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1巻

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   1


「はぁはぁはぁ……んっ、はぁはぁはぁ……」

 軽い高揚と羞恥心しゅうちしん、そして甘みが溶け込んだ息遣いが、次から次へと漏れていく。
 黒田くろだつむぎは、自身の上に覆い被さる男の髪を指に通した。
 何度か撫でていると、すっぽりと手を包まれる。彼、椎塚凪しいづかなぎは優しげに目を細めて、握ったつむぎの手のひらを自身の頬に押し当てた。

「なーん?」

 まるで猫の鳴くようなささやき。無防備がゆえにかえってつやっぽく感じてしまい、ドキドキする。彼はつむぎの手のひらを頬からスライドさせると、唇に触れさせ指を絡めてきた。

「爪ちっちゃ」

 凪は甘すぎて溶けそうなそのつぶやきと共に、つむぎの指先を愛おしそうに眺めつつ、軽く口付けてから、はむっと口にくわえる。自分の指先が彼の舌と口蓋こうがいしごかれ、ちうちうと吸われるのを見ていると、ついさっきまで散々しゃぶられた乳首が、確かにうずいた。

「なぎ、くん……」
「なんや?」
「いれて?」

 頬を染め、脚をもじつかせながら懇願すると、凪の瞳に隠しきれない喜びがともる。

「んー? いけるかぁ?」

 だが瞳の喜びとは裏腹に、凪は言葉に躊躇ためらいをにじませるのだ。そしてその一方では、大きな手でつむぎの腰を撫で下ろし、脚の間でうるつぼみを親指の腹でくにくにといじるのだから、彼の気持ちがどちらにあるのかはわかりやすい。
 たまらない刺激につむぎは新たに蜜をこぼしながら、腰を揺すって催促さいそくした。

「おねがい、なぎくん」

 そう言いながら、自分から脚を開く。

「……なられるぞ?」

 蜜口に押し充てられた物の硬さと熱さに息を呑む。そうして彼が腰を進めた瞬間――

「い――っ!!」

 身を裂く痛みに耐えかねたつむぎは、涙目になって小さな身体を強張こわばらせた。

「ああ……痛いな。俺が悪かった。今日はもうやめとこ。な?」

 凪はつむぎの涙を丁寧に指先で拭うと、まぶたの上に唇を押し当て、「無理することないからな」とささやきながら頭を撫でてくれる。それがかえって申し訳ない。
 自分から欲しがったくせに、できないなんて。

「ごめんね、凪くん」

 うな垂れたつむぎは、凪の胸にすっぽりと収まった。そんなつむぎを、彼はぎゅうぎゅうに抱き締めて頬にキスしてくれる。
 首から左胸と左腕全体にかけて昇り龍の刺青いれずみのある人だけど、彼は本当に優しい。
 付き合いはじめて半年。つむぎと凪は未だにひとつになれないでいる。
 というのも、凪は身長一九二センチ、体重八六キロの堂々たるヘビー級。靴のサイズなんて二八センチもある。でも筋肉質でボクサー並みに引き締まっているから、体重を聞いてびっくりするくらいには細く見えた。
 対するつむぎは、身長一四五センチ、体重四二キロ。中学一年生で止まってしまった成長は、涙のミニマム級。ついでにお胸の戦闘力はC。
 身長差四七センチ。ふたりのセックスには、その体格差以前に〝巨大で根本的な問題〟が立ちはだかっていた。

「つむぎが悪いんやない。俺のがデカすぎんのや」

 巨大で根本的な問題――略して巨根。
 凪の恵まれた体躯には、それに釣り合うだけの恵まれた御子息が付いていたのだ。恵まれすぎた御子息の存在感は、五〇〇ミリリットルのペットボトル級、太さはつむぎの手首といい勝負である。通常時でそれなのだから、臨戦態勢ともなれば、もはや凶器。おまけに、いいか悪いかは置いておいて、つむぎは経験がない。つまりは処女。
 処女が初めて受け入れるには、凪の巨根は難易度が高すぎたのだ。

