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1巻

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   プロローグ


 早朝、俺はパチリと眼を開けると同時に辺りを窺う。
 部屋の時計を確認。
 ――〇マルロク〇〇マルマル、起床よし!
 俺はソロリとベッドから抜け出し、扉に耳を付ける。
 かすかな呼吸音と人の気配。
 今日も扉の前には護衛騎士が張り付いているようだ。
 極力、音を立てぬように細心の注意を払い、ベッドの下から麻縄の束を取り出す。慎重にベッドの足に結びつけ、窓を開ける。
 うん、やっぱり朝の冷たい空気は美味い。
 周囲を窺い、人影がないことを確かめて麻縄を窓から垂らし、窓枠に足を掛ける。
 ――降下準備完了! 降下!
 口の中でひっそりと呟き、するすると縄を伝って地面に降り立った。忘れずに縄を室内に投げ入れ、そうっと庭の奥へと足を進める。
 辺りは薄くもやがかかり、深閑としている。この屋敷の人間の朝は遅い。
 俺は木立の陰になっている芝の上に腰を降ろした。
 まずは腹筋を一セット十回、背筋を十回。ストレッチをして、うつ伏せの状態からダッシュ十本。
 それから地面に腹這いになり、機銃がわりの木の枝を片手に片肘を地面につき、腕と腹の力を使って前進する。
 頭を低く、できるだけ身体を低く保ち、爪先を上げないように気をつけて進む。
 第一匍匐ほふくから一本ずつ数メートルずつ、進む。
 ――次は第三……
 ズリズリと進んだところで、ふっと俺の頭上に影が差した。
 前方に二本の踏ん張った太い足。
 そう……っと目線を上げると腕組みをした怖いイケメン。低いイケボの冷たい響きが耳に刺さる。

「何をしてるんですか?」

 ――ヤバい……

「敵発見! 総員退避!」

 くるりと身を翻し、ダッシュで回避! ……を試みたところで俺の身体は宙に浮いた。

「訓練中だぁ! 離せえぇ!」

 ジタバタするも、全く拘束は揺るがない。

「五歳児が何を言ってるんですか。皆さんに見つからないうちにさっさと戻りますよ」
「やだ……!」
「もう、大概にしてください、リューディス様。毎朝、毎朝……。旦那様や兄上にお小言を喰らいたいんですか!?」
「それもやだ……」

 そう、自己紹介が遅くなった。
 俺はリューディス・アマーティア。
 アマーティア公爵家の次男坊……現在、五歳。
 俺はいわゆる転生者ってやつで、前世は地球の日本で自衛官をやっていた。
 ひどい災害があって、緊急派遣された現場でたぶん殉職して……
 気がついたらこの世界に転生していた。
 思い出したのは三歳の頃かな? 肺炎になりかかって高熱を出した時だ。
 まぁ、たぶん死んだなと思ったし、職務を全うしたんだから悔いはない。
 ただ、死ぬ直前に会ったあの女の子が無事に助かったかが、少しだけ気掛かりだ。
 その泣き声とあの女の子を託した相棒バディの泣きそうな顔だけが、時折、夢には出てくるけれど。
 呆れたような溜め息まじりで俺を小脇に抱えて屋敷へと足を進める強面イケメンは、俺の護衛騎士のクロード。
 上手く脱走したはずなのに、まだみんな寝ている時間のはずなのに、いつもコイツに見つかって回収される。
 クソッ……

「坊っちゃん――リューディス様、どこへ行ってらしたんですか!」

 クロードにポンッと部屋に放り込まれると同時に、声が聞こえた。
 ふっと見上げると俺の残した麻縄を握りしめ、真っ青な顔を引きつらせている青年がひとり。
 従者のニコルだ。
 いや、そんなにパニクらなくてもここ一階だし……

「いや、朝のルーティーンに……」
「ルーティーンって、パジャマが土だらけじゃないですか。顔も手も……!」

 ニコルはつかつかと歩み寄り、言い訳する俺のパジャマをスッポンと脱がすと、有無を言わさず浴室に連行する。
 俺は問答無用で顔やら手足やらをザブザブ洗われた。

「まったく、心配かけないでくださいよ。……こんなに汚して!」
「いや、有事ゆうじに備えての日頃の訓練て大事だぞ! ……なぁクロード?」

 振り向いて同意を求める俺に、クロードがしかめっ面で首を振った。

「違う有事ゆうじに備えたほうがいいんじゃないですか、リューディス様」
「えっ……?」

 振り向くと、そこには端正な面差しの少年がひとり、コメカミをひくつかせてこっちを睨んでいた。

「兄様……」
「リューディス! お前は!」

 はい、俺にとってこの屋敷で一番怖い人、登場。
 俺の兄、カルロス・アマーティア、当年とって十二歳、がそうとは思えぬド迫力で仁王立ちしておりました。



   第一章 リューディス始動します!


