種を見せていた。

「……持っていくとすれば、パンと干し肉とチーズくらいか? あとは現地調達だな。食える野草を引っこ抜いても途中でしおれるし、逆に外の野山にいくらでもある訳だからな」
「あんまり腹持ちしない感じ? クッキーとかは持っていかないの?」
「総じて甘いモンは高額だし、材料も手に入りにくい。俺らの方から気軽に頼むもんでもないことは確かだな」
「そっかぁ……」

 甘いもの、というよりは、砂糖が高額なのかもしれない。干し肉やチーズも安くはないだろうけど、肉のハーグルンド、乳製品のキヴェカスと言われるほどの領地をイデオン公爵領は抱えているから、持ちだすのにさほど気が引けないのだろう。多分。

「また何か作んのかよ」

 考え込む私をどう見たのか、ファルコが「また」などと人聞きの悪い言い方をしてくる。私も、そこは思わず顔を上げてしまった。

「またって言わないでくれない。毎回必要にかられてお願いしてるのよ」
「その度にキヴェカス伯爵家の三男坊サマが悲鳴上げてるってウワサだけどな」
「私は悲鳴じゃなくぎゃふんって言わせたいのよ」
「なんだよそりゃ」
「ざっくりまとめれば『申し訳ございませんでした、私がわるうございました』って土下座するところを言語化した感じ」
「充分オヤジさんやら兄領主やらに、やらされていただろう」
「自主的に! やってもらわないと意味ないのよ」
「ああ、そう」

 気長に頑張れ、と聞こえた気もした。ちょっとムカつく。
 私のその気配を感じたのか、仕切り直すようにファルコが聞く。

「で、そのぎゃふんとやらの次なる一手は、日持ちする携帯保存食を作りたいってか」
「そんな感じ?」

 イメージは、ショートブレッドだ。あれは意外に腹持ちがするし、なんなら類似品で栄養素があれこれ詰め込まれたタイプのものもあった。
 アンジェス国から持っていっておけば、万一エドヴァルドがギーレンで何かを盛られたとしても、以降の食事は拒否することが出来るだろう。何日かはしのげるはずだ。

「あと、イザク」
「まだあんのかよ」

 代わりに何故かファルコが答えているものの、元々そう口数の多くないイザクのことだ。さほど重要じゃないと思えば、ファルコにそのまま喋らせてしまっている可能性もあった。
 この場合は、そのまま話を進めてしまうのが無難だろう。

「毒消し作れないかな」

 手綱を握るイザクの手が、不自然に動く。

「なんの」

 一言答えるだけなら、前方に集中したままでいられるということのようだ。
 ダメだったらファルコが「通訳」してくれるだろうし、私も細かいことは気にしないことにしている。

「うーん……全部の毒を無効化出来るような、万能薬だったら有難いかな」

 もしくは〝霊薬エリクサー〟ともいう。こちらの世界でもそんなファンタジーっぽい呼び方で存在しているのかどうかは分からないけど。

「「…………は?」」

 あ、二人ともが振り返っちゃった。イザク、前を向いて⁉

「作れそうなら、エドヴァルド様に持っておいてもらおうと思って」

 エドベリ王子との外交行事が終われば、今度はアンジェス国側からエドヴァルドが「聖女・舞菜」のお目付け役として、共にギーレン王宮を訪問する。そしてそこに「聖女の姉」でしかない私は、同行出来ない。
 ……今のところは。


 だからまずは、エドヴァルドの周囲の守りを固めるところから始めようと思うのだ。



   第一章 ロッピア


「ロッピア?」

 私の帰宅から、さらに時間が経過して、夜もとっぷりとけた頃。
 王宮から疲れた表情で戻ってきたエドヴァルドから告げられた聴き慣れない言葉に、私は首を傾げた。

「ああ、まあ、先代国王と王妃の我儘の産物なんだが――」

 アンジェスでは年始を挟んで十日ほどの間、中心街にある広場で露店が立ち並んで、皆で新年を祝う「マルクナード」と呼ばれるイベントがあるのだという。
 言われてみれば〝蘇芳戦記〟の中でも、他国からのスパイを捜すというロマンスの欠片かけらもないイベントの中で使われていた気はする。
 代々の王族も毎年お忍びで出かけていたそのイベントに、出産が近くなった先代の王妃がどうしても出かけられない年があったそうだ。
 故郷の工芸品の店が立ち並ぶのを、それはそれは楽しみにしていた王妃は諦め切れず、王都内でのイベントが終わった直後に、王宮の庭で王族のためだけの露店を王にねだり、開かせたそうだ。
 そして、それに気を良くした王妃は、今度は一年に一度では物足りないと言い始めた。
 頭を抱えた先代宰相が苦慮した結果、王都で店を開いている小売業者限定で、基本は月に一度、王族が求めた場合には別途従うとして、王宮の大広間での小規模な「マルクナード」を開くと決めたという。そして、それが王都で開業するにあたっての義務として条項を加えられたそうだ。
 その大広間での小規模な「マルクナード」を、王妃の名「ロヴィーア」にかけて『ロッピア』と呼ぶ。
 それが先代から引き継がれた、ということだそうだ。
 よくまあ、そんな我儘を……と思って私がエドヴァルドを見やると、彼は軽く肩をすくめた。