「でも凪くん、つまんないでしょ? うち……胸で挟むのもできないし……ちっぱい……」

 つむぎは自分の胸を左右から寄せて、谷間を作ってみた。この申し訳程度の胸では、凪の巨根を挟むなんてとても無理だ。せいぜい押し当ててふにふに感を楽しむ程度。

(もっと巨乳だったらよかったのに……)

 そうしたら、彼を喜ばせてあげられたかもしれない。
 もうずっと凪が生殺し状態になっていることなんて、よくわかっているつもりだ。こうして裸で触れ合って抱き締め合うのも気持ちいいけれど、逆に欲求がたかまるのも事実。
 愛し合いたい。身体の奥深くまで繋がって彼に愛されたい。彼の気持ちを受けとめたい――でもうまくできない。
 すっかり落ち込んでいると、つむぎの乳房を凪の大きな手が包んできた。

「ちっぱいちゃうって。美乳やて」

 そう言って触りながらはげましてくれるが、凪の手は大きいから、胸に沿わせてもフィット感がない。はっきり言ってスカスカだ。美乳ではなく、微乳の間違いではなかろうか。

(お口でしたら喜んでくれるかな?)

 そういう愛し方があることは知っている。自分からするのは初めてだけど、大好きな凪が喜んでくれるのであれば、挑戦するのもやぶさかではない。つむぎは凪を見上げた。

「あのね――きゃっ」

 切り出そうとした途端、凪がつむぎの上に乗っかり、熱く唇を重ねてきた。

「は……ん、ん……」

 喰らい付くような濃密なキスに、圧し殺した声が漏れる。熱い舌が口内をい回り、つむぎの吐息と唾液を吸い上げる。そして同時に乳首をきゅっきゅっと緩急を付けて摘ままれ、身体の力が抜けてなにも考えられなくなっていく。

「はぁはぁはぁ、なぎくん……」
「とろーんなってかわええなぁ」

 凪はつむぎの濡れた唇を親指で軽く拭い、じーっと見つめてきた。そしておもむろに身体を沈めると、少し開いたつむぎの脚の間にむしゃぶり付いてきたのだ。

「凪くんだめ――あっ!」

 つむぎの制止の声と同時に、蜜口の中に凪の舌が入ってきてびくんっとる。
 凪はつむぎの脚をすくい上げるようにして左右に広げ、じゅるっと音を立ててすすり、花弁をねぶりながら、間に息づくつぼみを舌先で鋭く弾いた。

「はぁああんっ!」
「いい声やな」

 揶揄からかいまじりの上機嫌な声に、カアァッと頬が染まる。自分がしようと思っていたことを逆にされる羞恥心しゅうちしんは、つむぎの身体に如実にょじつな反応をもたらす。
 凪は左手で花弁を開き、き出しになったつぼみを右手と舌でね回しつつ、撫でるような手つきで浅く蜜口に指をれてきた。

「だいぶ濡れてるな。指で可愛がったる」

 ぬるんと中指を一本れられて、つむぎは「あっ」と声が上がりそうになるのを懸命にこらえた。凪の指は太くて長い。一本れられただけで、内側から押し広げられる異物感に、また新しい蜜がこぼれる。

「俺の指長いから、奥まで届くやろ。ほら、ここ、奥や。気持ちええか?」

 奥に届くだけじゃない。指の腹でお腹の裏側を押し上げるように擦られ、同時につぼみをちうちうと吸われる。その甘美な刺激に、お腹の奥がしきりにうずき、腰がくねり出す。

「はーっ、はーっ、あっ、ん……うん……なぎくんっ……そこ、だめ――おかし、なるぅ」
「びちょびちょやな。指、もう一本いこっか」

 薬指が蜜口に添えられ、中指と共にゆっくり入ってきた。
 痛みはないが、みちみちと広げられる感覚が強くなって、発熱したように身体は火照ほてり、自然と腰がり上がる。

「はーっ、はーっ、はーっ――……」
「結構慣らしたから、もう二本れんのは大丈夫になったな。前は指一本でもキツかったやん? もうちょい慣らそうな。三本いけるようになったら、だいぶ楽になるはずや。そのうちここで俺のをくわえさせたるかんな。楽しみにしとき」
「!」
「お? 締め付けやば……奥から痙攣けいれんしとうな……どうした? 〝くわえさせたる〟って言われて、俺にれられる想像したん?」