「おはようございます」

 仁王立ちの兄上に、まずはにっこり笑って朝のご挨拶。
 兄上の頬が少しだけ緩む。うん、挨拶大事。

「リューディス、朝からいったい何をしていたんだ? ……起こしてあげようと思ってきたら、ベッドがもぬけの殻だった」

 あら珍しい。というかこの人、ブラコンなんだよね。
 俺が赤ちゃんの時はかなりピッタリ引っ付いてた。前世の記憶が戻ってからは「ひとりでできるから」っていろいろ断った。子どもの成長には自立が大事なんだよ。

「いや、朝の散歩に行ったの。ほら今日、いい天気でしょ? ……そしたら転んじゃって……」

 まぁもやは出てましたけど、雨は降ってないし。
 前世の妹の必殺技、テヘペロ顔で兄上の顔を見上げる。

「本当に?」
「本当です」

 バラすなよ、クロード。
 以前に廊下で匍匐ほふく前進の訓練してたら見つかって、もんのすごく怒られたんだから。だから外でするようにしたのにさ。

『我が家はお前を軍人にする気はない!』

 って、えらい剣幕でさ。子どもの夢を頭ごなしに否定しちゃいけないと思うぞ。

「私が付いていながら、申し訳ありません」

 兄上の背後から無表情、低音ボイスでクロードがしれっと言う。
 ありがとうクロード、ナイスフォロー。後が怖い。

「わかった……」

 大きな溜め息をひとつついて、兄上が俺の肩を両手で掴んだ。父上譲りのブルーグレーの瞳がじいっと俺の顔を覗き込む。

「でも早朝の散歩はやめなさい。兄上が連れていくから、兄上が部屋に来るまで待ちなさい」

 えー! でも兄上、勉強家で夜更かしだから朝遅いじゃん。それに、すぐ抱っこするから全然運動にならないし、絶対鍛練なんてさせてくれないじゃん。

「わかったね?」
「はい……」

 仕方なく頷く俺。
 だって兄上は氷魔法の使い手だからさ、本気で怒ると本当にブリザードになるからな。
 ちなみにこの世界には魔法があって、魔力のない人はほとんどいない。
 父上や兄上は貴族で魔力量も多いし、複数の属性魔力が使えるんだって。
 前世の妹がそんな感じのラノベをよく読んでたから話だけはなんとなくわかる。
 俺はアウトドア派だから本なんかほとんど読まなかったけどなっ!
 俺はまだ小さいから魔力量とか属性とか全然わからなくて、十歳になったら神殿で調べるそうだ。火とかだったらいいなと思う。
 なんかこの世界、中世のヨーロッパみたいで銃火器なさそうだから、魔法でロケット・ランチャー撃てたら格好よくねぇ? って、まだこの世界が平和かどうかも知らないけど。
 で、その朝のあまり得意でない兄上が、早々に俺の部屋にやってきた訳といえば……

「今日は大事なお茶会に呼ばれているから、父上がお前も連れていくそうだ。早めに朝食を済ませて、支度をしなさい。粗相のないように……」

 いーやーだー!
 お茶会とか嫌いだ。レースとかフリルとかいっぱい着いた服を着せられるんだぞ、男なのに。そいでもってマナーとかすんげえうるさい。『俺』って言ったら猛烈に怒られたし、『私』とか『僕』とか言わなきゃいけない。しかも爵位のどっちが上の下のってすげえ面倒くさい。
 前世の自衛隊も階級うるさかったけど、階級章がちゃんとあったから一目でわかった。
 けど、せっかく転生するんだったら階級制のないところがよかったな、ブツブツ……