「フィルバートの代になってから『毎月毎月城に呼びつけるなどと、むしろ業者への嫌がらせだろう』と、イベントを廃止しようとしていたんだ。ところが我々が思うより、使用人たちの中で『ロッピア』を楽しみにしている者が多かった。地方から出てきて住み込みの者も多いし、王宮の外へ出ることすらままならない者もいるからな。結局のところは、そのままになっている」
「王族の我儘から始まったのに、福利厚生の一環として定着しちゃったんですね」

 私の身も蓋もない言い方に、エドヴァルドは苦笑を見せる。

「そんなところだ。それで思いがけずエドベリ王子がもう一泊することになったものだから、急遽明日の午後から『軍神テュールの間』で臨時の『ロッピア』を催すことになったんだ。条項として『王族が求めた場合には別途従う』という一文がある以上、王都中心街の店舗の方にもこばむ権利はないからな」
「それにしたって、明日いきなりなんて結構横暴じゃないですか?」

 さすがにそう思ったんだけれど、エドヴァルドは何故かちょっと黒い笑みをひらめかせた。

「ついさっき、それぞれの店舗責任者に早馬は出した。書状には『滞在中のギーレン国の殿下の急な滞在による外交接待のため』と、正直に書き記しておいた。ギーレンの王族御用達を狙うチャンスと取るか、王子の横暴かと腹を立てるかはそれぞれの店主次第だ。だがまあ、ある程度はギーレンを快く思わない者が出てくるだろう」

 宰相閣下、何気なく王子様の我儘をほのめかしつつ、王都在住の一般市民や商人たちの好感度をちょっとだけ下げる策に出たんですね。
 ちりも積もれば……を狙ってますね。

「観光も考えなくはなかったが、一公爵の領内だけを案内する訳にもいかないからな。かといって一日で五公爵全ての領内の観光名所を回るのは〝転移扉〟を使い、行くのは一か所ずつとしたとて無理だ。結果『ロッピア』に落ち着いた面があることも否定はしない」
「ああ……それなら、各領から特産品なり工芸品なりを持ち込めば不公平にはなりませんもんね」

 頷いた私は、ふと思い至って、顔を上げた。

「じゃあ、イデオン公爵領としても、何か出店をされるんですか?」
「そうだな……基本的には我が領の製品を取り扱ってくれている店舗に頼んで出店してもらうことになるだろう。まさかガーデンパーティーで披露した品を、特許権取得前から王宮で披露する訳にもいかないからな」
「あ、それはそうですね」
「まずはアルノシュト、いや、シュタムの銀だな。それとハルヴァラの白磁器、リリアートのガラス細工に、バーレントの木綿製品……キヴェカスはチーズあたりなら、日持ちがするから出せるだろう。あとはオルセンのオリジナルワインでも置いておけば、最低限の体裁は整う。幸い今なら各領主が式典のため王都にいる。なんなら営業だってしやすいくらいだ。いなとは言うまいよ」

 そう言われたあたりで『マルクナード』のイメージがだいたい脳内で整ってきた。
 ベタな名産品が並ぶのみいち、あるいはマルシェのイメージがきっと近いのだろう。
 なるほど、それはそれで王宮に勤める使用人の皆さんが楽しみにするのも分かる気はする。
 呼びつけ――もとい、外商営業がデフォルトの高位貴族層には分からない楽しみ方だ。

「そう考えれば、無茶ぶりであって無茶ぶりではないんですね。それじゃ各領主だって文句が言えない。あるとしたら、ちょっぴりエドベリ王子の好感度が落ちるくらいで。もっと早く言ってくれれば、ちゃんと準備したのに――的な?」

 商人たちどころか、貴族層の好感度も下げたかったんだな……と、思わず遠い目になった私に「何の話だ」とエドヴァルドはうそぶいただけだった。

「それで本題なんだが……レイナ」
「あっ、はい」
「その『ロッピア』に、貴女も来てもらえるか。付き添いは、私がする」
「え?」

 思わぬ依頼に、私は二、三度瞬きをした。

「それは……あれですか、どこかの店で売り子とか……」
「……それはそれで興味深いが、今回は違う。エドベリ王子が、そこで偶然を装って貴女と話をしたいんだそうだ」
「……はい?」