 凪が喉の奥でわらいながら、ゆったりとした手つきでつむぎのお腹――へその下辺りを撫でてきた。
 恥ずかしいけれど凪の言う通りだ。想像してしまう。今れられているのが、指じゃなかったら……彼のあの大きな物だったら……
 彼とひとつになりたくて、身体はずっと泣き濡れている。あふれ出てくるこの愛液がなによりの証拠で――

「このちっちゃい身体に、俺のを奥までくわえさす想像するだけでヤバいわ――」

 手前から奥まで大きなストロークで、連続で指を出しれされて、ぐちょぐちょといやらしい音がする。それだけでなく、時々、奥までズンッと突き上げられて、目の奥に白い火花が散った。

「――絶対ぶっ壊れるよなぁ?」

 じっと見下ろしてくる凪が甘くささやく。
 つむぎはシーツをぎゅっと掴んで、耐えるように首を左右に振った。

「んぁ――あっ、う~~、は……ふーっ、ふーっ、んぉ、は……」
「おまえを女にするんは楽しいやろうな」

 ずちゅっ、ずちゅっ、くちゅっといやらしい蜜音が響く。
 自分が濡れていく恥ずかしさと、身体の中を掻き混ぜられる気持ちよさ、好きな男に愛されたい欲求がつむぎをたかぶらせ、はしたない声を上げさせる。

「ほら、俺にイクとこ見して」

 くにゅっとつぼみを押し潰されて、子宮と脳髄のうずいを一直線に繋ぐように電気が走る。つむぎは上体を無理やり起こし、凪の胸にすがるように触れた。

「凪くん……凪くんっ……あぁ、きもちぃ、きもちい、そこ、だめ……そこは、だめ、だめ、ああ~ん、だめ……ひぃん」

 そんなつむぎの背中を支えながら、凪はまぶたに頬にと口付けてくる。でも責めの手を緩めてはくれない。抱き包まれているから、ところに当たるのをずらすこともできなかった。
 一方的にはずかしめられていくことに無駄な抵抗をする身体と、興奮していく心のチグハグした反応が、つむぎを内側からしびれさせていく。

「凪くん、凪くん、凪くんっ、んん、ああっ!」

 凪に抱かれたまま、ビクンビクンと身体を痙攣けいれんさせて、お腹の奥のほうで絶頂を味わう。

「はぁはぁはぁ……はぁはぁはぁ……ん、はぁはぁはぁ……」
(……また……また、いっちゃった……はずかしい~)

 真っ赤になってきゅっと目をつむる。
 凪の指で絶頂するのはこれが初めてではない。れるのはまだ無理だからと、凪が指と舌で散々なぶった結果、つむぎの身体は、女になるより先にめすとして仕込まれてしまった。
 男を知らないくせに、凪の指技と舌技にがって、泣きわめきながらはしたなく絶頂するめす

「……俺の名前呼びながらイクとかたまらんわ。ほんまかわええ。見て」

 凪はぬるんと指を引き抜くと、愛液でとろとろに濡れたそれをつむぎに見せ付け、わざとらしく糸を引かせた。

「や~~~~」
「可愛く言ってもあかん。見いや。濡れ方ヤバイで? ほら」

 言いながらまた蜜口を触り、中に指を沈める。お腹の裏側を擦り、指を出して愛液をなすり付けるようにつぼみをいじり、また中に指をれる。あふれた愛液が垂れて、シーツまで濡れてしまった。
 恥ずかしいのに、気持ちいい。何度も何度も出しれされて、つむぎは凪を呼びながらまた昇り詰めた。ビクビクと身体を痙攣けいれんさせ、一気に弛緩しかんする。