「わかったな?」
「はい……」

 兄上の目力にしぶしぶ頭を下げる俺。
 そこに侍従がワゴンを押してやってきた。朝ごはんだ。

「リューディス様、朝食をお持ちしました」

 ナプキンを取ったそれを見て再び眉根に皺を寄せる兄上。

「なんだ、それは?」
「なんだ、って、朝ごはんですよ?」
「パンケーキではないのか?」
「栄養のバランスが偏ります」

 そう、前世の記憶が戻ってからまずドン引きしたのは食生活。毎朝、蜂蜜たっぷりの大きな甘いパンケーキと果物のジュースだけ。炭水化物と糖分だけの食事なんて太るし、朝から胸焼けする。
 だからニコルから料理長に頼んでもらった。パンは少しだけ。スクランブルエッグにたっぷり野菜のマリネと大豆のような豆を細かく擦り潰して溶かしたミルク。果物のジュースは砂糖を入れずに果汁百パーセント。成長期なんだからたんぱく質大事、カルシウム大事。プロテインないのがとっても残念。

「お前、パンケーキが好きではなかったのか?」
「好きですよ」

 不思議そうな兄上をよそ目にテーブルの前に座り、全粒粉のパンを千切って口に放り込む。

「でも、僕は成長期ですからバランスよく食べないと……」

 執事がそう言ってたと嘘をついて、ゴクリときな粉ミルクを飲む。

「兄上もいかがですかか?」
「いや、私はいい……」

 あら、きな粉ミルク美味しいのに。そそくさと立ち去る兄上の背中を目で追いながら、この後の日程に深い溜め息をつく俺なのでした。


 朝食を終えて一息つく間もなく、俺は包囲された。
 母上とメイドのマリーとニコルに三方を囲まれ、扉の前にはクロードが陣取っている。

「さぁリューディス坊っちゃま、髪をきましょうね」

 マリーは母上の守役でもあったベテランのメイドだ。ちなみにこの屋敷にはメイドはマリーしかいない。理由はわからないけど。母上は「大人になったら教えてあげる」と言った。
 俺はそんなことより、今のこの状況が何より苦痛だった。

「はあぁ……」

 盛大に溜め息をつくと、ニコルがヘンなものを見るような目で俺を見た。

「どうしたんです?」
「……お、いや、僕はどうしてこんな顔なんだろう……」

 ポソリと呟く。同時にマリーと母上がこれでもかというくらいに目を見開いた。

「何をおっしゃってるんですか、坊っちゃま」

 マリーが何かとんでもないことを聞いたように眉をつりあげた。

「こんなに綺麗なお顔をしているのに……。奥様譲りのふんわりしたプラチナブロンドのサラサラの髪にアメジスト色の切れ長の瞳はパッチリして、とても可愛いらしゅうございますよ。睫毛も長くて……。すっとして高い鼻筋に薔薇ばら色の小ぶりな唇がとっても愛らしゅうございますよ。肌のお色は真っ白で頬っぺたがほんのりピンクで……こんな可愛いらしく美しいお方は滅多におりませんよ」

 力説するマリーに鏡の中でウンウンと頷く母上。

「でも、僕は男の子だよ……」

 そうなんだよ。鏡の向こうの顔は本当に可愛くてそこはかとなく色っぽくて、女の子だったら本当に美人さんだと思う。俺だって惚れるかもしれない。自分じゃなきゃ……

「確かにさぁ……整ってはいるけど、女の子みたいじゃない?」

 おそるおそる小さな声で尋ねる俺に、マリーはぶんぶんと千切れんばかりに首を振った。

「男も女もありません。可愛いは正義なんですっ!」

 またもや大きく頷く母上。

「正義ねぇ……」

 視線を走らせると、ニコルは明後日のほうを向いて知らんぷりしてるし、クロードは口許をちょっと歪めて笑ってやがった。
 俺はもうひとつ大きな溜め息をつくと、マリーに促されて立ち上がった。

「さ、お着替えしましょう」

 今日の服は白いシルクのブラウスにラベンダー色のジャケットと膝丈の半ズボン。ブラウスの襟と袖口にはこれでもかと言わんばかりにレースのフリルがついている。

「リューディスはフリルが嫌いだから控えめにしたのよ」

 なかば不満そうな母上、これが控えめだったらフル装備になったらどんなだよ!
 でっかいリボンタイにはデカい宝石がついてて重いし。ハイソックスにまでレースだの宝石なんか着けなくていいだろ。

