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1巻

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   プロローグ


 ラヴァル伯爵家の長女アンネリーゼは、この度結婚が決まった。ラヴァル家には跡継ぎとなる男児はおらず、長女であるアンネリーゼが婿養子を迎える事になった。
 挙式は準備の都合で後回しにして、先に籍を入れる事になり、今日手続きを済ませたばかりだ。政略結婚に加え急な話だった故、夫となった彼・オスカーとはまだまともに会話すらできていない。
 彼は侯爵家の三男で、容姿は結構整っている。頭はよく、性格は受け身で控えめ。婿養子には打って付けの人材かもしれない。母がいたく気に入った事で結婚が決まった。

「すぐに決断しないと、他家に取られてしまうでしょう!?」

 確かに三男といえど、侯爵家には違いない。母は家柄など世間体を気にする人なので、彼の人柄というよりも、肩書きに惹かれたのだろう。
 ちなみに、アンネリーゼの父である伯爵も婿養子だ。一応伯爵という肩書きではあるが、実質家長は母だ。ラヴァル家に関する決定権は全て母にあり、昔から父は空気そのものだった。
 そんなアンネリーゼには、双子の妹であるアンナマリーがいる。長女のアンネリーゼは、幼い頃から後継ぎとして英才教育を受けてきたが、妹のアンナマリーは自由奔放に過ごしてきた。母は姉に厳しく妹には滅法めっぽう甘い。顔はそっくりでも性格が控えめなアンネリーゼに対して、母は自分によく似て気の強い妹が可愛くて仕方がないのだろうと思う。
 妹は現在、首都にある貴族や王族専門の学院へ通っている。ラヴァル家の屋敷はど田舎にあるため、一人で暮らしている。その妹がアンネリーゼの結婚にあたり、長期休暇を取って帰ってきた。

「お姉様、おめでとう」

 妹は満面の笑みで祝いの言葉を述べるが、本心は分からない。昔から自分本位な性格で、何事も自分が優位でないと気が済まない。後でグチグチ言われなければいいけど……と内心ため息を吐く。
 その夜、祝いの宴も終わり、父と母は部屋へ戻り、旦那も先に二人の寝室へ向かった。広間には必然的にアンナマリーと二人きりになる。

「お姉様、少しだけ話さない?」
「オスカー様が待っているから、少しだけね」

 久々とあって断りづらく、断ったら断ったでうるさいのは目に見えている。アンネリーゼは仕方なく席に着く。暫くたわいのない会話をしていると、妹が侍女にお茶のお代わりを頼んだ。

「アンナマリー、悪いけど、私そろそろ行かないと」
「あとちょっとだけ! このお茶ね、お姉様のために用意したのよ。すごく美味おいしいから、お姉様にも飲んでもらいたくてね。ね? いいでしょう?」

 あまりにもしつこいので、アンネリーゼはそのお茶を飲んでしまった。すると暫くして急激な睡魔に襲われ……そのまま意識を手放した。そして目を覚ました時には、朝を迎えていたのだった。



   第一章 波乱の幕開け


 アンネリーゼは日差しの眩しさにゆっくりと目を開けた。頭がぼうっとする。いつもならこんな風にはならない。朝は割とすんなり起きられる。風邪でも引いてしまったのだろうか……
 そんな事を考えながら身体を起こし、部屋を見渡した。ここは妹の部屋だ。

「私、どうして……」

 ぼんやりと昨夜の事を思い返していく。確か妹と話をしていて……お茶を勧められて飲んだ。そしたら急に眠気に襲われて、そこから記憶がない。

「あ! 大変っ!」

 そうだ。夫のオスカーを待たせたままだった!
 アンネリーゼは慌ててベッドから飛び起きると、部屋を出た。初夜だったのに、妻がいつになっても来ないで待ち惚けなどあり得ない。アンネリーゼは夫婦の寝室へと向かった。
 扉の前で立ち止まり深呼吸をする。いくらおとなしそうな彼でも流石さすがに怒っているかもしれない。だが、過ぎてしまった事はどうにもできない。とにかく謝るしかないと、意を決して扉を開けた。