「はーっ、はーっ、なぎくんの、いじわるぅ」

 こんなに何度もされたら、身体がおかしくなってしまうのに。事実、つむぎのあそこは濡れっぱなしだ。もう力が入らない。

「そうかぁ? 結構優しいやろ俺」
「……やさしい……すき……」

 そう、凪は優しい。昔から変わっていない。昔からずっと、つむぎにだけは優しい。

「俺も好きやで」

 凪はぐったりしたつむぎをベッドに横たえると、唇にキスしながら自身の狂暴なみなぎりをしごきはじめた。

「は……つむちゃん……つむ……」

 切なく眉を寄せ、小さく息を荒らげながら、シュッシュッとリズミカルにしごく。
 ときにはつむぎの蜜口に擦り付け、愛液を亀頭に塗り付けながら自身をたかめていく。そこに少しでも関わりたくて、手を伸ばし、ちょんっと鈴口に触れると――

「っ……!」

 凪がつむぎの唇に吸い付き、舌を絡めるのと同時に、熱い飛沫しぶきがつむぎのお腹に勢いよくほとばしった。ドピュッドピュッと二度、三度と分けて大量に噴出する白濁した情欲に、ドキドキする。

「は……なんやもー、びっくりするやんか。めっちゃ出たわ」

 照れくさそうに笑いながら、何度も何度もキスしてくる凪が愛おしい。
 愛おしいからこそ、胸が詰まる。いくら昇り詰めても満足できない。
 身体は満足したかもしれないが、心はそうじゃない。つむぎがそうなんだから、凪もきっと同じだろう。ひとつになりたいのに――お互いにこんなに求め合っているのに、身体が壁のように感じる。他の人はできていることが、自分たちはこんなにも難しい。
 もどかしい想いは、つむぎの小さな胸をチクチクと刺す。

「凪くん好き」
「俺もおまえが好きや。いっちゃん好きや」

 凪は猫のようにつむぎに頬ずりすると、「風呂行こうか」と抱きかかえてくれた。


         ◆     ◇     ◆


 ――半年前。

「あー、三〇三号室だっけ? 昨日入ってきた暴力団関係っぽい患者さんは。背中にめっちゃ刺青いれずみあるってよ。はぁ……イヤだな……トラブルなんか起こさんでほしいわぁ」

 朝の申し送りで聞いた情報に、先輩看護師が眉間に深々としわを寄せる。つむぎはパッと身を乗り出した。

「うちが行きましょうか?」
「黒田さん、いいの?」

 この市民病院に入ったばかりのつむぎが積極的に手を挙げたものだから、先輩看護師が目をみはる。
 つむぎは去年まで関東の病院に勤務していたのだが、思うところがあって、幼少期を過ごした関西のこの街に、つい最近戻ってきたのだ。
 地元だったから、この街に暴力団関係者がいるのは百も承知の上。普通は避けたいところかもしれないが、つむぎにはそういう忌避きひ意識はない。むしろ相手がヤクザ者なら望むところだ。

「大丈夫ですよ」

「じゃあ、お願い」と、先輩から手術同意書やら入院説明の書類一式が入ったバインダーを受け取って、つむぎはくだんの三〇三号室に向かった。この部屋は個室だ。

「失礼します」

 コンコンとノックしながら声をかけると、つむぎが開けるまでもなく、内側から引き戸が開く。

「あ、兄貴。看護婦が来やしたよ」

 二十四、五くらいのスーツ姿の若い男がベッドサイドに顔を向ける。釣られてそちらに目をやると、カーテンに囲われたベッドの向こう側から、やたらと背の高い男がヌッと出てきた。
 小柄なせいで、一六〇センチ以上の人は一律で〝大きい〟と感じるつむぎだが、この人は〝山〟だ。大きいなんてもんじゃない。
 ブランド物の黒スーツに濃いグレーのシャツ。そこに濃い臙脂えんじのタイを合わせており、その長身と、はち切れそうなぶ厚い胸板も相まって、近付き難い貫禄と重厚感がビシビシとほとばしっている。
 見るからに只者ただものじゃない。まぁ、相手がデカいぐらいで気後れするつむぎではないが。

「ん? つむぎ? あんたもしかして、白川しらかわつむぎか?」

 呼ばれて男の顔をまじまじと見上げる。
 長髪気味の黒髪。パラリと無造作に落ちた前髪から覗く鋭い眼差しは、力強さと色気が五分五分。高い鼻梁びりょうに一文字に引き結ばれた唇。端的に言って整った顔立ちだ。微笑みとは縁薄そうな表情筋が、今は驚きをかたどっている。
 はて? こんな図体のデカい男は知らないはずだが……。でも見覚えがあるような気もする。特に声と話し方に記憶が刺激された。
 自分を気安く〝つむぎ〟と下の名前で呼び捨てる男は、親族以外ではひとりしかいない。