「手も足も細いし、背も小さくてなんか女の子みたい……」

 自分の立ち姿を見て、ますます凹む俺を母上は微笑みながら宥める。

「そのうち大きくなるわよ、まだ五歳なんだから……」
「本当に?」

 上目遣いで尋ねる俺に母上がにっこり微笑む。

「えぇ」

 ――そうか、まだ小さいから女の子みたいなんだ!
 俺は思いきって訊いてみた。

「じゃあ、クロードみたいに大きくなれる?」

 途端に母上の表情が困ったような戸惑うような様相に変わった。

「まぁ……それはどうかしら?」

 チラリと母上が目線を投げる。
 クロードは姿勢を崩さず扉の前に立っているが、やっぱり口元が何気に笑ってる。

「さ、行きますよ」

 母上に促されて部屋を出る。
 玄関のエントランスまで母上に手を繋いでもらいながら、俺はチラチラと斜め後ろのクロードのほうばかり見ていた。
 百九十センチはあろうという上背にガッチリした肩幅、しっかり筋肉のついた胸、腕、腰、脚。しかも顔がいい。
 太い形のいい眉にギョロリとした目力のあるとび色の瞳、存在感のある通った鼻筋に一文字に結んだ男らしい大きい口。角ばった顎には髭がある。短く刈り上げた硬そうな濃茶色の髪も凛々しく見える。
 つまりは前世も含めて俺のなりたかった憧れのイケメンかつマッチョなのだ。
 ――見てろよ、俺だってきっと大人になれば……
 悔しさにキュッと手を握りしめる俺を軽く抱き上げて馬車に乗せながら、クロードが耳許でこっそり囁いた。

「無理だ。諦めろ」

 ……なんでだよっ!!


「あー疲れたっ!」

 俺は母上に着せられた装飾過多の洋服を全部脱ぎ捨てて、ベッドにダイブした。
 今日連れていかれた『お茶会』の会場はなんと王宮だった。
 ――聞いてねぇー!
 馬車の中で初めてそれを告げられた俺は思わず叫びそうになった。
 いや、何なら馬車から飛び降りてやろうとすら思った。
 なぜなら……

『今日はマクシミリアン王子殿下のご招待だ。将来の伴侶となる方かもしれないのだから、くれぐれも礼儀を失するな』

 父上が人差し指をピンと立て、いかにも重要だと言わんばかりに兄上と同じブルーグレーの瞳で俺を見据えて言った。
 でも……いや、ちょっと待て。
 今『王子殿下』って言ったよね?

「あの……王子殿下というのは男ですよね?」

 当たり前すぎることを思わず聞き返す俺に、父上はふふんと鼻を鳴らした。

「そうだ。我がフランチェット王国の現国王陛下と王妃様のご嫡男にして第二王子であられる。お年はお前よりふたつ年上の七歳だ」

 まあ、兄上が王太子殿下の御学友に選ばれたと言って父上と母上が小躍りしてたのは知ってるけど、それで四月からの学園入学を前に猛勉強しているのも知ってるけど、でも、今『伴侶』って言ったよな?

「あの……父上、伴侶って、父上と母上のような関係を言うんですよね? ……王子殿下は男の子ですよね? 僕も男の子なんですけど……」

 俺の質問に母上がコロコロと笑って答えた。

「そんなことは気にしなくていいのよ、リューディス。貴方は可愛いからきっと殿下のお気に召されるわ。……いずれ立派な王子妃になれるわ」

 いや、そういう問題じゃないだろ。男と男だぞ。男が男と結婚するなんてありえないだろ。
 目をパチクリするばかりの俺に、兄上がなかば溜め息混じりに言った。

「リューディス、この国では同性婚も認められているんだよ。特に貴族階級にはよくある話だ」

 はいぃ?

「でも男同士じゃ、赤ちゃん、できないでしょ?」

 俺の言葉に父上がいきなり咳き込む。俺何か変なこと言った?

「リューディス、貴方はまだそんなことを気にしなくていいのよ。大人になったらちゃんと教えるから……。王子殿下から婚約のお申し出があったら、ありがたくお受けすればいいの」

 母上、ちっともよくないだろう。父上、うんうん頷いて、ふたりともどうかしてんのか?
 女がいない世界ならともかく、何が悲しくて男の俺が男の嫁にならなきゃいかんのよ。
 俺は、そんなに美人でもとびきり可愛くなくてもいいから、気立てのいい優しい女の子と温かい家庭を作りたい。――前世からの夢だ。
 前世は忙しすぎて、なおかつ男ばっかの世界にいたから女の子と縁がなかった。だから今度こそ幸せな結婚がしたいんだ、女の子と。