「え……何、してるの」

 アンネリーゼは目を見張る。未だぼうっとしている頭に追い討ちをかけるような光景が、そこには広がっていた。自分の夫であるオスカーと妹のアンナマリーが一糸いっしまとわぬ姿で抱き合った状態で眠っていたのだ。

「ん~、何よ、うるさいわね……」

 アンネリーゼの声で目を覚ました妹は欠伸あくびをしながら、ゆっくりと身体を起こす。すると、隣で寝ていた彼も目を覚ました。


「うるさいって……そうじゃなくて! 何してるの!? アンナマリー!? オスカー様も……」

 オスカーは寝起きという事もありうまく状況が理解できていない様子だ。仕方なく、自分がアンネリーゼだと主張するとようやく理解したらしく、慌て出した。

「は!? 君がアンネリーゼなのか!? じゃあ私の隣にいるのは……」
「今オスカー様の隣にいるのは私の妹のアンナマリーです! 昨夜ご紹介致しましたよね!?」
「え、あ……まさか、そんな……」

 見る見る顔面蒼白になるオスカーをよそに、アンナマリーは彼に抱きつく。

「昨夜は激しくてと~ってもよかったです、オスカー様」
「ち、違う! 私はアンネリーゼと間違えて……」
「酷いわ! お姉様と間違えて私の処女を奪ったの!?」

 明らかに白々しらじらしい態度の妹に、アンネリーゼは頭を抱えた。迂闊うかつだった。よく考えたら色々不自然だった。自分より早く結婚した姉を手放しで祝い、これまで会話なんてほとんどしなかったのに急に話したいと言ってきて、尚且つ、アンネリーゼのためにお茶を用意するなど……。恐らく、あの急激な睡魔は睡眠薬か何かのせいだろう。未だに頭がもやもやしているのが何よりの証拠だ。
 離れて暮らすようになり、少しは成長したのかと思った自分が馬鹿だった……。これではむしろひどくなっている。

「一体朝から何事なの!?」

 そこに騒ぎを聞きつけた母と父が現れた。アンネリーゼは事の顛末を二人に告げる。すると母は予想外の反応を見せた。

「なるほど、分かりました。済ませてしまったものは仕方ありません。こうなればオスカーさん、見抜けなかった貴方にも落ち度はありますから責任は取っていただきますよ」
「せ、責任と言われましても……」
「貴方にはアンネリーゼではなく、アンナマリーと結婚していただきます。見た目は変わらないのだし、問題ないでしょう」

 母のとんでもない発言に開いた口が塞がらない。

「もうすぐ式も控えています。招待状もアンネリーゼとオスカーさんの婚儀となっていますから、まさか姉ではなく妹になりましたなんて言えません。ラヴァル家の名誉に関わります。ですから……アンネリーゼ」

 母が鋭い視線を向けてくる。まるでアンネリーゼが悪者のように思えてくる。

貴女あなたは今日からアンナマリーとして過ごしなさい」

 暫く呆然と立ち尽くす。何を言われたのか分からなかった。アンナマリーとして過ごせとは? と真面目に考えてしまった。だが、暫くして理解した。要は入れ替わるのだ。姉と妹が……

「そんな、いくら何でもそれは……」

 あり得ない、そう続けようとした時アンナマリーが泣き出した。

「ごめんなさい、お姉様……私っ、オスカー様に一目惚れしちゃって……くすん……だから……」

 全て嘘だ。その涙も言葉も。昔からそうだった。母や父、周りの人は騙せてもアンネリーゼには分かる。やはり双子だからだろうか。

「大丈夫よ、アンナマリー。全く問題ないわ」

 いや、むしろ問題しかないですが!? 呆れて言葉すら出ない。母は本当に妹に甘過ぎる。

「いいですか、アンネリーゼ。もう入れ替わるしか方法はないの。アンナマリーの大切な貞操を奪われてしまい、一度でも床を共にすれば子供ができる可能性もあるのだから。もし身籠ってでもいたらどうするの!? 貴女あなた、責任取れるの!?」