「……凪、くん?」

 少し自信なさげな問いかけになったのは、記憶の中の彼とあまりにも違いすぎたからだ。

「おう、俺や。久っしぶりやなぁ。ええ?」

 椎塚凪。あの頃は線も細くて、色白で、薄幸系美少年の名をほしいままにしていたのに、今やその面影おもかげを探すほうが大変だ。なんというフェロモンのかたまり
 薄幸系美少年が、野性的なイケメンヘビー級ボクサーに進化するとは、誰が予想しただろう? でもパァッと笑った屈託くったくのないその笑顔は間違いなく凪だ。

(凪くんだ! うっそぉ!? めっちゃかっこよくなってる!)
「久しぶりだね! 元気? 今はね、黒田なんだよ」

 笑いながら挨拶あいさつすると、ほがらかだった凪の表情が一変した。

「はぁ!? 結婚したんか!?」
「違う違う。黒田は母の旧姓なの。うちもいろいろあって。――凪くんはお見舞い?」
「あ、ああ……親父が入院してん」
「兄貴、知り合いっすか?」

 病室のドアを開けてくれた若い男の問いかけに、肩の力を抜いた凪が、「ああ、小中の同級生」と頷く。それを横目で見ながら、「失礼しますね」とひと言断って、ベッドを囲むカーテンを開けた。すると、凪に負けないほど恵まれた体格の男が、ベッドをきしませながら身体を起こしたところだった。
 初老を少し超えた頃だろうか、目尻のしわ柔和にゅうわに刻まれている。物越し柔らかなのに身体はきたえてあり、少しうねりのある髪はグレージュヘア。彼がヤクザ者だと知らなければ、第一印象はダンディなイケおじだったことだろう。体型も顔立ちも凪にそっくりだ。どうりで今の凪にちょっと見覚えがあったはずだ。かつて会った彼の父親に似ているのだ。薄幸系美少年だった頃の凪と、今の凪を繋げるのは難しいが、凪の父親と今の凪を繋げることは容易だった。

「暴力団関係の患者さんって、凪くんのお父さんのことだったんですね。こんにちは。お久しぶりです。白川つむぎです。うちのこと覚えていらっしゃいます?」

 軽快に笑うつむぎに、凪の父親の頬がなつかしさに緩んだ。

「ああ、つむちゃんか。久しぶりやな。あんた、ちんまいまんまじゃねぇか」
「中学生の頃から身長止まっちゃってますからねぇ。でもそのおかげで、凪くんに気付いてもらえたんならラッキーかも」

 チラッと凪に視線をやると、彼の目は優しげに細まってつむぎを見ていた。
 勤務中にもかかわらず、その眼差しに胸がドキドキしてくる。なつかしい以上に嬉しかった。

(本当に再会できるなんて夢みたい!)

 出会ったときのことを思い出す。
 小学四年生の頃、父親が転勤族だったつむぎが、この街に越してきたのが最初。転校してきた初日、つむぎの席の周りは好奇心を隠さない同級生でいっぱいだった。

『なーなーおまえ東京から来たんやろ? 富士山登ったことある? 俺はあんでー』
『富士山は静岡と山梨やん。こんな馬鹿ほっといて、部活なに入るか決めた? あたしねぇ調理部なんよー。白川さんもどう?』
『わかんないことがあったらなんでも聞いてー。あとねぇ、隣のあの子には近付かんほうがええよ』
『えっ、どうして?』

 今はもう顔も名前も覚えていない女子が言った最後のひと言に、つむぎは敏感に反応した。
 その子は、つむぎのすぐ隣の席で本を読んでいる線の細い男の子を指差し、声をひそめる。