「まぁ、そんなに深く考え込まなくてもいいよ、リューディス。今日は王子殿下と仲良くなってくれればいい。あとは私たちに任せておきなさい」

 任せらんねぇよ、父上。何を考えてるんだよ。俺は男だっつーの。

「まあ、必ずしも婚約のお申し出があるとは限らないから。初対面だし、今日はアマーティア公爵家の子息らしく、皆さんにきちんとご挨拶できればいいよ」

 馬車を降りる時、こっそり兄上が耳打ちしてくれたけど、俺はものすごく不安だった。


 そうして初めて会った第二王子殿下は……やはり王子様だった。
 王宮の庭園に設えられたお茶の席はとても立派で、でもなぜかほかの貴族の家の人はあまりいなかった。

『本当に懇意な方だけを呼んでいるから……』

 王子はそれは素敵な笑みでおっしゃった。平たく言えば側近候補の顔見せだから、ほかの関係ない家は呼ばれていなかっただけらしいが。
 紹介されたマクシミリアン王子は蜂蜜色の金の髪に澄んだ海の色の瞳をした、とても凛々しい美男子だった。

「私はマクシミリアン、第二王子だよ。君は?」

 差し出された手のすんなりと伸びた指に思わず見惚れ、言葉を忘れそうになった俺に微笑みかける笑顔は、まんま太陽のようだった。

「初めまして。ぼ……いえ私はアマーティア公爵家の次男で、リューディスと申します。本日はお招きありがとうございます」

 兄上と練習したとおり、右手を胸にあててお辞儀をして……そして、思いきって聞いてみようとした。

「それであの……父から聞いたんですが、婚約とかその……そういうことは……」
「こら、リューディス!」

 窘めようとする父上をそのしなやかな手で軽く制して、マクシミリアン王子はふふっと小さく笑った。

「私たちはまだ子どもだし、初対面なんだからそんなことを考えなくていいよ。……まずは友達になろう」
「とも……だち?」
「そう、友達だ」

 すっと差し出された手もこっちに向けた笑顔もとても自然で、俺は嬉しくなってにっこり笑って頷いた。

「はい、友達からお願いします!」

 そして王子のエスコートで庭園のあちこちの美しい花々を観賞して回った。
 ただ……美男子すぎる相手を目の前にすると、やはり尋常でなく緊張するらしい。
 お茶や焼き菓子も食べたけれど、あまり味がわからなかった。
 まあさすがに恋愛対象には見られなかったけどな。むしろ王子の凛々しさが羨ましかった。

「友達……か」

 ニコルが俺の脱ぎ捨てた服をぶつぶつ言いながら拾うのを目の端で見ながら、俺はちょっと嬉しくなった。
 まあ、俺の期待は後日、完璧に打ち砕かれたけどね。


 ドンドン……と激しく扉を叩く音がうるさい。
 時折、ヒステリックに叫ぶオバサンもとい母上の声が聞こえる。乳母のマリーのわざとらしい泣き落としの台詞も。
 ――知るかい!
 俺は背中を向け、まるっとそれらを無視した。上掛けの羽布団をすっぽり頭から被って耳を塞いでベッドに潜り込んでいる。

「リューディス、出てきなさい! 早く!」
「嫌です」

 俺、リューディス・アマーティアは、ただいま絶賛ハンスト、立て籠り中である。
 突入されないように部屋の入り口の扉の前にはチェストをぴったりと押し付け、窓は侵入できないようにしっかり取っ手をスカーフで縛ってた。
 原因は母上の暴走である。
 王宮から帰って散々説教を食らわせた後、そろそろ剣を習いたいと申し出た俺にキレたのだ。

『貴方にそんなものは必要ありません! 貴方は殿下のお心を掴む努力をなさい!』

 はぁ?

『剣のひとつもまともに使えなかったら、殿下のお友達はできません。いざとなったら殿下をお守りしなきゃいけませんから』

 兄上もそう言った。王族には護衛騎士が付いているけど、いつ何が起こるかわからない。そういう時に身を挺して殿下を守り、助るのが学友の努めだし、側近としての第一歩だ、って。

『貴方はそんなことをしなくていいんです! ……貴方は美しく賢くなって、殿下に守っていただけるよう、努めなさい』

 何言ってんだ、コイツ?
 俺は男だぜ?
 男が他人に守ってもらってどうするよ。
 いや、それ以前に男であれ女であれ、自分の身は自分で守る、が基本だろう?
 ましてやこの異世界に銃火器はない。剣のひとつも使えるようになっていなかったら、万一の時に対応できない。


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