 私は、エドヴァルドの前だということを忘れて、おかしな声をあげてしまった。

「えーっと……それはどっちとでしょうか」

 聖女マナなのか聖女の姉レイナなのか。
 言いたいことを察したエドヴァルドのこめかみに一瞬、青筋が見えた気がした。

「……聖女の姉とだ」
「それはまたなんで……」

 夜会の間、舞菜は、壁の花になって大人しくしていたはずだ。

「そもそもは、聖女のためにギーレンの王宮に商人を呼びたい。だから準備のために一日欲しいとの話だった。フィルバートはそれを聞いて許可を出したものの、その間に特定の家と接触をはかられるのは困ると、一応ボードリエ伯爵家のために釘を刺したんだ。その結果が――〝聖女の姉〟への指名だ」
「……っ」

 エドベリ王子の思惑が読めた私は、盛大に顔をしかめてしまった。
 要は、私はあくまで「イデオン公爵家に一時的に預けられている客人」であり、特定の家と接触をするなという話に当てはまらない。
 そんな屁理屈で、私からシャルリーヌの話を聞こうとしているだけじゃないか。
 恐らくは、アンジェス滞在中にボードリエ伯爵家に接触出来そうにないと悟ったエドベリ王子側が、強引な理屈で押し切ってきたのだろう。
 ――しまった。シャルリーヌとの仲良しアピールが裏目に出たか。
 苦い顔になった私に、エドヴァルドが息を吐いた。

「さすがに個室に呼びつけるまでしては、建前もなにもあったものじゃない。だから『ロッピア』の中でたまたま、同じ売り場の前ですれ違って声をかける――という体裁をとりたいらしい」
「うわぁ……」

 お断りの余地がない状況に肩を落とす私に、エドヴァルドも申し訳ないといった視線を向けてきた。

「明日に関しては、入れ替えたくても入れ替えられないという訳だ。貴女には、貴女のままで『ロッピア』に参加してもらうことになる。陛下には、極力私が貴女に付いていることを承知させた。すまないが協力してもらえるか」

 ――異世界版のみいちにちょっと期待した気持ちが、一瞬にして吹き飛んでしまった。


 そうして翌日。私はエドヴァルドと並んで座る馬車の中で思わず遠い目になっていた。
 アンジェス国が周囲に比べて小国だとは言っても、やはり王宮は王宮。
 王宮勤めの使用人だけで二千人弱が、通いや住み込みで働いているんだそうだ。
 政変で王族の数が極端に減る前、つまりはフィルバートが国王となる以前は、三千人を超える使用人がいたというのだから驚きだ。
 それじゃ一度に『ロッピア』を見られないだろうと思ったら、部署ごとに時間を区切って入れ替え制をとっていると、エドヴァルドが教えてくれた。

「貴女と聖女が見る時間もずらしておいた。彼女は別の時間に陛下がエスコートする」

 なるほどそれなら、妹とエドベリ王子が今日接触する可能性はない。
 しかも妹に関しては、国内貴族たちが「軍神テュールの間」にいるであろう時間さえも外して、侍女や護衛騎士といった、日頃の接触が多いと思われる者たちとの時間に合わせてあるようだ。
 まあ、貴族達に聖女のお花畑な頭の中を知られて、得になることなんてひとつもない。
 ボロを出させないようにするのも一苦労だなと、乾いた笑いが口元に浮かぶ。

「レイナ?」
「いえ、大丈夫です。まさか正門から入ると思っていなかったので、戸惑っているだけです」

 そう。いよいよ『ロッピア』となったこの日、私とエドヴァルドは公爵家の馬車を使用して、正門からの入城となっていたのだ。
 最初こそ、私が〝転移扉〟をあまり好んでいないことに配慮してくれたのかと思っていたけれど、王宮に着いて、エスコートのために差し出されたエドヴァルドの手をとって馬車を降りた瞬間のどよめきに、それが激しく間違っていたと、骨身に染みた。
 ――弾除けって……エドベリ王子だけじゃなかったのか……
 ドレスに関しては「今日は偶然『ロッピア』でエドベリ殿下と会うのだから、彼におもねるような赤系である必要はない」と言われた上に「聖女がギーレンにスカウトされるのは勝手だが、貴女もと請われるのは困る。貴女が誰の庇護下にあるのかは、殿下に承知しておいてもらわないと」とダメ押しされて、朝からヨンナに気合の入った準備を施されていた。
 ただ『ロッピア』の見学に行くだけじゃないのか……とか、エドベリ王子は多分シャルリーヌ嬢以外には見向きもしないだろうに……といったことは、公爵邸の全員に綺麗にスルーされた。
 確かに私としても、妹のギーレン行きについて行かされた上に、アンジェスに来た時と同じように「妹の補佐を」と言われるのも真っ平ごめんだ。だいたい「賭け」自体がはた迷惑なのだ。勧誘ならばぜひ、妹だけにしておいてもらいたい。


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