 奪われたではなく、自ら奪われに行ったの間違いですが。むしろ彼は被害者だと思う。そして何故、自分が責任を取る取らないの話になるのか……一応、私も被害者です。
 母の横暴な物言いに呆れつつ、オスカーを見遣みやると、彼も母の気迫に押され項垂うなだれていた。そして渋々了承をする。一応部屋の片隅にいる父にも視線を向けるが……いつもの如く空気だ。役に立ちそうにない。

「分かりました。……ただし、アンナマリー。後から苦情は受け付けないからね。それに私は、こんな事されてすんなり許せる程優しくもない。だから、今後何があっても私を頼らないで。もう貴女あなたとは関わりたくないの」

 思い返せば昔から妹は調子が良くて、ずる賢く要領がいい。母が大好きというわけではないのに、いつも母にべったりで気に入られていた。一方アンネリーゼはというと、母の人間性は好きではないが、家長としては尊敬している。陰で悪く言う事もない。反対にアンナマリーは、陰で母の悪口をよく言っていたのを覚えている。

「お姉様、酷いわ!! ……そんなっ……たった二人きりの姉妹なのに……。でも私が全て悪いんだから……仕方、ないわよね。分かった……」

 妹が内心ほくそ笑んでいるのが伝わってきて、アンネリーゼは顔をしかめる。そして追い討ちをかけるように母は……

「心の狭い姉ね。これぐらいの事でそこまで言うなんて。妹が可哀想じゃないの?」

 どうして私が悪いみたいに言うのか……
 母の事は尊敬していたが、この瞬間もうどうでもよくなってしまった。
 アンネリーゼは無言で部屋を出ていく。自室に戻るとすぐに荷造りを始めた。

「アンネリーゼ様」
「心配いらないわ。どうにかやってみるから」

 侍女のリタが心配そうに話しかけてくる。彼女はアンネリーゼより一回り年上であり、昔から身の回りの世話をしてくれている。

「私もお連れくださいませんか」

 少し悩んでから、アンネリーゼは頷いた。本当は彼女のためにも断ろうと思ったが、これから自分を捨てて、アンナマリーとして生きていかなくてはならない。それなら彼女にだけは自分がアンネリーゼだった事を覚えていてもらうのも悪くない。そう思ったのだ。


 馬車に揺られる事、数日。アンネリーゼは本を読んだり、時折窓の外を眺めて過ごしていた。これまでずっと、あのど田舎にあるラヴァル家の屋敷でほぼ引きこもって生活をしてきた。こうして長い時間馬車に揺られるなど生まれて初めてだ。
 妹や母からあのような仕打ちを受けて、もやもやした気持ちはまだ拭えないが、こうしているとあながち悪くないかもしれないと思えてくる。以前アンナマリーが学院に入学すると聞いた時、正直羨ましかった。自分も通ってみたいと思い母に相談した。だが、母には「貴女あなたには家庭教師がいるのだから、必要ありません」と言われて全く取り合ってもらえず、叶う事はなかった。故に今は、憧れの学院生活に期待を膨らませていた。

「疲れた……」

 アンネリーゼはげんなりとしながら馬車を降りる。半月と少しかけてようやく首都にある屋敷へと辿り着いた。

「お帰りなさいませ、アンナマリー様」

 屋敷の中へと入ると、まだ年若い侍女に出迎えられた。

(あー……えっと、確か彼女の名前は……)

 アンネリーゼは資料の内容を思い出す。実は屋敷を出る間際、アンナマリーから彼女の人間関係とその名前の書かれた紙の束を手渡された。無論アンナマリーがそんな些末な作業をするはずはなく、この資料を作成したのは妹の侍女だ。そして道中それに目を通しておいた。

『くれぐれもヘマしてバレないようにしてよね、お姉様? あ、間違えちゃった。アンナマリー?』

 嫌味ったらしくそう言った妹の顔を思い出して今更ながらにイラつく。

「ただいま、ニーナ」
(え、もしかして……違った?)