『あんなぁ、あの子のおうち、ヤクザなんやてー。この辺じゃ有名』

 それを聞いたつむぎは、嫌悪感丸出しで眉を寄せた。

『なにそれ。うち、そういうの嫌いなんだけど?』
『だよねー、いやだよねー』

 ケラケラとわらうその子を押しのけて、つむぎは隣の席の男の子に声をかけた。

『ねぇ、名前教えて?』
『……椎塚凪』

 視線を本から動かしもしない素っ気ない返事だったが、こたえてくれた。そのことに気をよくしたつむぎは、更に凪に近付いた。

『凪くんね。あのね、うちに学校のこといろいろ教えてくれない? 案内してよ』

 ひとりを爪弾つまはじきにすることで結束を図る、一種の汚い連帯感。つむぎはそれに嫌悪したのだ。
 たった今、ヤクザの家の子だと知らされたのに話しかけてくるつむぎに、凪はチラッと奇妙なものを見る目を向けてきた。

『なんで俺が……他の奴に聞きゃええやろ……』
『いいじゃん! 隣の席なんだし! お願いっ!』

 にぱっと笑ってみせると、凪は黙って目を逸らし……しばらくして頷いてくれた。
 それからだった。つむぎと凪が仲良くなったのは。
 それは、積極的に絡んでいったつむぎを、凪が受け入れてくれた形だったけれど、ふたりはいつもいつでも一緒にいた。学校帰りには毎日お互いの家を行き来していたから、そのときに彼の父親にも会ったことがある。
 凪がヤクザの家の子というのは、ただの噂ではなく本当のことだった。でも、そんなことを気にするつむぎじゃない。
 凪自身は勉強もできたし、スポーツも万能で足も速い。それに大人びていたし、おまけに見てくれは薄幸系美少年。家のことでちょっと陰を帯びているのも魅力で、密かに想いを寄せている女の子も多かったようだ。
 結局周囲が、ヤクザの家の子だなんだと遠巻きにしているのは、それだけ凪が特別だったから。
 近付きたいのに近付けないのを、〝あいつはヤクザの家の子だから近付かないのだ〟と酸っぱい葡萄ぶどうのような扱いをしていただけ。
 むしろつむぎは、彼との仲を誇らしく思っていたくらいだ。中二の頃、急遽きゅうきょつむぎが引っ越して疎遠になってしまったけれど……
 実のところ、この街に戻ってきたのは、凪に会うのが目的だった。でも同時に、現実的には難しいかもしれないとも思っていた。最後に別れたのが十四歳のとき。あれから十一年が経っている。彼はもう、この街にいないかもしれない。いたとしても、会えるかどうかわからない。会えたとしても、忘れられている可能性だって充分にあったから。

(でも、会えた。しかもうちのこと覚えててくれた)

 そのことに意味を見出みいだしたくなるのは自分だけ?
 中学生の頃、つむぎは凪に恋していた。小学生の頃にはもう彼が好きだったし、なんなら出会った瞬間に一目惚れしたのかもしれない。
 でもそれはつむぎの片想いではなく、凪もつむぎを想っていてくれたはずだ。
 お互いにお互いのことが好きで、それに気付いているのに、言わない……言えない。中学生にありがちな甘酸っぱい恋心がもたらす微妙な空気感。それがあの頃の自分たちの間には確かにあった。
 伝えられないまま離れ離れになってしまったから、あの淡い恋心は、今もなおつむぎの中に、大切に仕舞われたままだ。
 ずっと彼に会いたかった。忘れた日なんて一日たりともない。
 彼より好きになれる男はいなかったのだ。出会う人出会う人を、無意識のうちに彼と比べる自分がいることに、つむぎは気付いていた。
 ――どうしても彼がいい。
 実らなかった初恋だから余計に執着しているだけかもしれないけれど、やっぱり彼のことが好きなのだ。自分が一番幸せだったときの記憶にいるのが椎塚凪。彼だった。
 凪はどうだろう? 他の恋を見付けて、あのときの気持ちなんて忘れてしまった? それとも――

(うちはまだ好きよ、凪くん……ずっとずっと好き)

 秋波しゅうはを送ると、気付いてくれた凪が意味深に微笑んだ。
 見つめ合ってそのまま、ふたりの世界に入ってしまいそうになるのを懸命にこらえて、持ってきた書類一式を凪に渡す。


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