 小柄で栗色の髪、顔にそばかすの特徴が一致していたから、てっきりそうだと思ったのに……。これはしょぱなからまずいかもしれない。
 何も返事をせずに硬直している侍女に、アンネリーゼは焦った。

「アンナマリー様……どこかお加減が優れないのですか?」

 怯えた様子でいきなりそんな事を聞かれた。

「……どうして?」

 平静を装うが、内心は心臓がドキドキとしている。

「い、いえ、私を名前で呼んでくださるなんて初めてでしたので……それに、ただいまなんて……」
(ん? それは一体どういう事?)

 ニーナの言葉に、アンネリーゼは顔を引きつらせたまま固まった。何だか物すごく居心地が悪い。
 アンネリーゼは食堂にて夕食を摂っていた。先程のニーナもそうだが、他の使用人達も何故だか沈むように暗い。しかも、誰も目を合わせようとすらしないのだ。
 食堂の端に、申し訳なさそうにたたずむ執事。皿を置く時の手が震えていた。何をそんなに怯える事があるのか……。この屋敷にいる使用人は、全て本家の使用人ではない。屋敷を用意した際に現地で見繕った者達だ。故にアンネリーゼは一体何が起こっているのかが分からない。

「ねぇ、リタ」
「はい、お嬢様」

 名前で呼ぶと万が一間違えたら困るという事で、お嬢様呼びにする事になった。

「この屋敷の使用人達、変じゃない? 異様に暗いし、何だか怯えてるみたいだし」

 食事を終えたアンネリーゼは部屋でゆっくりとお茶をすすっていた。リタ以外の使用人は下がらせたので、今は二人きりだ。思わずため息を吐く。
 バレないようにと神経を尖らせていたので、やたらと疲れてしまった。

「確かにそうですね」

 アンナマリーのせいに違いないのだが、詳しい原因が分からない。

「よろしければ、私の方で少し探りを入れてみます」

 取り敢えずこの件はリタに任せてアンネリーゼは、先に休む事にした。アンナマリーが申請した休暇は明日までだ。二日後からは学院に通う事になる。今のうちにゆっくり休んでおきたい。


 翌日、アンネリーゼは資料を眺めていた。明日から学院生活が始まる。馬車の中でパラパラと目は通したが、流石さすがに全ては覚えきれていない。

「それにしても、男性ばっかり……」

 改めて見てみると、友人知人の欄にはどれも男性の名前ばかりが並んでいる。女性の名前がほぼない。あの妹の事だ、期待はしていないが……これは嫌な予感しかしない。
 そもそも、アンネリーゼは男性があまり得意ではない。恐怖症ではないが、何しろ身近にいた男性といえば父くらいで、いい印象がまるでない。オスカーとは家のためにと結婚したが、好きになれる自信はなかった。初夜も気乗りはしなかったが、これも仕事だと思ってやり過ごすつもりだったのに妹に寝取られてしまった。

「あと、このハートマークは何?」

 名前をハートで囲んでいる。全くもって意味不明だ。

「でも、この名前どこかで見たような……」
(う~ん。まあ、いいか……)

 アンネリーゼは資料を閉じる。大まかな特徴や名前は何となくは頭に入った。ただし、資料は雑過ぎて詳しい事柄は書かれていない。
 流石さすがはあの妹の侍女だ。ちなみに、この資料を作成した侍女は今、アンナマリーと一緒に本家にいる。そして、その侍女はリタの妹だったりする。やはり血を分けた姉妹でもこうも違うのかと呆れつつ、人様の事は言えないとため息を吐いた。

「お嬢様、如何いかがなさいますか?」

 リタが苦笑しながら、明日の登校用のドレスを順番に広げて見せてくる。無論、全てアンナマリーの物だ。

「え、あー……うん……」

 思わず言葉に詰まってしまった。何故ならドレスのセンスが悪過ぎる。色も形も派手で露出が多く、品性の欠片かけらも感じられない。ドレスを見た感想は、娼婦のようだ……その一言に尽きる。
 一体妹は学院に何をしに行っていたのだろうかと、これを見て思わざるを得ない。

「普通のドレスは……ないわね」

 普通ならば、いくら派手で露出の多い物が好みでも、無難なドレスも少しくらいは持っているものだが……ない。クローゼットのどこを探しても、全くない。

如何いかがなさいますか? 念のためにお嬢様のドレスを数着ですが持ってきております。……そちらになさいますか」

 リタの提案にアンネリーゼは一瞬目を輝かせるが、すぐに眉根を寄せた。自分のドレスは正に妹と正反対の物だ。流石さすがにこれで登校したら変貌し過ぎる。周囲は不審がるに違いない。きっと即バレて終わりだ……
 だがこのドレスの中から選ぶ勇気がでない。どうしても躊躇ためらってしまう。

外套がいとうだけ、自分の物にするわ……」

 極力露出の少ない物を選ぶしかない。そうじゃなくても、不安しかないのに着る物一つでこんなに悩む事になろうとは……気が重い。
 翌日、アンネリーゼは馬車に揺られながら学院へと向かった。外套がいとうの中には小さな鞄を提げており、中には資料を簡易的にまとめた手帳と学院内の地図がある。無論目は通したが、もしも迷子になった時のための物だ。
 準備は万端……のはず。あとはなるようにしかならない。程なくして、馬車はゆっくりと速度を落とすと大きく揺れて停まった。どうやら到着したようだ。
 緊張しながら馬車から降りると、一度呼吸を整えた。そして学院の門を見遣みやり、意を決して足を踏み出した。
 取り敢えず、通りかかった生徒に挨拶をしてみた。すると、完全無視されてしまった。はじめは聞こえていないのかと思い、他の生徒にも同様に声をかけるも、またもや無視される。

(え、何、なに? 何で!?)

 予想以上だった。早くも心が折れそうだ。
 しかも無視されるだけではなく、アンネリーゼを遠巻きにして眺めながら何やらヒソヒソと話している。その視線は当然好意的なものではない。

(……と、取り敢えず教室へ向かわないと。アンナマリーのクラスは……)

 一瞬呆然と立ち尽くすも、気を取り直して思考を巡らせながら辿々しい足取りで歩いていく。すると向かいから男子生徒三人が歩いてきて、彼らが資料の特徴と合致している事に気づいた。

(きっとアンナマリーの友人ね)

 そう思い、すれ違う直前に声をかけてみた。

「ご機嫌よう……」

 瞬間三人は目を見張る。そして、中心にいる美青年に睨まれた。

「二度と私に話しかけてくるなと言ったはずだが」
(挨拶をしただけなのに、キレられました……)

 アンネリーゼは唖然とする。今までの人生でこんな経験はした事がない。無視の次は挨拶しただけでキレられるなど。アンナマリー……一体何がどうしたらこうなるわけ!? この場にいない妹を問いただしたくなった。

「暫く姿を見なかったから、辞めたのかと思ったのに……残念」
(残念って……)

 美青年の隣の青年に、更に追い討ちをかけられた。人好きのする笑みを浮かべながら、さらりと毒を吐く。一見すると穏やかそうなのに……怖過ぎる。
 アンネリーゼは男性三人から凄まれ、暫しパニック状態になった。唇をきつく結び黙り込む。

「お前のような低俗な人間の顔を見るだけで吐き気がする。今すぐ失せろ!」
「っ……」

 アンネリーゼは彼の気迫に押されて後ろによろめく。そのまま倒れそうになるが、何かにぶつかった。

「おっと、アンナマリー大丈夫?」

 抱きとめるようにして身体を支えてくれた男子生徒を見上げる。

「え、あ……」
(今度は誰!? 敵が増えた!?)

 気が動転して、もはや資料の内容など吹っ飛んだ。誰が誰かなんてもう分からない。頭が真っ白になり固まる。

「兄さん、流石さすがにそれは女の子に対して紳士的じゃないな」

 男子生徒は、未だ鋭い目で睨んでいる美青年の彼をそう呼んだ。

「フランツ、お前には関係ない事だ。その女に紳士に振る舞う必要など」
「まあ、まあ。そんなにカッカしないで。綺麗な顔にシワ、できちゃうよ?」

 フランツと呼ばれた青年はおどけたように話すと、アンネリーゼの腕を掴んだ。

「ほら、アンナマリー。行こう」

 フランツ……確か資料に名前があった。ハートマークのついた男性だ。アンネリーゼの腕を引き前を歩く彼の背を眺めながら、ぼんやりと思い出す。前を歩く彼の背を眺めながら、ぼんやりと思い出す。

「相変わらず兄さんは手厳しいよね。でもさ、流石さすがアンナマリーだね。あんな事があったのに平然と話しかけるなんて」

 気づくと校舎の裏庭へと来ていた。フランツは立ち止まると手を離し、近くのベンチに座った。

「あー……まあ、そうでしょう?」

 適当に相槌を打ったのはいいが、思わず声が上擦うわずる。

(あんな事!? あんな事って何!? そういえば先程の彼、随分怒ってたけど……。妹は一体何をしでかしたわけ!?)
「うん、そうだね。でも、そんなところも魅力的だよね」
「え……!?」

 彼の隣に座るのは憚られたため立っていたアンネリーゼだが、突然腕を引かれてバランスを崩すと、フランツの膝の上に倒れ込んでしまった。

「あ、あのっ……じゃなくて、何するのよ!?」

 驚きのあまり一瞬、元の自分に戻りそうになるが、慌てて妹の真似をして答える。ただ顔が熱くなるのはどうにもならない。今アンネリーゼはフランツの膝の上に乗り、抱きかかえられた状態で、顔もお互いの息がかかるほどに近い。
 男性に免疫がないアンネリーゼに、この状態は耐えられない。

「何って……分かってるくせに」

 耳元で囁かれ、彼の熱い息に身体を震わせる。

「アンナマリー……。久々だから、僕……我慢できない」

 身体を撫で回され、全身がぞわりと粟立つ。

(嘘……でしょう!? まさかこんな場所で!? こんな朝から!?)

 フランツの手がアンネリーゼの膨らみに触れた瞬間……
 パンッ!!
 乾いた音が裏庭に響いた。

「痛いよ~」

 フランツは頬を押さえる。だが、何故か笑っている。

(やっちゃった……)

 アンネリーゼは、触れられた瞬間フランツの頬を叩いてしまった。

「ははっ。酷いな~もう少し手加減してくれてもいいのに」
「ごめんなさ……」
「どうしたの? いつもなら積極的に、自分からおねだりしてくるのに」
(おねだりって……やっぱり、そういう関係なの!?)
「……君、アンナマリーじゃないよね」

 フランツの指摘に心臓が跳ねる。目を見張り、フランツの顔を見た。
 先程とは打って変わり、射貫くような鋭い視線が向けられる。

「……」
「黙るって事は、認める事になるけどいいの?」
「……私が、アンナマリーじゃないなら誰だと言うの」

 バレたらまずい。そう思い、アンネリーゼは無意識に口調が強くなり顔も強張こわばる。

「う~ん……お姉さんとか?」
「っ……」
「もしかして当たり? 実は結構前にアンナマリーが、ボソッと姉がいるって言ってたのを覚えてたんだ。でもまさかこんなそっくりなんて思わなかったけど」
(学院生活一日目にして、いきなり絶体絶命だわ……)

 アンネリーゼは自分の演技力のなさに、頭を抱えた。
 ダメだ……頭をいくら回転させても何の良案も浮かばない。どうにかしてこの場を切り抜けられないかと考えてみるが、無理だ。これはもう本当に終わった……
 項垂うなだれるアンネリーゼとは反対に、フランツは実に楽しげだ。


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